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「彼女は安楽死を選んだ」NHKドキュメントを見て

少し古い話になるが、今年の6月にNHKの番組をタイトルに引かれて、見た。
安楽死を選んだ人は、バリバリ仕事をしていて、それなりに充実した人生を送っていたが、多系統萎縮症という難病になり仕事もやめた。
徐々に身体機能が失われ、彼女は何度も自殺未遂をするが失敗。
彼女の言い分は、「病気が進行したら、何かをやってもらっても「ありがとう」も言えなくなる。寝たきりで10年も20年も生きるなんてまっぴらごめんなの」。
病気で苦しいから死にたいというだけなら、病気が進行して呼吸器を使うかどうかという時にモルヒネを使って苦しまずに死ねるらしいのだが、彼女は死ぬまで待てなかった。つまり、苦しいから死にたいのではなく、重度障害者になって生き恥をさらすくらいなら死んだほうがましと言うのが彼女死にたい理由なのだ。 一番下の妹は反対した。体が動かなくなっても最後まで生きていてほしいと。二人の姉は、反対してもまた自殺未遂を繰り返すだろうから、本人の意思を尊重して最後まで立ち会うためにスイスまでついてきた。
結局、彼女は死んでしまうのだが、死ぬまでの、医者が来て点滴をうって数秒で何の苦しみもなく、意識がなくなり死んでしまう様子がそのまま映像で流れていた。正直、準備万端にした上でこんな風に楽に死ねるなら私も…と思うくらいだった(一生懸命生きてる人たちにはごめんなさい。でも本当にそう思ってしまった、それくらい楽で簡単だった)。
ガンの末期患者が痛みがひどい時に強い薬を入れるけど、そうすると目が覚める事がないからお別れの言葉を家族と交わす場面は見たことがあったが、でもそれも寿命が尽きるのを眠って待つということ。この安楽死は寿命を待つことなくすぐに死ねるということだった。
ドキュメントでは、彼女と同じ難病をもち、長期入院してる別の女性と家族にもインタビューしていた。その女性は、自宅には帰らず、長期入院していたが、面会に来る家族と会えることだけを楽しみに生きているとのことだった。家族は、会いに来て、頑張って生きてる姿を見ると、自分たちも頑張って生きようと、勇気がもらえるから生きていてほしいとの事。けれど実際に病院での毎日は、ただただ死を待つための入院生活のように思えた。お金もかかるだろうし。
日本自立生活センターは、NHKに対して、ほう助自殺報道の問題点について声明を出していた。「今回の報道が、障害や難病を抱えて生きる人たちの生の尊厳を否定し、また実際に『死にたい』と『生きたい』という気持ちの間で悩んでいる当事者や家族に対して、生きる方向ではなく死ぬ方向へと背中を押してしまうという強烈なメッセージ性をもっているからです。」(前後省略)
長期入院して死を待つだけではない方法があるのに、そういう人をインタビューしなかった。進行性の難病になっても、安楽死しなくても、長期入院しなくても、24時間ヘルパーをつけて、自宅で自分らしく、忙しく、充実して生きている人もいる。そういう方法があると言う情報をこそもっと伝えるべきなのに、しなかった。それでは確かに安楽死の宣伝をしているだけ。
その上このご時世、グッドタイミング、生産性のない人は一日も早く迷惑かけないうちに尊厳死しましょう、こんなに楽に逝けますよ、これが日本で合法化されたらわざわざ高いお金出してスイスまで行かなくてもできるようになりますよって言う、まさしく宣伝。
どんな生き方をするのか、どんな死に方をするのか、ありがとうと言えなくなっても、人の手をかりないと生きれなくなっても、それでも生きたいと思うのか、それともこんな無様な姿を見られたくない、何の役にもたたなくて人に迷惑ばかりかけてるから早く死にたいと思うのか…。この差はどこから来るのだろうかと、ずっと考えていた。それこそ一人一人の中にあるかもしれない優生思想と同じで、他人ごとではない。彼女がもし子どもがいたら、果たして死を選んだだろうか?制度が社会福祉が充実したら変わるのだろうか?
 事実、高齢になって他人の手を借りないと生活できなくなる日が来るのに、恥ずかしい、情けない、家の中には入ってきてほしくないと、支援を拒否する人は多い。 健常者として、自分のことは自分でする(できてない人も多い気がするが)、働いて役所のお世話にはならない、他人に迷惑をかけない、などなど、子供のころから植え付けられてきた価値観がある。だから未だに、税金を使った移動支援の制度を使って遊びに行くなんてわがままだと思われたり、生活保護をとることは恥ずかしいと思われたりしている。
その価値観を年を取ったからとか、障害者になったからとか、難病になったからとかで、いきなり変えるのはそう簡単ではない。中途障害の人たちが、外に出るようになるには、何年もの時間が必要だったと聞いた。本当は、彼女も病気を受け入れるための時間が必要だったはず。いっぽうで、その価値観こそが、今の社会で生きにくくなった人たちをたくさん生み出している気がする。
私たち支援者側もどっぷりとからめとられているこの価値観を、生きてるだけでいいんだよ、やりたいことをやっていいんだよと本心から言えるようになるためには、どうやって変えていけばよいのだろうか。
誰もが、どんな状態になっても、医療費や住宅費や生活費や学費や介護費用などの十分な保障を受けられるなら、障害者が税金を使って楽しく暮らしていても、羨んだりしないのだろうか?生産性がない人間は死んだ方が良いと言う考えにはならないのだろうか?
 デンマークについての本を読みかけていたのを思い出した。社会保障が進んでいる北欧ではどうなのか、調べてみたい。

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019年6月2日放送)における幇助自殺報道の問題点についての声明