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第2回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは その②-1 | NPO法人ちゅうぶ(旧 中部障害者解放センター) 第2回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは その②-1 | NPO法人ちゅうぶ(旧 中部障害者解放センター)
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  • 2024.04.18 (木)
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第2回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは その②-1

ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。「親支援者と考える自立生活とは」というテーマで、2回目です。ちゅうぶではどんな取り組みをしてきたのかということで、①の西川和男さん、お姉さんの話に続き、代表理事尾上浩二の話です。

NPO法人ちゅうぶの代表理事をしている尾上浩二です。よろしくお願いいたします。

先ほどは西川和男さんの自立ということを中心に、ちゅうぶがどんな障害があっても地域で暮らせるように目指して進めてきた活動、西川和男さんの生活の様子というのを淳子さんと一緒に教えてもらいました。

私はその背景になっている地域生活に関する支援の制度をどのように進めてきたのかというのを中心にお話を進めていきたいと思います。

ちゅうぶができて間もなく40年になるんですけど、まだまだ課題があるとはいうものの、40年間の間にかなりの制度や仕組みが整ってきている、それはみんなで力を合わせて取り組んできた結果だということを知っていただけたらと思います。

自己紹介

私も今年63歳になりましたけど、大阪に生まれて、子供のときから障害をもって生まれ育ってきました。脳性マヒという障害ですけど、養護学校、大阪府立の養護学校に行って、そのあと西川和男さんがさっき入ったと話していた、三つ目の施設ですね、その施設に私も入所して、中学校から地域の学校に入って、大学で障害者運動の仲間と出会って、大阪の地下鉄の全部の駅にエレベーターをつけようというバリアフリーの運動や、あるいは同じ障害をもつ仲間の自立生活、地域での生活を支える取り組みをしました。

先ほど西川(淳子)さんの話の中でありました、Sさんという在宅時代からキャンプに行きたいけど親以外の介護を受けたことがないから、期待と不安で泣いてしまうという、その彼の自立なんかもずっと関わったりしてきました。

ちゅうぶは1984年に設立されましたが、その設立に関わりました。

そして、障害者団体の全国組織ですが、DPI(障害者インターナショナル日本会議)の事務局長に選ばれ、東京で15年ほど活動してきました。

5年ほど前に、大阪に戻ってきて、NPO法人ちゅうぶの代表理事を務め、DPIの副議長、内閣府の障害者施策アドバイザーをしています。いろいろなことをやってきたんですけど、これは(スクリーンに写真)そのうちのひとコマで、2013年に障害者権利条約を議題にしたときの国会にお招きいただいて、参考人として発言をしたときの写真です。

NPOちゅうぶは、元々は一般の古い民家を借りて、そこを改造して、作業所や、本部事務所みたいなことを作ったのが始まりで、1984年12月のことでした。来年でちょうど40年を迎えます。ちゅうぶの歴史みたいなことにも触れていきたいと思います。

地域生活を求めて

1985年に福祉作業センター・赤おに、(大阪市の作業所の助成制度)としてスタートして、1986年に大阪市全身性障害者介護人派遣事業、今の国の制度でいう重度訪問介護のひな型になるような大阪市独自の介護制度を作るのにもちゅうぶで関わりました。先ほど西川(和男)さんが入居されていたと話にでた、グループホームとんとんハウスが1989年にオープンしました。1989年にできた大阪市独自の身体障害者グループホーム制度の第一号が、グループホームとんとんでした。

大阪市独自のグループホーム制度というのは、全国的には珍しくて、(ようやく知的障害の方のグループホームが始まるのが1989年だったが、)国のほうでは身体障害者のグループホームはまだないという時代の中、大阪市独自のグループホーム制度を作りました。このグループホーム制度をつくるのに、私たちの取り組みがモデルになって制度化されたという流れになります。

さらに1992年に大阪府福祉のまちづくり条例というのができました。

2014年に「おにわ」をオープンして、現在に至り、来年ちゅうぶは40周年を迎えます。

実家か施設での生活~二つしかない?

ちゅうぶの設立当時の障害者の状況ですが、なぜNPO法人ちゅうぶをつくったのかというのを理解していただくために、障害者の状況を振り返りたいと思います。

今の大阪市ですと、一番、重度の障害者の場合ですと、一日24時間の介護が認められるようになっていますけども、1984年当時の介護制度は家事援助だけで、着替えとかおトイレ介護とかはありませんでした。料理とかお掃除、あとは買物、そういう家事援助で週2回、それぞれ2時間、一か月16時間というのが最大でした。

また、駅のエレベーターはほとんどありませんでした。この近くの喜連瓜破駅にひとつあるだけで、二つ目が大阪市の市役所近くの淀屋橋。当時、バスはノンステップバスでなくて、三段ステップの、昔ながらのバスで、車いす利用者がバス停で待っていると、運転手は、確かに目が合って見ているのに、停まらずにそのまま行ってしまう、露骨な乗車拒否をする、そんな時代でした。

当時は、学校を卒業したら実家での生活という状況にいる障害者がたくさんいました。私も学生時代から色々な障害者のお宅の訪問とか施設の訪問をさせてもらいましたが、あるおうちでは、私たちの活動に出会って、やっと、7年ぶりに家を出る、7年どころか10年とか、私たちが訪問して初めて学校卒業後に家を出る、そんな障害者がたくさんいました。

介護の状況も週2回、2時間ずつの家事援助しかない。お風呂とかトイレ介護してもらえないのです。ですから、家族での介護が厳しくなると入所施設へいくしかない。ずっと実家での生活か、その家族での介護が難しくなると施設へという、当時の障害者の人生でした。

②-2へ続く…

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