2025/01/07
11月5日(火)~12月14日(土)の40日間、285人の車いす利用者や階段昇降がしんどい方の補助を行いました。基本は車いすを4人で担ぐ、でしたが、いろんなパターンがありました。
一般のお客さんはほとんどが外国人。1日6000人~8000人と毎日行列で大人気。今回補助した方は3分の2が外国人でした。体重100㌔程度の方もいましたが、階段専用の車いすも用意し、6人で担ぐことで重い方でも対応できました。

予約制ではないので、いつどんな人が利用されるかはまったくわからない状況。こちらのスタッフは10月に急遽募集した学生など。大阪の他団体にも呼びかけてベテランスタッフと学生とで対応しました。階段で担がれたことが無い人も多く、最初の上りでは固い表情の方が多かったのですが、最後は笑顔の方がほとんど。記念撮影に応じてくれた方も毎日1人~2人いました。全国からの修学旅行生も多く、他の生徒と同じように天守閣に上がってもらうことができました。ご利用いただいた人数等については、現在集計中です。
読売新聞にも掲載されました。
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20241210-OYTNT50224/
2024/10/31
2024/10/03
11/9(土)、11/10(日)、11/16(土)に重訪講座6月コースを行います。受講希望の方は、「重訪講座6月コース受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.ふりがな
2.性別
3.氏名
4.生年月日
5.郵便番号
6.住所
7.電話番号(あればメールアドレスも)
8.勤務先もしくは学校
9.受講の動機
<申込先>
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
入力フォーム:https://forms.gle/kbJJsb7Tefp2yg4B7
- 受講料15,000円 学割10,000円(キャッシュバック制度あり)
- 定員30名(応募者多数の場合選考。申し込み期間中でも募集を締め切る場合あり)
募集期間は、10/15(火)~11/1(金)。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2024/10/03
自立生活センター・ナビの小坪です。
報告が遅くなりましたが、9月29日にたくさんの人に集まって欲しいということで、「おにわ縁日」と「目で聴く落語 今川ちゅうぶ寄席」を同日開催しました。前日までの暑さはどこへやら。当日はまさかの大雨でお客さんが来てくれるのか心配でしたが、始まるとたくさんの方に来ていただけました。


おにわ縁日
わなげ、空き缶つり、わたがし、射的、十銭洋食など色々と工夫した甲斐もあり、お子さんも大人の皆さんも楽しんでいただけたと思います!


今川ちゅうぶ寄席
三味線、太鼓、笛がなり、出囃子が流れて、演者さんが高座に上がる本格的な寄席が職場で味わせる贅沢な時間でした!今回は音声変換システムに加えて要約筆記も依頼しました。小噺、マジック、腹話術、大神楽、落語と演目も盛りだくさん。
字幕が出るまでにどうしてもタイムラグがあるので、難聴者や聴覚障害者の方がどう感じたのかなどの感想も聞きながら、誰もが楽しめる形を考え続けていきたいと思います。



ご来場くださった皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました!!!
2024/08/22
《目で聴く落語今川ちゅうぶ寄席》2回目開催します。
NPO法人ちゅうぶの4階で落語会を開催します。要約筆記と音声認識システムを使います。今回は落語だけでなく、お笑い福祉士の方に協力してもらい手品など落語以外の芸も織り交ぜて行います。
日程:2024年9月22日(日・祝)
開演:14:00 終演:16:00 開場:13:30
場所:NPO法人ちゅうぶ4階(大阪市東住吉区田辺5-5-20)
定員:50名
料金:1,000円(介護者無料)
設営の関係で、9月20日(金)までに申し込みをお願いします。
以下のいずれかの方法でお申し込みください。
申込フォーム:https://x.gd/wo6Wz
電話:06-4703-3740
ファックス:06-6628-0271
メール:chubu@npochubu.com
今川ちゅうぶ寄席をきっかけに、地域の人達にちゅうぶを知ってもらえればとも思います。
「落語を聴いて日頃の疲れを笑い飛ばしちゃいましょ〜!」
みなさんの参加をお待ちしています!

※お笑い福祉士とは
笑福亭學光さんが個人で認定している資格です。
福祉施設などを訪問して、笑いを届けるボランティア芸人の称号として、2004年から認定を始め全国に600名在籍。
2024/05/15
ちゅうぶ(おにわ4階)で4人の落語家さんに来ていただき落語会を開催します。
話したことを字幕化します。聞こえない人も楽しんで!
日程:2024年5月23日(木)
開演:14:00(開場:13:30/終演16:00)
場所:NPO法人ちゅうぶ4階(大阪市東住吉区田辺5-5-20)
定員:50名
木戸銭:500円
●事前にNPO法人ちゅうぶまでお申し込みください。お申し込みの際は、お名前・人数(ヘルパー含め)・連絡先・どこで今回の寄席をご存知になったか、をお知らせください。
電話:06‐4703‐3740
ファックス:06-6628-0271
メール:chubu@npochubu.com
去年12月に笑福亭學光(がっこう)さん、合田享史さん(まっすぐプランニング代表ライター)、中途失聴者の加藤さんに、自立生活センター・ナビの機関誌ナビゲーションで取材させていただきました。加藤さんは、手話ではコミュニケーションが取れないので、ちゅうぶ4階の字幕システムを使いました。この字幕システムに加藤さんをはじめ、みなさんが感動され、ぜひここで落語会が出来ないかという話で盛り上がり、今回の企画が実現しました。

今後も落語会は定期的に開催したいと考えています。みなさんの参加をお待ちしています。今川ちゅうぶ寄席をきっかけに、地域の人達に、ちゅうぶを身近に知ってもらえればとも思います。
「落語を聞いて、日頃の疲れを笑い飛ばしちゃいましょ〜!」
2024/05/07
6/15(土)、6/16(日)、6/29(土)に重訪講座6月コースを行います。受講希望の方は、「重訪講座6月コース受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名
2.ふりがな
3.性別
4.生年月日
5.郵便番号
6.住所
7.電話番号(あればメールアドレスも)
8.勤務先もしくは学校
9.受講の動機
<申込先>
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
入力フォーム:https://forms.gle/kbJJsb7Tefp2yg4B7
- 受講料15,000円 学割10,000円(キャッシュバック制度あり)
- 定員30名(応募者多数の場合選考。申し込み期間中でも募集を締め切る場合あり)
募集期間は、5/20(月)~6/7(金)。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2024/04/25
7.施設職員であった支援者の立場
【肢体不自由児施設を振り返って】
肢体不自由児施設であった支援者の立場と子どもの気持ちというところで、少し小坪さんとの掛け合いをしながら、いわゆる肢体不自由児施設というのはどんな感じだったんだろうなというのを共有化しながら、また皆さんからのご意見なんかも踏まえてお話させていただければと思います。
では今から小坪さんと、フロアの皆さんの意見を参考にさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
【施設収容で治療する方針】
おおよそ、1960年代から1970年代、収容の時代という感じですかね、主に。そのあと1980年代からいわゆるリハビリというもの、早期発見早期治療ということが言われるようになります。その中で、お母さんと一緒に母子入園したり、あるいは施設で短期入所したりして、成長してきた時代でした。
森園さんになると1990年代くらいかな?
小坪 :小坪です、よろしくお願いします。そうですね、僕が大手前整肢学園に入ったのが34年前で、僕と同い年の、今夢宙センターのスタッフをやっているUさんが当時まだ幼児だった森園くんを介助しながら一緒に歯磨きをしていたんだという話を未だにするので、多分同じ頃にいたのかもしれないなと思いますが、僕は森園くんについては記憶がまったくなくて……内村さんが何回か入られているときに森園くんと一緒になってて、僕は絡んでない……たぶん(笑い)。
大谷: (笑い)はい、そんな中で、色々出会いがあったわけであります。一番遠いところでいうと西川和男さんのお姉さん、もっと言うと、おばあちゃんとの出会いがあります。僕はそのとき施設で、ボランティア活動もしていて、その時にお会いしたのか、職員になってからお会いしたのか定かではないんですけど、僕はそのころ1970年代、施設のボランティアもやっていました。多分久保さんなんかと出会っていましたよね。その頃は入所長かったよね、久保さんでどれくらい入っていたかな。3年くらいですか。和男さんも3年くらいかな。もっと長かったかな、4年か5年くらいかな。
施設というと入所をイメージしがちですけど、森園くんも入ったことあると思いますが短期ですか?
森園: 半年を2回くらい、幼稚園のときには1年くらい入所しました。
大谷: 森園くんどこを手術したの?
森園: 股関節です。
大谷 :(西川)和男さんが……
西川淳子: 7年くらいです。
大谷: あの当時お姉ちゃんがよく外泊のときにおばあちゃんとお迎えに来てはったことは覚えています。
石田: お姉さんが高校生くらい?
大谷: いや、大学生やなかったかな。
西川淳子: ええと……何歳のときに会っていたか定かじゃなくて(笑い)。和男のところにはもう、私が中学校のときからずっと行っていたんで。
大谷: そうでしたね。当時の婦長さんはずいぶん気にかけていたようですけど。ご両親がいなかったものですから、どうするかというところで、進路については非常に気にかかりました。
西川 和男ですか? 和男はそのままずっと19歳まで入所していました。次の施設に移るまです。
【リハビリ施設への転換】
大谷: 1970年代くらいまでは入所というのが通常でした。入所を中心とした治療が行われてきたわけです。
1980年代になると早期発見早期治療ということで、いわゆる訓練施設、リハビリ施設としての大手前整肢学園という方針みたいなものが出てきました。早期発見早期治療ということで、お母さんと一緒に訓練するわけです。母子入園といって1ヶ月くらい一緒に入所して、お母さんが訓練方法を覚えてお家で訓練をするというような形で行われてきました。
1990年代も同じような形で入所を前提とせずにリハビリを中心とした施設になってきたという大きな流れがあることをご理解いただければと思います。
【施設で預かってもらう安心感】
当時は、施設で預かってもらったらリハビリもしてくれて、なにかあったら看護婦さんもお医者さんもみてくれるので安心やと、少しでも長く預かってほしいという親の気持ちというのがあった、1970年代はそういう状況でだったと思います。
でも、久保さんもそうでしたけど、早く帰りたいし、病院は嫌やし、本当にその通りだったと思います。
大手前整肢学園は都市部にあったので、土日は帰ることができたので、お父さんお母さんに迎えに来てもらって、土曜日に自宅に帰って、日曜日に大手前に戻る。それで、日曜日に大手前に帰ってきたらずっと泣いている、「家に帰りたい」ということだったんです。
しかし、西川和男さんはちょっとマイペースでしたね(笑い)。あんまり泣くとか……別れ際はどうでした?
西川淳子: 前のふたつの施設が酷かったので、そのときはすごく泣いてしました。
でも大手前は一番よかったんです。土日家に帰れるし、学校もあったり、わりと自由に、車いすに乗って過ごせたりしたので。だから、大手前ではあまり泣かなかったです。
大谷: マイペースな、彼なりの、主張もあったし、色々ね、ありましたね。
久保さんはどうですか? 早く帰りたかった?
久保: 私は泣いてた。
大谷: そうやろなぁ。よく泣いてましたね。
久保: はい。
大谷: 日曜日になったら泣いてましたよね。土曜日は元気なんですけどね。
【みんなと一緒にという子どもの気持ち】
親としては預かってくれて安心なんですけど、子どもの気持ちとはすれ違うことがあります。
社会との関係では、学校もそうですが、なかなか壁が厚い。だから久保さんも、養護学校が嫌やって言って、地元の夜間へ通ったのでしたよね?
石田: 市岡定時制高校
大谷: あれは、久保さんの考え方が強かったのかな。
小坪: 久保さんは、先輩で……
大谷: ああ、Yちゃんな。
小坪: 市岡高校に行ったその人のアドバイスで、という話をしておられたと思います。
大谷: 親の気持ちで預かっているんです。でも子どもは早く帰りたいし、同じような集団は嫌や、というのがあったんですね。
ですから、普通学校へ帰りたい、私はみんなのところへ帰りたいという願いが非常に強かったのが印象として残っています。和男さんはマイペースやったなあ。
石田: (笑い)

大谷: 重度の子やったら施設ということが、社会常識的な流れとしてありましたから。今は、どんな重度の子でも地域で生きるということが一つの権利として認められているようになってきましたけど、当時は1970年代とか1980年代とかはなかなかそういった受け皿も整備されていない状況でした。
久保さんみたいに、長く施設におると、普通にみんなの中で過ごしたいというニーズが非常に高かったですね。
みんなと同じように生活をしたいから、普通の高校、普通の中学校を目指すというのが、ごく当たり前に出て、「みんなと一緒にやりたいなあ」というのが、70年代の子どもたちの思いやっただと思います。
歴史的なひとつの転換期でもありましたね。
【施設で安全に暮らす方がいい】
私が印象に残っているのが、骨形成不全症という、骨が折れやすい子どもたちがいたんですね。
骨が折れやすいですから、親は病院にいてくれたら看護婦さんも、お医者さんもいるから、安心。でも、子どもにとっては、4歳くらいからずっと施設、15歳くらいまでずっと施設にいるわけなんです。
俺はずっと、一生このまま施設でなのか、外の世界をなんとか見たい、というような思いがあって、ちょうどその1970年代から80年代の頃でしたので、治療を終えた場合は、退院もいいのでないか、子どもも退院したい、親御さんは施設にいてもらった方が安心やけど、子どもも、職員の方言うから、仕方ないなということで、小学校6年生のときに中学へ見学に行ったんです。
校長先生のその子と親と私で面談受けたんですね。支援学校の先生もおられました。そのときの面談で校長先生が目の前で、「まあ、お気持ちはわかります。けれども、まあ、学校というところは事故の多いところです。こういうお子さんは、特に骨が折れやすいので、教育よりも命が大事なんじゃないですか。施設で安全に安心に暮らす方がいいんじゃないですか」って校長先生が言うたものですから、お母さんも「その通りや!」と賛同されました。
お母さんは、「あんたらは親やないから好き勝手言うけども、もしなんかあったら責任取ってくれるのか」ということを、言い返しまして、さすがの整肢学園のお医者さんも「うーん」ということになって、結局、その校長先生の一声でその夢が潰えたんですね。小学校6年生のときに。
その子3歳から入っているもんですから、12年くらい入っているんですよね。職員も学校の先生も、「あんたやったらいけるで」って言って、「行きたいんやったら行けるで」って、その子は、帰れると思っていたんです。
【心で血の涙を流す】
男子更衣室って2階にあるんですが、教室も2階にあって、その横にあったんです。
ずーっと、朝僕ら学校に行くと、ずーっと窓から外を見ているんです。ずーっと。「おはよう」って言っても振り返りもしない。あのときが初めてですよ。やっぱり、血の涙を流すことがあるんやなあって、思いました。
背中を見てたらわかるんです、本当に夢破れて、やるせない気持ちで、血の涙を流しているなあ、心で血の涙を流しているなあっていうのが、すごくよくわかって、言葉を掛けるのも気を遣うくらい、夢を砕かれたんですね。
立ち直るのも1年か1年半くらいかかりました。それから、高校受験のときに「俺は絶対、今度は高校は外へ行くんや」って言うて、普通高校を受験して、クリアして、「とにかく俺は行く」って親も説得して、出られるようになりました。
診療所に勤めることができて、親にも「まあええか」って納得してもらって、一人で出たんですけど、事故があって、命を永らえることができなかったんですが、そういう子も自立して暮らせるようになった時代が1980年代だったと思います。
それくらい苦労しないと、地域で生きるというのが、親も社会も、なかなかそれが当たり前ではなかったわけです。
それがちょっとずつ変わってくるのが、東さんの時代、あるいは森園くんの時代、若い世代にそういうところが受け継がれていているのかなと思いますが、どんな感じでしたか?
【失敗事例を教訓にした支援】
小坪: ナビの代表でもある尾上さんの話を聞くと、尾上さんは、「大手前のワーカーさんとか先生とかの協力があったから中学校から地元の学校に戻るという決断ができたんだ」ってよく言っています。失敗の経験を活かして、支援されたということがあったのかと思います。
尾上さんがよく言われているのが、養護学校の先生も一緒に面談に行って、校長先生からは色々言われたみたいなんですけども、「歩行練習もしているけどもこける練習もしているから何かあっても大丈夫だ」ということを当時の学校の担任が言ってくれて、「何かあっても耐えられるようにこの子は訓練している」、(実際はしてないけど(笑い))。その支援があったから、普通学校に行けたんだというお話をされるので、失敗談が大手前の中で活きているのかなというふうに話を聞いていて思いました。
大谷: 久保さんのときはどうだったか?定時制高校に行くときに学校の先生が一緒について行ってくれたのですよね?
石田: 市岡高校の入学のときは、誰がついて行ったんですか?学校の先生とか、誰か一緒だった?
久保: 仲のいい先生。結婚式にも来てくれた先生。
大谷: あの頃は支援学校の先生も一緒にタッグを組んで、地域へ帰るのを支援していた覚えがあります。小坪さんは、親には何も言われなかった?支援学校行けとか言わへんかった?
【障害があっても普通学校へという流れ】
小坪: 支援学校に行けとは言われなかったですね。「普通学校に行きたい」と言った覚えもあんまりないです。当時、四つん這いとかしていたので、「けがしたらどうするんか?」とか、「事故があったらどうするんか?」とか、言われた気がしますが、すごく揉めた記憶はあんまりなくて、小学校の頃は、四つん這いしていたら健常者の方に手を踏まれるので、スリッパを手にはめて階段を上がったりとかしていました。
大谷: 1980年代がひとつのポイントだったと思います。大阪という特殊性もあったと思います。同和推進校が大阪府内には結構あって、障害があっても普通の学校へという大きな流れがあったものですから、他県に比べると、普通学校へ入りやすいというのもひとつの要因ですね。
小坪: 三歳くらいから大手前に関わってリハビリをしていて、通園とかもしているんですけど、高槻に引っ越すときにどこの小学校がいいのかというのを、大谷先生がアドバイスをしてくれたというのは親が言っていました。
大谷: 中学校は?
小坪: 普通の地元の中学校に行って、高校は支援学校に行きました。
大谷: それは学力面とか?(笑い)
小坪: 学力面と、いじめがあったとか。僕は、大手前に10歳で入っているのですが、勉強してなかったので、授業についていけなくなって、勉強がわからないとか、いろいろあって、中学校でいじめられたりもしていて、人に何かを頼むっていうのがしんどくなったので、支援学校に行こうということになりました。
普通学校にずっと通っていたら、どうなっていたのかなっていうのは、今は思います。
【ボイタ法】
小坪:僕は、3歳からボイタ法ずっとやっていて、してなかったらもっと重度になったと思っています。いつ手術をしていてもおかしくないって、ずっと主治医から言われていましたが、手術をせずに済んでいるのはボイタ法のおかげだっていうのを親もよく言っていて、良かったのと思います。
大谷: つまり、70年代ぐらいまではリハビリっていうのは、特別に訓練方法っていうのはあるわけじゃなくって、脚の拘縮が固まっていたら伸ばす、あるいは筋力がなければ筋力つける、というように、交通事故の怪我で、機能回復するのと同じようなレベルの訓練しかなかったわけなんです。
それが80年代に「早期発見早期治療」というようなことが言われだして、訓練を受けると、障害がより軽くなるんだということで席巻されるようになったわけです。
そんな風潮の中で育ったために、今の話になったのかなと思っています。
「今ある」っていうのは、そういう歴史性みたいなのがあって、今があるということは、理解をしておいていただいたらいいのかなと思います。
【運動の成果があって今がある】
今の若い障害のある方は今の状況が前提で、活動しているわけですが、そこに到達するまでに色々な、親の壁とか社会の壁とかがあって、自立生活っていうのが少し見えるようになってきたなと思います。 運動の成果って言ったらおかしいですが、そういう取り組みがあって、今があるということを、やっぱり改めて思うところでもあります。
2024/04/23
ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。「親支援者と考える自立生活とは」というテーマで、3回目です。障害者の親であり、施設の職員、障害者支援のNPO法人の理事長、大阪体育大学の教員と、様々な場で活躍してこられた大谷悟さんに語っていただきました。
石田 ナビの運営委員をしていただいている大谷さんです。大阪体育大学などの先生をされていました。その前に大手前整肢学園という障害児の施設、うちでは、代表の尾上さん、西川和夫さん、小坪さん、後藤さんが入所していました。学生の時に障害者運動に出会って、施設の職員になられたということで、大谷先生の時代は、障害者が地域で生きる運動を始めた最初の時代といえます。先生、よろしくお願いします。
大谷 よろしくお願いします。大手前整肢学園時代のよく知った顔もあり、懐かしい気持ちです。
【自己紹介】

1.おもちゃライブラリー」とは
障害があることで子どもの遊ぶ場から排除されている現実があって、1960年代から広まった北欧のノーマライゼーションの考え方を基本にして、おもちゃを媒介にして、健常児と障害児が一緒に遊ぶ場を作っていこうという取り組みです。
大阪の北野教会というところが取り組みを始めたのですが、私の子どもが障害児ということもあり、私の地元の熊取町で「おもちゃライブラリー活動」を35年間続けてきました。月に1回、親子で来て、感覚遊具で遊んだり、好きなことを自由に楽しんだり、お母さんの悩みを聞いたり、話をしたりという活動を続けてきました。
2.ピアカウンセラーとは
ピアカウンセリングのピアというのは仲間という意味です。私はピア大阪(大阪市が作った公立の自立生活センターです。今はありません。)で、親同士で支え合うということで、様々な親御さんへの相談支援などを7年間させていただきました。
3. 支援者の立場から
肢体不自由施設の指導員の仕事を通じて、西川和男さん、和男さんのお姉さん、小坪君、森園君、尾上さん、久保さんとかつながり、出会いがありました。そこで大きくなった子どもの気持ち、そして、入所を経て、大人になった人とのつながり、親の気持ちなどを感じてきました。これは、支援者としての立場ですね。
4.認知症高齢者家族の会の立場から
母はずっと、岸和田に住んでいたのですが、父が亡くなると認知症になりました。色々徘徊したりちょっとボヤを出したりするもんですから、地域のみんなは心配して「お母さんひとりで置いて大丈夫なの」「息子さんおられるんやったらお母さん引き取ったらどう?」って言って、色々親切におっしゃっている方もいらっしゃったんです。まあひとり置いておくのもなあということで、岸和田から熊取へ移ってもらったんですが、全然慣れてないところへ行くものですから、逆に徘徊が酷くなりまして、夜間、夜中2時3時に近所のピンポンを押すものですから、夜も昼も関係なく走り回るという状況に追い込まれましたし、警察のお世話にもなって引き取りに行ったこともあります。
「息子さんいるんだから引き取ったらどう?」っていう、地域の人たちの気持ちは非常によくわかるんですけど、でもそれを裏返してみたら、認知症になったら地域では住めないよということを周りで言われているような、いわゆる圧力といいますか、同調といいますか。そういう側面もあるので、そこが怖いところだと思います。
地域の人たちは差別しよう、排除しようとしていないんです。ところが、母にとって良いんじゃないかと、思ってしたことが、結果として、認知症になったら地域では住めなくなるということの裏返しになってくるわけで、地域で生きることを、自分の母親の体験を通じて考えさせられました。
5.大学人の立場から
私は親の立場というのと、それから支援する側の立場、両方を体験してきて、そんな過程を経て、福祉を支える人を育てたいという思いが起こりました。福祉を支える人材を養成したいということで、23年勤めた大手前整肢学園を辞めて、桃山学院大学を経て、大阪体育大学健康福祉学部(今は教育学部になっています。)で勤務し、色々な審議会とか、委員会の議長も務めました。
また、第三者評価事業にも取り組んできました。今は、福祉サー^ビスの情報がそれなりに出るようになってますけど、当時は福祉サービスの利用に伴う具体的な情報を得ることはできませんでした。ましてや福祉サービスの「質」を評価することはできません。権利擁護の観点から、それでは困るので、福祉サービスの「質」を評価する第3者評価事業も実践してきました。
6.親の立場から

極小未熟児というのは、想像つきにくいと思いますが、582グラムというのは、ご自分の手の大きさぐらいで生まれてきます。手の半分が頭で、そこに手足がついているイメージです。産毛が生えているわけでないので、褐色です。呼吸も自力ですることはできません。自分で血を作ることもできない。NICUで保育器、インキュベーターに3か月入って、そこから少し軽い保育器みたいなところに7か月入り、結局、1年近く入院することになりました。
今の時代であれば、慶應義塾大学病院で289グラムの子どもが生まれて後遺症もなく育っています。
35年前はそういう時代ではなかったと改めて思います。色々な形で、皆さんに支えていただいて大きくなったと親として思います。
【地域で生きるということ】
そういう子供を抱えて地域で生きていくときに、交流する場というのがないんです。声の聞いてくれる場というのがどこにもなかったものですから、声そういう家族に集まってもらって、保健師さんは地域で子どもを知っているので声をかけてもらって、集まってもらいました。
1989年、ロンドの会を作りまして、おもちゃライブラリ活動を一緒にやってきました。
そんな中、母親の復職希望がありました。「復職して働きたいので保育所を利用したい。」という希望がありました。役場に相談に行くと、「普通、そういう歩いていない子どもの場合、お母さんが家でみてもらった方がいいんじゃないですか?ここは健康な子を預かる場所ですから、なかなか難しいですね」という対応をうけました。
当時の状況で言えば、熊取町で、そういう歩いていない子供が普通の保育所に入るというのが、ある意味で言いますと非常にショッキングな出来事やったんやろうなって改めて思っています。
呼び出されましてね、「お父さん、お母さん、保育所って何があるかわかりませんよ。けがするかもわかりませんよ」っていうふうに言われましたし、「こういう子はお家でみてもらった方がいいんじゃないですか」って言われました。
こういうところで、普通の、当たり前の生活から排除を受けていくんだなあというのを実感したわけです。
子どもが小学校に行くときも、同じような排除の論理がありました。歩き始めたのが5歳くらいで、知的障害がありまして、身体障害と知的障害と、両方もっているということで、就学時検診等で、地域の小学校に行きたいと言うと、「専門的な教育を受けた方が、子どものためにはいいんじゃないですか?」と言われました。
息子が保育所でずっと一緒に暮らしてきた友達がいまして、「ぼく、友達と学校行きたいねん」って息子が言うので、いろんな方の支援も受けることができて、なんとか地域の小学校に通えるようになりました。
【特別支援学校高等部へ】
小学校時代もやっぱりいじめがありまして、中学校になるとさらに悪質化してカツアゲなんかも受けて、1年間不登校という事態も起こりました。
一つ上のお姉ちゃんがおるんですけど、そのお姉ちゃんが、自分の弟がいじめられている、そういう現場を見たときに、何もよう言い返せなかった、何もできなかった自分の無力さを感じたというということを大人になってからカミングアウトしました。そういった意味では今言われているヤングケアラー対策、メンタルケアは兄弟に必要ということを改めて思いました。
その後の進路として、普通高校を目指しましたが、学力面で不合格となり、やむなく支援学校の高等部に行くということになりました。
当時の支援学校の先生は、「うちの学校は就職率がいいんですよ、就職先で可愛がられるような教育を心がけていますから」と言うわけです。
愛される障害者作り、それを推進しているんです。「文句があっても笑顔で仕事ができるように、可愛がられるようにしていかなければいけない。」みたいなことを言っていました。
私は、「それっておかしいよな」、「自分がおかしいって思うことはおかしいって言っていいよなあ」思いながらも、息子本人は居心地がよかったんでしょうかね、彼は先生の言うことを素直に受けいれていたようです。
【ロンドの取り組み】
そんな子どもの成長に合わせてやっぱり、就職というのですかね、進路も考えていかなあかんやろうということで、NPO法人を立ち上げました。
子育てと、ホームヘルプサービス、障害児のガイドヘルプもやっていました。ただ、親の集まりでしたので、熊取ロンドでの進め方を巡って意見対立がありました。自分たちで作業所をつくろうよというところで運動はしていたんですけど、「いやいや、これ以上親に負担をかけるつもりか」ということで、意見が対立しました。結果、多くの仲間が去り、残念な結果になりましたが、それでも、ロンドは継続するということで、今は福祉有償運送もやっています。 また、熊取町委託を受けた「つどいの広場」という子育て支援拠点事業にも取り組んでいます。週4日開催して、障害がなくてもあっても共に育つ「場」として親子が通ってきます。それからフィリピンのNPO法人のローブというところと交流があり、子育てに関する意見交換会も行いました。
①-2へ続く…
2024/04/20
200万回の選択
NPO法人ちゅうぶのスローガンに「200万回の選択」というのを掲げていますが、200万回というのは朝起きて、今日どんな服を着ようかな、朝ごはん何を食べようかな、今日一日どんなふうに過ごそうかな……障害のない人だったら80年の人生の中で200万回選択をすると言われています。
それだけ色々なことを選択するのが当たり前とされている中で、障害者の人生は実家か施設か、この二つしか選択肢がない、なんでなんだろう。これが私たちの問題意識でした。この現実をなんとか変えたい、どんな障害があっても地域で暮らせるようにしたい、障害者が望む、自分らしい生活を実現できるようにしたい、街づくりや様々な支援制度を作りたい、ちゅうぶを立ち上げて色々な活動をすることで進めていきたい、そういう思いで、NPO法人ちゅうぶを立ち上げて、ずっと活動をしてきました。
グループホーム・介護の拡充
特に今日のテーマであります、グループホームや介護の問題でどんなことをしてきたのか、ということをもう少し詳しく話したいと思います。
大阪市でケア付き住宅研究会というのを作ってもらい、そこで色々な勉強会をして、提言や報告をまとめました。そのような取り組みを基にグループホーム制度や介護の拡充を果たすことできました。

今から40年近く前、1980年代は東京や北海道、神奈川などでケア付き住宅を作る運動が広がってた時代です。ケア付き住宅というのは一般の住宅、あるいは公営住宅の近くに介護ステーションがあって、必要があったらそこから介護者が飛んできてくれるというしくみです。ホームヘルプが今みたいに月何百時間とか使える時代でなく、1日2時間週2回という時代だったので、ヘルパーさんのいない時間にケア付き住宅のケアステーションから派遣をしてもらうことで、なんとか重度の障害者が暮らせないだろうかということで始まったのです。
もう一つは全身性障害者介護人派遣事業という大阪市独自の介護事業が1986年にスタートしました。この制度を作るにもだいぶ色々大阪市と話し合いを重ねたのを覚えています。この全身性障害者介護人派遣事業は、例えば今では当たり前ですけど、トイレ介護、お風呂介護など身辺介護ができる、外出介護ができる制度です。今だったら当たり前ですよね、でもこの時代はさっき言った通り介護の公的な制度というのは家事援助しかなかった。買物とかお掃除とかしかしてもらえなかった。それが初めてそういう色々な身辺介護、外出介護ができるという制度が1986年にできたんです。
1987年から大阪市障害福祉課と学識経験者、大学の先生たちを交えて「大阪市ケア付き住宅研究会」というのが始まりました。大体2、3か月に一回実施して、2年間で色々な資料を取り寄せたり、横浜市に視察に行って、グループホームの入居者にインタビューに行ったりして、研究会で報告しました。
その横浜市の制度をモデルにして、大阪市身体障害者グループホーム制度というのが1989年に始まることになりました。
全身性障害者介護人派遣事業の取り組みでは、大阪市の介護人派遣事業が始まった1986年は月12時間(1日12時間じゃないですよ)から始まったので、拡充するのにだいぶ時間がかかりました。

ケア付き住宅研究会の学識経験者、大学の先生に協力してもらいました。そのお一人が桃山学院大学におられた北野先生で、もう一人が大阪府立大学(現大阪公立大学)で、そこの先生をされていた定藤先生という方でした。この定藤先生自身も電動車いすに乗っていて、事故で首の骨を折って、車いす生活を送ってこられた、そういう立場から、どんな障害があっても地域で暮らせるようにしたい、ということで研究会に協力してもらいました。

そういう方々の協力があって、1989年、その制度ができる時期に合わせて大阪市の身体障害者グループホーム第1号ということで、グループホーム・とんとんを発足しました。
問題点を伝え、制度を拡充する取り組み
その当時、250万円しか助成金がなかったんです。世話人1名分の助成というわけです。でも年間250万円ということは、その世話人さん一人で24時間介護、4人の介護ができるわけないです。これでは介護体制が作れないということで、グループホームの制度を充実してもらうことと併せてグループホームでの生活状況を基に介護の拡充を訴えてきました。月12時間、時給610円でした。だから月7000円くらいでした。そこから始まった全身性障害者介護人派遣事業が倍々のように増えていったんですね。グループホームで実際に夜間のときはこういう介護をしている、あるいは一日こういう介護体制があって、重度の障害者は地域で暮らせるんだということを、研究会で出しました。その資料を大阪市の中で障害福祉課だけじゃなくて、財政(予算を作るところ)に障害福祉課が持って行ってくれて、介護の制度とグループホームの制度を伸ばしてやってくれ、と主張し頑張ってくれました。
もう一つが大阪市の社会福祉協議会というのが、ホームヘルプ制度、特に高齢者介護でヘルパーをだいぶ増やされて、週18時間、身体介護できるホームヘルプが社協から派遣される体制ができあがっていった。社協ヘルパーと全身性障害者介護人派遣事業の組み合わせで一定の介護体制ができるようになってきた。
これは介護人派遣事業の歩みということで、1986年、始まった当初は月12時間で時給が610円、月額で7320円だったんですが、グループホーム制度が始まったあたりから12時間から24時間、さらに48時間、で最終153時間という感じで増えていきました。時給も610円から最終1410円ということで、最初の7320円から月額でいうと、30倍ですね。それくらい増えました。そういう意味で制度があるだけでもダメだし、自分たちの活動を進めていく、制度があっても実際に自分たちが使えなかったら意味がない。制度を使って自分たちの活動をして、その中でやっぱり、足りない点、問題点をあらためて大阪市の担当者に伝える、そういうことで色々な制度が伸びていったのですね。

多様な活動の展開

私たちNPO法人ちゅうぶはこういう風な形で、大阪市の地域生活に関わる制度の充実に少しなりでも役立ってきたかなと思います。
そういう制度と共に、自分たちの活動も広げていこうということで、グループホームは、施設や親元から地域生活へのステップですが、もうひとつは、自立生活センター・ナビ、障害をもつ仲間による相談支援があります。また、ヘルプセンター・すてっぷ、一人一人に合わせた介護の提供です。そして、今は、国の制度の生活介護ですが、元々は大阪市の作業所制度から始まった、赤おに・青おにです。生活介護は多様な社会活動・日中活動の場ということで、一人一人がやりたいこと、もしくは社会に訴えていくこと、例えば、バリアフリー調査も熱心にやっていますし、地域の小学校や中学校などとの交流も定期的に進めています。こういった地域生活を支えるために色々な活動をしています。
さらに「地域生活・権利確立を目指して」ということで、バリアフリー等の当事者活動ということで、自分たちが活動し、それによって色々な、社会の開拓をしていくような活動も含め、NPO法人ちゅうぶの活動です。色々な部門に分かれていますけど、その各部門が協力し合って、障害者が当たり前に暮らせる地域社会を作っていこうということで、活動を進めています。
だから例えばグループホームに入居したからグループホームだけで生活するのではなくて、生活介護に参加いただいたり、介護の体制もグループホームだけじゃなくてヘルプセンター・すてっぷがヘルパーを派遣しますし、必要に応じてナビで相談もお手伝いしたり。そんな形で私たちのNPO法人ちゅうぶの活動の体制をとっています。
地域移行は権利条約の緊急課題
これは去年の8月、ジュネーブでの国連の会議です。100名がジュネーブに行きました。国連の障害者権利条約を日本はちゃんと守ってるか、という審査が国連であって、日本から障害者や関係者、ご家族なんか100名が集まりました。私もジュネーブに参加させていただきました。
あらためて、障害者が地域で暮らす、これを当たり前にしなければならない、そう思いました。国連の障害者権利条約では、障害者が地域で暮らすのは権利だ。地域で暮らすのは当たり前の権利だということが謳われています。国連の障害者権利条約を日本は2014年に批准をしています。国連から「こういうところをちゃんと直してください」ということを沢山の勧告頂きました。

特に緊急のテーマ、重要なテーマというのが、インクルーシブ教育、障害のある子もない子も分けられずに一緒に学ぶこと、地域で学ぶということを当たり前にする、ということ、もう一つは、地域移行や地域生活をもっと進めるということです。国連は障害者の地域移行や地域生活を全面的にバックアップしていますということをお伝えしておきます。 色々な制度、仕組みが整ってきた部分もありますが、障害者自身の気持ちを固めていかないと自立は進んでいかない。最後のハードルを「えいや」って越えるのは一人一人の気持ち。そのためにこのプログラムがあるし、今日も色々話してもらったけど、不安なことがあったら訊いてもらえたらいいなと思います。今日をきっかけに一人一人の自立がさらに進んでいくことを期待しています。
2024/04/18
ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。「親支援者と考える自立生活とは」というテーマで、2回目です。ちゅうぶではどんな取り組みをしてきたのかということで、①の西川和男さん、お姉さんの話に続き、代表理事尾上浩二の話です。
NPO法人ちゅうぶの代表理事をしている尾上浩二です。よろしくお願いいたします。
先ほどは西川和男さんの自立ということを中心に、ちゅうぶがどんな障害があっても地域で暮らせるように目指して進めてきた活動、西川和男さんの生活の様子というのを淳子さんと一緒に教えてもらいました。
私はその背景になっている地域生活に関する支援の制度をどのように進めてきたのかというのを中心にお話を進めていきたいと思います。
ちゅうぶができて間もなく40年になるんですけど、まだまだ課題があるとはいうものの、40年間の間にかなりの制度や仕組みが整ってきている、それはみんなで力を合わせて取り組んできた結果だということを知っていただけたらと思います。
自己紹介
私も今年63歳になりましたけど、大阪に生まれて、子供のときから障害をもって生まれ育ってきました。脳性マヒという障害ですけど、養護学校、大阪府立の養護学校に行って、そのあと西川和男さんがさっき入ったと話していた、三つ目の施設ですね、その施設に私も入所して、中学校から地域の学校に入って、大学で障害者運動の仲間と出会って、大阪の地下鉄の全部の駅にエレベーターをつけようというバリアフリーの運動や、あるいは同じ障害をもつ仲間の自立生活、地域での生活を支える取り組みをしました。
先ほど西川(淳子)さんの話の中でありました、Sさんという在宅時代からキャンプに行きたいけど親以外の介護を受けたことがないから、期待と不安で泣いてしまうという、その彼の自立なんかもずっと関わったりしてきました。
ちゅうぶは1984年に設立されましたが、その設立に関わりました。
そして、障害者団体の全国組織ですが、DPI(障害者インターナショナル日本会議)の事務局長に選ばれ、東京で15年ほど活動してきました。
5年ほど前に、大阪に戻ってきて、NPO法人ちゅうぶの代表理事を務め、DPIの副議長、内閣府の障害者施策アドバイザーをしています。いろいろなことをやってきたんですけど、これは(スクリーンに写真)そのうちのひとコマで、2013年に障害者権利条約を議題にしたときの国会にお招きいただいて、参考人として発言をしたときの写真です。

NPOちゅうぶは、元々は一般の古い民家を借りて、そこを改造して、作業所や、本部事務所みたいなことを作ったのが始まりで、1984年12月のことでした。来年でちょうど40年を迎えます。ちゅうぶの歴史みたいなことにも触れていきたいと思います。


地域生活を求めて
1985年に福祉作業センター・赤おに、(大阪市の作業所の助成制度)としてスタートして、1986年に大阪市全身性障害者介護人派遣事業、今の国の制度でいう重度訪問介護のひな型になるような大阪市独自の介護制度を作るのにもちゅうぶで関わりました。先ほど西川(和男)さんが入居されていたと話にでた、グループホームとんとんハウスが1989年にオープンしました。1989年にできた大阪市独自の身体障害者グループホーム制度の第一号が、グループホームとんとんでした。
大阪市独自のグループホーム制度というのは、全国的には珍しくて、(ようやく知的障害の方のグループホームが始まるのが1989年だったが、)国のほうでは身体障害者のグループホームはまだないという時代の中、大阪市独自のグループホーム制度を作りました。このグループホーム制度をつくるのに、私たちの取り組みがモデルになって制度化されたという流れになります。
さらに1992年に大阪府福祉のまちづくり条例というのができました。
2014年に「おにわ」をオープンして、現在に至り、来年ちゅうぶは40周年を迎えます。
実家か施設での生活~二つしかない?
ちゅうぶの設立当時の障害者の状況ですが、なぜNPO法人ちゅうぶをつくったのかというのを理解していただくために、障害者の状況を振り返りたいと思います。
今の大阪市ですと、一番、重度の障害者の場合ですと、一日24時間の介護が認められるようになっていますけども、1984年当時の介護制度は家事援助だけで、着替えとかおトイレ介護とかはありませんでした。料理とかお掃除、あとは買物、そういう家事援助で週2回、それぞれ2時間、一か月16時間というのが最大でした。
また、駅のエレベーターはほとんどありませんでした。この近くの喜連瓜破駅にひとつあるだけで、二つ目が大阪市の市役所近くの淀屋橋。当時、バスはノンステップバスでなくて、三段ステップの、昔ながらのバスで、車いす利用者がバス停で待っていると、運転手は、確かに目が合って見ているのに、停まらずにそのまま行ってしまう、露骨な乗車拒否をする、そんな時代でした。
当時は、学校を卒業したら実家での生活という状況にいる障害者がたくさんいました。私も学生時代から色々な障害者のお宅の訪問とか施設の訪問をさせてもらいましたが、あるおうちでは、私たちの活動に出会って、やっと、7年ぶりに家を出る、7年どころか10年とか、私たちが訪問して初めて学校卒業後に家を出る、そんな障害者がたくさんいました。

介護の状況も週2回、2時間ずつの家事援助しかない。お風呂とかトイレ介護してもらえないのです。ですから、家族での介護が厳しくなると入所施設へいくしかない。ずっと実家での生活か、その家族での介護が難しくなると施設へという、当時の障害者の人生でした。
②-2へ続く…
2024/04/16
「Nさん問題勃発」
重度障害者の日中活動の場として、赤おに作業所を開所しました。和男も昼はそこに通って、話し合いをしたり、みんなで考えて企画を作ったりしました。
赤おにに通っていたNさんのお母さんが入院することになりました。もともと心臓が悪かったが、母一人子一人なので、持病を抱えてNさんの介護をしていました。退院後もお母さんが介護するのは無理なことは明らかでした。
そこでみんなで話し合いをし、作業所の2階で24時間介護を交代でつけて、自立生活していくことになりました。
しかし、当時の障害者の自立生活は、自分で全部指示するものでした。何時に起きる、寝る、着替える、今日は何を着る、風呂に入る入らない。風呂に入る時は何を用意するのか、夕食のおかずは?朝は何を食べるか、外出時は何を持って行くのか、お金はどうするのか、洗濯はいつするのか、乾いた服はどこにかたづけるのかなど、朝から晩まで自分で考えて決めて言葉で指示しないといけない。それは今まで親が何も言わなくても全部やってくれていたから、考えたこともありませんでした。
1カ月でNさんは疲れてしまって、眠れなくなり、精神科に行くことになりました。
お母さんが退院すると聞いて、周りの反対を押し切って自宅に戻りました。お母さんは家にずっと他人がいるのもしんどいから入浴以外は全部お母さんが介護しました。
結局お母さんはすぐに再入院となり、そのまま帰らぬ人となりました。
Nさんは、もう一度一人暮らしをしたいと希望があったが、同じ繰り返しになるのが目に見えていたし、またボランティアも足りなくて毎日24時間介護をつけることも展望がありませんでした。制度的な保障がなにもなかったのです。
何度も話し合って、結局Nさんには一旦施設に入所してもらい、その間にこちらの体制を整えることになりました。
重度障害者の自立をみんなで作る
重度障害者の自立をみんなで一緒に作って行こう。Nさんの経験をふまえて、みんなでこう決めました。自立生活プログラムやグループホーム建設に取り組みはじめました。
ちゅうぶで目指す自立とは、障害者、当事者が主人公で、当事者が自分で決める生活とはなにか、経験がなかったり障害ゆえにどうしてよいかわからない人も、当事者が主人公になれるように周りが支援していく、生活の中身が豊かになるように一緒に作っていくということ、このように考えました。
決して自分一人でできるようになることだけを目指さないということです。
ただ、支援者が保護者代わりに先回りして勝手に決めたり押し付けたりしない、自分で決めてその結果を受け止めることも必要な経験としてやっていこう。
また、自分で決めたのだからあとは知らない、サポートしないじゃなくて、失敗も含めて一緒に受け止め考えていく。その一つの在り方として、グループホーム建設を目指していったんです。
とんとんハウスでの生活と支援体制
グループホームの名前は「とんとんハウス」と言います。みんなで決めました。
建物は2階建ての一戸建て。古い住宅です。1階に1部屋、2階に3部屋あって、あとお風呂とか台所とか共有のスペースもありました。女性2人、男性2人の入居者でスタートしました。
2階は、階段昇降機に乗り移ってあがるため、(2階に住むことができるのは)座位が取れる人だけでした。和男は座位が取れないので1階。朝と夜は全員1対1で介護をつけるが、泊まり介護者は1名だけでし た。
全員が重度の脳性マヒで3人は言語障害もありました。職員は3名いましたが、給料が安くて募集してもなかなか人が集まらなくて、来た人もまったく障害者に関わったことがない人ばかりでした。
職員は、朝夜の介護調整や介護研修、見学対応や食事の献立を決めたり、役所の手続き、通院同行とか介護者がいない時の介護など、職員が入居者と一緒に考えたり動いたりしました。

これがとんとんハウスのお披露目式で、近くの小学校を借りて行いました。和男もこのとき初めてスーツを買って着ました。

ここにいる後藤(寛子)さんも写真のどこかに写っています。これは共有スペースから見た和男の部屋です。いろいろなもの(私物)を全部持って行っています。これは手話の学習会をみんなでやっていたり、こちらは入居者会議、みんなで週に一回話し合いをしています。

入居者が職員と一緒に介護調整や、夕食のメニュー決めたりするのを、1週間交代でやりました。見学がいっぱいあって、その当時は。見学対応やホームでのことを週に1回の入居者会議で話し合いました。先に一人暮らしをしている先輩障害者にも入ってもらって、アドバイスをもらいました。
職員は、掃除や片付けなど自分で介護者に指示できない人への支援、大掃除や布団干したりシーツの洗濯、通院同行とか、介護者に必要なことの報告、体調の様子の把握とか、区役所手続きや郵便物のチェックとか、銀行への同行など、生活全般の支援を行っていました。
和男が言葉の学習と共に少しずつ手話を使って行こうとなって、手話サークルの学生を中心に手話の学習会を毎週やりました。週1回の入居者会議では、職員が手話で会議の内容を伝えました。
とんとんハウス時代について(和男さん)
淳子:とんとんハウスに入ったときはどんな失敗がありましたか?
和男:ほかの障害者に怒られた。
淳子:何を怒られましたか?
和男:介護調整を忘れてたりとか、晩御飯を忘れてて怒られたりとか。
淳子:忘れることが多かったんですか?
和男:弁当、買いに行ったり、簡単な料理、卵割って目玉焼きだけとか、野菜サラダだけとか、
淳子:みんな怒ってた?もっとおいしいものが欲しいってみんながあなたを怒っていたんですか?
和男:出前。みんなに怒られてご飯がないから、弁当買ったりとか出前、自分が担当のときに出前を・・
淳子:電話して来てもらったんですか?
和男:うん。
体験入居、体験宿泊の取り組み
作業所に通っている人たちの1泊2日の体験宿泊をちゅうぶで積極的に行っていました。これはNさんのことがあったために、入居者だけじゃなくて、もっとみんな、1泊2日で親から離れて、泊まる、生活しようという取り組みです。
親が元気なうちから、みんなで体験入居の取り組みを進めて、他人の介護に慣れたり、自分でいろいろなことを考えたり決める経験を増やしていくことを目的にしました。
作業所の職員と一緒に、体験入居の計画を考えたり、夕食のメニューを考えたり、何を買い物するかとか考えたり、介護にも入ってもらいました。Nさんの体験入居も繰り返して入居に繋げる予定でした。
残念ながらNさんは道半ばで亡くなられてしまいました。
体験入居を重ねてグループホームへ
重度の脳性マヒのSさん(男性・20代)。お母さんと二人暮らしだけど、お母さんも体調がよくない。Nさんと同じで、全部お母さんがやっていました。自分で店で買い物をしたこともなかったし、銀行も行ったこともなかったです。(当時のちゅうぶでは)毎年夏に大交流キャンプというものをしていましたが、迎えに行くと泣いて嫌がって、駅まで介護者が泣いているSさんの車いすを押していたというエピソードがあります。それくらい親と離れるのが嫌だったのです。
一緒に財布と食べたいものとかを買いに行くことから始めて、1泊2日の体験入居へ取り組みました。でも体験入居の当日嫌がって家に帰ろうとしました。何度も何度もそういうことを繰り返して、やがてお母さんが本当に入院になり、それをきっかけにグループホームに入居しました。でも週末は実家に帰り、お母さんもいろいろと心配で、しょっちゅう職員に電話がかかってきていました。そのSさんもやがてグループホームを出て、念願の一人暮らしをしました。
一人暮らしへ
和男は、とんとんハウスに入って10年後に、どうしても一人暮らしがしたいと何度も訴え続けて、家探しを始めました。
1999年7月4日 アメリカの独立記念日に……(ちょっとこういうのはね、「いつ」っていうのがあるのです。)マンションで1人暮らし開始。
24時間介護をつけて、介護事業所のコーディネーター、ヘルプセンターすてっぷのコーディネーターとかヘルパーから、通院同行とか生活上の支援を受けました。
現在の生活についてインタビュー
淳子:今も失敗は多いですか?
和男:うん。
淳子:今はどんな失敗がありますか?
和男:家賃を払うのを忘れていて、電話がかかってきたり、
淳子:ほかはどんな失敗が?
和男:お金が足りなくて、介護者からお金を借りた。郵便局に行くのを忘れていた。今はクレジットカードがあるから大丈夫、安心している。
淳子:あなた、クレジットカードでの買い物が多いって噂で聞きました(笑い)。楽天ポイントを貯めるのが好きって本当ですか?
和男:(笑い)
淳子:ほか、時間、遅刻はどうですか?遅刻が多いって聞きましたけど。
和男:寝坊して、朝ごはんはもういらない。野菜ジュースを飲んでいる。
淳子:前はお金貯める、ケチだったと聞いてるけど、「素うどん」ばっかり食べてたから、便秘になってお医者さんに怒られてた。
最近はどうですか?最近は何を食べていますか?
和男:刺身とか、野菜とか長い方が多い(?)。
淳子:長い方が多い?野菜をいっぱい買う?
和男:うん。いっぱい買う。
淳子:野菜をいっぱい買って全部食べるんですか? 本当に? 捨ててない?
和男:バランスを考えている。
淳子:ふうん。なるほど、わかりました。お米は?白いお米は食べてないの?
和男:うん。
淳子:じゃあ何を食べているの?
和男:玄米。
淳子:お金を節約するために、(価格が)安くなる夕方に買いに行っているって聞きました。夕方何を買いに行くのですか?
和男:刺身
淳子どれくらい安くなりますか?
和男:半額。
淳子:あなた今生活で困っていることってありますか?どんなこと?
和男:旅行に行く。電気代、お金。ガス代とか、高い。
淳子:最近高いもんね。冬はガス代が高い、いくら?
和男:1か月2万円した。
淳子:なるほど、高すぎ。ガスストーブを使っているからね。あなた、お金が足りない時はありますか?足りないときはどうしますか?
和男:節約。ガスを止めるとか、エアコンを止めるとか。
淳子:なるほど、わかった。お姉さんに「お金を貸してください」ってお願いすることもあるんですか?
和男:(頷く)
淳子:(笑い)8月に65歳になりますね。これから何をやりたいですか?
和男:坐骨神経痛。2013年のゴールデンウィークの後、坐骨神経痛になった。
淳子:痛い痛いってね。
和男:膝が痛い……ああ、お医者さんに言われたのね(2013年ゴールデンウィーク後に坐骨神経痛と診断された?)。
淳子:これから、これからやりたいことは、最後にこれからやりたいことを教えてください。
和男:(しばらく考える)自立を諦めない。これからもずっと自立生活を続ける。
淳子:ほかにやりたいことはありますか?
和男:大阪府内のバリアフリーの調査。
若い障害者に教えないといけない。
淳子:大阪だけじゃなくて、全国色々行って調べたいんですか?
和男:うん
淳子:もっともっとたくさん、旅行とか行きたいんですか?
和男:うん
淳子:この前沖縄に行ったけど、また色々……
和男:うん
淳子:わかりました。元気で頑張ってください。終わりです。
海外旅行にも行ったり、色々な研修で行ってます。和男はいつも自慢しています。ベトナムに行ったときの障害者団体の人たちとの交流とか、スウェーデンで障害者団体のところへ行ったりとか。海外でも必ず現地の養護学校に突撃して見させてもらったりとか、現地の人たちとの交流とかしているようです。
あと、国内旅行もいっぱい行って自慢しています。今週は、昨日沖縄から帰ってきて、沖縄の当事者団体と交流して帰ってきました。

海外旅行や40周年記念パーティ

これは5年前の和男の自立40周年記念パーティ、こういうのをやりたいって和男が言って、やりました。小坪さんから、話してもらえたらと思います。
西川和男さんの、ケアマネージャーのようなことの担当をしています、小坪と申します。リオのILPの担当もしています。
喧嘩したりもありながら楽しく支援
「どんな支援をするか」ですが、制度的な、介護時間の書類であったりとか、障害年金の更新の手続き、とか、一年に1、2回、家賃の支払いを忘れて(笑い)、そのときに管理会社から「西川さん家賃まだなんですけど……」ってナビに電話がかかってくるんです。和男さんに言うと「今週払いに行く」って言うんですけど、「すぐに払ってください」って急かすのが僕の役目。あと車いすを作り替えるときに業者とか、お姉さんにも相談して、作ったりとか。色々しています。
僕が担当になって10年くらい経ちました。
引っ越したいと言ったら一緒に不動産屋さんに行って話をします。和男さんが「ここにしたい」って言ったにもかかわらず、「小坪が勝手に決めた、お風呂が狭い」って突然言われてケンカになったりとかも、たまにありますけど、基本的にあんまり、僕は和男さんとケンカしているつもりはなくって、たまに西川淳子さんに「もっときつく言っていいよ」っていうのを言われます。
最近ちょっと言い合いしたのが、沖縄の障害者団体と交流するってなったときに、「ナビのスタッフの名刺を作りたい、西川和男で」「いや、ダメです。あなたは利用者だからスタッフの名刺は作れません」って言うことをかなり言い合いして、諦めてもらいました(笑い)。
やりたいことはぜったいやるパワー
和男さんの印象ですけど、「やりたい」って言ったら絶対にやるっていう、気持ちが強いというか、気持ちだけじゃなくて周りを動かすパワーがあるので、周りも乗せられてやっているところがあるのかなって思います。
私は昔からこんなふうに失敗をしてきたということをとても嬉しそうに話されるので、その失敗が和男さんをどんどん成長させて、自信に繋がっているんだなと思います。
これから自立を目指す人、特に若い人がそうですけど、介護者に遠慮してしまう人が多いのかなと思うので、どうしても自分でできないことは介護者とかいろいろな人の手を借りないと生活できないのが障害者なので、それくらい自分のやりたいことにこだわって、人の手を使ってでもやっていくっていうスタンスで色々やってもらえたらいいでないかと思います。
実際にやっている姿をもっと若い障害者に、和男さんとか後藤さんとかに、見せてもらって、たまに西川(和男)さんも後藤さんも「もう歳やからなあ」って言いますけど、まだまだやってもらわなあかんと思ってますので、よろしくお願いします。以上です。
西川淳子さんより 「重度の障害者は施設しかないよ」と言われていたのが、いろんな人たちの支援を受けて、グループホームとか、一人暮らしとか、できています。これから先も続けていきたいと思います。
2024/04/15
ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。「親支援者と考える自立生活とは」というテーマで、2回目です。今回は、ちゅうぶではどんな取り組みをしてきたのかということで、西川和男さんの話についてお姉さんの話です。
西川淳子(以下淳子とする):西川です。
私は学生時代、ちゅうぶが法人になる前からずっと関わってきました。西川和男は2つ違いの弟です。
私は障害者基幹相談支援センターで働いています。
弟が子どものとき、1960年代から人里離れた山奥に入所施設がどんどん建設されていました。当時は、親が介護するか、介護できなくなれば入所施設に入るかの二者択一でした。
和男は生まれてすぐに黄疸と高熱が出て、首が座らず、重度の脳性マヒと診断されました。両手が動かず、座ることも歩くこともできない。食事もトイレも着替えもお風呂も全部介護が必要です。
最初の施設入所
4歳の時に母が急死し、父が家を出て、祖母が私と弟と全盲の祖父の面倒を見ていたため、5歳の時に区役所から、施設入所を勧められました。

毎週日曜に祖母と面会に行きましたが、訓練中心で、ベッドの上か木製椅子に座る。施設内に学校がありましたが、2階で、自分で階段を登れないため学校には行けませんでした。訓練や手術をしてもよくなる見込みがないため、3年で退院させられました。
弟は車いすじゃなくて乳母車です。これが昔の1つ目の施設、病院みたいな、ベッドがたくさんあって、弟が木製の椅子に座っています。
2つ目の施設は、重症心身障害児施設
新しい施設ができたからと勧められ、山を切り崩してできたばかりの施設に入所しました。毎週日曜に祖母と面会に行きました。そこには重度の知的障害と肢体不自由が一緒に入っていました。
昼はデイルームで寝かされているだけ。食事はきざみ食のおかずと、それをご飯にまぜ、その上から薬がふりかけられているので、弟はすごく嫌がっていた。
トイレもおむつをさせられていました。もちろん自分でトイレを言うことができるにも関わらずにです。
夕食は15時半で、食べ終わったらすぐにベッドにあげられました。着替えは週2回のお風呂に入ったときだけで、毎日、天井を見ているだけの生活でした。
テレビは壊されていて、おもちゃを持って行っても自分で遊べません。
知的障害児が壁に頭をゴンゴンぶつけていたり、おむつの横から垂れ流していたり……。
職員と会話するとか何かをするとかはなかったと思います。クリスマス会はありましたが。
休みが終わって、別れる時には、家に帰りたがって大泣きしていました。とうとう、年末年始に外泊したまま、二度と、戻りませんでした。
後日区役所の人が訪問して、和男が車いすに座って足でブロックを組みたてているのを見て、「もっと重度だと思っていた」と話していました。
3つ目の施設(自宅近く)
ボランティアの人が毎週来て、字を教えてくれたり、外に連れ出してくれました。
訓練に通っていた施設に重度病棟ができることになり、入所しました。ちょうど大阪万博の年でした。和男は万博に行けなくて、悔しい思いをしました。
その施設で、初めて学校に行きました。施設の中に養護学校の分校がありました。3年生からスタートし、朝起きたら車いすに座り、訓練や学校にという生活でしたが、施設の方針で、毎週土日は外泊していました。
足で字を書いたり絵を描いて、勉強しました。図鑑を足でめくって読んでいました。トイレはおむつではなく、自分で言ってトイレしました。
広い施設内を、後ろ向きに自分の足で床を蹴って車いすで移動していました。
これは学校の中で字を書いているところとか、これは天王寺動物園に写生に行って、足で絵を描いていたり、これは卒業式、これは運動会で後ろ向きに足で蹴って走っているところです。

耳が聞こえにくい(17歳)
養護学校の担任から、「話をしていても、ボーっと外を見ていて、急に「あっハト」と言ったりする」「国語の授業中にボーっとしてることが多い」「ほかの生徒とのコミュニケーションや話し合って何かをすることは難しい」と言われました。
外泊してる時に、ふと「あれ、聞こえてるのかな」と思って、目覚まし時計の距離をだんだん遠くしながら聞こえているかどうかを調べました。3メートル位が限界だったように思います。
家族の会話は限られているし、私の声は大きいから、聞こえないということに気づきにくかったです。
そのころの象徴的な会話の様子です。
退園してしばらくして、介護者と一緒に施設に遊びに行った時の、病棟の婦長さんとの会話です
「和男君久しぶりね、元気でやってる?」 「うん」
「あ、そう、よかったね。今でもタイプライターやってるの?」 「うん」
「そう、偉いわね。お姉ちゃんやおばあちゃんは元気?」 「うん」
「お姉ちゃんもう働いてるの?」 「うん」
「もう結婚しはった?」 「うん」
「そう、そりゃよかったね。」
……実際には私は働いてないし、結婚もしてない。和男はこれまでの習慣で「うん」と言っているだけでした。
青い芝の会との出会い
20歳になったら成人施設に移らないといけいですが、弟は嫌がることはわかっていました。私も、弟を施設に入れたくありませんでした。
しかし、私一人で弟の介護をすることは無理でした。どうしたらよいか悩んでいた時に、大学で青い芝の会の人たちと出会いました。
青い芝の会っていうのは脳性まひの当事者の会だったのですが、「施設に入れたり家に閉じ込める親は敵だ」と言っていましたが、「私も入れたくて入れているのじゃない。じゃあどうしたらいいのですか?」という私の悩みに対して、はっきりと「一緒に活動しましょう」と言ってくれました。私には活動しない理由はありませんでした。
施設入所をめぐり区役所との闘い
次の施設には行かない弟の強い意志と入所させたい区役所との闘いがありました。
青い芝の会に出会って、ボランティアの介護を受けて、弟は、初めて地下鉄に乗り、喫茶店や映画館やレストランに入り、今までできなかったことをたくさん経験しました。
我慢しなくてもいい、あきらめなくてもいい道があることを知りました。 19歳で在宅に戻る決断をしました。しかし区役所は大反対でした。
成人施設の見学だけでもと言われ、和男と一緒に見に行きました。見学時に職員から「ここではずっとおむつをして、ベッドの上で寝たきりになります」と説明されます。区役所からは「家に帰ったら、施設に入れてほしいと頼んでも入れませんよ」としつこく言ってきましたが、和男も私も決意は揺るぎませんでした。
和男さんとのコミュニケーション
そのころの和男のコミュニケーション能力がどんなものだったかというと、石田氏……さきほど挨拶をした石田氏は当時介護に入っていたのですが、彼と和男の初めての会話は「て」だけでした。30分くらいの施設から自宅までの送り介護のとき、車いすを押していると、和男が「て、てて…」と何回も言う。
「何ですか?わかりません。」
「て、てて…」
「え、ですか?へですか?」
「て、て、て、てぇ!」
10分位してやっと彼の手が車いすの車輪にこすってるのに気がついたのです。
手を車いすの中に入れると、彼は喋るのをやめました。とにかく会話するのは難しかったです。
当時の生活
食事や洗濯や掃除や身の回りの準備などは家族である私がやっていました。金銭管理は自分で介護者と一緒に、郵便局に行って記帳や出し入れをしていました。年金から生活費をいくら入れるとか、私と交渉して決めていました。
昼の間、やることが決まってないので、毎日行きたいところへ行き、好きなようにぶらぶら過ごしていました。寝るのも遅くて起きるのも遅かったです。
当時の生活記録です。
「1978年5月1日……(二十歳くらいの頃)
今日は朝8時15分頃に起きました。9時に家を出発。難波へ行きました。難波への道順は知っていました。喫茶店ではコーヒーを飲みました。僕は一番初めてパチンコ出た。いっぱい出た。約1時間パチンコずっとしました。足がしんどかった。とんかつ食べた。アイスクリーム食べた。風呂へ今から行く。終わり」……パチンコは足でやっていました。介護者でパチンコの上手な人がいて、よく出る台というのを教えてもらっていたそうです。
やることを作っていく話合い
毎日何をするのかこれからどんな生活を作っていくのか、和男任せにして介護者が和男の言ったとおりにするだけじゃなく、一緒に考えていく場としての、本人を交えた会議をしました。
地域で生きていくために一番大切な社会性や人間関係を、ずっと施設の中で奪われてきたわけですから、どうしたらよいか、何ができるかを考えてきました。
一緒にやることを作っていこうと話し合って、言葉の学習を始めた。どんな言葉を知っていて、どんな言葉を知らないのか、幼児向けの言葉絵辞典を使ってチェックしたら、かなりの言葉を知らないということがわかりました。言葉を覚えるのと情報保障のために、指文字という、あいうえをの五十音の手話を使って会話をしました。
小学校に入る前の幼児が獲得する語彙数というは、5000語と言われています。ところが1978年、ちょうど和男二十歳くらいの頃に和男が知ってる言葉を調査したら、約1500語でした。
小学校では幼児の語彙数を元に文字を勉強しますが、和男は基本的な言葉、簡単な言葉を知らないことが多くて、絵本や1年生のドリルを見ても分からないことが多かったです。
基本的な簡単な言葉というのは、他の言葉に置きかえたり、説明するのが非常に難しいです。その言葉が示してる概念そのものがないからです。概念を獲得することを大切にしました。
「悔しい」 「めずらしい」をどうやって教えるか、国語辞典では「物事が思うとおりにならなかったり、あきらめがつかず、腹立たしくて残念だ」と出てきますが、「あきらめ」「腹立たしい」「残念だ」が分からないから、説明できないという状況です。ですから、経験や知ってる情報を例にして言葉を説明し、使い方を説明しました。 和男の場合は感音性難聴といって、脳性まひの人は多いのですが、難聴の中でも音は聞こえるけど、何の音かがわからない。喋っている音は聞こえるけど、何を喋っているかがわからないのです。ですから、知らない言葉が多かったのです。
①-2に続く…
2024/04/15
通信2023年6月
大阪城公園内移動交通システムである乗り物としてロードトレインと、エレクトリックカーがありますが、ナビの鶴羽さんが3月に乗車拒否にあいました。本当に車いすは乗れないのか、なぜ乗車できなかったのか、4月、5月に調査に行った経過を鶴羽さんに書いてもらいました。
3月25日(土)
電動車椅子には、モーターがあるため重量なので小さい方のエレクトリックカーには乗れないと運転手さんに言われ、走り去ってしまった。しかし、バス停の案内には「車椅子乗れる」と受け取れる張り紙がありました。この時は、僕は、「えーっ 説明もしてくれないのか、置いていくのか」と思って、ただ、ビックリしました。

4月23日(日)
その日の13時ごろ事前にエレクトリックカーに果たして電動車椅子は乗れるのか調べに行ってきました。エレクトリックカーの森ノ宮停留所の担当者に聞いたところ、その時は全部乗れますと言っていました。
しかし、14時ごろはロードトレインが来ました。先ほどとは違う担当者に再度訊くと、電動車椅子は重量があるため、乗るのは難しいと言われました。それはおかしいと、私とヘルパーさんが担当者に抗議し、何キロまで乗れるのか、乗れないのか教えてほしいと言いましたが、答えてくれませんでした。
係員から、「過去にロードトレインに乗る際に、スロープが急だったため車椅子が後ろにひっくり返って転倒して、ロードトレインのスタッフが怪我をした」ということの説明と、「車椅子を乗せてなんかあっても責任とれないから」と目も合わせずに断ろうとしました。
しかし、ヘルパーさんがいるし、車いすには転倒防止バーがあるので、落ちることはないと説明したところ、上の方に掛け合ってくれたみたいで、結局乗れることになりました。
ロードトレインの後からスロープを出してくれましたが、急で上れるか心配でした。最初は、電動で上がろうとしましたが、急で転倒防止バーがひっかかったので、バーを収納して手動に切り替えてヘルパーさんが車椅子を押してくれました。
車椅子席の幅や奥行は大丈夫でしたが、入口のフレームに頭がひっかかって、頭を横倒しにして、やっと乗りました。車椅子席の中に入ると高さも大丈夫でしたが、上り切ったところで頭がひっかかったので、乗り込みが難しかったです。
普段、大阪城公園に散歩に行くときは歩いていきますが、実際に乗ってみると、目線が高くなって、城の方向によって大阪城が違って見えたり、雄大なお堀と城のコントラストでかっこよく見えたりしました。交渉の末に乗れるようになったので、とても良い気持ちでした。


(課題と感じたこと)
○モーター(電動)なのでダメ、重量があるから無理というのは、説明としておかしいと思いました。納得できない理由なので、その辺りをもっと説明がほしかったと思いました。
○ロードトレインには、車椅子の固定がなかったので不安でした。なにか車止めになりそうなものをタイヤの後ろに設置してほしかったです。
○車椅子で乗れると看板に書いてあったため、電動車椅子でも乗れると想像してしまうので、エレクトリックカーにも乗れるのと乗れないのがあるとか、条件があるならわかりやすく書いてほしいと思いました。
5月23日(火)
大手前駅からエレクトリックカーに乗ろうとしました。すると、運転手さんから「モーターがある電動車椅子は難しい」と言われました。しかし、何キロ以上は乗れないと言った説明がなく、それでは「差別ではないか?」とこちらから抗議したところ、エレクトリックカーに乗ってもいいと言ってくれました。

エレクトリックカーに乗るときは、図のように車椅子を押してスロープを上り、乗り込む訳ですが座席には乗れたものの、車椅子のタイヤ部分に安全バーがあたり、後ろの扉が閉まらないので、今回はあきらめざるを得ませんでした。
責任者の野村さんという方に聞いたところ、他の都道府県の大阪城公園のような公園で、電動車椅子ユーザーがトレインに乗りこもうとした時に、ヘルパーさんが横で見ていて、当事者が電動でスロープを上っている際に転倒したそうです。その事故が発生したため、全国の同様のトレインはすべて電動車椅子を断わる方針としたとのことです。しかし、今後のことについては、大阪城公園の管理事務所に相談していると説明してくれました。
責任者の野村さんから乗車拒否問題の事情について聞いて少し納得できましたが、運転手や係員は、「電動は重いから難しい」というよく分からない説明をされていたので、もっと現場の人にも周知することが必要だと感じました。
また、もっと広いスロープと傾斜が緩やかなスロープにかえてほしいと思いました。 今後、大阪城公園を管理している事務所に、直接行き、大阪城公園のロードトレインについて話し合います。
2024/04/12
2012年参議院会館で開催されたインクルーシブ教育」の実現に向けて法改正を求める院内集会にも参加しました。

この時は、大学のゼミに行き飲み会にも行って終電で帰ってきて、そのまま車で東京に行って、集会に参加しました。
社会とのつながりっていう意味で併せて紹介します。
モンベルさんです。
東日本大震災のときに、たくさんの方が低体温で亡くなりました。震災があれば娘も低体温になりやすいので、寝袋とか、どう考えたらいいかなって思って、モンベルフェアに行ったときに、たまたまモンベルの会長の方に出会って、「寝袋についてアドバイスしてほしい」って言ったら、寝袋というより身体が温もる方法を考えた方がいいのではないかといことで、一回本社においでということで呼んでいただきました。

ダウンを着やすいようにストレッチを入れてくれたり、ズボンがファスナーで脱ぎ着しやすいように工夫してくれました。実は車いすのレインカバーは重くて大変なんですと話をしたら、社員さんたちが身を乗り出して覗いて、「へえ」とか言って。それでこのレインカバーができました。
すごく軽いんです。クルクルと小さくなって、それまで雨の日なんか、すごいビニールカバーを持って行くので、ヘルパーさんたちも嫌がっていたのですが、これは、30グラムくらい?小さくなる。パッとしたら、すぐに着けられるし、防寒にもなるかなと思うんですけど、モンベルさんが考えてくれました。これがあると、すごい出かけやすいです。
今あんまり参加できていませんが、NPOポムハウスのみんなと一緒に喀痰吸引研修のシミュレーターをしています。
2016年に糸賀一雄記念未来賞をチームかなこで、いただきました。
「障害者も健常者もともに生きていける社会こそ豊かな社会」と、「この子らを世の光に」と言っておられた障害福祉の父と呼ばれる糸賀一雄さんです。 祝賀パーティーのときに、理事の方が、「糸賀も喜んでるやろ」、「天国で喜んでると思うわ」って言ってました。関西大学のゼミの加納恵子先生は、「この子らを世の光に」ではなく「『この子らが世の光に』なるよね」って、おっしゃっていました。ね、そうなればいいですよね。

今思うことは、佳那がどう生きたいのだろうか、一人の人としての人生を全うできているかということ。でも娘は多分自分の人生を歩んでいるし、いろんな環境がありながら、乗り越えているのではと思っています。多様性、色んな人がいて、安心して暮らせる社会になればいいなって思います。
私が娘をずっと育てるのはとてもじゃないけどできない、だったらどうすればいいかというと、人に委ねないといけない。委ねることをすごく考えてきました。小学校に行くときも、なんかあったときにどうするかというのは常にあって、自分の中では、選んだ以上は責任もあるから、その時の状況で考えるしかない、お任せするしかないとずっと考えてきました。
今の暮らしは、娘とヘルパーさんたちの関係の中で、ひとつずつ娘が作り上げてきたものだと思います。10人のヘルパーさんがいれば、それぞれのいろんな考えがあるから、出会った人の分だけ、娘の人生が豊かになったのでないかと思ってきて、その通りに、本当にいろんなことを支えてもらいながら、自分の人生を歩んできたと思います。
そのときどきの経験の積み重ねが娘の自信になってきたんかなということをすごく思います。

私は、「高校問題を考える会」の会員ですが、あるときに、子どもたちに話を聞く機会がありました。
その子たちは「調理師になりたい」とか「弁護士になりたい」とか「オリンピックに出たい」とか言うんですね。「ああ、夢を語っている」って思って。
娘のように障害が重かったら、「夢は何?」という訊かれ方はしない。だけど、「あ、そうだ、夢を語っている。いいな、こういう社会は」って。やっぱりそういうことを繋げていかないとあかんって思います。
あるとき、お母さんから泣きながら電話がかかってきて、ちょうどお子さんが特別支援学校高等部の二年生になったばっかりだったんですけど、学校から「卒業後にどうするか、生活介護に行くか何にするか決めましょう」って言われて、娘は保育士になりたいって言っているんだけど、そんな話すら聞いてくれないっていう相談がありました。
私は、「じゃあ言ってみたらどうですか?保育士さんになりたいって。支援学校ではなりたいからって保育士になるための研修に行きますかとは言ってくれないけど、気持ちは、言わないとわからないし、けんかするくらい言っていったらどうですか?」って。
そしたら泣きながら、お母さんが「娘の人生がこれで決められるんです」って言うから、私は「そんなことない。いろんな人に話を聞いてもらって、保育士さんになりたかったら、なれる道を考えていったらどうですか?」って。
私やっぱり、諦めたらあかんと思うんです。いろんなことを言われながら、泣きながらでも、こうやってしていきたいなっていう思いを持ったら、いつかちょっとずつでも動くかなあって。 娘の一人暮らしはまだまだ先ですが、今みんなと暮らしていて楽しいという話もあるけど、やっぱり諦めるのは嫌やなって思います。どんなことでも先に展開があると、望みを持って生きられると思うので、横でいらん口を挟みながら、ちょっと聞こえないふりして、「うん、一人暮らしも、いいかもね」って囁くようにしています。ありがとうございました。(文責 堀)
2024/04/05
ちゅうぶ通信7月
ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。第1回目北村佳那子さんのお母さんのお話を前号に続き掲載します。
【北村恵子さんのお話し つづき】
大学に行きながら、地域での暮らしを創っていくことを考えてきました。
大阪発達総合療育センター(以下療育センター)から訪問看護に来てもらいました。その時に、医師や看護師の卵の研修生も受け入れていました。佳那の様な重度の障害のある人の生活を見てほしいし、就職してからそれを活かしてほしいです。喀痰吸引研修も面白い研修で、「自分たちもチューブをいれてみたらいいやん」って、色々みんな楽しんで研修していました。
病院もなかなか繋がるのが難しい状況です。娘は何かあれば大阪市総合医療センター(以下医療センター)で、普段の相談には療育センターの先生たちと地域のクリニックで、菜の花診療所の先生が主治医です。
地域で暮らす安心のパイプライン(医療連携)です。

これがはなうたです。1戸建で、鶴橋から徒歩7、8分で便利なところにあります。菜の花診療所が中心になって訪問看護にきてもらっています。24時間体制で、何かあれば先生に往診にもきていただいています。

去年はすごい体調が悪い時があって、もうどうなるかなと思ったんですけど、はなうたの職員が体調を確認しながら、訪看さんにつないで、主治医の先生につないで、主治医から医療センターへつないでもらいました。膵炎で、ヘルパーさんたちのカンがすごい働いて、早めに受診できて良かったです。
これは、あの個別支援計画で、どんな風に佳那ちゃんはしたいのかということで、日々どうするかっていうことを話し合っています。コーヒーの日とか、アロママッサージの日とか、音楽を 聞いたり、ライオンキングのエルトンンジョンの歌に すごく反応します。いろんな音楽、嵐か、smapとか、btsとか聞いてます。 最近のヒットは漫才で、中川家とか、サンドイッチマンとか聞いてます。

止めると、合図して「かけろ」って言うらしいんですけど、娘の思いを酌みながら、今度何する?ということでやっているようです。
1回目のディズニーランドは、1年かけてすごい念入りに計画して、2回目は、私が聞いたのは、ちょうど退院して帰ってきて体調が良くなったときでした。
「お母さん、あの怒らず聞いてくださいね。明日、明後日ぐらいにディズニーランド行っていいですか」とか、急に言われました。私は、「体調がいいんやったらいいんじゃない」と言うしかありませんでした。すごく楽しかったみたいです。
体調が悪くて、生きるか、死ぬかって言われていたときに、なんか、やっぱり楽しいことをしようって想い、楽しいことあったら、生きないとアカンていう思いで乗り越えていると思います。

今年でグループホーム「はなうた」設立10年。
この間の入院の時も、本当に体調が悪かった時に、ちょっとだけ面会ができるようになった時にスタッフが来て、「はなうたでみんなが待っているから、よくなって帰っておいで」って言ってくれたのが娘の励みになりました。また、友達にlineでメッセージもらって、それを聞かせるととても嬉しそうで、 やっぱり親は友達には敵わないなって思います。
退院の時は、主治医も入れて、医療センターの地域連携の職員、病棟の看護師さんとか、 関わっている地域の看護師さんにも来てもらって、カンファレンスを開きました。そういうだんどりもグループホームのスタッフがしてくれます。病状のことも、スタッフの方が娘の病状については、すごく詳しいです。私は、病院でなんかするときの親としての役割だけで、後の生活は全て、じゃんぷのスタッフ 担ってくれています。
たまには呼んでもらって、ビアガーデンに行ったりしていました。(コロナ前ですけどね。)
これはラフティングです。

10年ぐらい前、体調が悪くて死にかけたことがあるんです。もうあんまり長くないかなと思って。やっぱりラフティングには行こうということで、行きました。
流ている時に娘の顔をみたら、娘の表情が変わった。ああ、これでこの子生きるわって思いました。やっぱり 綺麗な自然の中で楽しい体験をして、「私は生きるぞ」みたいな表情をしたのを覚えています。
ラフトスタッフも最初はすごいコワゴワだったんですが、滑り出して、娘が喜ぶのを見て、「佳那ちゃん前1番前に身を乗り出すか」とか、「ジャンプするか」とか、色々経験させてくれました。
別の場所でカヌーに行ったことあるのですが、その時に「どうでしたか」って聞いたら、「怖がっていたのは僕でした。すいませんでした。」って、やっぱり出会わないとこんなことができるとか 思わないんですね。やってみたら、おお、できるじゃないかみたいな感じで、やっぱり出会うことは大事だなって、機会あるごとに思います。 これは、高知の大歩危。徳島と県境ですね。山の中ですね。小学校跡地が民宿で、バリアだらけですけど、そこで泊まって、夜はバーベキューしました。
②-2へ続く…
2024/04/03
5/11(土)、5/12(日)、5/18(土)に重訪講座5月コースを行います。受講希望の方は、「重訪講座5月コース受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名
2.ふりがな
3.性別
4.生年月日
5.郵便番号
6.住所
7.電話番号(あればメールアドレスも)
8.勤務先もしくは学校
9.受講の動機
<申込先>
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
入力フォーム:https://forms.gle/kbJJsb7Tefp2yg4B7
- 受講料15,000円 学割10,000円(キャッシュバック制度あり)
- 定員30名(応募者多数の場合選考。申し込み期間中でも募集を締め切る場合あり)
募集期間は、4/15(月)~5/2(木)。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2024/04/01
2023/12/28
2023/12/26
寄る年波にはなかなか勝てないのは、ニンゲンだけではなくクルマも一緒(^o^;)
10年に渡りちゅうぶで活躍してくれた旧キャラバンが勇退することになり、
このたび新しいキャラバンを迎えました!! (2023.10.27 納車)
※公益財団法人JKA「競輪とオートレースの補助事業」の補助金を受けています!
ありがとうございます☆
赤おに・青おにの日々の送迎や活動、単身やGH入居の障害者の体調不良時、
相談支援先での緊急対応、イベント時の荷物運搬などなど、様々な場面で活躍予定!
停まっているのを見かけたら、ぜひ車体のQRコードを読み取ってみてね(^o^)/
(文責:吉田)
2023/12/18
2023/10/05
11/11(土)、11/12(日)、11/18(土)に重訪講座11月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座11月コース受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名
2.ふりがな
3.性別
4.生年月日
5.郵便番号
6.住所
7.電話番号(あればメールアドレスも)
8.勤務先もしくは学校
9.受講の動機
<申込先>
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
- 受講料10,000円(キャッシュバック制度あり)
- 定員20名(応募者多数の場合、申し込み期間中でも募集を締め切る場合あり)
募集期間は、10/16(月)~11/2(金)。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2023/08/08
2023/05/28
大阪の学校

大阪に転校し、2年生始まる前に、体調が悪くて、先生に「あんまり学校行けないかもしれません」て話をしたのですが、先生が「5分でも10分でもいいから、来てくださいね。」とか言ってくださいました。
通い始めてから本当に生きる力をもらいました。
「佳那ちゃん、佳那ちゃん」って言って声かけてくれるし、触りまくるし、もう娘も寝てられへんし、嬉しいんですよね。
子どもたちとずっと過ごして、写真は、車椅子の騎馬戦ですね。あれは、子どもたちがみんな考えて、6年生の組体操もですが、肩車している子が校長先生のところに行って、「私できるから、私にやらせてくださいって」言って、やれることになりました。
修学旅行も、「私たちが面倒見るから、私たちにさせてください」って、子どもたちがね、校長先生に直談判するんです。
遠足で坂があれば、もうみんなで手分けして車椅子を抱えていくというふうに過ごしてきました。
運動会の時も、他の保護者の人が「あんな危ないことして・・」みたいな意見に対して、担任の先生が「本人達の顔を見てやってください。いい顔してるでしょう」と言ってくれて、周りが黙るという感じでした。この時のお母さん達も「2人ともいい顔しててよかった。ちょっと心配したけど、よかったって」いう風に言ってくれました。
「佳那子が泣いている」って書いています。
息子が、就学時健診の時に虐められたようなことが、また転校先であると嫌ややなと思ったらしく、その時期に、娘が死にかけたことが、自分が嫌やなって思ったせいだと思い詰めて心が潰れて学校行けなくなりました。中学はほぼ行ってないんですけど、そのことを教室で先生が言いました。そしたら、「先生、佳那はわかっているのに、なんで、そんなこと言うのよ」って、「佳那子が泣いている」て先生が子どもたちに叱られたことを担任から聞きました。娘は3日ぐらい学校行けなくなりました。体調悪くて、起きれなくって、私もどう話していいかよくわからない。まあ、兄妹で話し合ってくれたらいいと、息子に話を振ったら、話をしてくれたみたいで、次の日から、学校に行けるようになりました。
だから、佳那は、本当に何もわかってないのでなくて、いろんなことを心が感じているのだなということを改めて感じました。
こんな姿を見てたら、やっぱり中学校もみんなと一緒に行かせたいな、みんなの中にいることが、娘が今日も生きよう。明日も生きようって思う元気の素でした。
写真は、中学校の授業の様子なんですが、教科書もテストも皆と同じものです。特に佳那ちゃんできないから、別問題っていうことじゃなくて、全然答えられないものもあるんだけど、選択問題は、先生が丁寧に聞くと、頷いたり返事をするので、少しは点も取れました。同じ教室でずっとやってきました。


高校へ進学
中学校も過ごして、次は高校で、東住吉高校を受けたのですが、全然点がとれませんでした。大阪は運動の力で定数内不合格は出さないっていうことで、定員割れだった定時制の中央高校に入りました。
この時も、定員割れを狙って〆切のギリギリに願書を出しました。
障大連や組合からも定員割れているから落とさないように教育委員会に言ってもらいまた。
定時制だから、最初は45人、50人近くいましたが、1学期で半分ぐらいになりました。最後は10人いるかいないかですね。
みんなさんが辞めていくから不安になった時に、「佳那子一緒に頑張ろうな」って声をかけてくれた男の子がいました。無事、2人とも卒業できました。
先日、久しぶりメールをもらって、「佳那ちゃんの活躍をインターネットで見ました。また、なんかあれば、僕も協力させてください」みたいなことを書いたメールが届いています。

大学への進学
高校生活の最後の1年に、大学入試案内を持って帰って、「大学行きたいの?」って聞くと、「うん」って言うのです。本当によく周りのことを聞いていて、そんな中で本人も行きたくなったのかなと思う。定時制高校に行きながら、この自立生活をどうすればできるか、ヘルパーさんの時間数があるときには月に1回とか2回家に泊まってもらったりしながら、考えていました。
高校を卒業して、そのまま生活介護に行くのもいいけれど、大学っていうか、みんなの中で過ごしてほしいな、過ごしたいだろうなっていうのもあって、どうすればいいか検討しましたが、選択肢がなく、大学センター入試を受けるしかありませんでした。
大阪府立大学社会学部に障害者枠があって4年間トライしました。
センター入試は選択問題だからいけるかもみたいな感じで、問題読んで、頷くと、赤いランプがつくから、大学の方も本人が答えたという正当性があると認めて、代読代筆で大変だったですが、4年間がんばりました。お友達が4年間は大学に行ってるから一緒に過ごす時期が少しでもできればいいなと思い、作業療法士の先生なんかに協力いただきながらやりました。
そして、聴講生で関西大学へ行き始めました。行き始めて3年たってもなかなか生徒さんとつながらなくて、なんかいい方法はないかな、お昼代出すからご飯一緒に食べるとか、チラシまで作ったんですけど、そこまでするのは止めようとか言ってたら、加納恵子先生がゼミにどうですかって声かけてくれました。
この写真は5年目の時のゼミ生ですけど、この時はね、本当に青春してたんです。
皆で、「佳那と一緒に行動するにはどうしたらいいか」みたいなことを一人一人に話をしていって、この抱っこしてくれているY君が中心になって、次ボーリング行こうとか、花火しようとか、色々しながら、ゼに全体が娘を受け入れくれて、話し合いをしないと進められないっていうか、そういうことでみんなが仲良くなった。今の大学生って、なかなか人間関係が難しい人たちもいるので。卒業する時にお手紙をくれた子がいました。「人との関係が難しかったけど、佳那ちゃんがいて、みんなで話し合う、そういうのがすごくよかったです。」って。
これはね、お酒を飲みに行ったときの写真です。介助者はついてないです。男の子たちが飲ましてくれる。右に映っているのが野球部のK君ていう今でも家族ぐるみでお付き合いしている子ですが、ゼミの生徒さんです。
自立に向けての支援者会議は2011年から相談支援センター・派遣事業所、障大連とかいろんなところから参加いただき、84回も開催しています。
大阪市では、とても一人暮らしができるような時間数をもらえない、やっと675時間です。これまで、事業所がなかなか見つからなかったり、ヘルパーさんがいなくて撤退したり、障大連の西尾さんに「佳那はそんなに大変ですか?」って愚痴をこぼしたこともありました。医療的ケアとかもあって、ヘルパーさん1人では無理なので、2人で24時間保障されればいいなと思いますが、今の状況ではなかなか難しいです。


2023/05/27
ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。ちゅうぶは障害者主体で活動し、自立を自ら考え、障害者同士が支援することが基本ですが、親や家族、支援者が障害者にどう関わるもILPの取組を行う上で重要な課題です。
ILPと並行し、実施される親、支援者向きのプログラムを通信で紹介します。
第1回目講師として北村佳那子さんのお母さんです。佳那子さんはかなり障害が重い方ですが、奈良から大阪へ引越しされて、普通の小中高と学校へ行って、大学は聴講生として通いました。佳那子さんの頑張りとお母さんの頑張りもあるが、いろんな人とか周りの環境もあって、佳那子さんの生活を支えています。
生野区のジャンプという事業所(法人名Q.B)があり、佳那子さんはそこの「はなうた」というグループホーム(以下GH)に入っていますが、ヘルプセンターじゃんぷの前身はほっとという親の会で生野区とか平野区で30年前、制度がちゃんとない時代から障害児のガイドヘルパーとかレスパイトとかいろんな取り組みをされていて、ほっとの代表とかもされていました。
【北村恵子さんのお話し】
71歳になりました。2018年に入院し、1年間治療していましたが、その後、コロナ禍になって、家でゆっくり散歩に行ったりして暮らしています。娘が自立していることが前提でそういう生活ができています。
今日は、障害の重たい娘が自立するまでということで話させていただきます。
「北村さん、佳那ちゃんを育てて何が一番大変でしたか」と言われた時に、色々病気もしたりとかもあったけど、差別のある社会で娘がいきているということ、何かにつけて、排除されるというか、すごい対応されるんですね、それが、一番辛かったですね。
体調悪くて一晩寝ないとか、そういうこといっぱいあるのですが、それよりも、そういう社会で生きていかなければいけない娘の顔を見ているのが辛かった。娘の人生は、私が変わってやることもできない。差別のない社会になったらということで、お話させていただきます。

障害があるとわかって
生まれた時は全然分からなくて、3ヶ月検診に行った時に、検査を勧められて娘のCTをとった先生が、「これはひどいな。何もわからんな。」って一言いったきり、何も言ってもらえなくて2ヶ月待たされました。その間、私が親であることもわからん娘を産んでしまったのかと思うと悲しくて、辛くて、娘を抱きながら、泣き暮らしていました。
自分の中の差別について、重い障害のある人と出会っていたのだろうけど、あんまり記憶になかった。本当に知らなかった。だから、娘に障害があるとわかって、どんな怖いことになるのかという、すごい恐怖心だけでした。
娘の障害を聞いた時に、夫婦2人で話し合うとかは全然なくて、自分の気持ちを支えるのが精一杯で、自分自身が乗り越えるので精一杯いでした。
息子はわざと明るくしてくれて、私がメソメソしていると、「僕は佳那ちゃんが生まれてきてよかったと思う。1人じゃないから」って言いました。
娘と一緒に暮らして、わかったことがは生きていることがすごい尊いことやなって、価値観が変わりました。
娘を抱きながら、日々過ごしてる間にね、あんまり笑わない娘がニコっと笑ったんですね、それで、「ああ、生きてる」ということを、娘から生きるってこんなんすごいんや、笑うってすごいんや、ということを教えられました。
差別について
社会からの差別っていうことでは、相模原事件がありました。生きる価値がないって言って命を奪われた。あと、2022年内閣府で障害に関する世論調査で、障害を理由とする差別や偏見があると思うかという質問で、「ある」と思うっていう人が47.5%、「ある程度ある」と思う人が「41%」ということで、差別意識はあまり変わっていない。
娘が大阪の小学校に行って、5年生の時娘のことを各学年の子に話そうということで、先生が色々お話してくださった中で、同級生の友達からの感想ですけど、ちょっと読ませていただきます。
「はじめは、「わたしがかなこの世話をしている」と、すこしはおもっていたけれど、今はいい友だち。世話だなんてとんでもない。あれは友だちとして助けるんです。かなこも私を助けてくれるから私も助けるんです。かなこは私にとって大切な存在です。」「私はもしかしたら「障害」をあまり理解しないままに、差別していたのかしれません。かなちゃんに出会ってよかったです。」
日常の生活
今の暮らしは、生野区のGH「はなうた」で暮らしています。知的障害の男性2名に女性2名です。
娘の病気ですが、胎児期のウイルス感染による後遺症で、CTで見ると脳幹という生命維持に必要な細胞がかろうじて残っているだけで脳細胞があまりありません。体温も低体温であまり上がらない。冬になったら体温計で測れないぐらいですが、今年は少しましでした。
人工呼吸器を調子が悪い時は一日中をつけていましたが、今は寝る時だけ、つけています。去年に胃ろうから腸ろうに変わりました。不定期に原因不明の膵炎で入院を何回も繰り返しています。
グループホームに暮らしながら、週2回、生活介護に2か所行っています。療育園とパーティさん、その他にチームカナコの活動、イベント企画zoomで年に数回しています。他、NPOポムハウス社員として喀痰吸引研修に参加しています。
娘のコミュニケーションって言葉ではなく、表情であったりとかするんですけど、基本は子供の権利条約にもあるように生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利があります。あと、12条に意見表明権を聞いてもらう権利がありますが、やっぱり言ってもわからないと言われることが多くて、聴いてもらえないということが、大人達には多い。一緒に過ごした子どもたちはそうでもないです。結構、娘の代弁をしてくれていました。
就学前の施設
入所中の6歳ぐらいの男の子が私たちの部屋の前にある公衆電話で電話してほしいとよく頼みにくるのですが、電話番号わからないし・・・、どうしようもできなかったです。子どもたちは必死で、そこで暮らしています。ある子はサークルの中に入れられて、パジャマのボタンを止める練習を泣き叫びながらやらされていました。私はなんでこんな子たちが親から離れて、ここにいないといけないのかと、思いました。娘の障害がわかった時に、保健師さん来て「施設もありますよ」って言われましたけど、入れる気にはなりませんでした。
娘が絵本を読んだら、同じところで声をあげたり、公園に連れて行くと、子供たちの声がする方に体をそらせて聞くんです。
なだらかな坂の上に歩行機を持っていって、そこに乗せて、このちょっと転がしてやる。そうすると、少し歩けるようになるかなとか、いろいろやりました。10分おきぐらいにお湯と水を張ったところで、暑い、冷たい、暑い、冷たいとか、懐中をつけたり消したりして、暗い、明るい、暗い、明るいとか、していました。私が疲れ果ててしまいました。私が疲れた以上に、娘はどんなふうに感じてたかなって思いました。
みんなが幼稚園とかに行く時に、佳那は行くところがなくて、通園施設こじか園が奈良にあるのですが、山の奥、辺鄙なところにスクールバスで行きました。そこは、母子分離でし、たまには親も出かけて、親同士でお茶を飲みに色々交流して、先生たちも1対1でついて、丁寧に育ててくれたと思います。違う子とか子供たちの表情とか動きとか見て、私は励まされる部分がすごく多かったです。行くところがあるだけでも幸せと感じました。
奈良での就学時健診
入所中の6歳ぐらいの男の子が私たちの部屋の前にある公衆電話で電話してほしいとよく頼みにくるのですが、電話番号わからないし・・・、どうしようもできなかったです。子どもたちは必死で、そこで暮らしています。ある子はサークルの中に入れられて、パジャマのボタンを止める練習を泣き叫びながらやらされていました。私はなんでこんな子たちが親から離れて、ここにいないといけないのかと、思いました。娘の障害がわかった時に、保健師さん来て「施設もありますよ」って言われましたけど、入れる気にはなりませんでした。
娘が絵本を読んだら、同じところで声をあげたり、公園に連れて行くと、子供たちの声がする方に体をそらせて聞くんです。
なだらかな坂の上に歩行機を持っていって、そこに乗せて、このちょっと転がしてやる。そうすると、少し歩けるようになるかなとか、いろいろやりました。10分おきぐらいにお湯と水を張ったところで、暑い、冷たい、暑い、冷たいとか、懐中をつけたり消したりして、暗い、明るい、暗い、明るいとか、していました。私が疲れ果ててしまいました。私が疲れた以上に、娘はどんなふうに感じてたかなって思いました。
みんなが幼稚園とかに行く時に、佳那は行くところがなくて、通園施設こじか園が奈良にあるのですが、山の奥、辺鄙なところにスクールバスで行きました。そこは、母子分離でし、たまには親も出かけて、親同士でお茶を飲みに色々交流して、先生たちも1対1でついて、丁寧に育ててくれたと思います。違う子とか子供たちの表情とか動きとか見て、私は励まされる部分がすごく多かったです。行くところがあるだけでも幸せと感じました。
奈良での就学時健診
就学はすごく大変でした。地域の兄が行っている地域の学校に娘の生きてることを、育ってることを知ってほしいと思い、1週間に1回とか、交流をさせたいと言うと、「養護学校に行きます」という念書を持ってきたらお話をしますと言われました。
教育委員会に1人で行って話しましたが、全然ダメでした。地域の学校の前には、大きな看板で「差別をなくそう」って書いてあるのですが、先生たちは、それは差別じゃないと思っているのですね。最終的には養護学校に行くことになりましたが、なんかモヤモヤするし、教育委員会の人に、障害がある子どもが何年か後には地域の学校に通えるようになりますかって聞いたのですが、一刀両断で「あり得ません」と言われました。
就学時健診後も息子も虐められたりしてひどかったです。学校で就学時健診を終え、その後、奈良市内で問題を抱えた子を集めた特別就学時健診を受けました。2月のすごく寒い日でした。健康診断を受けてほしいと言われた時も「病院に通っているから受けたくない」と言いましたが、決まりだからということで、小児科、精神科、整形外科、聴力検査、知能テストなどをいろいろ受けさせられました。
お医者さんは、娘の姿を見て、何もできない状態なのに、「一人でご飯を食べられますか」と問診したり、洋服の上から聴診器をあてたきりで、何も言わずに次に回され、差別的なことをされ、ほんとうに悔しかったです。
3時ぐらいから、教育委員会の人たちが、お母さんどうしたいか思いを聞きましょう、言ってくださいと言ってきました。でも、聞くだけですよ、それを聞いて考えるとか、そういうことじゃなくって、本当に聞くだけです。
お昼は食べられない、クタクタの状態でそんな扱いを受けて、私は帰りの車の中でボロボロ泣きましたね。
なんで、この子がこんな目に会う社会で生きていかなければいけないんだろうって。知ってもらって社会が変わるしかない。そう思います。
そして、息子の学校に交流に1学期に1回だけ行きましたが、養護学級があって、障害のある子は給食の時だけ原学級に帰るのです。佳那が行った時は、体育館に集められて、同じ学年の子たちとちょっと遊ぶんだけど、見世物みたいで、私も娘もめっちゃ疲れました。
1年生の2学期に股関節の手術で東大寺整肢園に入園することになりました。その半年後に主人の仕事の都合で、大阪に引越し息子の転校手続をしました。その時にダメ元で娘のことを相談しました。その時はやんわり断られたのですが、その時の会計の先生が、大阪市大の障害者運動に、新任の時に関わっていたみたいで、「大阪市は、親が望めば受け入れられますよね。」と校長先生に掛け合ってくれました。そして、「来てください」っていうことで、行けるようなりました。
退院を目の前にして、すごく寒い冬で、体温維持ができない娘は、施設の部屋は暖房をガンガン効かして暖かいのだけど、体が温もるっていうのはまた別問題なのです。家では電気で温めていたので使わせたいって言ったんだけど、「佳那ちゃん1人特別扱いはできない」みたいなことを言われて、20日間ぐらい生死を彷徨いました。低体温症だったと思います。先生が「お母さん好きなものあったら食べさしてやって」って言われ、ハーゲンダッツのイチゴが好きだったので、それ買いに行って、足元で座っていたら、急にすごい声を出して、生き返りました。
「こんなところで死んでられへんわ」みたいに、回復して、退院できました。
1-2 に続きます。
2023/05/10
6/24(土)、6/25(日)、7/1(土)に重訪講座6月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座6月コース受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名(ふりがな)
2.性別
3.生年月日
4.郵便番号
5.住所
6.電話番号(あればメールアドレスも)
7.勤務先もしくは学校
8.受講の動機
<申込先>
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
- 受講料10,000円(キャッシュバック制度あり)
- 定員20名(応募者多数の場合、申し込み期間中でも募集を締め切る場合あり)
募集期間は、5/29(月)~6/14(水)。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2023/04/13
当初設定の締切前ではございますが、応募者極めて多数のため、募集を打ち切らせていただきたいと思います。大変申し訳ございません。既にご応募いただいている応募者の中から選考を行い、お知らせいたします。6月コースも行う予定(お知らせは近日中に公開予定)ですので、受講ご希望の方は、ぜひそちらにご応募いただければと思います。よろしくお願いいたします。
5/27(土)、5/28(日)、6/3(土)に5月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名(ふりがな)
2.性別
3.生年月日
4.郵便番号
5.住所
6.電話番号(あればメールアドレスも)
7.勤務先もしくは学校
8.受講の動機
<申込先>
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
- 受講料10,000円(キャッシュバック制度あり)
- 定員20名(応募者多数の場合、選考)
募集期間は、4/24(月)~5/17(水)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2023/04/08
ちゅうぶでは学校交流の取組を長年行っています。
参加しているメンバーは特別支援学校出身がほとんどで、普通学校の子どもたちとは学校交流の場以外では関わりがありません。同様に、交流に伺う学校の子どもたちも障害者と会話したり楽しんだりという経験はほとんどないと思います。敢えて、交流をしなければ、障害者 のことを知ることもないほど分け隔てられているのです。そのことを実感しつつ、少しでも障害者のおかれた状況を理解してほしい、そして、障害者も遠い特別な存在でなく、みんなと同じようなことを感じていることなどを分かってほしいと思って活動しています。インクルーシブ教育でないからこそ行っている学校交流の取組について紹介します。

今年で入職して5年が経過していました、学校交流担当の上田です。
早速ですが、担当している学校交流の内容と成果と課題について書きます。
学校交流とは?
障害や差別、福祉の仕事について子どもたちや先生、保護者たちに伝えています。
「まずは知ってもらうこと」を目的とし、形式としては障害者や障害に関するクイズ等を使っての交流や講演会、中学生の職場体験受け入れなどがあります。

具体的な中身は?
小学校では子どもの成長に応じてのこちらとの交流計画を立てています。テーマは言語障害や聴覚障害、視覚障害についての他、駅のバリアフリーについての工夫や電動車いす体験など。事前の先生との打ち合わせの際は可能な限り障害者メンバーにも参加してもらっています。
講演会では主に中学生に対して段差 (パレット)を使い、車いすだと一人で越えられないが、スロープを付けると越えられる体験を行います。体験を経て、街の中の障害と工夫について紹介し、「障害は街の中にもある」というように障害の社会モデルのことを伝えています。職場体験も中学生ですが、法人理念の説明や車いす体験。実際に電車でなんばや梅田へ行き、地下街の車椅子での移動での大変なことも含めて体験してもらっています。

成果を感じたこと
「障害者 のイメージが変わった」と感想がありました。実際に交流で関わった子どもがその後は福祉の学校へ進学したり、ちゅうぶでヘルパーとして働いてくれることもありました。普段関わりが少ない子どもたちとの交流は障害者メンバーにとっても良い刺激となっています。

今後について
普通学校の子どもたちに障害者のことをもっと伝えていきたいです。堅苦しくなく、自然な気持ちで関わってもらえるように交流・講演の依頼時に提示できるコンテンツを豊富にしたいと思っています。そのため、障害者のことをどう伝えたら良いかを当事者のメンバーと通所のスタッフで試行錯誤していきたいです。
また、普通学校だけでなく、特別支援学校へもアプローチしていきたいです。赤おに、青おにのメンバーである障害者から、子どもの障害者へ、障害者も自立した生活を目指すことができることを伝えていきたいです。
最後に、学校交流をきっかけに将来はスタッフとして働くことを目指してくれたり、障害者活動センターで障害当事者として共にやっていこうという方との出会いを求めていきたいです。
2023/03/29
2021年5月に差別解消法が改正され、3年以内の施行(24年春)予定で、基本方針(ガイドライン)改定などの準備が進められています。改正のポイントと併せて、今後の取組方向について、ちゅうぶ代表理事の尾上浩二から話を聞きました。以下はその概要です(資料は尾上が作成したレジメから抜粋)。
1 はじめに
差別解消法の改正のポイントは「民間事業者の合理的配慮の義務付け」だが、これを運動に生かすには、障害当事者の目線から啓発や調査、助言、モニタリング、評価ができることが重要である。 ADAセンターのように民間ベースで情報提供したり、研修したり、障害者を支援したりという仕組みが作れないだろうか。(注 ADA:「障害を持つアメリカ人法(Americans with Disabilities Act) 1990年~アメリカの差別禁止法の性格、障害者権利条約にも大きな影響を与えた)」

2 法改正のポイントと課題
遅くとも来年6月までには改正法は施行される。1年余りしかない。民間事業者での合理的配慮の提供義務化が効果的に実施されるように、運動的に盛り上げる必要がある。キャンペーンや各地でのグループセッション(困りごとと差別解消)などの取組みを展開していく。
今回の法改正で、「国、地方公共団体の連携協力の責務」という規定が追加された。国においても、地方自治体においても相談窓口が機能するようにし、地方自治体レベルでは解決しない案件は国と連携して進めるということが求められる。私たちは、国のワンストップ窓口が必要だということを提起してきた。
また、差別解消のための支援措置を強化するとされている。相談窓口の人材育成や確保、人材育成のためのテキストや研修プログラムの作成、事例収集とデータベース化が重要で、ぜひ、これを形にしたい。
なお、引き続きの課題となるのが、差別の定義の問題である。関連差別は差別の定義に入ったが、間接差別を入れることはできなかった。障害女性の複合差別の問題について、「理解を促す」という文言は入ったが、差別の定義に「複合差別」は入っていない。これは、今後の総括所見を踏まえた障害者基本法の改正を受けた次の差別解消の改正へ向けての継続の取組となる。

3 相談窓口の現状と課題
○機能していない、格差が大きい
差別解消法の制定時、「行政のスリム化のために新たな相談体制を作らない」という検討の経緯があり、相談窓口は地方自治体任せになってきた。今、各地方自治体での相談窓口の実態を見ると、ほとんどの自治体で窓口が機能していない、その一方で、ごく一部の自治体では年間の相談件数がかなり上がっており、大きな格差がある。内閣府の調査によると、「カウントしていない」が46%、「件数が不明」、「年間9件未満」も合わせると全体の96%にも達する。一方、0.6%の自治体は、年間100件以上あると回答している。

○権限のある省庁はどこなのか、わかりにくい
差別解消法では、主務大臣制(許認可、指導監督、行政事務の所管省庁が担当する)をとっているので、主務大臣の担当につなぐことが重要だが、国の省庁の縦割り的な運用や、所管のわかりにくさや複数の省庁が所管する事例もあり、案件がたらい回しになり迷子になることがあった。
(例)チェーン店系のエステサロンの担当は経済産業省
(例)劇場の車いす席はバリアフリー法ガイドラインにも規定されているが、指導監督省庁は厚生労働省
(例)テーマパークのハードは国土交通省(運用マニュアルも含む)、接遇は経済産業省

○身近な窓口に限られるとコンフリクトが起きる場合もある
地方の自治体の場合、利害関係者が行政とつながっている場合もあり、差別問題の場合、必ずしも身近な自治体が相談窓口として適切とも言えない場合がある。
(例)障害を理由に自治会に入れない
4 改正後の相談体制(ワンストップ相談窓口の実現)
改正後の相談体制の特徴について以下に記載したが、内閣府にワンストップ窓口が設置されることは、法の実効性を高める上で、とても大きな力になる。また、内閣府の司令塔機能の下で、各地方公共団体、国における相談体制の再構築・強化を図られることを期待したい。内閣府の調査研究事業の報告では
- 縦割り、迷子問題、複数省庁所管問題等を踏まえ、主務大臣の担当へつなぐ役割を果す窓口を内閣府が設置する(国の窓口の明確化:ワンストップ相談窓口)
- 内閣府が国の相談体制の構築・強化に向けた司令塔を果す(研修・マニュアル作り、事例収集、分析)
- 市町村の相談について、都道府県が連携・協力し、更に、市町村や都道府県の相談を国が連携・協力する重層的な相談体制とする。
- コンフリクト課題を踏まえて、相談者は、市町村、都道府県、国のいずれに相談することもできる体制と整理された。
- 合理的配慮の提供が義務付けられた事業所が具体的な対応を相談できることが明確化された。
ただ、この報告内容に基づいてどこまで実体化させられるかは、今後の運動次第である。

5 当事者からの発信提案が重要
○あらゆる領域に参加する市民であることの発信
9月に日本に対して出された権利条約の総括所見において、国連障害者権利委員会は「合理的配慮の拒否は、生活のあらゆる場面で障害を理由とする差別として認識されていない」という懸念を示し、「私的、公的領域を含む生活のあらゆる分野において合理的配慮が提供されることを確保すること」、「差別の禁止」、「包括的な救済の実施」を勧告した。
障害者問題イコール福祉問題と世の中の認識はなりがち。日本の社会は特に医学モデル、パターナリズム(父権的温情主義)が強く、また、障害者のことは福祉関係の人に任せておけばいいという考え方が強い。
障害当事者が「あらゆる分野での障害者差別解消を求める法律」ができたことを自覚し、障害者も一人の市民として、福祉以外の様々な領域に参加し、サービスを使い生活していることを社会に知らせていく、差別解消法によって、障害者の存在を社会に開いていくことがとても大事だ。
例えば文化芸術などの分野での困った事例
- 映画館で車椅子席は端にしかなく同伴者席もないので、友達と行っても一緒に座れない。
- 呼吸器の音が迷惑なので映画館での鑑賞を断わられた。
- 最後に盛り上がるロックコンサートなのに、最終曲の3つ前に退席するように指示された。
- S席1万円のチケットを手に入れたのに5000円の一般の車椅子席に案内され差額返金もない。
○障害当事者だからこそ、ニーズと有効な解決策がわかる
ホテルに宿泊しても、バリアフリーの状況が障害者の実態にあっていない場合も多い中で、東横インのバリアフリールームは安定した高評価である。これは、2006年ごろの違法改造問題が発覚したことに端を発したが、この時に、単に謝るだけでは、何もかわらなかった。DPIが抗議を行い、当事者が参画する検討会を作ることを要求し、どうあるべきか具体的に検討をおこなった成果で良くなった。また、単にバリアフリールームだけでなく、貸出備品も含めたバリアフリー情報のWEBでの公開など、とても良い事例である。
こういう好事例を当事者参画の下にどんどん増やしていくべきだと思う。

6 民間事業所の好事例を広げていって、常識化する取組
宝塚歌劇が、聴覚障害のファンがいたことをきっかけに字幕タブレットを貸し出すようになった。障害者の感動が胸を打つ。さらに、これに留まらずHPで障害者が知りたいWCの設備やレストランのテーブルなども写真入りで公開している。
民間事業者のこのような自主的な好事例をどんどん広めていって、全体化していくことが大事だ。

7 民間版の障害者差別解消支援センター(日本版ADAセンター)を作ることを目指そう
当事者参画により差別解消の仕組みを体系的に整備したのがアメリカのADAセンターである。全米10州にあり、ADAセンターを軸にしたネットワークも形成している。ADAを実施するための情報提供や研修を主な役割りとしている。問い合わせがあると出かけて行って、相談や助言、情報提供にあたる。
日本でも自治体の相談体制の充実だけでは相談がたくさん巻き起こることはないと思われる。 民間の側から、公的機関とタイアップして、的確な情報提供や、差別事例を相談窓口にあげる支援など、ADAセンターのような機関が必要だ。
また、企業からの問い合わせがあった時に、情報提供し、企業側に障害当事者の意見を聴くことが参考になると思ってもらえるような取り組みが必要だ。

人びとが一緒になって、
あらゆる取っ手に手をかける
(ジュディヒューマン)
諦めずに皆であらゆることをして行こう。 (尾上談)
(聴き取り文責 堀)
2023/03/29
2023/02/22
1月17日(火)、19日(木)に行われたDPIと国土交通省バリアフリー政策課との交通まちづくり課題についての協議に障大連交通部会のメンバーで参加させてもらいました。参加は、障大連中村さん、あるる永谷さん、宇治田さん、ちゅうぶ石田、堀です。2日間の日程のうち大阪に関係が深い内容の19日のみ参加しました。
バリアフリー政策課が調整の上、関係各局各課の担当官が入れ代わり立ち代わり説明に来てくださいました。
特に大阪から力を入れて発言したのがニ階建てコンビニの問題です。まず、あるるの永谷さんから、「イートインコーナーや一部売り場、ATMやバリアフリートイレが2階に配置されているコンビニが大阪ですでに30店舗確認されている。エレベーターが無く、障害者は2階に行けない。外出のときに、コンビニのトイレを頼りにしている実態があり、とても厳しい。こんなコンビニがこれ以上増えないように働きかけてほしい。」と強く訴えました。
また、DPI佐藤事務局長さんからは、業界団体と障害者団体の意見交換できる場の設定を要望しました。 国交省住宅局からは、「大手コンビニ業者3社に事情を聞いた。狭隘店舗に限り2階建てにしているが、増やすつもりはないと聞いた。この件については、大阪府からも話を聞いている。勉強したい。業界団体との意見交換はいいことだと思うので、相談する」と前向きなコメントを得ることができました。
ちゅうぶ石田からは、「USJがアトラクションやライドに障害者が利用するときに、不当な条件をつけて利用できない実態があること(例えば、ジョーズの船に乗船するときに、船はバリアフリーでハード的には車椅子で充分楽しめる構造にあるにも関わらず、避難が必要な時に歩く必要があります。100m歩けますかと車椅子ユーザーに聞く。歩けないと言うと乗れない等)、大阪市に言っているが解決しない、障害者の利用制限は2025万博の悪い手本になるのでないか、共に楽しめるように考えてほしい」と要望しました。
国土交通省住宅局からは、「ハードの構造は国交省だが、パビリオンの運営については経産省となる。仮に、国で差別解消法の相談に応じるとしたら経産省となる。こちらからは、経産省にも情報共有をしている」と話をいただきました。
ちゅうぶ堀からは、バリカー(車止め)について、府営公園のハートフルゲートの社会実験について府と協議を行い取り組んでいること、河川などの実態 (淀川河川敷にもPゲートがある)などでも対策をお願いしたいと申し上げた。また、電車とホームの歩道の段差の解消について、バリアフリー料金を活用し促進するようにしてほしいこと、無人駅のガイドラインを踏まえ、無人駅等の拡大を検討する際に障害者団体と協議するように指導してほしい旨を要望しました。また、万博を展望し、ターミナル駅のエレベーターの籠の大きさやドアの構造(袖なし、片袖、ドア幅など)を見直ししてほしい旨を訴えました。 協議が終わってから、池袋界隈をウロウロし、2階建てコンビニをリサーチしました。短時間でしたが2店舗発見。東京のコンビニは狭くて、入口も入りにくい。障害者に優しくありませんでした。 (文責:堀)
2023/02/15
無人駅や駅員が窓口にいない無人時間帯では、インターホンで容易に連絡がとれるかが大事です。しかし、障害は多様で、インターホンでのやり取りができなくて困っていることも多いのでないかと考え、実態や課題を把握するためにアクセス関西ネットワークなどを中心に各鉄道事業者のインターホン調査を展開しています。視覚障害、聴覚障害、車いすユーザーで、言語障害、上肢障害がある人、知的障害者などで調査活動が行われていますが、 ちゅうぶは、聴覚障害、車いすユーザーの関係で調査に参加しています。
2022年12月6日(火) 調査者:松倉(聴覚障害者)、山下大祐(手動車いすユーザー)
【近鉄 南大阪線高見ノ里駅】音声と切符読み取りカメラのみ

聴覚障害で耳が聞こえないと伝えているにも関わらず話を続ける係員。
係員が「他のお客さん誰かいませんか?代わりに話できる人いませんか?」とインターホン越しに何度も訴えていました。
最終的には山下が応答し会話を続けました。

話を始めて良いと判断は出来ます。
【南海本線 湊駅】音声での対応のみで、聴覚障害者への配慮がされていない。

インターホン越しに「聴覚障害者です。」と伝えても声で対応する係員。これでは、聴覚障害者にとっては、まったくコミュニケーションが取れません。インターホンに通話中だと光るようなランプもありませんでした。なので、いつ話かけられているのかも、まったくわからない状態です。
「堺駅から駅員を向かわせるので、改札入ってホームで待っててください」と係員。
そう言われても松倉さんは聞こえません。

【南海】※インターホン調査とは、少し違いますが、山下も調査に同行したので、電車の乗り降りにはスロープが必要です。堺駅~石津川駅まで(2駅)乗車した時は、駅員が車内にスロープを持って同乗してくれました。石津川駅には駅員が、いないのだなぁと思ってましたが、同乗してくれた駅員に石津川駅の無人時間帯を聞いたところ「見回りで改札にいないこともありますが、基本ずっと駅にいてます。」と駅員。では、なぜ、堺駅から同乗してきたのだろう。
【阪神電車 福駅 モニターは設置されているが・・・】
インターホンを押して「車いすの方の乗降介助をお願いしたいです。「私は//聴覚障害者で耳が聞こえません。」と伝えましたが、係員に「少し待っててください。係員向かわせるので。」と声で話しかけられました。インターホンに設置されている切符読み取り部分にメモを置いたりしてみましたが、反応がなく、どうしていいか分からず、しばらく待っていると、どこからともなく駅員がやってきて窓口に案内され、筆談で対応してくれました。
「この駅は、時間帯無人駅で、
ちょうど今から駅員が配置される時間なんです。」と言っていました。
インターホンの実態を把握する調査でしたが、本来は、通勤、通学、買い物に行く等に利用します。そのような時に、コミュニケーションがスムーズに取れないような対応をされたら、約束の時間に目的地へ到着することができません。各鉄道会社には、誰もが安心して利用できる駅を目指してもらいたいです。
(自立生活センター・ナビ 山下大祐)
2023/02/09
12月15日、16日の大阪市オールラウンド交渉に参加しました。ちゅうぶから発言した項目を中心に、筆者(1日目小坪、2日目堀)の感想を交え紹介します。

2日目
【権利の実現】
ちゅうぶから後藤が「賃貸住宅を捜しているとき、障害を理由に大家から入居拒否があった」と差別体験を報告しました。昨年4月に大阪府の差別解消条例が改正され、「事業者の合理的配慮」は義務化されたことを踏まえ、業種ごとに「どんな場面でどんな差別が発生しやすいか」「差別を防ぐために合理的配慮として具体的にどのように対応すべきか」を具体的に示していくための啓発媒体の作成を求めました。

【強制不妊問題】
一時金申請の期限が2024年3月と迫る中で、戦後最大の人権侵害と言われる強制不妊問題をうやむやにしてはなりません。一人でも多くの被害者を救済につなげるための取組を求めました。
ちゅうぶから東が発言し「一人でも多くの被害者を掘り起こし、被害者に対して誠実に迅速な対応を」と訴えました。また、堀から「裁判提起された西スミ子さんの入所施設にも他に被害者がいないのか調査してほしい」と発言しました。

【交通 大阪市基本構想】
大阪市の基本構想の見なおし協議会が開催されています。大阪市の基本構想は旧の交通バリアフリー法時代のもので、駅などの交通機関中心にとどまり生活関連施設などが考慮されていません。障害者の生活実態にあった重点整備地区の選定を行い、幅広い障害者当事者の意見を反映する場を作ることが求められます。
ちゅうぶの西川から「梅田や難波は全国の障害者が利用します。基本構想を見直すときには、いろんな障害者の意見を聞いてバリアフリーを進めてください。」と発言がありました。大阪市からは、ターミナルを含む地区については、広範な障害者の利用を踏まえた進め方を検討しますと答弁がありました。

【万博のシャトルバス】
万博への主なアクセスは、鉄道(中央線夢洲延伸)、シャトルバス(ターミナル、パークアンドライド)となりますが、乗合バス車輛はつい最近までバリアフリー法の適用除外であったこともあり、整備が間にあうのか心配です。交渉では、助成金で整備のてこ入れをすることと、シャトルバス算入の条件として、一定の整備割合を課すことを求めました。ちゅうぶからは、渡海から「車椅子が乗れる車両をぜひ整備するようにしてください。もし、間に合わない場合、介護タクシーなどを利用できるようにしてください。」と発言しました。代替輸送手段の確保を強く求めました。
【歩道の段差について】
歩道縁石と車道の段差は2cm程度とするという基準が十分に守られずに、歩道を安心して歩けない問題について、ルールの周知徹底を求めました。ちゅうぶ山下から「歩道を復旧する時は、歩道の段差2㎝を守るように工事業者に、ちゃんと、周知してください。3㎝を越える歩道が増えると、車いすから転倒する可能性があり、外出するのも危険です。」と、また、濱田から「高齢者も困っている。だれもが安全に使えるように改善してほしい」と発言しました。
また、排水のための傾斜を考慮すると、2cmを超える箇所が生じる現状がある上にたって、現在の大阪市の直角に切りたった部材では衝撃が大きいので、兵庫県方式など斜面になっている部材に変更するように求めました。

【2階建てコンビニついて】
車椅子トイレやATMが2階で、車椅子障害者が利用できない2階建てコンビにが増えている問題について、これ以上の増加を防ぐことを強く求めました。ちゅうぶの森園から「外出の際にコンビニのトイレも使うことがあります。最近、2階建てコンビニは二階にトイレがあるため、車いすの私にはせっかく車いすトイレがあっても利用できない。緊急時も考えてみんなが使えるように指導してください。」と発言がありました。
交渉では、大阪府の福祉のまちづくり条例の適用ルールの考え方に問題があるのでないか、市としても府へ問題提起してほしいと求めました。

【無人駅について】
国土交通省の無人駅ガイドラインを遵守し、「地元障害者や自治体と協議し一方的な無人化を行わない」ことを踏まえ、障害者団体と協議するべきでことを鉄道事業者に地元自治体として伝えてほしい旨を訴えました。また、特に、無人の時間帯の情報が公表されておらず、各社WEBサイトで公表の営業時間中も無人時間帯が生じており、情報は当日でないと把握できないなど、障害者の生活に大きな支障をきたしていること、各社にせめて、無人情報をきちんと公開すべきであると伝えるように強く訴えました。

2023/02/08
12月15日、16日の大阪市オールラウンド交渉に参加しました。ちゅうぶから発言した項目を中心に、筆者(1日目小坪、2日目堀)の感想を交え紹介します。

1日目
【介護・新型コロナウイルス感染症対策について】

障大連加盟団体でもコロナ第6波、第7波では多くの感染者が出た。感染拡大期は障害者で基礎疾患があっても入院させてもらえない状況に陥り、常時介護が必要な障害者が感染すると防護服などで完全防備をしても介護者がどんどん感染してしまったという発言が相次ぎました。
ちゅうぶでもある障害者が感染した際、SPO2(経皮的動脈血酸素飽和度)に問題がないため入院出来なかったケースが数件あります。あるケースでは当初介護者を4人に限定し、防護服などで完全防備をして介護に入りましたが、最終的には4人全員が感染し、陽性者が陽性者の介護をする「陽陽介護」を余儀なくされました。
自分も介護者を使いながら生活しているので「明日は我が身」という感覚があります。大阪市の場合は障害者の数も多いので難しいとは思いますが、例え軽症であっても「感染拡大防止」の観点から入院や介護者を付けてホテル療養が出来るようにしてほしいです。

【入院時の不適切対応について】
コロナ禍では、コロナ感染の入院でも、それ以外の病気での入院も外部との接触が経たれてしまい面会や入院中コミュニケーションサポートや重度訪問介護が利用できません。
ちゅうぶの渡海からも入院中に人権侵害を受けたことを大阪市に訴えました。「私は7月にコロナ陽性になり、急遽ヘルパーを付けて自宅療養をしていました。ヘルパーがいない夜間の時間に転倒することが増えたため、派遣事業所のスタッフが保健所と相談し入院しました。入院できてよかったという思いもありますが、看護師に言語障害が聞き取ってもらえずIpadで筆記してやりとり、排泄はオムツでした。あとご飯に薬(錠剤)をご飯に混ぜて食べさせられることもありました。気づいたときには混ぜられていて嫌と言えなかったがあれは辞めて欲しい。」
自分自身、30年以上前(10歳)の時に障害児施設に入所経験があります。そこで風邪を引いている幼児に看護師がご飯に粉薬を振りかけた「ご飯」をもう少し食べてと言いながら食事介護をしている姿を目の当たりにして、子どもながらに拷問やなぁと思った記憶が鮮明に残っています。あれから30年以上が経った現在でも薬がご飯に混ぜられている実態を知りました。障害者や高齢者の介護現場では「よくある話」と聞き、人間扱いされていないと憤りを感じました。

【長時間介護、夜間介護の支給決定問題】
大阪市では今まで深夜帯(22時~6時)に対して3時間程度しか認められていませんでした。しかし労基法関係で、厚労省から「手待ち時間(急な対応が必要な場合に備え待機する時間)も労働時間である」と通知が出されました。昨年秋から大阪市で介護時間の見直しが行われていますが、現在は「手待ち時間も含めた支給決定」の対象者は「人工呼吸器利用、頻回な痰吸引、頻回な体位変換のいずれかが必要」とされています。
森園から「私は一人暮らしをしている重度の脳性マヒの者です。介護時間の見直しがされ、以前の月あたり400時間から、433時間に増えました。時間数が増えたのは嬉しいのですが、自分が必要としている時間数にはかまだ足りません。私の場合は、人工呼吸器を使用している訳ではありませんが、夜間は装具を着けていたり、就寝時の体位を保持するためや、見守りが必要です。個人個人のケースに合わせて、必要で十分な介護を受けられるようにしてください」と訴えました。
自分も今年1月に長年の四つ這い移動の影響で蜂窩織炎になり、膿を出すため膝にドレーン(管)を1か月入れていたことがあります。その間は、四つ這いが厳禁と言われ夜間の泊り介護を入れ、トイレ介護など生活行為の大部分をヘルパーに助けてもらいました。その経験からも「それぞれに必要な介護を受けられるようにして欲しいと思います。

【グループホーム・通過型グループホーム新類型創設について】
通過型グループホームは概ね3年で退居してひとり暮らしに移行させるという新類型です。ひとり暮らしに移行することが難しい場合は他のグループホーム等に移行させることになっています。
中野から「私は16年グループホームで生活していましたが12月にひとり暮らしになりました。16年の間に障害が重くなったり、大病も患ったりした。新類型では3年という期限があるが3年でグループホームを出るのは難しいと思う。ひとり暮らしを目指すスピードは人それぞれです。3年という期限付きのグループホームを作らないで」と発言。
交渉の中でも言われていたが、自分もグループホームに年限を設けるのではなく、入所施設に年限を設けたほうがいいと思いました。

【個別ヘルパー利用の恒久化】
厚労省が昨年の調査報告書の通り進めるならグループホームの個別ヘルパー利用は次の報酬改定で危ない状況になります。個別ヘルパー利用がなくされたり、時間数が削られる、又は特に重度の者に限られる恐れがあります。
グループホームリオ入居者の青木から「僕は個別ヘルパーを使って生活しています。今年は旅行にも行きましたし、美容院で髪を染めたりしています。それが出来るのは個別ヘルパーがいるからです。個別ヘルパー利用の恒久化をお願いします」
毎年、同じ課題でやりとりをするが、障害者が自立するということを改めて考えてほしいと思います。
高齢者の場合は自分で出来ることを増やし、サービスを使わないことが「自立」と言われがちですが、障害者の場合は、いかにたくさんの制度や社会資源を使い、社会参加をすることが「自立」だと思います。
その意味からも個別ヘルパーは必要不可欠です。
【相談支援】
大阪市では指定相談(計画相談)事業所は毎年数十か所増える一方で、年間で20~30事業所が廃止されています。サービス利用する障害者・児が増える中で追いついておらず、セルフプランが半数となっています。指定相談事業所が不足しており相談支援基盤がいつまで保てるか分からない状態です。
自分は毎年、「相談支援初任者研修のファシリテーター協力」を行っています。毎年何百人という初任者研修修了者が出ているにも関わらず、事業所が増えない現状を注視し、出来る対策をすべて実行してほしいと思います。
2023/02/01
みなさん、こんにちは。
今回は2022年4月より入職した新人職員の西塔藍さん、藤井まりあさんをご紹介します。
おふたりからは、趣味の話にはじまり、ちゅうぶに入ったきっかけ、介護を初めてやってみてその中で大変だったこと、楽しかったことなど感じたことを率直に話してくれました。
障害者との関わりや、これからやりたいことなど、新人ならではのみずみずしい言葉で語ってくれました。
フレッシュな西塔さん、藤井さんの今の想いが動画にこめられています。ぜひご覧ください。
よろしくお願いします。
2022/12/05
2022/10/11
11/12(土)、11/13(日)、11/19(土)に11月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名(ふりがな)
2.性別
3.生年月日
4.郵便番号
5.住所
6.電話番号(あればメールアドレスも)
7.勤務先もしくは学校
8.受講の動機
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
募集期間は10/17(月)~11/14(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2022/10/04
グループホーム・リオの入居者募集に関する説明会を
以下の通り行います。
日時
①2022年11月4日(金)10:30~
②2022年11月4日(金)14:00~
③2022年11月5日(土)10:30~
④2022年11月5日(土)14:00~
1回1時間程度を予定しています。上記日程のいずれかを参加申し込み時にお選びください。なお説明会には入居を希望するご本人の参加は必須とさせていただきます。
申し込み方法は、電話・FAX・メールの他、申し込みフォームでの申し込み方法もあります。
詳細は添付しているチラシをご確認ください。
2022/07/29
2022/06/28
ちゅうぶでは、たくさんの重度障害者が地域で自立生活を送っていますが、たくさんの大学生の皆さんが介護に入り、自立生活を支えてくれています。
今回は、高校卒業前の 3 月から介護研修を始め、大学入学した今年 4 月 から介護に入ってくれている藤本夕英さんに 、インタビューしました 。
6月中旬、すてっぷ事務所にて、介護入ってもらっている当事者の後藤寛子さんと一緒に、介護に入るきっかけや介護中のエピソード等、お話を聞きました。
西尾)では、早速ですが、自己紹介をお願いします。
藤本)藤本夕英です。奈良県の畿央大学の理学療法学科に通う1 回生です。
西尾)将来はリハビリの先生になるのですね。なぜ理学療法学科を選んだの?
藤本)祖母が亡くなる前に、祖母のリハビリの様子を見て いて、小学生の時から憧れていたんです 。
西尾)ちゅうぶで介護に入る事になったきっかけを教えて下さい。
藤本)高校3年生の時に通っていた塾で知り合った大学生(Yさん)が、ちゅうぶでヘルパーをやって い て、誘っていただきました。
西尾)Yさんは、高田裕子さんの介護に入ってくれている、1つ上の人ですね。藤本さんは高校卒業直前の3月から後藤さんの介護研修を始めて、4月の初めには もう、一人で介護入ってたよね。
後藤)そう。早い、びっくりした。史上最速かな・・・
西尾)そもそも、なぜ介護をやってみようと思ったんでしょうか?
藤本)私、Yさんの事が大好きで、1月か2月くらいから、大学に合格したら私もYさんと同じバイト先に行くと言ってたんです。ちゅうぶの雰囲気がすごくいい、利用者と良い関係を築けたら得られるものもたくさんあると聞いてて。Yさんとは素敵な出会いでした。出会ってなかったら、ちゅうぶの事も知らなかったです。
西尾)本当に良かったねぇ。Yさんに感謝ですね。それで、実際に介護入ってみてどうだった?
藤本)初めはやること、覚えることがいっぱいで、それだけで精いっぱいになってたけど、今は介護しに来てる、というより、寛子さんに会いに来てる、というくらい楽しめてます。
今は基本、毎週土曜日の夜の介護に入ってるので、一週間大学頑張って、土曜日に会いに行くという感じです。
西尾)そんな風に思えるのは、すごいですねぇ。では、介護に入る前と実際に入った後で、自身、変わったなぁと思う事はありますか?
藤本)少しでも、人間として良くなろうと思うようになったと思います。小さな事に気付けたり、寛子さんに負担にならないようにしようと考えるようになったと思います。
西尾)では、介護中の失敗談ってありますか?
藤本)ありました!コーヒー事件、言ってもいいですか??(と後藤さんに確認)
後藤)いいよ(笑)
藤本)介護一通り終わって、最後にコーヒー入れてと言われて作って、すごい熱いコーヒーだったから、ストローで飲むし、本当に熱いですよと何度も言って、それでも寛子さんが「飲む」と。で、ストロー差し出したら、やっぱり熱すぎてびっくりして寛子さんの手がはねてマグカップが飛び、私が慌てて掴んだんですけど、布団と服もコーヒーまみれ。熱かったと思うし、怒るかなと思ったけど、寛子さん、大爆笑で。私もそれ見て、漫画みたいで、2人で笑い転げて。ぬれた所、ウェッティーで必死で拭いて、翌日のヘルパーさんに、洗濯お願いしますと引継ぎノートに申し送りして。
西尾)まだ慣れない間はそういうハプニングは焦るよね。でも、結果、爆笑で終わって良かったね。ケガもなくて。
後藤)まぁ、私が悪いからな(笑)
西尾)では、介護中に怒られたことはありますか?
藤本)怒りましたっけ??(と後藤さんに問う)。多分あるんですけど、ちょっと怒ってるかな?イライラしてるかな?と思う事はあるけど、私が明るく色んな話をしてたら、寛子さんもいつの間にかその話に乗ってくれていて。
西尾)実際のところ、どうなんですか?
後藤)本当に怒った事はないな。
藤本)やった~~!!(と喜ぶ)
西尾)では、今後の抱負を教えて下さい。
藤本)もっと信頼関係を築くことですね。何が起きても慌てずに対処できる人になりたいです。
西尾)なるほど。頼もしい(笑)。では、これから介護に入ろうかな、どうしようかな、と思っている学生さんがいたら、どんな言葉をかけますか?
藤本)迷ってる人がいたら、すぐにでも、体験していただきたいですね。自分もそうだったんですけど、Yさんから紹介されなかったら縁のない世界だったけど、紹介してもらって、寛子さんとの関係作りができたり、日常生活で普通では学べない事を身につけられたりできて、良かったと思います。
西尾)具体的にはどういうこと?
藤本)一番は、寛子さんの気持ちを汲み取れるコミュニケーション能力を培う、そのきっかけになると思うんです。コミュニケーションの力はどこの世界でも必要だと思うので。
西尾)寛子さんは、藤本さんの事をどう思いますか?
後藤)明るい子で、素直やから、しゃべりやすいな。
西尾)いいことですねぇ。逆に、ここは直してほしいというところはないです
か?なんか、「新婚さんいらっしゃい」みたいな質問になってますが(笑
後藤)気を遣いすぎなんちゃうかなぁ、と思う。そこまで気遣ってくれなくていいよ。
藤本)それ、友達にもめちゃくちゃ言われるんです。よく分かってくれてて、びっくり、嬉しいです。
後藤)とりあえずは、介護を長く続けてほしいなぁ。藤本さんは結構喋ってくれるから、私としては楽、というのもあるね。
西尾)もう、しゃべりすぎてうるさいわ、と思う事はないですか?
?(笑)
後藤)あるのはあるけどな・・・(笑)
藤本)もう、それなら言って下さいよ~~(笑)
後藤)まあええかと・・・(笑)
インタビュー中、笑える場面もいっぱいで、とても和やかな雰囲気でした。
前向きに介護に取り組んでくれているので、とても頼もしく感じました。改めて、介護に入って、当事者と関係を築いていこうという人が増えていってくれたらありがたいですね。
2022/05/23
6/25(土)、6/26(日)、7/2(土)に6月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名(ふりがな)
2.性別
3.生年月日
4.郵便番号
5.住所
6.電話番号(あればメールアドレスも)
7.勤務先もしくは学校
8.受講の動機
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
募集期間は5/30(月)~6/17(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2022/04/12
5/21(土)、5/22(日)、5/28(土)に5月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上で以下を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
1.氏名(ふりがな)
2.性別
3.生年月日
4.郵便番号
5.住所
6.電話番号(あればメールアドレスも)
7.勤務先もしくは学校
8.受講の動機
E-mail:chubu@npochubu.com
住 所:〒546-0031 大阪市東住吉区田辺5-5-20
募集期間は4/18(月)~5/13(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2022/03/18
2022/02/04
大阪市西淀川区の民家で昨年4月、50歳代の兄弟2人が遺体で見つかる事件があった。弟(当時56歳)には重度の知的障害があり、兄(同57歳)が一人で介護をしていた。大阪府警西淀川署は1月14日、介護疲れから無理心中を図ったとして、兄を容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検したと、新聞記事が出ていた。
知的障害の弟を支えた末に「弟の命をたちました、これから後をおいます」…自殺した兄を書類送検 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/national/20220124-OYT1T50101/
「「兄が疲れている」。見かねた弟の主治医が相談支援センターに連絡し、入浴介助の話が進み出したのは昨年4月20日が初めてだった。事件が起きたのは兄からのSOSで本格的な支援が始まる矢先だった。」
この事件を知った時、全く他人ごととは思えなかった。一つは、重度障害の弟をもつ姉として、もう一つは私も相談支援センターで相談員として働いている者として、どちらの側からも他人事とは思えなかったのだ。
親による障害児殺しや無理心中が社会問題となり、事件のたびに起こる減刑嘆願運動に対して「障害者だからといって殺されていいわけじゃない」と青い芝の会が抗議行動を起こしたのは50年以上も前の話。その頃は今のように地域での障害者福祉サービスが全くないに等しく、外に出かけることもほとんどなく、親や家族が介護するか、できなくなれば入所施設へ入るしかない時代だった。それから50年もたって、サービスは比べ物にならないほど増えた。バリアフリーも進み、ヘルパーと一緒に地下鉄やバスに乗って外出できるようになった。家の中での入浴や着替えや洗面や食事や、重度の人には見守りも可能な制度ができた。グループホームも十分とは言えないが制度化され、大阪市内ではたくさん作られるようになった。重度の障害者が大学に通い勉強するための制度までできた。昔はレストランでも入店拒否されたが、差別解消法もできた。24時間介護が必要な私の弟も、やっと月に600時間の介護が認められるようになった。これまではボランティア的な要素がぬぐい切れず、足りない時間は法人持ち出しでやってきたのだった。全国の障害当事者はじめ関わる人たちによる、親のお荷物になりたくないという必死の運動によって、本人だけの所得による自己負担が設けられ、さらに上限が設けられ、年金だけの障害者は実質無料でサービスを利用できるようになったのだ。
50年である。その50年の間に、あれもこれもどれもそれも、たくさんのことが変わったというのにである。もちろん地域移行はまだまだ進んでないし、本当に必要な時間がすべて認められているわけではないが、少なくとも未来への希望が持てるようになってきたというのにである。
それなのに、相も変わらず、親による無理心中が後を絶たない。そして兄弟による無理心中が1年前に、しかも制度が充実している(と思っている)大阪市内でおこった。年齢も私と近い。散歩くらいしか外に出ず、仕事もやめ、弟の介護は自分の役目だと信じ、ひたすら弟の介護だけする、そこには何の希望も未来も見えないのは当然である。兄にとっても弟にとっても不幸としか言いようがない。以前の私は、兄弟もともに自立にむけて行動してほしいと思っていた。でも今は違う。自分の人生を一番に考えてと言いたい。そうすれば、こんな悲劇は生まれない。周りが今はほっとかない。必ず何とかしてくれる。何とかできないのは、家族が一人で背負い込もうとするからである。「施設に入れないで世話をしてほしい」と頼まれてずっと守ってきたとは、本当に従順な真面目で優しい人間だったんだと思う。そんな人に、どうやったら届くのだろうか。今はそんな時代ではないよと。私もあなたも兄弟も幸せになれるし、なっていいんだよと。そのためには、他人に頼って任せてもいいんだよと。それは家族を捨てることには決してならないよと。悔しくて悔しくてたまらない。
確かに重度の知的障害者の支援は難しいかもしれない。サービスを使ってみたものの、本人が嫌がって、ストレスでしんどくなって家で暴れたり寝れなくなったりしたかもしれない。それで母親はあきらめたのかもしれない。見に行った施設を見て可哀そうだと思ったかもしれない。だから人に預けたりほかの場所は無理だと思ったのかもしれない。いろいろ想像はできる。けれど、いずれ親は年を取るし、できるだけ本人が若いうちに、家族以外の人や場所に慣れていかないとますます本人にとってもしんどくなるだろう。今は強度行動障害と言われている重度の知的障害者の支援も少しずつ進んできている。
先日見学に行ったショートステイ専門のホームは、マンションの部屋を全部リフォームして家具も含めてとてもかわいくしていた。「障害児が親の都合で仕方なく預けられたではなく、ここに来たいと思ってくれるような場所にしたい。親離れ子離れは早ければ早いほどよいから、定期的にショートステイを利用して、グループホームで生活できるようにするのがねらいだ。最初は本人も不安で眠れず、ずっと手を握っていた子もいる。」と説明を受けた。こういうショートステイがもっともっと増えてほしいと思った。
一方で、同じように福祉サービスや支援を受けずにいて、受けられるサービスすら拒否し、このままではいつか破綻するのではないかと心配な家族がいるのも事実である。殺人や心中が起こるのではないか、と思う家族もいる。いつもはらはらする。だから、相談員は、きっとあと1日早かったらと自分を責めているかもしれない。私も気になって眠れない夜もあった。強く勧めたほうが良いのか、いや強引だと拒絶されるから、信頼関係を作ってなんでも言ってもらえるようにしてからのほうがいいかなど、いつも悩みながら、そして自分の言動があれでよかったのかどうか悩みながらやっている。もちろん、一人でなく、組織でチームで相談しあいながらだが。拒否されたらどうすることもできずに、みんなで見守っているだけの家族もいる。けれどもどんなに拒否されても、決してあきらめず、関われる方法を探り続ける。きっと区の相談支援センターの職員もそのようにしていたと思う。それでもなかなか良い方向に行かないこともある。
こんなにサービスが増え、相談できる人も増え、未来に絶望しなくてもよいはずなのに、いつまでたっても疲れて将来を悲観しての無理心中があとをたたないのはなぜなのか。それは、他人に迷惑をかけてはいけない、家族の事は家族で解決しないといけないと思う気持ちが強すぎるからなのか?そういう教育や教えを受けてきたからなのか?長年の間にあきらめてしまって考えられなくなったのかもしれない。ほかの生き方を提示されても、本人が嫌がるからどうにもならないと思ったのか?いや疲れ果て、考える気力もなくうつ状態になっていたのだと思う。ならば、このような悲劇をなくすために、私はこれから何をすべきなのだろうか。
(自立生活センター・ナビ 西川 淳子)
2022/01/31
みなさん、こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。1月18日(火)東住吉区地域自立支援協議会全体会を東住吉区民ホールでzoomやYouTubeを活用しながら行ないました。「私と障害者スポーツ」をテーマに、女子車いすバスケットボール選手の網本麻里さんに講演していただきました。網本さんは大阪市東住吉区出身。障害は先天性内反足。歩くことは出来るが走ったり長距離を歩くことが困難な障害。バスケットボールは小学校の頃からやりはじめて、中学生の時に病院の先生から「バスケットボールは、もう辞めた方がいい。」と言われた。実際に、走ったりしただけで捻挫して、歩くのもしんどかった。でも「バスケットボールが好きだった。」「自分の好きなことをやりたい。」という気持ちは変わらなかったとのこと。車いすバスケットボールをやるきっかけは、高校生の時、長居障がい者スポーツセンターに行った時に車いすバスケットボールを知り、オーストラリア(19歳以下なら誰でも参加できる)へ、車いすバスケボールキャンプに参加したことをきっかけに、本格的に車いすバスケットボールを意識するようになり、今では、関西の車いすバスケットボール2チームに所属されており、日本代表に選ばれ、パラリンピックや数々の世界大会に出場されています。大阪では国際親善女子車いすバスケットボール大会が知られていると思います。網本さんは、車いすバスケットボールだけではなく、国土交通省が進めるバリアフリーナビプロジェクト(ICTを活用した歩行者移動支援サービスの普及に向けた取り組み)アンバサダーもされています。「車いすでは、少しの段差でも転倒する恐れがある。」と歩道と車道の段差についても話してくれました。ちゅうぶで段差戦隊ジメンジャー(歩道と車道の取り組み)として活動しているので、網本さんが段差のことを話してくれた時は、一気に距離が縮まったように感じました。
パラリンピックは、オリンピックと比べて注目度や認知度が低いと思います。そんな中、昨年は、東京パラリンピックが開催され、陸上、水泳、ボッチャなどメダルを獲得した競技も多かったです。今年は、3月には冬季パラリンピック(2月には、冬季オリンピック)が中国・北京で開催されます。競技のルールを知らなくても、選手の着ているユニフォーム、競技でそれぞれ違った車いすや専用の用具などに注目しながら観るのも面白いかもしれません。
【東住吉区地域自立支援協議会とは】みんなで、障害者の地域生活を住みやすいものにしていこう、良くしていこう、という団体です。東住吉区の地域自立支援協議会は、相談支援部会、子ども部会、日中活動連絡会、居住型事業所連絡会、当事者部会の5つの部会を行っています。
2022/01/21
こんにちは。自立生活センター・ナビの中尾です。車いす生活を経験したおかげで、空港での自動運転車いすとか、電動車いすのシェアリングといった情報に敏感になりました。
以前の記事 その1 https://npochubu.com/lifewithwheelchair
その2 https://npochubu.com/lifewithwheelchair2
その3 https://npochubu.com/lifewithwheelchair3
<23日目:イベントに行ってみよう>
インテックス大阪でのライブイベントの日が近づいてきた。ずいぶん前からこの日は有給を取っていて、行くのを楽しみにしていた。しかしまさか自分が車いすに乗っているとは!
もしも“ちゅうぶ”を知らなかったら不運な自分を嘆いて行くのを止めただろうけど、イベントに行く車いすユーザーなんて、たくさん見ている。これは行くしかない。
しかし事前予告なしに会場に乗り込む勇気はないので、TELでイベント会社に問合せしてみる。購入していたチケットの指定位置では見られないが、車いす用のスペースは当然ありますよ的な回答をもらい、少しほっとする。その後は車いすの種類(簡易電動)や、名前と連絡先を聞かれ、全スタッフに周知しておくので当日ご案内しますから声をかけてくださいと言われた。遠出するのは初めてだけど、たどりつければ、なんとかなりそうな予感。
<27日目:イベント当日>
いざ、インテックス大阪へ。元々私は迷子になるタイプだけど、いつもより視線が低いので余計にわからなくなる。会場に到着すると「お話をお伺いします」と入口横に呼ばれて、名前やチケットの番号を確認されたり、会場までどうやって来たかを尋ねられた。地下鉄ですが。それを聞いてどうするの??
場内の移動にはスタッフ1名がついてくれて「もう会場に入りますか?」「物販見ますか?」「物販18時までですよ、行くなら早く行かないと」等と案内されながら、車いすスペースに到着。そこには70センチ程の高さでワンルームくらいの広さの台が用意されていた。私の他には、手動車いすの男性とその妻&娘さんの3名だけで、広々とそのスペースを使えたので、周囲を気にすることなくライブに没頭できた。
途中休憩の時に「お手洗いは大丈夫ですか」と配慮があり、せっかくなので行ってみることにする。車いすスペースから降りるスロープが急すぎて、ひっくり返りそうになるのをスタッフが支えてくれる。人をかきわけて最短通路&最短時間で車いすトイレまで案内してくれて、すぐに使えた。女性トイレには長い列ができていたので、ちょっとした優越感に浸る^^。その後もライブが終わって会場を出るまではスタッフに見守ってもらい、ヘルパーがいるってこういう感じかな等と思いながら、帰路についた。
(つづく)
2021/12/28
みなさん、こんにちは、自立生活センター・ナビの山下です。
長年、私たちとともにちゅうぶで活動してきた星野勝史さんがお亡くなりになりました。7月末に体調を崩し、入院され、一旦は持ち直されたもの8月4日に帰らぬ人となりました。亡くなる直前まで電動車いすで外出や近隣で外食されたりといつもとさほど変わらない様子だっただけに驚きが隠せませんでした。
新型コロナウイルの影響で、ご兄弟のみでの葬儀となり、ちゅうぶとしてきちんとお別れが出来ていなかったため12月18日に偲ぶ会を開催しました。
新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、ちゅうぶ4階で偲ぶ会を開催し、青おに、赤おにに中継、zoom配信も活用しながら行いました。
会場には、元ちゅうぶ職員や星野さんの介護に入っていた方など、懐かしい人が参加してくれました。
まず、星野さんの83年の人生をまとめた映像を見ながら、星野さんとともに活動してきたことを振り返りました。日頃、星野さんが敬語で話されることがないですが、バスの運転手さんには敬語で話されていて新鮮でした。(笑)
【牧口さん・尾上さん対談】
NPO法人ちゅうぶ石田の司会で、おおさか行動する障害者応援センタ―(以下応援センター)で星野さんと関わりの深かった牧口一二さん(認定NPO法人ゆめ風基金 代表理事)とNPO法人ちゅうぶ代表理事の尾上に星野さんの生活史と障害者運動を振り返るということで対談していただきました。
牧口さんは星野さんと年齢が1つ違いということもあり、戦争中の話や応援センターでのエピソードなどもお話してもらいました。
続いて、思い出トークということで、担当ケアマネージャー(メッセージ代読)、他団体の障害当事者の方、ちゅうぶで一緒に活動してきた障害者、職員、学生時代に介護に入っていた方、元ちゅうぶ職員の方からメッセージをいただきました。みなさんのお話を聞く中で私の知らなかった星野さんの一面を垣間見ることができました。
最後に出席は叶いませんでしたが、お兄様よりメッセージをいただきましたので代読させていただきました。
今回、私は、偲ぶ会の実行委員をさせていただきました。新型コロナウイルス感染拡大が心配される中、いろんな方々に、ご参加いただきありがとうございました。星野さんとの思い出話は尽きず、会が終了しても楽しい話で盛り上がっている場面も見受けられました。これも、星野さんの人望の厚さですね。
星野さんに『お前ら、何しとるんや。しっかり頑張れよ!』と天国から言われているようです。コロナ禍で大変な時代ではありますが、しっかり地に足付けて活動していきます。
2021/12/27
2021/11/29
こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。11月8日(月)OsakaMetro職員研修に参加してきました。場所は、OsakaMetro堺筋線天下茶屋駅です。
・障害者当事者5名(手動車いすユーザー3名、視覚障害者2名)
・OsakaMetroの職員は1年目~3年目の職員24名
●4グループに分かれて、エスカレーター介助、階段介助、電車渡し板無し乗降介助、視覚障害者声かけ研修。
●OsakaMetro職員の感想
日頃は、丁寧な言葉で対応しないといけないが、特に視覚障害者がホームに落ちそうになったり、電車に挟まれそうな時は『止まれ!』など、大きな声で、敬語じゅなくていいんだということが、わかった。
車いすの階段介助やエスカレーター介助をすることは少ないが、災害時などの時のために研修が出来て良かった。
●参加した障害当事者の感想
・はじめにグループのOsakaMetro職員のリーダーさんから車いすのどこの部分を持てば良いですかと聞かれましたが、うまく伝えられずグループのリーダーさんの指示でぎこちなくスタートしてしまった。もっと持ち方とかを前もって持ち方とかを予習必要があるなと感じました。2グループ目からは、説明のやり方をつかめてきてうまく伝えられることができたかなと思います。課題としては自分自身も担がれる経験が少ないので伝え方が難しいと感じました。ほかに感じたのは、やっぱり声かけが少ないと感じました。担がれるバランスも大切だと思います。一番最後のグループのリーダーが一番教え方も担ぎ方のバランスも1番良かったかなと思います。来年も参加することがあったら、研修に参加するメンバーで教える時のポイントなどを共有できたらと思います。やっぱりこのエレベーターが増えていく中で、階段を担がれるのは少し怖いけど、担ぎ方の技を伝えていくことはいいことやと思うので、参加できて良かったです。
・駅にエレベーターやホーム柵が設置されてきて、バリアフリーはだいぶ進んできましたが、ハード面だけ良くしてもダメだと思います。やっぱり、日頃から駅員さんとのやりとり(ソフト面)も大事で災害の時には、エレベーターやエスカレーターが止まってしまうので、その時の為にもコミュニケーションは大事です。この研修で、完璧に出来るようになるのは、無理なので、車いすの持ち方や、声かけなど、自分だけでなんとかしようとしない、周りの人に協力を求めるということを最低限、覚えておいてほしいです。
・駅員さんも若い人がどんどん入ってきてくると思う。そういう人たちにに引継ぎができるようになってほしい。もっと研修があったらいいなと思った。メトロの人の役に立つんやったら、また参加したい。
・職員研修をしている鉄道会社は、まだまだ少ないと思います。そんな中、こうした研修を行なってくれることは、とても嬉しいです。毎年、開催している研修ですが、これからも継続してほしいです。
2021/11/18
みなさん、こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。
大阪府泉大津市にあるNPO法人自立生活センター・リアライズが運営する生活介護パイオニアの自立生活プログラム(ILP)に今年7月から小坪・山下で協力させていただいています。
パイオニアの当事者は、親元で暮らしている方、自立生活をされている方がいます。みなさんヘルパーを利用していますが、ヘルパーさんとの関係に悩んでいる方もおられるようです。そこで、今回のILPのテーマを
「自分の気持ちと向き合おう」にしました。
障害者の生活には欠かせない「介護」。普段から思っていること・悩んでいることをお互いに出し合いどうすればいいかを一緒に考えていこうというテーマでプログラムを進めていきます。(全4回)
1回目(7月27日)はお互いのことを知ろうということで、小坪、山下の生活史を発表したり、『ヘルパーを使っていて良かったこと』『悩むこと』などを話し合いました。
順調に2回目を迎えるはずが、コロナの緊急事態宣言で3ヶ月延期になり10月26日(火)に行ないました。
内容は、自立生活をされている自立生活夢宙センターの3名と当法人の生活介護 障害者活動センター青おにの1名の方に取材にご協力いただき「自立したきっかけ」「介護の時に工夫していること」「介護者に求めること」「後輩へのエール」などをお聞きしました。
●参加者の感想
・介助者と付き合い続けていく
・怒らない心の広さは大切
・自分も言葉が伝わりにくいので、いつも伝え方をひとりずつ、変えたりしながらしてる。
・いっぱい、介助者とぶつかりながらやっています。
・性格とかあると思うけど、コミュニケーションを頑張っていきたい。
今回のILPで、僕はサブリーダーをしています。僕自身、他団体のILPに協力するのは、初めての経験なので、準備や進行に不安もありながらですが、これからも、参加者のみなさんの雰囲気にも助けてもらいながら進めさせてもらっています。ILPが終わった時に『この企画をして良かった。』『元気になれた。』と参加者のみなさんに思ってもらえるように、残りのILPも、しっかりと取り組んでいきたいと思います。
『自立生活プログラム(ILP)とは』
多くの障害者は障害があるというだけで、ひとりで買物に行ったり、友達と遊びに行ったり、仕事をするなどのごく当たり前のこと を経験する機会すら失ってきています。障害があることで、制限された生活によって奪われてきた、外出・料理・遊び・金銭 管理など様々な経験を自立生活をしている障害者がリーダーとなり楽しみながら取り戻していくプログラムです。
2021/11/15
10月28日(木)東住吉区地域自立支援協議会当事者部会学習会を行ないました。
大阪府泉大津市で活動しているNPO法人自立生活センター・リアライズの障害当事者の岡田憲幸さんを講師にお招きして、住みやすい地域づくりを進めるための取り組みというテーマでお話いただきました。お店に『お手伝いします。』というステッカーを貼ってもらう活動や、募金活動をして集まったお金でスロープを購入し、お店に寄贈するという泉大津TRYの取り組みの紹介をしてもらいました。岡田さんの話の中で『スロープを寄贈することをきっかけに地域と繋がっていくことが大切』という話が印象的で、実際に当事者がお店を利用し続けることが大切だと感じました。岡田さんの講演のあとは、ちゅうぶで歩道の段差(縁石問題)について『おしえ太郎』を活用しながら取り組んでいることを話しました。参加者から『おしえ太郎』のことを初めて知った。普段通っている道に段差があることに気づいた。など感想をいただきました。
学習会の後半では、グループに別れて『東住吉区をより良い街にしていくために』というテーマでグループワークをしました。防災のことや避難所のこと、自分達が実際に街に出てアピールすることの大切さを共有して当事者部会が終了しました。当事者同士が話し合う機会や、自分達が活動していることを発信していくことは、やっぱり大切ですね。
『おしえ太郎について』
大阪市のホームページに『おしえ太郎』という投稿ページがあります。『おしえ太郎』と検索してください。どんなことが投稿できるかというと歩道の破損・段差解消要望、公園のベンチの破損、照明灯の不良などがあれば投稿することができます。
ちゅうぶでは、今まで10カ所ほど歩道の段差や点字ブロックの破損について投稿をしましたが、約半数の場所で改善してもらえました。改善されたかどうかは、大阪市から報告はないので、投稿後1か月後ぐらいに改善されているか実際に見に行く必要があります。
おしえ太郎投稿サイト https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000483050
2021/11/05
~大阪市建設局平野工営所との話し合い~
みなさんこんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。だいぶ寒くなってきましたが、体調いかがでしょうか。秋の季節は短い感じですね。
さて、今回は、歩道の縁石問題についてです。
毎年、大阪市建設局平野工営所の人との話し合いをさせていただいていますが、平野工営所の担当者が変わったということで、改めて話し合いの場を設定していただきました。NPOちゅうぶからは、段差戦隊ジメンジャーのメンバーが参加しました。
以前、NPOちゅうぶのフェイスブックにも書かせていただきましたが「おしえ太郎」のことについてもお話ししました。平野工営所の人も「舗装出来る所は順番にやっていきたい!」と前向きな返事をしていただきました。
「おしえ太郎」に投稿する以外に毎年、改善してほしい歩道を要望していますが、昨年度~今年10月までで要望した場所4カ所すべて舗装してくれました。ありがとうございます。今年度も4カ所要望しました。話し合いの後、平野工営所の方に実際に車いすに乗って段差を体験してもらいました。「日頃、何気なく通ってる段差が、車いすの方にとっては、身体に衝撃がある。ということを実感できた。」という感想を話してくれました。
今回、平野工営所の人と話をして、やっぱり、当事者が何に困っているかを伝えることや実際に体験してもらうことが大切だと改めて感じました。有意義な時間でした。
これからも、誰もが安心して通行できる歩道を目指して活動してきたいと思います。
2021/11/01
こんにちは!すてっぷの阪口です!
初めてホームページに登場して参りました!とても緊張しながらこの記事を書いております。笑
緊急事態宣言、解除されましたね!
ですが、まだまだ油断はできません。このままコロナが段々と落ち着いて、ほんの少しずつでも、今までの生活に戻ることができるよう願っています。
実は、すてっぷの大先輩である吉本さんと大ベテランヘルパー杉本さんが11月で退職されます。
吉本さんは、2010年に入社され11年半もの間、グループホームやすてっぷでの障害者の生活支援、入退去を担当されました。
ちゅうぶ通信への連載記事は毎回外部からも好評価でした。
杉本さんは、2004年から17年もの間、ヘルパーとして障害者の生活を支えてこられました。介護研修などでたくさんの職員や学生を育ててくれた、大ベテランヘルパーさんです。
リオのご飯も毎回、入居者やヘルパーさんに人気でした。
すてっぷでは10月のヘルパーミーティングの後、すてっぷ職員、ヘルパーさんとささやかな送別会を行いました!
感染対策をし、食事をしながらそれぞれ思い出を振り返りました。
ヘルパーさんからは、面白いエピソード盛りだくさんでした。
私はちゅうぶに来て2年目。私の知らないすてっぷのことや吉本さんと杉本さんの一面を覗くことができ、嬉しい気持ちになりました。
個人的な話にはなりますが、吉本さんは、私がすてっぷに配属されてがむしゃらに頑張っていた時に、いつも優しく声をかけてくれました。
「ぼちぼちやったらいいよ」
いつも最後にこの言葉をかけてくれる吉本さん。私は、「あ、頑張りすぎなくていいんや」と気持ちが軽くなり、前向きな気持ちで頑張れました。
杉本さんは、私がすてっぷに来て最初の介護研修を担当してくれました。緊張している私に、優しく丁寧に教えてくださり、小さなことでも褒めてくださり、「もう1人で大丈夫やね」と言ってくれました。
最初の研修が杉本さんだったから、私はここまで頑張ってこれたと思っています。
すてっぷの事務所のデスクで、メロンソーダを飲みながら座っている、吉本さんの独特な雰囲気と人柄にたくさん救われました。
しっかりと芯があり、障害者、ヘルパー、スタッフ、社会問題に熱い思いを持って関わっていたのが吉本さんでした。
杉本さんはお母さんのような存在で、みんなを包み込んで支えてくださり、元気な笑顔にこちらが元気をもらっていました。
障害者と真っ直ぐ向き合い、障害者にもスタッフにも元気を与え、周りを明るくしてくれたのが杉本さんでした。
そんな吉本さんと杉本さんがちゅうぶから離れることはすごく寂しいですが、これからもちゅうぶに何らかの形で関わってほしいなと思います。
吉本さん、杉本さん、今までお疲れさまでした!ありがとうございました!!
2021/10/08
こんにちは、自立生活センター・ナビの山下です。NPOちゅうぶでは、聴覚に障害のあるスタッフも活動しています。タブレット端末遠隔手話通訳の事業が大阪市内の各区役所で始まっていることを知り、聴覚障害当事者スタッフと東住吉区役所へ行き、この事業について聞いてきました。
大阪市では「大阪市こころを結ぶ手話言語条例」に基づく「大阪市手話に関する施策の推進方針」が策定されたことをふまえて、ICTを活用した環境整備の一つとして、タブレット端末による遠隔手話通訳の利用を進めています。
大阪市ホームページ参照↓↓↓↓
(タブレット端末を利用した遠隔手話通訳等について)
(大阪市こころを結ぶ手話言語条例)
●「待ち時間」 事前の区役所への電話問い合わせでは待ち時間は5分ほどとの事でしたがタブレット端末、通信環境の不具合や職員が慣れていないこともあり、利用までに20分間も待つ事になりました。タブレット端末利用者は少なく区役所の職員も慣れていないのだと感じました。
●「市民への事業の周知」 この事業のポスターを障害福祉課の窓口に貼っていましたが、とても小さかったです。全体的に窓口に貼られているわけではなく、障害福祉課の窓口にのみ貼られているので知らない人も多く、浸透していないのが現状だと思います。ちなみにタブレットは障害福祉課だけではなく、他のすべての課でも使えるそうです。
●大阪市福祉局障がい者施策部障がい福祉課推進グループに問い合わせたこと
・どれぐらいの人が利用していますか?→年間20~30件ぐらいです。
・手話通訳の人は、何人で対応していますか?→24区を1人(大阪市身体障害者団体協議会)で対応しています。利用件数は年間30件ぐらいなので利用が重なることはないと思います。タブレットの数は各区に1つはあります。複数ある区役所もあるかもしれませんが、把握していません。
・この事業は、広まっていますか?→2017年にスタートして24区にタブレットは設置済みです。
・この事業の浸透度→ホームページや障害福祉課の窓口に掲示して啓発しています。
●実際に利用した聴覚障害当事者スタッフの感想
3年前に東京から東住吉区に転居しました。手続きの際にコミュニケーションに困る場面もあり、非常にやりとりしにくい状況でした。この手話通訳タブレットの存在を知っていれば、手話通訳タブレットを利用したと思います。
ポスターが障害福祉課だけでは気づけません。聴覚障害者は区役所の福祉の窓口に行く機会が少ないです。タブレットの存在は区役所の入口に貼っておいてほしいです。大阪市こころを結ぶ手話言語条例では、「手話を必要とするすべての人が、日常生活及び社会生活において、手話を通じて容易に必要な情報を取得し、十分なコミュニケーションを図ることのできる社会を実現するためには、市民一人ひとりが、手話がかけがえのない言語であることについて理解を深めるとともに、手話を普及し手話を使用できる環境を整備していくことが重要である。」と書かれています。この条例に見合う対応を大阪市に求めていきたいと考えています。せっかく、良い制度があっても利用者が少なかったら制度自体なくなってしまうかもしれません。これからも、どんどん利用していきたいと思います。
2021/10/01
11/20(土)、11/21(日)、11/27(土)に11月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・電話番号(あればメールアドレスも)・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
応募先Email:chubu@npochubu.com
募集期間は10/18(月)~11/12(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2021/09/30
ちゅうぶでは、多くの重度障害者が地域で自立生活を送っていますが、たくさんの大学生の皆さんが介護に入り、自立生活を支えてくれています。
今回は、最近介護に入り始めた伊藤志歩さんにインタビュー、ということで、9月中旬、介護中の後藤寛子さんのお宅にお邪魔しました!
西尾)ではまず、自己紹介をお願いします。伊藤さんは、今年7月から介護研修 を始めて、8月から一人で後藤さんの夜の介護に入ってくれてますね。
伊藤)はい。伊藤志歩です。大阪教育大学の教育協働学科、グローバル教育先攻、英語コミュニケーションコース1回生です。
西尾)長くて難しいね・・・。将来は何になるの?
伊藤)高校の英語の先生になります。
西尾)後藤さんの介護に入るまで、障害のある人と関わった事はありますか?
伊藤)こんなに身近に接したのは初めてです。学校で交流の取り組みで関わるくらいだったので。
西尾)ちゅうぶで介護に入るきっかけは?
伊藤)もともと興味はあったんです。ちょうど、後藤さん宅でもたまたま優性思想の資料見たんですけど、高校の時、授業でナチスドイツの思想とかに衝撃を受けて(ホロコースト、ユダヤ人虐殺の前にも障害者がたくさん殺された事・・・)、社会の在り方とか考えるきっかけになって。大学に入って共生社会論の授業を取ったんですが、その教授に話したら、ちゅうぶを教えてくれました。その先生も学生時代にヘルパーをやってたそうで、障害者と関わってどうだったとか、気付きとか話してくれて。
後藤・西尾)真面目じゃん(笑)。良い出会いやったね。
西尾)実際介護やってみて、どうですか?
伊藤)楽しいです。毎日、良い雰囲気で話が出来て、ありがたいです。
西尾)介護やる前と実際介護やるようになってからと、どう変わった?
伊藤)会う前に、言語障害のある人の介護に入ってもらうと職員さんから聞いて、その時は、自分にできるか、コミュニケーションが取れるか不安だったけど、入ってみたら、察する事ができるし、努力したら言いたい事は分かるものだなぁと思いました。思ったよりしっかりコミュニケーション取れるのが嬉しいし、そこがギャップですね。
西尾)回数重ねると、想像できる事が増えるよね。逆にとまどいはない?
伊藤)そうですねぇ・・・あっ、ご飯食べる一口の加減が分からない(笑)。こぼしてしまったら、多かった、ゴメンナサイと。自分なら3口でいくけどなぁとか。
後藤)私も口、大きいで(笑)
西尾)この前、伊藤さんは後藤さんの介護は「癒し」ですと言ってたけど、どういうこと?
伊藤)他のアルバイトは高圧的な人が多くて・・・。後藤さんの介護はそんなことないし、流れがゆっくりで、昔の思い出のアルバム見せてくれたりしてフレンドリーで、ありがたいです。
西尾)「癒し」と言われてますが、後藤さんはどうですか?
後藤)私は癒してるつもりはないけどなぁ(笑)
西尾)癒すつもりなくて癒せてるっていうのは、いいですねぇ。
伊藤)最近は文字盤も使ったりしてコミュニケーションしてます。この前、「アスパラ」が聞き取れなくて。アスパラが食べたかったんだと。
西尾)介護で後藤さんに怒られた事はない?
伊藤)怒られたことは・・・ないですねぇ。
西尾)後藤さんは伊藤さんの事、どう思いますか?
後藤)初めからわりとしっかり聞き取ってくれるし、仕事が早い(てきぱきしてる)。で、明るくて面白い。
伊藤)あっ、抱える時、思わず「よっこらせ」と言ってしまい、後藤さんに笑われてます(笑)
西尾)お褒めの言葉をたくさんもらったけど、後藤さんから伊藤さんに注文はないですか?
伊藤)こわいよー(笑)
後藤)まあ、注文というか、これからも色々出てくるかなと思うけど、話が通じる(コミュニケーションが取れてる)から、なんとかなると思います。末永くよろしく!
西尾)では、伊藤さん。最後に、今、介護やってみようかどうしようかと迷っている学生さんがいたら、どう声かけますか?
伊藤)介護、めちゃめちゃお勧めです。迷ったら、やってみた方がいい。やって良かったと思います。
後藤)無理やり言わせてない(笑)?
西尾)いやいや、心からの声よねー?
伊藤)はい!
夜の介護中、最後のリラックスタイムにお邪魔したのですが、力まず、楽しく、良い雰囲気で介護してくれている様子が伺えました。
こんな風に関わってくれる学生さんが増えてくれたらありがたいですね。
2021/09/29
「史上最恐・最悪で悲劇的な人生」が待っていた
重度脳性麻痺の弟が、今年の5月に急病で入院した。本来ならば、重度訪問介護という制度を普段から使っていて、支援区分6のため、入院時もそのままヘルパーを使えるという素晴らしい制度があったはずだった。いや制度は確かにある。しかし、コロナ禍の真っ最中で、それは認められなかった。コロナのせいで、普通に保障された権利すら奪われてしまった。
「5月22日に、おなかが少しずつ痛くなり微熱もありました。5月23日も22日と同じような状況でした。5月24日の朝(7時~10時前)に検温すると、38~39℃ぐらいの高熱がありましたが、私は『コロナではない!』と職員に言い、病院に行くのを拒否しましたが、職員から『A病院に行ったほうがいい』と言われA病院の発熱外来に行きました。その時は、新型コロナウイルスのPCR検査をして、解熱剤だけもらい家に帰りました。しかし、夕方ごろから内臓がものすごく強烈に痛くなりました。職員があちこちの病院に電話し、やっと診てくれる病院が見つかり、職員とヘルパーと一緒に病院に行き、コロナの抗原検査をすると陰性でした。そのまま、血液検査・CT・レントゲンの検査をすると、『胆嚢炎の可能性が高い。』と医者に言われました。医者に『すぐに入院したほうが良い』と言われましたが、その日は部屋が空いていなかったので、A病院に紹介状を書いてもらい、そのまま家に帰りました。家に帰っても、未明に何回も吐きました。私の苦しい状態を見ていた職員に早朝5時前に『救急車で運ばれたほうがいい』と何回も言われて、早朝5時~6時前の間に私のお姉さんの旦那さんに電話して相談して、A病院に電話して行き、9時にPCR検査結果で陰性と分かり、もう一回検査をすると胆石が1つ見つかり、胆嚢炎・胆管炎と言われ、すぐに入院することになりました(12日間)。その日の午後には内視鏡(胃カメラ)で胆石などの手術をし、そのまま入院しましたがこれがすごく大変でした。』(本人の文章そのまま)
新型コロナウイルスの影響で、病院では、職員・ヘルパー・家族などの病院での面会やつきそいが一切できないと言われたのだ。最初の入院説明の段階では、同一人物が入れ替わりをしないならば、付き添いはOKと言われたのだが、いつ退院になるかもわからない状況で24時間何日も一人の職員がつくわけにもいかず、どうしたものかと相談しているうちに、病棟の看護師がやってきて、「付き添いは無理です」と言われ、すぐに手術の準備に連れていかれた。手術をする階にも上がらせてもらえず(普段は手術が終わるまで待たないといけないし、終わったら説明があるのだが)、その場で別れることになった。介護者が付き添えないなら大部屋の方がよいだろうと判断し、大部屋を希望した。
看護師に聴覚障害のことや言語障害のことを伝えて、50音の文字盤も渡したが、案の定言語障害が強いため全くと言っていいほど、コミュニケーションがとれなかったようだ。看護師は紙に書いてくれたが、本人の言葉が聞き取れなかったのだ。
「看護師さんに『足が痛い!』と言っても、まったく通じません。『体反対』とベッドでの寝返りを頼んだけど全く通じませんでした。夜中に大きな声で『足が痛い』と看護婦さんを私が呼ぶので、同じ病室の他の患者さんが『うるさい!!』と言われ、他の患者さんも寝られない状態でした。6日後にやっと点滴が抜かれたのですが、『のどが渇いた、水をください』と言っても全く通じなかった。しかも、食事が食べれるようになっても、おかずを小さく刻んでご飯と混ぜて、その上から薬を振りかけたので、嫌だと拒否した。子どもの時の施設と同じでした。
6月3日には、私は夕食が『いらない』と言い、看護師が、『食べなさい』と怒られ無理やり食べさせてきたので、私はスプーンを歯で噛み結局食べませんでした。このような軽い虐待を何回も受けました。これは、障害者の人権侵害です。」(本人の文章そのまま)
こちらから何度か主治医に状況を聞いた時に、「感情失禁がありました」「食べるのを拒否しているから早く退院させるようにします」と言われた。自分の言いたいことが通じなければ誰だって大声を出すだろうし、それを感情失禁と言われてしまうのは本人にとってとてもしんどいことだ。食事も普通の食事にしてほしいと頼み、食事だけはやっと改善されて食べるようにはなった。
6月5日10時に退院した。寝がえりの回数が少なかったのか、右の耳から首筋にかけて汗によるかぶれで真っ赤になっていた。聞こえないから、今日は何日なのか、何曜日なのかもわからない。テレビも新聞もない。普段は毎日、新聞やネットでニュースを見て情報を得ているのに。ほかの患者さんはテレビを見ていたが、自分でテレビを見ることもできないし、万一見せてもらっても聞こえないから、情報は入ってこない。
これまでの入院では、介護者や家族が交代で付き添い、コミュニケーション支援や情報保障や体位変換や、緊張で痛む腕や足をさすったり、水分補給や食事介助など行っていた。しかし今回は、全くコミュニケ―ションが取れず、自分では何もできない訴えることもできない状況にいきなりほりこまれたため、退院してからの弟の怒りはすさまじいものだった。持って行き場のない怒りの矛先を、必死で病院を探してくれた職員に対して『職員が坐骨神経痛のことをきちんと伝えなかったから悪い』『病院が悪い』と向けていた。実際にはちゃんと伝えて足が痛い時用の薬も預けていたのに、病院側で飲ませてもらえなかったのかもしれない。『行政に交渉で言いたい!』と言っていた。制度はあるけど使えないというコロナ禍の特殊性がある。別の病院で、ずっと同じ介護者が退院まで付くならOKと言われ、短期間だが家族がついていたケースもあった。
今回入院した病院では普段は介護者を付けての入院が可能だった。今回病院内でクラスターが何度も発生し、病棟ではかなりピリピリしていたようだ。別の病院も考えないわけではなかったが、遠くなって行きにくくなるし、なにより一刻を争った。難しい手術をすぐにしてくれて、それで助かって有難かった。しかし、施設を出てから初めて介護者なしでの入院(制度ができる以前は法人の持ち出しで介護者をつけていた)を体験した弟にとって、この12日間は、まさに地獄のような体験だったに違いない。裏を返せば、入院中も介護者をつけることができる重度訪問介護の制度がいかに貴重かを物語っている。また、コロナ禍で、一刻を争う病気になっても、PCR検査の結果が出なければ診察すらしてもらえない、しかも検査結果が出るまで1日かかるなど、病院によっては対応が違うため、あとで後悔しないためにも情報収集が大事だと感じた。医療関係者もぎりぎりのところでやっていてこれ以上クラスターは出したくないというのは当然なだけに、何とか方法はないものか。また万一入院になるようなことになれば、弟は間違いなく入院を拒否するのではないかと案じている。 ※「」内は本人が知人に宛てて書いた文章より抜粋。
2021/09/10
こんにちは。自立生活センター・ナビの中尾です。前回に引き続き、車いす生活中につけていたメモをちらっと公開してみます。「歩けなくても車いすがあるよ」というのは障害者や高齢者でないと、なかなか思いつけないところではありますが、もし自転車と同じような感覚で車いすを使うようになったなら、また社会の在り様も変わってくるのではないかなと思います。
<5日目:初の車いす>
ポツポツ小雨が降っている。カッパを着て松葉杖をつこうとするが2m程でギブアップ、全然前に進まないのでタクシーを呼ぶことにする。通勤にどれだけ時間がかかるか見当がつかず、その時は朝6時過ぎ、5分程度で来てくれた。タクシーの運転手さんは、以前介護タクシーを運転していた経験があるそうで、話を聞いてみる。簡易電動によっては、普通のタクシーには乗らないかもしれないこと、タクシー業界も高齢化しているので車いすが重かったら嫌がる運転手がいるかもしれない、等の情報を聞く。
昼過ぎ、ユーダさんより車いすが到着。すべてのオーダーを叶えてもらった。私専用の乗り物を手に入れてテンションが上がる。ナビの車いす先輩方々からは、電動の操作法や車いすのあるある話等、色々教えてもらう。
いよいよ車いすでの帰宅、屋外を走るのは初めて。いつもは気にも留めない駒九橋の急な坂が登れるのかが不安になり、見守ってもらって無事に通過する。初回のハードルを超えた。車が通ったり、自転車が近づいて来たりするたびにヒヤヒヤして何度も止まりながら田辺駅までたどり着く。無言で通っていた改札も、今日からは行き先を告げなければスロープを出してもらえない。いつもは谷町線から御堂筋線へは梅田で乗り換えていたが、人混みが怖くて天王寺乗換に変更する。
天王寺駅構内にもいくつか坂があり、そのたびに体が傾いてスリルを味わう。たまたま時間帯がよかったのか、恐れていた人混みは、それほどでもなかった。車いすの私を見れば、基本場所を空けようとしてくれる。気をつけないといけないのは、スマホに夢中で車いすに気づかない人。ちゃんと前を向いて歩いてください!危ないよ!
なんだかんだありながら地下鉄乗車という本日の最終最大のハードルを乗り越えた。安心するとまたちょっと冒険してみたくなり、バリアフリーなのを知っている近所のローソンに行って勝利のデザートを買った。長い1日が終わった。
(つづく)
2021/09/03
こんにちは。自立生活センター・ナビの中尾です。前回に引き続き、車いす生活中につけていたメモをちらっと公開してみます。「歩けなくても車いすがあるよ」というのは障害者や高齢者でないと、なかなか思いつけないところではありますが、もし自転車と同じような感覚で車いすを使うようになったなら、また社会の在り様も変わってくるのではないかなと思います。
<2日目:障害?受容>
目覚ましはかけず、ゆっくり起きる。左足がギプスで重くて、現実を思い出す。いろいろあり過ぎて気持ちがついていけないが、やるべきことはやらなくては。今後について、①長期休暇の取得→若干魅力的だが、有給には限りがあるし、復帰時の仕事量が恐ろしい。②ナビ近くのホテルもしくはウイークリーマンション滞在→便利なところにはなく、あまり現実的ではない。③Kさんの電動車いすを借りる→車いすが大きくて多分うちの玄関に入らない、外に置ける場所もないし充電ができない。等々、昨日一緒に考えてもらった色々な選択肢の中から、電動車いすをレンタルすることに決める。オーダーは、①簡易電動がいい(うちの玄関に入る)、②保険加入(電動操作に慣れてないので人混みが怖い。万が一のために)、③松葉杖が収納できること(いつ使うかわからないが念のため持っておきたい)、④次の出勤日にナビに届けてもらえたらありがたいこと。ユーダさんからは利き手を確認された。
(つづく)
2021/08/31
こんにちは。自立生活センター・ナビの中尾です。実は半年前に不慮の事故?により左足を骨折し、約2か月間の車いす生活を送りました。今は元気に歩いています。「歩けなくても車いすがあるよ」というのは障害者や高齢者でないと、なかなか思いつけないところではあります。もし自転車と同じような感覚で車いすを使うようになったなら、また社会の在り様も変わってくるのではないかなと思いました。車いす生活中につけていたメモをちらっと公開してみます。
<当日:障害?発生>
出勤後の9時過ぎに左足首をひねり、異変を感じる。その場には誰もいなかった。午前中は受付担当で、電話と来客対応のために12時まで待機しておかないといけなかったが、だんだん腫れてくる足に気持ちが耐えられなくなり、受付を放り出して通院した。
捻挫だろうと思って行った整形外科で、骨折を宣言され問答無用でギプスをはめられる。え、お風呂どうするの?そもそも私どうなるの?とプチパニックに陥り、帰りはタクシー呼びますか?という問いにさえ答えられない。ちょっと時間をもらって落ち着いて、自転車を漕いできた400m程の道のりを松葉杖とともにタクシーでナビに戻り、変わり果てた姿で大注目を浴びる。今後何度も当時の状況の説明をすることになるが、回数を重ねるごとに話術が磨かれるのか?笑いがとれるようになる(特に望んではいない)。
この日は最寄り駅まで松葉杖で試しに歩いてみるという余力もなく、タクシー配車アプリ「GO」を使って帰宅。めちゃくちゃ便利、すぐ来てくれる。タクシーの運転手さんがとても良い人で、私の今日がどれほど大変な1日だったかの話に共感してくれ、骨折体験談の情報提供もしてくれた。相談員に向いてると思った。ただ一つ悲しかったのは「ナビ-自宅間」の運賃を初めて知ったこと。タクシー通勤を6週間続けるのは絶対にムリだと悟る。
明日は雨予報が出ていたことと、なにより心が折れたことからお休みをもらった。
(つづく)
2021/08/13
昨年、法人の職員研修で、代表理事を務める尾上浩二さんの生活史を聞いた。私は、尾上さんとは学生時代からの関わりで、今取り組んでいる障害者の人たちの親元からの自立や一人暮らしを進めているが、「自立をどう考えたら良いか」質問した。自立が自分で自分の身の回りのことができるようになることではないことは、明白である。自分で働いて経済的に人に頼らないことではないことも、明白である。回りに決められるのではなく、自分で選択して、決めていくことも、明白である。じゃあ、それだけで良いのか?何か足りない、と感じてきた。そうそう、尾上さんも私たちも、社会的自立と言う言葉を使っていたなあと、思い出した。社会的自立とは、自分の力で自立することではなく、社会の制度や資源を使うことによって自立生活を送ると言う意味と、もうひとつ、社会から隔離されての生活ではなく、地域と言う社会の中で、そこで生活してる他者とつながって自立生活するような意味だったと思う。

自立そのものを目的にしてしまうと、自立したあと、最初は色々な事ができて初めての経験で面白いけど、慣れてくるとわくわく感も減り、介護者との関係のしんどさだけが見えてくるのは、時々聞く話。露骨な差別もかつてのようにあからさまではない。しかも生活とは、誰もそうだが、買い物して、ご飯作って食べて、顔洗って、洗濯して、掃除して、ゴミだして、銀行行って、風呂に入って…と、毎日同じ事の繰り返し。面倒くさい事が一杯。尾上さんや私の弟のように、施設での生活を強いられ、二度と戻りたくないと強い動機があればよいが、そうでもなければ、障害者運動の必要性を言われてもやらされてる感がぬぐえない。なんのために自立するのか、自立をどう考えたらよいのか。
尾上さんの答えはこうだった。日々の世界はルーティンで当たり前。変わったドラマは起きない。そういう意味でつまらない。その範囲で見てしまうとつまらない。目の前のことだけでなく、背景を知ることで別の風景が見えてくる。視野を広げる中で、自分の世界が広がる、と。
それを聞いて思い出したことがある。多様性をテーマにした、生物学者の福岡伸一さんとコラムニストのプレイディみかこさんの対談の中で、印象的なやりとりがあった。
「真の多様性とは、違う者の共存を受け入れるという、言わば利他的な概念である。本質的には、自己の利益や結果を求めるものではない。自ら学ぼうとしないと自分の利他性に気づけない。何も知らないままでは、他者の立場を考えられない。偏見や強者の支配にとらわれてしまう。学ぶのは「自由」になるため。「自由」になれば、人間は考えたくもない人の立場に立って考えることができると思う。山に登ると遠くまで見渡せるように、勉強すれば人の視野は広くなる。すると、お互いの自由も尊重し合う力を持てるようになる。」
また、「嫌われる勇気」で有名な心理学者のアドラーは、「われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それが愛なのです。」 と言っている。
「あなた」や愛は、1対1の恋愛や結婚相手に限らず、家族や職場や、仲間や地域にも広げて当てはめることができる。社会や他者への関心に心を配り、現実から目を背けずに向き合う勇気を持つことで、他者と共生する道を選ぶ。それが、最終的には自立した生き方につながるということ。
最初の話に戻ると、親元をでたり、一人暮らしをすることが自立ではなく、それを通じて、社会や他者(障害者仲間や介護者も含めて)に関心をもち、学んだり、他者と関わる事を通じて、視野を広げ、他者を愛し、私だけの事ではなく、私たちの幸せを考え、追及していく生き方が「自立した生き方」と言うことになるか。
また、視野を広げるという意味で、生物学者の福岡伸一さんとコラムニストのプレイディみかこさんの対談で、次のような話もある。
「ジャレドダイアモンド博士と話したときに、『どの民族にも、例えば「殺すな、盗むな、嘘をつくな」という戒めは共通してあるけれど、「他人に迷惑をかけるな」という戒めを重視する民族は日本人だけである』と言っていました。日本は、誰もが日本語がわかって当然という均質的な社会なので、言外の意味を忖度したり、空気を読むと言う同調圧力が生じてしまう。米国では、違う文化で生まれ育った人々がプアな英語で意思疎通しているため、言葉で表現したこと以外に気を回す余裕はないし、それを求められもしない。」
「自分と異なる他者のいる場に身を置くと、身体で理解することがある。逆に現実の姿を知らないと、『生活が厳しくなるのは移民のせいだ』と吹き込まれると、そう信じこんでしまう。無知が原因で恐怖心が沸き上がってくる。」
これは、単に勉強して頭だけ知識を詰め込んで大きくなるのではなく、実際に現実の世界で、自分と異なる他者と関わり、身体で理解することが大切だと言っている。移民だけでなく、日本で差別を受けている人たちや様々な障害のある人など、知らなければ簡単に偏見をもってしまう人たちと関わり、理解し、「わたしたちの幸せを考え、追及していくこと」の大切さが言われている。つまり、障害者と直接かかわることで偏見をなくし、共に生きる社会を追求していくことが、障害のないものにとっての「自立」とも言える。
つまり私たちは、自立運動と言うけど、それは、AさんBさんの施設や親からの自立を押し進める事だけではなく、AさんBさんが、次にたくさんの施設や親元にいる障害者や、地域で生きにくい思いをしている障害者に関心をもち、関わったり、学んだりすることによって、「私たちの自立を押し進めていこう」と追求し、地域の健常者や介護者と共に実践していくこと、それが自立運動ということか。
一方で、こんなおもしろい考え方を見つけた。
大学進学をきっかけに親元を離れて一人暮らしを始め、試行錯誤しながら自立生活を確立していき、医学部を卒業後、現在は東京大学先端科学技術研究センター准教授である熊谷晋一朗さんは、次のように言っている。
「『自立』とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。」「だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。障害者の多くは親か施設しか頼るものがなく、依存先が集中している状態です。だから、障害者の自立生活運動は「依存先を親や施設以外に広げる運動」だと言い換えることができると思います。今にして思えば、私の一人暮らし体験は、親からの自立ではなくて、親以外に依存先を開拓するためでした。」
熊谷さんの話を聞いて、緒方直人さんは、次のように書いている。
「障害者に限らず、どんな人でも生まれながら誰にも依存せずに生きていくことはできない。親だけに依存した状態から、徐々に社会の中に依存先を増やしていくこと、それこそが自立なのだ。また、生きていくうえでの依存先は何も親や友達といった人間関係だけの話とは限らない。『Aがなくても生きていける』というのは決して『何もなくてもひとりで生きていける』ということではなく、『いざとなればBにもCにもDにも・・・頼れるものがたくさんある』ということなのである。」「薬物に限らず多くの依存症と呼ばれる状況もまた、人間関係をはじめとして様々なほかの依存先が絶たれ、特定の何かにしか依存先がない状況によってもたらされてしまうのだ。そして、そこから抜け出せるかどうかは、それ以外の依存先をどれだけ持てるかにかかっているのであり、刑罰や社会的制裁によってさらに依存先を絶たせ、狭めることではないはずである。」「熊谷さんが『親を失えば生きていけない』という不安を感じたと述べているように、何か特定のものにだけ依存している状態は、それを失う不安や怖れと表裏一体である。その怖れに対してほかの依存先を増やすという発想の転換ができないと、いま依存しているものを失わないために、それ自体にさらに強く依存するという悪循環に陥ってしまうのだ。」「何かに依存してはいけない。自分の意志で行動し、その責任をとらなければならない。自業自得。自己責任。一見正しく思えるこのような考え方に、わたしたちはあまりに強く囚われすぎてはいないだろうか。一方で、『○○しないといけない』とか『○○以外信じてはいけない』と言った、依存先を狭める言説にも注意が必要だ。他の依存先を絶たせるような言い方をしていないかを最低限の判断基準にするべきだはないかと思う。」
緒方さんの話は、依存先を増やすことで何かひとつに依存しなくてすみ、共依存にもならないのだということがよくわかる。
結局は親や施設以外の他者と関わりをひろげるという点では同じであり、結果的にそれによって、「わたしたちの幸せを追求していく」ことは同じなのである。このことは決して難しいことを考えたりやったりすることではない。どんなに障害が重くても、自分で特別なことを発信できなくてもできることではないか。障害があってたくさんの人を巻き込まないと生きていけないからこそ、より自立した生き方を実現しやすいといえるのではないか。
一言でいえば、青い芝の会が最初に打ち出した「そよ風のように街に出よう」、そして知らないもの同士が出会い、関わり、他者を知り、共に生きていく社会、つまり私たちの幸せを実現させる社会を共に作っていこうということになるか。結局はそういうことなんだ。あれこれといろいろと難しいことを考えてみたけど、やっぱり青い芝の会の理念はすごいなと改めて思った。
2021/08/11
2021/08/06
こんにちは、自立生活センター・ナビの山下です。新型コロナウイルスの影響がまだまだ、予断を許さない状況ですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?マスクを手放すことが出来ませんが、マスクをしていると暑さが倍増しますよね。水分をこまめに摂って暑さ対策していきましょう。今回は、歩道のことについて2つ報告したいと思います。
「段差戦隊ジメンジャー結成!」

歩道と車道の段差について、何度か通信にも掲載させていただいていますが、最近では、赤おに・青おにの当事者メンバーと一緒に「段差戦隊ジメンジャー」を結成して地道に活動を続けています。段差戦隊ジメンジャーは、障害者(電動車いすユーザー、簡易電動車いすユーザー、手動車いすユーザー)・健常者と色んなメンバーがいます。それぞれのイメージカラーも決めていて、私は「ジメンジャー・ブラック」です。梅雨のジメジメした時期も調査をしてきました。これから夏真っ盛りの季節になりますが、暑さに負けず、車いすで入れるお店を探しながら、元気に調査を続けていきたいと思います。
車いすで街を歩いていると、たくさんの段差に出会います。私たちは、特に、車いすで通りにくい段差や歩道を調査して大阪市のホームページの中にある「おしえ太郎」というサイトに投稿しています。
「おしえ太郎」と検索すると見ることができます。どんなことが投稿できるかというと歩道の破損・段差解消要望、公園のベンチの破損、照明灯の不良などがあれば投稿することができます。
今まで10カ所ほど歩道の段差や点字ブロックの破損について投稿をしましたが、約半数の場所で改善してもらえました。改善されたかどうかは、大阪市から報告はないので、投稿後1か月後ぐらいに改善されているか実際に見に行く必要があります。
おしえ太郎投稿サイト https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000483050




2021/07/09
みなさん、こんにちは。
自立生活センター・ナビの山下です。
新型コロナウイルスの感染が広がる中、外出を控えるように言われていますが、でも、まったく外出しないのも体調不良の原因になるので、公園に散歩に行ったりすることは大切なことだと思います。障害者にとって外出した時、気になるのが、近くに多目的トイレがあるかどうかです。公園などに設置されている公衆トイレ(多目的トイレ)の整備・設置が進んでほしいと思いました。
現在では、スポーツ施設、スーパーマーケット、コンビニエンスストアなど多目的トイレが設置されている場所も増えてきていますが、コロナが原因で休館していたり、多目的トイレ使用禁止になっている場所もあります。設置されていたとしても、人との接触を考え、トイレだけ借りに行くのにも抵抗があるかもしれません。
そこで、コンビニエンスストアの多目的トイレの利用制限が、どうなっているのか調べることにしました。大阪市内を対象にローソン、ファミリーマート、セブンイレブン各本社にコロナで多目的トイレ禁止にしている店舗・していない店舗がいくつあるか問い合わせしました。3社ともの回答が「本社では把握していない。それぞれの店舗に確認してもらうしかない。」との回答でした。
●ローソン→インターネットで検索すると多目的トイレがどの店舗にあるか調べることが出来ます。
https://www.e-map.ne.jp/p/lawson/
●ファミリーマート→インターネットで検索すると多目的トイレがどの店舗にあるか調べることが出来ます。
https://as.chizumaru.com/famima/top?account=famima&accmd=0
●セブンイレブン→インターネットで検索しても多目的トイレがあるかどうか調べることが出来ません。
トイレが使用禁止になっている理由はコロナウイルスの感染拡大防止など色々な理由があるのかなと思いました。使えると思っていたトイレが使えないと焦ってしまいますよね。ぜひご活用ください。
※建築物の多目的トイレ設置基準
国のバリアフリー法の基準
床面積の2,000㎡以上の建築物
大阪府の福祉のまちづくり条例
床面積の200㎡以上の建築物
2021/06/11
5/29(土)にNPOちゅうぶの重度訪問介護従業者養成研修の車いす外出実習を行いました。雨が降らないかが心配でしたが、幸運にも雲一つない晴天に恵まれました。
この日のコースは、あべのハルカス前で阪堺電車の線路を車いすで渡る練習をし、その後電車で大阪城まで行き、天守閣の下を経由して帰ってくる経路です。以前は難波や鶴橋の商店街に行っていたのですが、コロナ禍の今は比較的人出の少ない大阪城公園に行っています。

受講生の多くは車いすに乗ったことも、押した経験もありません。まず車いすの基本的な操作方法を教え、その後近所の公園で段差や悪路走行を練習しました。公園の砂地では、車いすでの砂地の走行がここまで悪いのかということに受講生も驚いていました。
また車椅子に乗ったときの視点が思っていたより低く、地面に近いことから中には怖いという感想もありました。

あべのハルカス前では阪堺電気軌道の線路を横断してもらいました。線路を渡る際には車いすの前輪を上げないといけず、初めは受講生もてこずっていました。前輪の上げ方は、車いすのティッピングレバーを踏んで前輪を上げるのですが、車いすを押しながらだとなかなか意識するのが難しいです。しかし、ひとたび意識することに慣れると、だんだんとそつなくこなせるようになってきました。「線路に前輪が引っかからないか心配だった」という感想もあって、どこを注意すべきか体感できたかと思います。
次に車いすに乗ったままで電車の乗り降りを体験しました。
電車内では、複数の車いすが同じ入り口から乗ったとき、どうしたら他のお客さん等の動線を確保できるかを考えてもらいながら乗りました。
大阪城公園では、車いすに乗っている障害者の気持ちをより体験してもらうために、座面に正座し、車いすの振動が直に伝わることを実感してもらいました。座面のクッション性にもよりますが、車輪からの振動がダイレクトに来るため、振動を抑えるためには路面の状態も判断しなければなりません。受講生の中には「怖さ」を感じた者もいたようで、どうすれば快適に車いす操作ができるか考えてもらういいきっかけになったと思います。

天守までの坂道は、一人で押すのと、もう一人に引っ張ってもらいながら押すことを体験してもらいました。こうすることで、二人だと坂道がいかに楽に登れるかということが実感できたかと思います。実際、受講生からもこれほど楽になるとは思わなかったという感想が多かったです。
帰り道では、この日の暑さもあって疲れも出ている様子でした。車いすは路面に近いこともあり、放射熱で乗っている人はより暑く感じます。この体験から、車いすに乗った障害者の気持ちを体感できたと思います。
安全に配慮し、路面の状態を瞬時に判断し、なおかつ乗ってる人にも快適に感じてもらうにはどうしたらいいか、それらを総合的に判断するための経験になったかと思います。実際一日車いすを押してもらい、帰り道は上手くなっていました。
今後、様々な分野で活躍される受講生の方々にとって、車いす利用者のことを考えてもらう機会になったと思います。車椅子だと何がバリアになっているのか、どこに障害があるのか、様々な判断をする上でこれらのことを念頭に置いてもらうことが、バリアフリーの前進につながります。
最後に、くれぐれも段差に前輪をひっかけないよう気をつけてください。
2021/05/26
6/19(土)、6/20(日)、6/26(土)に6月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
応募先Email:chubu@npochubu.com
募集期間は5/24(月)~6/11(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています
2021/05/26
大阪市立大学 松波 めぐみさん
2021年2月27日 中青例会(大阪青い芝の会中部地区例会)の学習会で大阪市立大学の松波めぐみさんにご講演いただき、障害者権利条約の批准、障害者差別解消法の制定の経過を当事者の運動を重ねながらお話くださいました。
(松波さんのお話)
私は、自立生活センターの介助者をしながら、人権の問題として社会を変えていくにはどんな教育が必要か考えてきた。差別解消法はもうすぐ5年になるが、解消法をわかりやすくどう伝えていくかは、私の重要なテーマ。そして、それに至る障害者権利条約の話ははずせない。当事者がどんどん自分の声を出していって、世界の障害者運動で社会を変えていき、障害者権利条約につながった。日本では差別解消法につながったが、当事者にわかりにくい。それをどう使いこなしたらいいのかというのが一番の問題意識。
西宮在住の車いすユーザーと仲良くなったのをきっかけに、大学院へ行って、障害学に出会った。社会モデルを知ってピンときた。障害は、身体の側にあるのでなく、社会の側にある。自分がやりたいのはこれだと思った。いろんな当事者と出会い、メインストリーム協会で介助をし始めた。茨木の「ほくせつ24」でも介助をし、今は京都のJCILで10年前から介助をしている。
世界でいろんな人権のルールとして「条約」を作ろうとしている動きに興味があった。国連で条約ができるのはチャンスと思い、勉強したいと2006年にニューヨークでの障害者権利条約の話し合いを見に行った。東京のDPI日本会議の人に頼んでチームに加えてもらった。本当にたくさんの障害当事者が集まって条約を作るというのを見た。すごく刺激を受け、障害者の権利を世界で広めていこうという動きが始まるのだったら、何かしたいと思った。
その頃、もう一つ、転機になったのは、2008年にビックアイで開催されたアドボケイト養成講座に参加したこと。車いすの東弁護士、ちゅうぶの尾上さん、臼井さんが講師だった。その講座の後、京都で条例を作ろうとして、矢吹さん、JCILを中心に、視覚障害者、聴覚障害者、精神障害者、知的障害者、障害者本人、親の会、福祉団体も、いろんな団体に声をかけて、全部で40団体のネットワークを作って、条例を作る動きを始めた。私は、事務局をかってでた。この運動を通じて、いろんな経験ができた。それまで、障害がある人が地域で悔しい思いをしているとか施設はとんでもないとかそういうことは知っていたが、この条例は何に役に立つのか散々いろんな人と議論することができた。そのおかげで、条例や差別解消法を使ってどう社会を変えるのかを考えることができた。その経験をもとに、2015年ぐらいから研修の講師をするようになった。
障害の社会モデルとは
障害のある人が生活していて不便だったり、嫌な扱いを受けたりするのは、その人の身体に障害があるのでなく、様々なバリアや偏見だったり、健常者中心のルールだったり、社会の側に原因があるという見方が「社会モデル」。問題なのは、健常者中心に社会が作られてきたこと。そこに合わせられない人は、社会から排除されても仕方ないそういう社会であることが問題というとらえ方が「社会モデル」ということ。
よく授業で使う画像。階段を上がった先にホームがあるが、この人は何で困っているのかという問い。当然、なんでエレベータがないのかと思う。でも、「社会モデル」という考え方に触れたことがない人は、「歩けないからしかたない」、「リハビリしたら」と思う。昔ながらの障害者観では、「歩けない」とか、「身体の一部が動かないから苦労する」と見るが、そうではなく、「なんで階段しかない駅を作ったのか」、元気に階段を上がれる人だけ駅が使えるような社会にしてきたことが問題という考えが広まっていった。
もう一つは、映画のワンシーン。映画も字幕があることで楽しめる。例えば、フランス語だけが聞こえてもわからない。まさに聴覚障害者はそういう状態で、取り残されてきた。日本映画は未だに字幕がない。聞えない人たちは日本の映画にも字幕を付けてくださいと運動してきているが、変わっていない。何が問題なのか。聴力の問題であると個人の問題にされてきたが、そうではではなく、聞えない人がいるから字幕を付けるようにするのが本来の姿。外国映画に日本語の字幕を付けるのは当然の配慮としてするが、聴覚障害者が訴えても少人数だから切り捨てられてしまう。大多数に合わせて社会が作られている。それ以外の人は取り残される。それを変えていこうというのが「社会モデル」の考え方。
保護から権利の主体へのパラダイムシフト
2つのパラダイムシフトがある。一つは「保護から権利の主体へ」ということ(これは、権利条約で必ず言われるフレーズ)。障害者は守ってあげなければいけない存在でなく、本人が人生の主人公。障害者が自分の権利を使う主体になるように社会をどう変えていくのかを定めたのが障害者権利条約。2006年にやっと障害者は権利の主体だということを世界が確認しなければならなかったぐらい、世界全体で障害者を保護の対象にしてほったらかしにしてきた。もう一つは障害者観のパラダイムシフト。「医学モデルから社会モデルへ」の変化。障害者が主体的に声を上げて障害者権利条約が作られるようになったということは、いくらでも強調してもいい。
1970年に「青い芝の会」を中心に障害当事者が声を上げて、家からほとんど出られなかった人も外出できるようにとか、バスに乗れないのはおかしいとか、運動してきた。社会の方を変えるべきという考えは、少しずつ広まって、一部の国では90年代に差別禁止法ができた。しかし、国際的なルールには中々ならなかった。女性差別撤廃条約70年代、子供の権利条約80年代、障害者は遅かった。世界に社会モデルが広がるのに時間が必要だった。2006年にやっと障害者権利条約できた。
nothing about us without us
障害者権利条約の世界共通のスローガンnothing about us without us 我々抜きで我々のことを決めるな。当事者参画ということが言われ、ポリオの障害当事者で専門知識がある東弁護士が日本政府の顧問になった。もちろん、政府代表に障害者が入るだけでなく、なりゆきを大勢の障害者が見守り、ロビーイングした。当事者のことを聞け、参加させろと言って条約を作った。私がニューヨークに行ったのは2006年の夏、12月の条約採択の直前。障害者の熱気を感じられて本当によかった。発展途上国、先進国の違いはあっても、社会の中から排除して特別な場所を作るのでなく、社会の真ん中で一緒に生きたいとか、子供の時から一緒に学ぶインクルーシブ教育を受けたいとか、家族を作ること、出産・育児とか、世界共通の望みを実感できた。
権利条約は守るべき権利のリスト
権利条約って、難しい言葉だけど、守られるようにするべき権利のリストだと思う。でも、障害のない人には当たり前すぎて人権の問題だとは思われていなかった。例えば、第19条の地域で暮らす権利とか自立生活の権利。しかし、障害者にとっては、入所施設や病院での暮らしを強要されている事実がある。だからこそ地域で暮らす権利が書かれた。
情報保障もされないで取り残されている人がいっぱいいる。交通機関を使って移動する権利はだれにでもあるのに、階段しかない駅とか、利用するときは2日前までに連絡とか、利用する権利が守られているとは言えない。すべての人に平等に利用できるようになっていないからこそ、「交通機関の利用は、権利だ」と障害者権利条約に書かれている。
こういう現状が変わるように条約を批准した政府ががんばらないといけない。政府に権利を守らせるように、障害者権利条約を運動で使っていく必要がある。
差別とは
障害者権利条約はいろんな権利を書いているが、一番大事なのは差別を禁じたということ。「差別」という言葉は、日本では、嫌いとか、避けるとか、仲が悪いとか、心の中で嫌というイメージが強いように思うが、権利条約で言う差別とは、障害がある人が他の人と同じ権利が守られない、違う扱いを受ける、別の扱いをされて、不利益を被るのが差別ということ。入店拒否とか部屋を貸さないとか。
また、バリアが取り除かれないことによって同じ権利を享受できないのも差別。例えば、お店の人が車いすの人はお断りと言うのでないが、「この店に食事に行きたいので入り口の段差にスロープを付けてほしい」という言われた時に合理的配慮をしないのも差別。
合理的配慮というと、「してあげる」、「お手伝いしてあげる」、「かわいそうだから」というイメージがついてまわるが、その姿勢は平等でない。「あの人は歩けない人だからしてあげる」ではなくて、社会が権利を保障してこなかったことを問題と考え、社会のバリアがあるのが問題で、それをどうやって、取り除けるのか考えるのが合理的配慮。「社会モデル」の考え方をベースにしないと合理的配慮は誤解されやすい。
日本が障害者権利条約を批准することには2つの意味がある。一つは、国際社会に日本が条約を守ることを約束すること。もう一つは、日本国内に居住する人に実行を約束すること。それを実現するためには日本の法律に活かさないといけない。それで、2009年から障害者制度改革推進会議(後に政策委員会)ができて障害当事者の委員が入った。そして、障害者基本法改正、障害者総合支援法や障害者差別解消法の創設がなされた。
京都での条例づくり 諦めていたことを話し合いへ
ちょうどこのころ、京都では条例作りのために40団体が集まって、「条例作ってなんになるんや」とか「差別解消法ができてどう変わるのか」とか、「こんな事例はどう考えるべきなのか」とか、これまで一緒にやってこれなかった団体が集まって議論する意義は大きかった。障害者同士でもお互いに知らないことがいっぱいあって学び合いだった。そして、違うことがあっても、障害者ということで共通してやっていけることがあるなあという実感が生まれた。
条例を作って変わった実感が持てたのは、これまでは仕方ないと諦めていたことを、窓口に相談し行政に間に入ってもらって、話し合いの場に持ち込んで、改善を求めることができるということだった。「どんなことをされたら差別と言えるのか」、「『こういうときにはスロープ出してほしい』とか、『聴こえないから書いてほしい』とかいうことを求めてもいい、わがままでないんだ」ということを当事者が知るのが大事だと実感した。 これが、差別解消条例ができた時に感じたメリット。これは法律でも一緒だと思う。
「複合差別がある女性」を項目に入れさせた
条例は地域の思い入れや特徴を盛り込むことができる。京都では、女性への複合差別を盛り込ませた。これは、障害者権利条約にはあるが、差別解消法には入らなかった概念。条例作りに最初の頃から関わった女性障害者から「言語障害があり、女性」ということで軽く扱われて意見を十分に聞いてもらえないという問題提起があり、検討委員会に「女性障害者」枠が設けられた。その後入った女性委員(中途障害者で電動車いす使用者)から「リハビリ病院で人手が足りないから男性からお風呂介助を受けてすごく嫌だった」という経験が出され、DPI女性ネットワークや優生保護法の運動をしている女性障害者などが連帯してくれた。女性障害者の視点での運動を強め、最終的に条例に「障害のある女性への複合差別」という言葉を入れることができた。運動をすることで、変えることができるという大きな自信になった。
2021/04/20
5/22(土)、5/23(日)、5/29(土)に5月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
応募先Email:chubu@npochubu.com
募集期間は4/26(月)~5/14(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています!
2021/04/07
2021/03/24
ちゅうぶは、ILPに力を入れています。通所支援員と相談支援担当者が障害者のエンパワメントについて、語り合いました。
小坪 ナビとして、委託相談、計画相談、地域自立支援協議会などに追われて、2019年度は自立生活プログラム(ILP)にあまり力量を割けなかった反省から原点に立ち返り、改めて力を入れたいというのが始まりで、通所も自立がスローガンだったので、なにか一緒に活動できないか考え、20年9月から取り組みを始めました。

(電動車いす使用)
夜遊び おにわナイトクラブで出会いが生まれた
濱田 遊ぶ経験が大事やなって、夜遊びナイトクラブを11月に企画した。自立障害者と若い障害者が10人ぐらい集まって、Aさん特性のカレーを食べて、Bさんに占いしてもらったりして、ドキドキする交流をした。C君が東さんの若い介助者に大興奮。若い障害者に大好評の企画だった。
松倉 DさんとE君が夜の道を一緒に帰宅した。それから二人が一緒に活動するようになった。Dさんが、最近、E君にイラストレーターを教えている。
濱田 ちゅうぶでも、ナビと通所が話し合えるいい機会になった。
東 F君も筋ジスの他の障害者と出会う機会がこれまでなかったが、筋ジスで自立を目指す他のメンバーと話ができてよかった。
小坪 毎月したいという声があったが、コロナが厳しくなって、企画はすべて中止となった。
東 すでに自立している障害者が若い障害者に関わってほしいが、どう関わったらいいかわからんという声もあるので、職員がフォローする必要があると思っている。
小坪 気持ちは、みんな持ってくれているけど、年齢も趣味も違うし何をしゃべればいいかということもあるので、どう関わってもらうか工夫が必要。
自立の前に、エンパワメントを目標にする 環境調整によるエンパワメント

支援員
辻谷 自立取り組みをすればすぐに、一人暮らしできるわけでもなく、ヘルパーを使うなど経験が必要。いきなり一人暮らしという目標は敷居が高い。まず、目標をエンパワメントにしたい。障害者がアイデアを出して、一緒に行動する。外出もする。
濱田 環境を整えないと、やりたい気持ちも出てこない。例えば、Gさんが「餅を食べたい」と言ったときに、支援者から「明日でいい?」とか、「もう80歳だからねえ?」とか言われたら何も言えなくなる。
辻谷 そうでなくて、スタッフが「駒川商店街に丹波屋さんがあっておいしいですよ」と応じれば、「自分が言えば、実現する、外出できる」となる。環境を整備したら、結果的に個人の力も強められる。環境調整によるエンパワメント、個人のエンパワメントを組み合わせると力が発揮できる。
自分が大切にしたいことで生活を変えていく

相談支援専門員
小八重 ヘルパーと喧嘩してうまく行かないこともあり、資源や制度があっても難しいことがある。ナビは個別ILPを進めているが本当にエンパワメントになっているのかと悩む時がある。通所のエンパワメントの取り組みと、ナビの個別ILPをうまくリンクさせたい。
小坪 Hさんは、長い入院生活の末にグループホームに入居された。お母さんが亡くなったときに、「やっと足かせがとれた」と思ったという話をHさんから聞き言葉の重みを実感した。すぐに一人暮らしを目指すのは、まだハードルが高いと思うので、ヘルパーを使い自分の好きなことをして、リオの生活を満喫してもらいたい。
濱田 今は、お菓子作りで自分のこだわりを曲げたくないという気持ちで、ヘルパーへの指示出しを工夫されている。
辻谷 Hさんは、ゲームとかYouTubeとかアニメとか好きなことにいい意味でこだわりがある。食事は健康を考えて宅配弁当を食べていた。それを変えたら少し元気になった。自分が大切にしているのが何かわかって、それで生活を変えていくことが大切。
小坪 Hさんは、お菓子作りを通してエンパワメントされていると思う。
濱田 ケーキ作りは、妥協をしたら失敗する料理。Hさんが成功したときは本当に喜んでいて、僕も一緒に元気になった。
やりたいことをやる 何かできることを感じてほしい

支援員
辻谷 赤おにに来たら、自分の希望を言って、何かできるということを感じてほしい。やりたいことをやるのが一番。一時期、活動メニューがあって、それを選ぶという形に変わったことがあった。本当にやりたいのでなくて、ずっとやっているし、他に何があるのかと惰性になってきた。活動があるからするのでなく、本当はなんでもいい。お菓子作りでも、歌を歌うでも。
濱田 Gさんは、iPadで歌を聞いて、大きな声で歌っている。昔は、歌ったらアカンのかという雰囲気の時もあった。iPadがあるからユーチューブを使える。それは環境調整のエンパワメントで、GさんがiPadを使えるようになったのは、個人のエンパワメント。両方が高めていっている。
先輩障害者が伝えること
堀 障害者って知らず知らずに自分を抑圧している。自信を取り戻したり、私ってこんなことできるんだって自分を解き放てたらいいけど、親とか学校とかいろいろ言われたことを内面化して、「こんなん言ったらアカン」って縛られている。個々人も強くならなアカンけど、「言ってもいいんや」という経験が第一歩ということが話を聞いてわかった。そういう意味では先輩障害者の関わりって大きいと思う。
小坪 Iさんは、昔は階段でも担いでもらうこともたくさん経験していて、若い障害者が「担いで」って言えないところを、Iさんが「階段担いでもらってでも行くで!!」と当然のように言えるから、若い人が「言ってもいいんや」と感じられる。ちゃんと行動できるベテランの障害者の強みをいかに生かせるか、どうアプローチするのか考えるのが大事。
伝えることの試行錯誤

相談支援専門員
(電動車いす使用)
東 Jさんは、リオで一人暮らしが長くて、料理も節約も上手で、やる気に満ち溢れている。学生さんと料理を作ったり、いろいろ工夫したり、やりたいことがどんどん出てきている。若い人に伝えたら、いい刺激になると思う。どう伝えられるのか、アプローチが必要。
辻谷 先輩の障害者が、若い障害者にどう伝えられるのか、どうやったらエンパワメントにつながるか考えたり、試行錯誤したりすることが必要ということを、共有できたらいいなと思う。
小坪 先輩障害者もILPを受けた経験はあるけど、プログラムをイチから考えた経験があるわけでないので、どう組み立てたり、どう関わったらいいか、悩むことも多いと思う。言語障害がある人は、伝えにくい場合もある。ナビの障害者とかスタッフと、どういう方法がいいのか一緒に考えて試行錯誤することが大事。その結果の成功体験が先輩障害者自身のエンパワメントにつながるし、スタッフの意識を高めることになると思う。
欲望の解放 やりたいと思えるには
小八重 欲望の解放はどうやったらできるのか。僕たちは生活の中で我慢し続けいつも遠慮していると思う。障害者はもっと抑圧されている中で、欲望を解放させるのって、何かきかっけがあればできるのか。堀さんは解放できていると思うんだけど。
堀 私が解放できていることはない。まだまだ、やりたくてできてないことはたくさんある。
小坪 きっかけを作らないといけない。力強くないと解放できないのかというとそうでない。
堀 昔は、抑圧に屈して諦めたら、家に居るしかない時代だった。極端に言ったら、野垂れ死ぬかもしれないけど我が道を行くのか、自分の人生を捨てるのかという切羽詰まった感じ。私の場合は、我が道を行ってもいいんやと思える巡り合わせがあった。今の時代は、ほどほど理解ある両親、ほどほどに環境も整備されて、ちょっと我慢したらほどほどの人生が送れるみたいな、それが昔と違うかな。
小坪 僕は、実家から駅まで電動車いすで1時間半かかる。実家からは外出が困難ということが一人暮らしの原動力になった。大阪市内で住んでいると、地下鉄を使えば色んな所に行けるし、制度もまだ不十分な面もあるが、それなりの生活ができる。例えば、実家で生活するのに体力的にキツイお風呂だけヘルパーを使うこともできる。よく、自立生活をしている友人と話すが、実家はある意味、全自動の生活。例えば洗濯機に服を入れておくと何も言わなくても、洗濯→干す→取り入れ→畳まれて収納場所に戻っている場合が多い。そうという恵まれた環境にいると、一人暮らしをすることの方がしんどい。ふんぎる理由が要る。
東 ナビに入ったときに、早く自立してねって言われたけど、最初はなんで障害者だけそんなん言われるのかと思った。実家でも好き勝手にしていたから何も困らなかったし、自立するために、何か理由が要ると悩んだ時期があった。「好きなことをしたいです」では、理由としては弱かった。
小坪 CILのスタッフが自立していないのは話にならないからね。
エンパワメントへの理解を深める取り組み

支援員
辰巳 エンパワメントという言葉は好き。「自立はちょっとね」と思っている親も、自分の子供が元気になるというのは受け入れやすい。パートヘルパーも含めてみんなに考えてもらいやすい。
濱田 でも、エンパワメントは言葉だけだとわかりにくい。事例をしゃべろうという取り組みをしている。良かった事例とか、悪い関わり方とか、違和感ワードとか出し合っている。
辻谷 1月のパートヘルパーミーティングは「仕事のやりがいとパワフルエピソード」をテーマに研修した。みんなに共通するのは、障害者が元気になった経験やエピソードを共有したら、ヘルパーも元気になるということ。元気になるパターンを共有し環境を調整していく。
小坪 皆さんは日々どんなときにやりがいを感じますか?
小八重 いまK君が一人暮らししたい理由をお母さんに伝えるために動画を作っている。自分がしたいことが全部書いてあって、文章がとてもよかった。本当の気持ちだなと思って、一緒に考えていて、嬉しかった。言いたいことを言える力を重ねるのは大事だと思う。通所のエピソードは?
辻谷 いっぱいあるけど、ひとつだけ。Aさんは6年前まで、家にヘルパーが来ているだけで、通所は利用しなかった。脳性麻痺で言語障害があって、かつ聴覚障害がある彼にとっては、情報保障がなければ会話に参加できなかった。スタッフが指文字だけでも覚えてコミュニケーションを取り出したら来るようになった。そういう環境が必要だった。
障害者スタッフにとってのエンパワメント

(聴覚障害者)
松倉 私は、Lさんが文字盤を作ってくれて、毎日、私と話をしてくれるようになったことが嬉しい。もともと、言語障害があるBさんの言葉を聴覚障害の私が分かるために文字盤を使っていたが、それをLさんが見て、自分用を作ってくれた。さらに、それを見ていたM君も作ってくれたのが重ねて嬉しかった。
聴覚障害の私もだけど、コミュニケーションに時間がかかる人は、話そうと思って時間を取らないと話せない。Bさんと文字盤で話をして、時間がかかったけど、とても深い経験を聞けて、私も自信になったし、Bさんも笑顔やったから、お互いにエンパワメントになったと思う。
小坪 成功体験を積み重ねて、エンパワメントしていっているのですね。
小八重 ILPを担当する職員も元気になりたいと思った。

(電動車いす使用)
堀 エンパワメントはお互いに元気になるんや!ということが感じられた。とても今日は良かった。障害者職員としてのエンパワメントも大事だと思った。社会モデルでとらえ、一緒に何ができるか共有しながら生活するのって難しこと。一緒に考えようっていうのもエネルギーが要る。そして、若い障害者にとっても、先輩の障害者にとっても、支援者にとっても、みんなにとってもエンパワメントは共通の課題だと思う。
本日はありがとうございました。
2021/03/11
みなさんこんにちは。自立生活センター・ナビの山下(手動車いすユーザー)です。
私の住んでいるマンションが12日間エレベーター工事の為、使用禁止になりました(工事期間:2021年2月22日(月)~2021年3月5日(金))工事が始まると知ったのが、工事開始の2週間前!
そこで、エレベーター業者に問い合わせをしました。
「エレベーターを利用する時だけ動かすことはできませんか?」
→「そういうことは今回の工事ではできません。ホテルやウィークリーマンションに泊まるか親戚や友達の家に行ってもらうしかないと思います。」
「ホテルやウィークリーマンションに泊まる時は、そちらで費用を出してもらえますか?」
→「出せません。」
困った・・・。
結局、介護のコーディネーターとも相談し、いつも入ってもらっているヘルパーさんと職員2人体制で車いすごと階段の昇降をしてもらうことにしました。マンションは9階建てで私の部屋は2階です。
今回みたいに工事中だったり、災害が起こった時などエレベーターが停まることがあると思います。エレベーターが当たり前に設置されるようになった社会で、めったに出来ない貴重な体験をさせてもらいました。
この問題は、障害者だけに限らず高層階に住んでいる方、高齢者、ベビーカーを押しているなど様々な方が困ることだと思います。
工事を行なうことは仕方がないですが、早めに(少なくとも1か月前)に告知をしたり、工事の期間を出来るだけ短くしたり、代替案を提案し必要であれば管理会社やエレベーター業者が補償するなど仕組みを作ってほしいと思いました。行政交渉の時に、実際に困ったことを伝えようと思います。
みなさんも「同じようなことがあって困った。」「こんな風に対応した(対応してくれた)」などあれば教えてください。
2021/02/06
2020年11月に太陽の塔の中を見学できるツアーに行きました。
メンバーは安井・岡嶋さん、スタッフの朴さん・松倉さんの4名です。赤おにからの行き方は谷町線で大日駅へ行き、そこからモノレールに乗って万博記念公園駅に行くルートです。
大日駅からのモノレールではホームと電車の間に段差と隙間がないので電車にスロープなしで乗ることができました!


太陽の塔の中ではエレベーターを使っての見学だったので停止階の1階・中層階・最上階の3フロアの鑑賞でした。1階は岡嶋さんと一緒に見れましたが中層階・最上階では1フロアに車椅子2台で見れませんと言われたのでバラバラで見学でした。太陽の塔の中は想像より広くて独特の空気感でした!1階展示フロアのみ写真撮影OKでした!


以下、ツアーを終えてのみんなの感想です。
岡嶋:大日からモノレールに始めて乗りました。景色もよくて最高でした。太陽の塔を見て「やっぱり大きいな~」と思いました。塔の前でご飯が食べれてうれしかったです。ニフレルの観覧車も見えました。塔の中に入ると色々な飾りがきらきらしていてきれいな所でした。ライトの光をあびた安井くんかっこよかったです!
松倉さん:駅から太陽の塔の顔が見えて大きいね〜とわくわくしながらみんなで近づいて行きました。建物からは岡本太郎さんのパワーを感じました。また、建物の中にエレベーターを使って入れることを知り、驚きました!2階・3階も見ることができて良かったです。「太陽の塔は大阪のシンボル!」ずっと行ってみたかったので、行く機会をもらえてとても嬉しかったです。東京の実家に「太陽の塔に行ったよ!」と自慢しました。
安井:太陽の塔を外からは何度か見たことがありましたが、今回初めて太陽の塔の中に入りました。中に入ると幻想的な赤いライトアップをしていて、中央には「生命の樹」(柱のようなもの)が1階から一番上まであり、樹の幹や枝に展示されている昔の時代の生物や恐竜、サルなどが生命の進化をあらわしていて時代の流れを感じることができてとても感動しました。少し気になったことは中層階、最上階では1フロアに車いす1台ずつしか行けなくて、みんなで一緒に見れなかったことが少し残念でした。
文責:安井

※要事前予約→ https://taiyounotou-expo70.jp/
2021/02/03
2年ぐらい前から、ちゅうぶでは歩道の段差(縁石)問題に取り組んでいます。ご近所で段差がひどくて危ない箇所は道路の事務所にお願いして改修してもらっていますが、新しい道路でも、段差がひどいところができるので、イタチごっこの状態です。
大阪市の整備基準は2センチが標準
そもそも、もっと最初から、フラットな歩道に統一できないのか、大阪市と話してきましたが、要綱で「2センチを標準とする」と決めているので、難しいという話から動きませんでした。2センチが大事な理由は、車いすはフラットがいい、だけど、視覚障害者は歩道と車道の境目を分かりやすくするために段差が必要という両方の事情の間をとったものという説明でした。
307か所の段差を調査 視覚障害者も車いすも安心できない現実
なんとか、改善したい。そこで、まず、どれだけ危ないのか実態を調べようと、市内8地域307か所の歩道の段差を調べました。その結果は、以下に掲載していますが、2つのことがわかりました。

1つ目は、2センチ標準となっているのに、もっとも多いのが、1センチ(28.7%)、次に多いのが1.5センチ(26.7%)でした。そして、全体の42.7%が段差1センチ以下でした。これでは視覚障害者にとっては危険なのではないかということです。
2つ目は、車いすにとって危険な2.5センチ以上ある段差が全体の14.7%もあり、車いす障害者にとっては、かなり危険な状態であるということです。

新しい基準を検討してほしい!
今の大阪市の段差は、視覚障害者にとっても、車いす障害者にとっても、安心な歩道とは言い難い現実です。このばらつきは、新しく工事が行われた道路も同じ傾向がみられますので、まさに、だれもが安心できる新しい道路の整備基準を作ってほしいと思っています。
国は、2002年のガイドラインの改定によって、2センチは標準だけど、視覚障害者がわかるのなら、2センチ以下の段差にしてもよいと基準が変わっています。

この動きを受けて、全国各地で様々な歩道が工夫されています。2センチ標準で思考を止めるのでなく、大阪市にも改善を目指して、検討を始めてほしいです。
視覚障害者と 車いす障害者 両方の当事者が一緒に検討していきたい!
障害の種別を超えて、話し合うことが大事です。2センチを残して、車いすにやさしい構造は考えられないのか、近隣の都道府県の道路はどうなっているのだろうか、歩道と車道の違いがわかりやすくするための材質(足の裏の触感)はどうなのだろう。調べてみたいことがたくさんあります。
ちゅうぶは、地メンジャー部隊を中心に引き続き粘り強く取り組みを進めていきます。
【検討の視点:歩道の段差の立ち上がりの形状】
段差を2センチ確保することを前提としても、車いすにとって、段差の立ち上がりが直角なのか、傾斜がついているのかでかなり衝撃が異なります。
兵庫県や神戸市は傾斜がついており、かつ、点字ブロックがセットで整備されています。
大阪市の段差は、地面から直角に立ち上がっており、車いすの前車輪があたったときに衝撃が大きいです。一番下の図は、せめて、少しでも傾斜をつけたらだいぶん良いのでないかと考えた一例です。

2021/01/29
久しぶり!みなさん!またまた自立生活センター・ナビのスタッフの鶴羽雄大(つるは かつひろ)です。今年の4月からナビで自立生活プログラム(ILP)に取り組んでいます。
前回かっちゃんの自立に向けての第一歩で東さんの家に行ってきました!今回は、実際に僕と同じ病気である筋ジストロフィーの人の家に行ってきて、一人暮らしをしていいところやアドバイスを聞いてきました!
藤原さんは西宮市のメインストリーム協会に通っている当事者の方で、藤原さんの家はメインストリーム協会から徒歩20分ほどのアパートでした。階段というか段差が二段ほどあったので入るのが難しいかなぁと思っていました。でも、段差の前にスロープを設置されていたので家まで入れました!
もし、僕が一人暮らしするとしたら、アパートやマンションには段差があるところが多いので、その段差にスロープをつけるなり考えないと無理やなぁと思いました。
それから、家に入って藤原さんの部屋を見てみて、日本酒の一升瓶がいっぱい並べてあったり、ベットの所にリフトがあって楽に移動できるんだなぁって思いました!(>_<)
自由に何でもできている様子が良かったです。
これから一人暮らしをしていくときに課題にぶつかったら(最初は自立に賛成だったけど、急に反対されてしまったことなど)どう対処していくのかや、例えば無理矢理一人暮らしをしたとして、それまで親といい関係だったのに、急に仲が悪くなってしまうんじゃないのかなぁと不安だったので、その点を藤原さんに聞いてみましたー(‘ω’)ノ
聞いて改めて思ったことは、やっぱり一人暮らしは自分にとって大切なことだと思いました!自立したい気持ちや自立して普段制限されていること、夜遊び…オール、そういうことをしたいんやというのを自分の言葉で伝えたらいいのではと個人的に思っていたのですが、実際に僕が両親に伝えたときは伝わらなかったし、伝えたときに「今は無理じゃないか?」と言われたこともあり、藤原さんから聞いた「手紙で書く」という方法は、まさかそんなやり方があるとは思いませんでした!(*’▽’) 文字だと冷静になれることを知りました。
今回藤原さんに教えてもらった方法は自分の中での選択肢の一つとして頭に置いておきながら、他の先輩からもいろいろと意見を聞いて、最終的に自分がどの伝え方にするかを決めたいと思いました!
それと無理やり一人暮らしすると、親との関係が崩れてしまうと考えていましたが、徐々に両親も慣れていって、自立をすることで親も自分の時間をもてるようになるから気にならなくなるかもよ!とおっしゃっていました。
実際に、今回同じ筋ジスの人に話を聞いてもらって、自分が不安に思っていることについて相談に乗ってもらったことで、一人暮らしに向けてますます取り組んでいこうと強く思いました!
次回は、色んな筋ジスの障害者に話を聞いていこうと計画しています!(>_<)
2021/01/29
12月15日(金)平野区民センターで対大阪市交渉(2日目)を行いました。コロナ感染対策を十分に行いながら、会場参加の人数を絞り、ZOOM、YouTube、動画などを駆使して、精一杯の声を届けました。(ちゅうぶに関係の深い項目の概要について記載します)
権利の実現
府差別解消条例
〇民間事業者の合理的配慮義務化は粛々と進めてほしい。合理的配慮の提供とはどういうことなのか事業者にしっかり伝えてほしい
〇業種ごとに差別事案になりそうな課題を整理し、啓発してほしい。
(会場からの声)
USJのバリアフリー調査を実施。車いす利用者に100メートル歩けないと利用できないという扱いを受けるなど、アトラクションに乗れない事例が多い。大阪市を通じて、USJに質問と意見を出したが、何の返答もない。合理的配慮義務になるので、行政から強く働きかけてほしい。(森園)
ジョーズは車いすのまま乗れる設備があるのに、歩けないと乗せないという扱い。USJはたくさんの問題がある。(石田)
脳性麻痺の障害者が銀行で通帳を作るときに、介助者の代筆による手続きを希望したのに、介助者の資格があるのかとか、他の通帳があるなら必要ないのでないかとか、不適切な対応があり、本人はとても傷ついた。視覚障害者の場合等は代筆するという規定がありながら、現場では生かされなかった。代筆を拒否するのは差別であるとしっかり周知してほしい。(小坪)
精神病院での虐待、虐待防止法での通報義務
〇神出病院の虐待事件は、対岸の火事でない。精神病院の虐待事案はあまりに多すぎる。閉鎖病棟で声も上げられない当事者にとっては地獄だ。府任せでなく、大阪市民が入院しているのだから、強い思いで取り組んでほしい。
〇大阪市からも障害者虐待防止法の通報義務に精神病院を入れるように要望してほしい。
住宅入居差別
〇賃貸住宅の入居契約書に精神障害者差別に該当する表現が用いられていた問題で、宅建業者、家主等が障害を理由に差別しないように不動産業界への働きかけを強化してほしい。
〇大阪市として各区で居住支援協議会を開催し、家主・宅建業者、相談支援事業所等が顔の見える関係作りができるように福祉担当課と連携して取り組んでほしい。
市営住宅での障害者自死事件
〇市営住宅で自治会の班長を免除するために、障害のことを書くことを強要され、それを住民に拡散されることを苦に自死した事件について、何が問題だったのか把握し、再発を防止すること。なぜ、問題の通報がなかったのか、連携がとれなかったのか、だれもおかしいと思わなかったのか。障害のことを言わせたり書かせたりさせてはダメだと周知のこと。研修も見直すこと。
障害者医療費助成見直し問題
〇経過措置が切れることによって、障害が中度軽度高齢障害者の3万6千人が対象から外れる。一方で難病等の新たな対象者はほとんど増えていない。話が違う。府は変えないと言っているが、このままでは受診控えにつながる。
〇経過措置の延長、中軽度の所得が低い層への救済について、府へ働きかけてほしい。
生活保護の締め付け問題
〇コロナ禍で外出自粛のために手持ち所持金が多いことを理由にむやみに保護を廃止・停止しないように、相談を丁寧にしてほしい。
〇「あんしんサポート」は地域に出たタイミングですぐに使えるようにしてほしい(空白を生まない)
旧優生保護法下での強制不妊手術
〇重大な人権侵害事案であり、市がその一端を担ってきたことを重く受け止め、一時金の申請ができるように周知すること。
〇当時の病院、施設を調査すること。
(会場からの声)
〇旧優生保護法の下で手術されたことを思うと胸が締め付けられる思い。当時の資料が見当たらないということで、何もできないということでなく、寄り添って、どうするか考えてほしい。(東)
教育・保育
通学の送迎制度の創設
〇医療的ケア児に限らず、通学に支援が必要な障害児・生徒の通学制度を創設すること。
ペースト食の学校給食の提供
〇学校がペースト食を用意しないために、保護者の登校・付き添いが強要されている実態を解消すること。
医療的ケア児のための看護師の配置
〇コロナの影響で、看護師の配置日数、時間が十分に確保できていない。看護師が必要な児童・生徒へ保護者が付き添いを求められることがないようにすること。
交通・まちづくり
公立小中学校のバリアフリー化
〇水害時も含め避難所機能が果たせるように危機管理課と連携し検討してほしい。3階以上に避難した場合の課題について障害者と行政(危機管理課)、学校で点検しようとしているので連携してほしい。
〇全棟でのスロープの設置(段差の解消)を100%実施すること。
〇インクルーシブ教育を進めるため各学校の改修ニーズを調査のこと。調査は、すべての校舎のエレベータ、車いすトイレ、スロープについて調べること。
〇学校のバリアフリー化の推進は障害当事者参画の下で進めること。
(会場からの声)
マンションの1階に暮らしている。水害になれば3階以上に避難が必要だが、学校には多目的トイレが1階にしかないことが多い。3階以上にも多目的トイレを整備してほしい。また、和式トイレを洋式にしてほしいし、男性トイレにもてすりを付けてほしい。(中村)
エレベータや車いすトイレの有無などバリフリー状況がわかるようにしてほしい。多目的トイレを各階に、普通トイレの洋式化を計画的に進めてほしい。(山下)
歩道の縁石のバリアフリー
〇歩道の段差307か所を調べると、約1割が標準の2センチより上回り危険な段差になっている。他県も参考に現状を変えるための検討を始めてほしい。
〇視覚障害者の必要な2センチの確保は大事と認識。車いす障害者、視覚障害者の双方が安全な歩道を検証していきたい。
(会場からの声)
2年前から歩道と車道の危険な箇所の補修をしてもらっている。去年3か所、今年4か所を要望している。しかし、調査をすると危険な箇所がまだたくさんあり、車いすで転倒したメンバーもいる。どうしたらいいのか、障害者の意見を取り入れてほしい。(山下)
ホテルのバリアフリー化
〇障害者にとってホテルは総じて、バリアフルで使いにくく必要な情報がない。課題としては、車いす対応の部屋の整備促進、設備やサービスを障害者の実態を踏まえたものにすること、バリアフリー情報の提供の3点。大阪市として主体的な取り組みを障害当事者と一緒に進めてほしい。
〇大阪市のハートフルウェッブにホテルのバリアフリー情報を載せてほしい。
(会場からの声)
ホテルを予約するときはネットの写真を見て、車いすで行けるか確認している。ところが、受付が2階で、しかもエスカレーターしかなくて、かなり交渉して別館に部屋を変更してもらった。ホームページにもっと情報を掲載してほしい。(高田)
ホーム柵
〇国の乗降客3千人以上の基準に整合した補助要綱に改訂してほしい。
無人駅
〇無人駅が一つでも減るように行政として働きかけをしてほしい。
バリアフリーマップ
〇基本構想のWEBにあるバリアフリーマップ、ハートフルウェッブといろいろあるが、まとめて情報が得られるようにしてほしい。
〇どういう情報が必要かは当事者に聞いてほしい。
(会場からの声)
〇ホーム柵は万博開始までに全線で工事が終了しているようにすべき。
〇梅田ノースモール、ドーチカなど古い地下街ではエレベータや車いすトイレが少なく、ルートが限られている問題がある。
〇水害を念頭において、エレベータが使えないときのスロープルートの整備、避難所への多目的トイレの設置、避難所に使う可能性があるホテルのバリフリー化を進めてほしい。(西川和男)
〇ホーム柵がない駅は落ちそうになって怖い(山本)
2020/12/25
自立生活センター・ナビの小八重です。本来であれば、この時期クリスマスやお正月など、街もにぎやかなシーズンになるはずですが、新型コロナウイルスの第三波が到来し、GoToキャンペーンも年末は一斉停止になりそうで、緊迫した状況になっていますね。近所の外出もはばかられるような世の中になってしまいましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回は自立生活センター・ナビにおいて、実際に僕が取り組んだ地域移行のお話をさせていただければと思います。40代の男性Aさんは、重度の知的障害があり、大阪市内にある施設に長年入所されていました。僕がこの方の計画相談支援に関わるようになったのはちょうど4年前の今頃でした。Aさんは記憶力が非常に優れており、過去にあった出来事の日付も時間も人の名前もすべて克明に覚えていました。カレンダーがそのまま頭の中にあるようなイメージです。過去だけでなく、先の予定も余すことなく全て記憶していました。出かけるのが大好きで、施設職員との外出や、実費でのヘルパーさんとの買い物やカラオケをとても楽しみにされており、出かけた時のことはよく僕にも話してくれました。一方、施設内では不安定になることが多く、順番を守るのが苦手で、他の入所者に対する他害行為に及ぶことが多々ありました。気分が不安定になった時は、基本的には外部のクリニックの服薬調整で対応することが常でした。Aさんのいた施設はたくさんの障害児者が押し込められているようで、重い雰囲気の漂う場所でした。日の差し込まない体育館のようなところで、Aさんが他の入所者に紛れて部屋の隅っこでボーっと立っている姿が今でも忘れられません。
国が障害児支援施設の加齢児の地域移行を令和2年の3月末までに完了させる(現在は1年延長)ということで、今年の1月くらいからAさんの地域移行の検討をはじめました。主なメンバーは僕、Aさんの後見人、施設の担当スタッフ。さっそく、グループホームなど移行先探しを開始したのですが…。Aさんのような行動障害のある方を迎え入れてくれるようなホームは、そう簡単には見つかりませんでした。地域の受け入れの厳しい現実を肌で感じつつ、大阪市外まで手を広げ、見学なども実施しました。…が、今年4月に新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されたため、表立った取り組みを行うことが困難になってきました。Aさんの施設でも入所者の外出、外からの訪問も禁止となり、本当に何もできなくなってしまいました。…そして、ようやく取り組みを再開できたのが6月くらい。一旦、取り組みを中止せざる得ない事態に陥ったことで、入居の話を進めていたグループホームなども空きが埋まっていたり、2ヶ月近い空白期間で、随分と状況が変わっていました。Aさん自身も外に出れないストレスからか、施設内での他害行為が増加。完全に振り出し状態に戻ってしまい、僕を含むAさんの地域移行チームも頭を抱えていました。
そんな中、普段から関りのある福祉施設の方から、他区で障害者向けのシェアハウスが開設されるという話を聞いた僕は、思い切ってAさんの体験入居を進めてみようと考え始めました。そのシェアハウスはこじんまりとしていましたが、Aさんのいた施設とは何から何まで対照的な少人数のアットホームな雰囲気でした。スタッフの方も親切で、ここならAさんものびのびと生活できるのではないかと思ったのです。ですが、長年施設にいたAさんがうまく馴染めるかどうかは不安でした。…そんなこんなで体験日を迎えた訳ですが、その時にAさんの身に起こった変化は大きいものでした。精神面での不安定さがまったく鳴りを潜め、他害行為も見られなくなり、施設にいた頃の様子が嘘かのように落ち着いていたのです。体験中の様子を見に行った僕も後見人さんも驚きました。環境はここまで人に変化をもたらすものなのかと…。
現在、Aさんはシェアハウスに正式に入居し、施設時代とはまったく違った生活を送っています。平日の昼間は日中活動に通い、休日は自宅でテレビを見たり、近所に買い物に出かけたりして過ごされています。僕はこの間、Aさんのように重度の行動障害があっても、身を置く環境次第で自分らしく地域で生活を送れるということを知りました。この取り組みは僕にとっても非常に貴重な経験となり、また、Aさんの地域移行は色々な可能性というものを僕に教えてくれたような気がします。
2020/12/18
2020年11月30日(月)大阪地方裁判所で強制不妊手術裁判が行われた。今回は新型コロナウイルスの影響で裁判自体は傍聴者数に限りがあり傍聴することができなかったが、裁判後の報告集会はZoom視聴で参加した。
原告の請求を棄却する
今回の裁判は一次訴訟(空ひばりさん・後天性知的障害)、二次訴訟(野村さん夫婦・聴覚障害)の合同裁判の判決。裁判傍聴者数は全体で29名程だった。空さんは2018年9月に初めて訴訟をし、野村さんは翌年1月より訴訟をし、2組とも約1年10カ月に渡り、国と闘い、長い裁判に耐えてきた。その判決内容は、「原告の請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は原告負担とする」というあまりにも酷いものだった。
違憲判断 しかし、除斥期間に阻まれる
判決言い渡しのあとは、裁判長が引き続き判決理由を読み上げた。憲法13条や14条1項に反する人権侵害として「違憲」であることや障害者の司法アクセス(法律関係の情報を取り入れて裁判を起こしたりすること)が難しかったということも認めていた。しかし「除斥期間(事件発生から20年経ったら損害賠償請求を認めない法律)」の存在が原告たちの訴えを阻んだ。判決の中で裁判長は「優生保護法が障害者への差別や偏見を助長したことは否定できないが、原告が提訴できない状況を国が意図的に作り出したとまでは、認められないし、救済についての立法措置が必要不可欠だったとは言えない。違法とすることはできない。」と話している。どこまで当事者の思いを踏みにじれば気が済むのか。国による法律で強制的に手術を受けさせられたことに加え、勇気をもって訴えたにもかかわらず裁判所は最後まで全く聞く耳を持たないまま最悪な判決となってしまった。
取り残されていることをわかってほしい。すごく悔しい。
判決後は報告集会。直接会場に集まり参加する方と、Zoom配信による視聴と2つの参加形態により報告集会が実施された。参加者100名を超える中、報告集会が行われた。
最初に弁護団による裁判判決概要の説明が行われ、改めて判決の不当さを訴えた。今回の裁判では「子どもを産むか産まないかを決める権利、平等に扱われる権利、憲法第13条や14条1項の平等違反を認めた初めての判決であったが、これまで仙台での判決の際にも言われた「除斥期間」の壁は超えられなかった」と悲しみを露わにした。
次に大聴協副会長の磯野氏の一言。「聴覚障害者として失望した。野村夫妻は本当に大きな決意で裁判に臨み、精神的にも身体的にも大きな負担を抱えながらがんばってきた。なのにこの判決で、とても心が痛んだ。50年以上前、福祉もまだまだの時代。手話も使えずいじめもあった中、情報を手にいれることの難しさもあった。今回の判決は私たちのこのような状況を汲んでくれていたのか疑問が残る。今後も支援していきたい」と話してくれた。
問うネットの臼井氏は自らの学生時代に、ろう学校の教師から「手話は動物の言語だ」と言われた経験を語られたあと、「除斥期間」について言及した。「この間の裁判の状況において、傍聴席に初めて情報保障がつくなど、約2年の間で裁判所の姿勢も変わってきたにもかかわらず、情報保障の制度が乏しいままなのが実情。情報保障に関しては個人の努力任せにしたままではいけないし、「司法アクセス」ができるようにするためにも、障害者が参加できる社会にしていきたいと思う」と話した。
DPI日本会議副議長の尾上氏は冒頭に「仙台、東京に続く3つ目の請求棄却。いったい何度私たち障害者をないがしろにしたら気が済むのか?司法はいったい何のためにあるのか?との思いを強くした。今回の判決は、私たちに何も向き合ってくれていない」と声を震わせながら訴えたあと、「生殖補助医療」に関する法律についても言及した。「優生思想に連なる条文が入った法律が出され、そのまま通りそうな状況と、今回の判決が重なって感じる。私たちが住む社会は、優生思想、優生保護法の被害にいまだに真剣に向き合っていない。この社会が優生思想と向き合い被害者に謝罪と補償が行われるまで今後も共に頑張っていきたい」と締めくくられた。
その後は弁護士団長の辻川氏が今回の判決に対し、弁護団として至らなかったと謝罪の言葉を述べられた後、今後は控訴をし、司法アクセス権についてもっと言及し、訴えを続けていきたいと話した。
最後に原告である野村夫妻が「裁判長の話はおかしいのではないか。障害者に対する差別があると思う。私たち夫婦からするといじめられているように感じる。我慢できる話ではない。不妊手術をされたことへのこの判決は、本当に悔しい。除斥期間で切られたことに怒りを覚える。私たちは司法アクセスもわからない、不妊手術をされたこともわからなかった。障害者を差別するのではなく、平等に扱ってほしい。障害者はさまざまな情報を受け取ったりしにくいということがある、ふだんの生活のなかでも、取り残されている。このようなことをわかってほしかった。すごく悔しい。自分のできることをもっと考えていきたい」と判決に対する悔しい思いを述べられた。
今後も闘っていく
今回、私は問うネット事務局として報告集会ではZoomで視聴しつつ要約筆記要員で参加させてもらったが、筆記をしながら悔しい気持ちでいた。優生保護法は国が意図して「障害者に子どもを産ませないようにした法律」であり、100%国が悪い。障害があることを理由に、何も知らされないまま手術をされ、時間が経ってからその事実に気づいたときには既に元の体に戻せないということだけが残り、どこにぶつけていいか分からない悔しい気持ちを抱えながら生きてきた原告たちのことを思うと、同じ障害者として心が握り潰されるような憤りを感じた。みんなと同じように好きな人と結婚して子どもを産み育てる権利を奪っておきながら「ごめんなさい」の一言も言えず、どこまで障害者のことを踏みにじるつもりなのか、考えれば考えるほど腹立たしくてしかたがありません。
今回の判決は到底納得できるものではないし、今後も闘っていくことを改めて強く思った。社会にはまだまだ差別や偏見があるが、私たちは生きている限りそれらと闘っていかなければならない。闘っていく相手が一般市民であろうと、国であろうと、私たちは私たちの当たり前の権利を諦めるつもりはない。一人の力じゃ難しいことも、仲間がいれば強くなれると信じて、今後も一丸となって取り組んでいきたい。
文責: ナビ 東
※関連記事 強制不妊手術裁判、11月30日大阪地裁判決へ!
2020/12/18
12月11日(金)西成区民センターで障大連(障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議)として対大阪市交渉を行った。会場には、75名参加、その他、ZOOMやYouTube、ビデオレターなどを活用し、精いっぱい声を届けた。(ちゅうぶに関係の深い課題を中心に1日目の概要を記載)
全体的な課題
都構想
障害者はサービスをつなぎ合わせて生活している。一つでも削られると生活できない。「サービス水準の妥当性の検討」とは、現サービスが贅沢で不要だと言われているようだ。条例案の動きは、市民不在で勝手に決める動きでないか。障害者団体ときっちり話し合いを持ってほしい。
(会場から意見)
住民投票で否決されたのに、総合区構想や広域一元化条例案を出し、大阪市を形骸化する動きは許せない(堀)。
障害者の生活がどうなるのか説明してほしい。(石田)
介護
介護の支給決定
マトリックスを上限と勘違いされる。正しく、公開・周知してほしい。相談支援事業所と障害審査会には知らせること。介護力(家族介護)が前提になっているが、介護力といっても多様化しており、支給決定の考え方が現実にあっていない。
(会場から意見)
結婚して、介護時間数が減らされました。区役所には家族に介護してもらってくださいと言われましたが、夫は仕事で、介護が必要な時にいない。義母は高齢。私は介護してもらうために結婚したんでない、もとの時間に戻してほしい。(久保)
坐骨神経痛ですごく痛い、お尻や太ももに褥瘡ができる。前立腺肥大もありトイレが近い。咳と痰がひどい。薬の副作用で気分が悪くなるなど、62歳になり、2次障害が増えてきました。介護時間をもっと増やしてください。(西川)
久保さんは、旦那さんの介護時間を増やしても足りない状態。西川さんは、深夜帯の介護時間が十分に認められていない。実態に合わせた介護時間を決定してほしい。(小坪)
年末年始対応基準
生活介護が休みになると介護が足りない。日曜日が多い月、祝日、コロナによる生活介護の休業、台風など災害時などがある。生活介護が休みになる場合には、1日からでも認めてほしい。文書表現について協議してください。
(会場から意見)
年末年始対応の申請をしたが、土日を挟んでいて休みが連続してないからと認められなかった。生活介護が休みになるときは、1日から認めてください。介護がないと生活できません。(森園)
熟練ヘルパー同行支援
介護は、障害者のそれぞれの状態に対応する必要があるので、採用されて6か月以内の新人に対象が限られると実態に合わない。初めての障害者の場合は認めてください。審査会や受給者証の再発行などの煩雑さが解消されたのなら、それを周知してほしい。HPに載せてください。
介護保険との併給問題
●併給では、外出できない、時間数引き下げ、障害者サービスの上積みがダメなど、トラブルが多い。全く違う制度なのに併給にした国の問題。併給の課題について要望してほしい。
●大阪市で独自に研修資料を作成いただいたが、相談支援事業所、各区自立支援協議会等への活用、集団指導HPへの掲載など、十分な周知を図ってほしい。
●併給で、サービスをどう組み合わせるのか、ケアマネ等が理解できない課題がある。ケアマネの研修が必要。介護保険には移動のサービスがないので、障害制度との組み合わせが必要。
●介護保険対象になっても今まで通りサービスが使えると周知してください。
新型コロナウィルスによる介護の課題
●コロナ対応をまとめて、明確な文書を出してください。ヘルパー事業所は多くの利用者宅を回るので、連鎖感染がおきる。福祉から衛生部局へ実態を伝えて、一人でも陽性になれば全員がPCR検査を受けることができるようにしてほしい。
●利用者が発熱しただけで、サービスを提供しない事業所がある。代替えの事業所を見つける必要があるという認識ができていない。穴をあける事業所には指導してほしい。法人だけで対応できない場合は行政も支援してほしい。どうすれば安全か、介護場面の動画などで研修してほしい。
就業・通勤の支援事業
厚生労働省が新設した雇用と福祉を抱き合わせた「就業・通信支援制度」を早く実施してください。大阪府制度では対象が狭すぎてだれも使えないので、国制度に乗り換えてください。大阪府は重度訪問介護を利用して生活している人が全国で一番多い、働いている人も多い。見本をみせてください。
(会場から意見)
自宅から45分かけて通勤している。今の制度だと、通勤中にヘルパーが利用できない。途中で、体の斜めに傾いたときや手が冷たくて車いすを操作できないときに困る。(鶴羽 代読(東))
アテンダント制度は1人しか登録できないので、体調不良のときに代替えの人がいない。事業所が申請しないと使えない制度で、不都合が多い。(東)
グループホーム
グループホームでの新型コロナ感染症の課題
●グループホームは、クラスターがおきやすい。施設とは違い、普通の民家と同じ暮らしの場なので、ゾーニングは困難。一人でも、疑いがあればすぐに検査してほしい。
●陽性だったら、すぐに入院できるようにしてほしい。障害者は基礎疾患が多く、重症化しやすい。
●医療がひっ迫し、入院調整に時間が要する場合、宿泊療養施設に介護者付きで過ごせるようにしてほしい。障害を理由に、療養施設が使えないのは、明白な障害者差別だ。
●グループホームがゾーニングできないので、陰性の人の避難が必要。支援者と一緒にホテルで避難した場合、かかり増し経費で保障してください。
グループホームの大規模化の防止
グループホームの大規模化に歯止めがかからないと心配している。重度であれば、あるほど、小規模で個別対応が必要です。グループホームの大規模化はやめてください。ショートも含めて10人以内としてください。グループホーム10人に加えて、ショート枠5名は大き過ぎます。
(会場から意見)
グループホームの大規模化に反対です。大きくなったら、施設みたいになって自由がなくなるから嫌です(ビデオレター)。大きなグループホームはダメです。クラスターが起きます。(西川和男)
グループホームの個別ヘルパー利用
グループホームの個別ヘルパー利用は3年間の経過措置延長となったが、今後、切り捨ての動きがあれば、国への働きかけをお願いします。
(会場から意見)
個別ヘルパーを恒久化してください。ヘルパーさんと買い物に行きます。ヘルパーさんがいないと生活ができません。(ビデオレター)
グループホームの物件確保
●小規模なグループホームの共同住宅利用は16項イ(複合用途防火対象物=雑居ビル)とするのでなく、適用項目を見直してほしい。
●公営住宅のグループホームの再入居について、特定入居の扱いを認めるとしているが、引継ぎを確実にしてほしい。住まいであるのに、国は目的外利用としていることは差別的だと考える。
●内装不燃化などグループホームの仕様について福祉と都市計画担当と連携して検討してください。
地域移行・地域生活
報酬
●収支差が大きいという理由で引き下げされるが、賃金は安い。中度、軽度をこれ以上切り下げてはいけない。これ以上グループホームを続けられない。増やせない。夜間支援体制について障害区分ごとに報酬に格差をつけられると困る。
年齢超過児
●長期入所は人権侵害。施設では情報がないから、施設が当たり前と思ってしまう。地域移行の情報をしっかり伝えて、地域に出たいか、きっちり聞き取ってほしい。
●施設訪問がコロナで中断している。地域と施設をつなげる外出の取り組みができていない。インターネットで外の情報を届けるとか、注意を図りながら外出を検討するとか、行政が連携し、何かするべきでないか。
●何ができるのか、ワーキングで検討してください。年齢超過児の受け皿作りが必要。また、自立の前段階支援、外出体験が大事。施設でモデル的にガイドヘルプを活用するなど検討してください。
相談支援事業
●障害者がマネージメントを受けられない実態を変えないといけない。しかし、相談支援事業所が足りず、相談支援の利用率は約50%しかない。相談支援事業所が圧倒的に足りないため、相談支援件数もほとんど増えない。
●相談支援員一人事業所が、多く、年間に30事業も近く廃止するため、新規事業所と差し引きしても、1%も増えない。このままでは基盤崩壊になる。
●大阪は、全国で一番、計画相談の対象者が多い。バーンアウトして続けられなくなる。高槻市が実施しているような開設時補助制度を検討し、相談員2人体制で事業開始できるように支援してほしい。
(会場から意見)
計画相談の事業所を増やせるように、待ったなしで支援が必要です。(平沼)
地域支援拠点機能の確立
●8050問題を各区で数件ずつ抱えていて、緊急のケースが発生している。地域のつながりが希薄になって問題が顕在化している。緊急時支援事業以外は、基幹相談支援センターや地域活動支援センターに丸投げになっている。
●受け皿づくりが課題。特に重度障害者の受け皿を拡充するにはグループホームを増やす必要がある。
防災対策
●エレベータで学校の3階以上に避難できるように、エレベータのカギを複製してもらったのは前進だが、上階での設備がどうなのか、学校と防災担当が一緒に見学して課題を調べてほしい。3階以上に車いすトイレを作らないといけない。
●車いす利用者が垂直避難できるように、学校だけでなく、ホテル、市営住宅の空き部屋、スーパーの駐車場、障害者スポーツセンターなど、命を救うために、様々な場を用意して一斉解放してほしい。どこに逃げたらいいのか情報を提供できるようにしてほしい。
身体拘束廃止未実施減算
地域では、段差などで車いす障害の転落を防ぐために安全確保のためにベルトを使うのは当然のこと。身体拘束でない、減算の対象でないことを区役所で周知してください。
(会場から意見)
脳性麻痺で、座位のために7つのベルトで身体を固定しています。本人が望んでつけるベルトを身体拘束と言うのはやめてください。 (森園)
日中活動について
●大阪は作業所運動の経過があるので、就労継続Bを居場所的な使い方をする人が多い。
●報酬改定案で、多様な就労ニーズへの対応として、平均工賃月額の他、一律評価体系が検討されている。引き下げにつながるのでないか。
●精神障害者の病状に波が大きい場合がある。たとえ短時間でも、就労継続Bで働きたいと望んでいる人がサービスを利用できるようにしてほしい。
2020/12/13
はい!赤おにの切り込み隊長、職員の上田です。
前回の梅田調査に続き、今回は撮影担当でちゅうぶのNEXTを担う重原さんをゲストに招き、浜寺公園のハートフルゲート体験や新今宮駅のキャタピラ昇降機の体験等の報告をします。
_(改めて)そもそものきっかけ・目的とは
●アクセス・バリアフリー担当であるが、街中で困ることが少ない
●実際に自分が車椅子に乗って外出・体感することで今後の活動に対する気持ちに火を付けるため
_概要
●田辺駅から天王寺駅、JR乗り換えで鳳駅経由の東羽衣駅へ
●南海羽衣駅から浜寺公園駅へ。浜寺公園駅のハートフルゲートをチェック
●南海浜寺公園駅から新今宮駅、JR乗り換えでキャタピラ昇降機を体験
●JR新今宮駅から天王寺へと戻る
_詳細
田辺駅から天王寺駅へ向かう。JRへの最短ルートはどれかと悩んでいたところ、清掃スタッフの方が最短ルートの説明だけでなく、エレベーターの場所まで案内してくれました。丁寧かつ親切な対応に感動。
JR天王寺駅ではスロープを用意してもらうために駅員に目的地を伝えるが、何分発の電車に乗れるのか見通しが立たず、不安だった。せめて「〇〇分発の電車に乗車できるよう今から調整します」といった一言がほしいです。
また、改札内のコンコースでは乗り降りに慣れた駅のはずが、車椅子ルートの複雑さに自分の位置感覚が分からなくなったことに衝撃を受けました。



JR東羽衣駅では「帰りは何時になるの?」「夕方は奥に引っ込んで事務作業をしているから窓口に係員がいないから。」と言われた。これが今広がっている時間帯無人駅か?
南海羽衣駅では高架ホームが工事中で、仮設ホームで乗車とのことだったが、エレベーターがない!!まさかの駅員4人がかりで階段を担いでもらうことになった。特に堀さんの時は簡易電動車椅子で重みもあるため、駅員が途中でよろめいていて非常に危なかった。車椅子担ぎが終わった後の駅員の後ろ姿から非常に疲れた様子が伝わってきました。ありがとうございました!



南海浜寺公園駅は、道路からホームへ直接車椅子で出入りする。しかし、切符やICカードは改札まで行く必要がある。駅員が改札までICカードを代わりに押してくれたりと配慮は良かった。




浜寺公園に着き、車椅子に座った状態で初めてハートフルゲートを回したが、なかなか動かない!車椅子用ゲートのはずが、回すにはそれなりの力が必要で、それでも入れない人もいる。堀さんが公園事務所に苦情の電話を入れ、電話が終わった後に「困っていると声を上げなければ、相手は知らないままでいる。」という言葉が、トラブルを避けるために押し黙ったままでいた自分の過去と重なって、非常に重く響きました。


南海浜寺公園駅から新今宮駅、そこからJR新今宮駅に乗り換え。JR新今宮駅ではエレベーターがなく、キャタピラ昇降機でホームへ行くことになる。当初は階段手すりに沿ってホーム・改札を行き来するタイプをイメージしていたが、実物は例えるならガンダムに登場するガンタンク…

昇降機についてはまず準備するところから時間がかかる。駅員の介助で昇降機に乗せてもらい、ベルトを装着。駅員の内、1人は自分の後ろで昇降機を操作。もう1人は自分の前で周囲を安全確認。大きなモーター音が鳴らしながら、少し上向きの状態でゆっくりと階段を降りていく。ジェットコースターがゆっくりと上がっていくような感覚で、少し不安だった。

また、ホームから改札方面へと階段を登っていく人たちが何事かと自分の方へと好奇の目を向けていた。健常者なら1分もかからず改札からホームに行くことができるが、今回は昇降機の準備に約3分、階段からホームに行くまでに約3分半で、トータル6分半。この時は笑いで済んだが、これが通勤等で毎日続くなら非常に辛い。「エレベーターがあれば良いのですが…」という駅員の言葉も印象的でした。

無事に天王寺駅へ戻り、堀さんが多目的トイレに行こうとすると、中にはカギがかかっており、なぜだか無点灯…。前回の『回し蹴りおじさん』の件もあり、しばらく待つことに。それでも出てこなかったため、「大丈夫ですか?」「まだかかりそうですか?」と何度かノックと声掛けをすると、中からは一般の高齢女性が出てこられました。少し変な感じでした。

_まとめ
とりあえず何か設置すれば良いというわけではなくて、そこに当事者の意見は本当に反映されているのか。困っていることには「困っている」と声を上げることが大事だと思いました。
次回は他の時間帯無人駅を巡り、車椅子でも入れる良いお店でランチを計画中です♪
2020/12/09
弘法大師おられる御廟を目指して。
高野山第二弾。今回も高野山駅からは南海さんが臨時バスを出してくれ、奥の院口へ。バスの車椅子固定は、タイヤにストッパーするタイプ。シンプルで止めやすい。

奥の院口から弘法大師御廟へ約2キロ。
バリアフリールートとしては奥の院前バス停から階段なしで行けますが、段差を担ぎたい私たち、奥の院口から歩きました。名だたる戦国武将のお墓にテンションあがり、いろんなお墓と撮影。いいのだろうか、、、
途中、覚鑁坂(かくばんざか)に。43段あり、42《死に》を超える意味があるとされる。途中でこけると3年以内に亡くなると言い伝えあるが、無事にだれもこけることなく通過。姿見の井戸でも、覗き込み水面に自身の影が映らなければ3年以内の命!とどきどきだったが、みな無事に生き残ることに。

昼食は御廟近くの茶所。ここには熱いお茶の提供があり、ホッとして生き返る!持ってきたパン食べてお腹を満たし、いよいよ弘法大師さんおわす灯籠堂へ。神聖な空間で手を合わせる。
実は灯籠堂地下に、弘法大師さんにより近づける参拝通路があるはずなのだが、なんとコロナのため立ち入り禁止。ざ、残念!車いすで行けるか楽しみにしていたのに。
御廟からはバリアフリールートで、奥の院前バス停まで。途中、ユニークな企業のお墓の数々。企業で物故事件などで亡くなられた従業員の方のために作られているそうです。東日本大震災で亡くなった方への弔いのモニュメントもありました。
奥の院、お墓巡り。戦国武将に会える感覚あり、気持ちが洗われ元気もらえる不思議な感覚もあり、とても豊かになった1日でした。


車いす担がれまくった久保さんは、若かりしバリアな時代を思い出すと。奥の院自体は徒歩2時間ほどで巡れる。車いすを担ぐ研修にもってこいかも。南海バスさんは、ケーブル乗車の対応も非常によく、季節を変えてまたきたい!でも次は比叡山か!?
2020/12/05
DPI日本会議・副議長/NPOちゅうぶ代表理事 尾上浩二
■国バリアフリー法で学校バリアフリー義務づけ
今年5月に国のバリアフリー法が改正されました。前回2018年から2年ぶりとなる今改正の目玉は、学校のバリアフリー化の義務づけです。
学校のバリアフリーは長年積み残されてきた課題です。建物のバリアフリーに関する法律は、ハートビル法制定の1994年までさかのぼります。それから26年目にして、ようやく国の法律で学校のバリアフリーが義務づけられるようになったのです。
私たちが住む大阪のまちづくりの中でも、学校のバリアフリーは大きな課題でした。
1992年に大阪府は全国に先駆けて「福祉のまちづくり条例」を制定します。しかし、特別支援学校はバリアフリー義務づけの対象になったものの、地域の小中学校などは努力義務にとどまりました。
私は、当時、大阪府の条例制定運動の中心にいましたが、とても悔しい思いをしました。それで、翌年につくられた大阪市の要綱(ひとにやさしいまちづくり要綱)をつくる時は何としても学校のバリアフリーの義務づけを実現しようと、夜23時くらいまで粘ったことを思い出します。大阪市の担当者も頑張って教育委員会などと調整して、地域の学校もバリアフリー義務づけの対象になりました。特に、小中学校のほとんどは大阪市立のため、自らつくった要綱を守る趣旨から大阪市内の学校にはエレベーターをはじめバリアフリー設備が整えられるようになりました。今年3月に衆議院の国土交通委員会で行われた参考人質疑に私も呼ばれ意見を述べましたが、大阪市内の小中学校の96%はエレベーターが設置されていることを紹介したところ、そのことを聴いた国会議員は驚いていました。
大阪府条例も、1995年の阪神淡路大震災で、避難所になる学校の体育館が段差だらけで避難できない状況にあることが明らかになり、2002年に見直されて学校のバリアフリーが義務づけられました。
21世紀に入ってからは、「学校のバリアフリーはそれなりに進んできているだろう」と思っていましたが、2011年の東日本大震災で全然違う状況にあることが分かりました。
東日本大震災から10日後くらいに、障害者救援本部の立ち上げのために現地入りすることがありました。その時に、救援物資も届けようと車に積んで持っていきました。ところが、避難所になっている小学校に行ったら、入り口に5段ほどの段差がありました。現地は避難生活で大変な状況だったこともあり、電動車いすで入るのはあきらめ救援物資は他のスタッフに持っていってもらうことになりました。
当時、住んでいた東京でも同じようなものでした。電動車いすを使っている友人は、交通機関が止まり帰宅できず小学校の体育館に避難したところ、入り口に段差があり担ぎ上げてもらって入ったが、その後、トイレにも行けず苦労したと言っていました。
国の法律で学校のバリアフリーが義務づけられていなかったため、とても大きな地域間格差が生じていました。そうした格差を無くして、全国的に学校のバリアフリー化を進めるという点で、今回の改正はとても大きな意味を持つものです。学校のバリアフリー化が進むことで、「設備が不十分だから」といった理由からの入学拒否はなくなり、インクルーシブ教育を前進させていく環境ができます。また、最近、日常化している地震や台風などの時も、家の近くの学校が避難所として大きな役割を果たします。
■鍵は市町村教育委員会のバリアフリー整備計画
〜国の整備目標と連動させて〜
このようにバリアフリー法の中で学校バリアフリーが義務づけられたことは意義あることですが、一方で課題もあります。
一つは、学校の多くを占める既存物も含めたバリアフリー化をどう進めるかということです。バリアフリー法は新築や大規模改修の場合は義務づけになりますが、既にある建物(既存物)は努力義務になります。少子化の今、新設の学校は少なく、ほとんどが既存物となります。この既存の学校をバリアフリー化していくためには、学校を設置している教育委員会がバリアフリー整備計画をつくって進めていくことが不可欠です。
もう一つは、公立の小中学校以外の幼稚園や高校、大学、そして私学の学校のバリアフリー化です。こちらは、大阪府のまちづくり条例が関係してきます。
ここで、一つ目の公立の小中学校のバリアフリー現状を見てみましょう。
情報公開で入手した「学校施設のバリアフリー化に関する実態調査結果」では、今年5月1日現在の市町村ごとの小中学校のバリアフリー状況が伺えます。
最近、頻発する水害で三階以上への避難勧告が増えてきました。上階への移動に不可欠なエレベーターの整備状況を見ると、100%から0%まで、とても大きな差になっています。
また、バリアフリー計画を持っている市町村は43市町村中12にとどまっています。大阪市もエレベーター整備自体は進んでいますが、計画は「無し」と回答しています。そして、計画を持っていない31の内、計画策定予定が有ると答えたところは富田林市だけです。つまり、今年5月段階では、大阪府下の7割の市町村が計画もなく、策定予定もないと答えているのです。
さらに、計画が有るところでも、例えば枚方市はエレベーター整備率は11%にとどまっています。多くの自治体では避難所として使われる体育館などのスロープ設置などが中心だったのではないかと思われます。ぜひ、「みんなの学校」となるように全ての校舎を対象にしたバリアフリー計画が求められます。計画を既に持っているところも、この機会に見直していく必要があるでしょう。
市町村のバリアフリー整備計画を後押しする国の動きも始まりました。
今年7月に文部科学省は学校バリアフリー化に関する検討会(「学校施設のバリアフリー化等の推進に関する調査研究協力者会議)を設置して、バリアフリー化を進めていくための検討をしています。
9月に出された「緊急提言」は、けっこう力強い内容になっています。障害者団体からの意見も取り入れて、「国として、2025年までの5年間に緊急かつ集中的に整備を行うための整備目標を設定する」と明記し、今後5年間に「緊急かつ集中的」に整備が進むような目標を設定するとしています。また、そのために、国のバリアフリーの補助制度も充実させることも明らかにしています。
その上で、市町村教育委員会などに対して、「今後国が設定する整備目標も踏まえ、バリアフリー化に関する整備目標を設定すること」を求めるととともに、「新増改築時のバリアフリー基準の適合はもとより、既存施設のバリアフリー化に関する整備を着実に行うこと」と既存物も含めたバリアフリー化を行うことを提言しているのです。
こうした「緊急提言」なども追い風に、各市町村の教育委員会で学校バリアフリー整備計画がつくられるように、働きかけていきましょう!
2020/12/01
10月16日田辺第二町会や社会福祉協議会の方々にご参加いただき、防災の集いを開催し、阪神大震災で被災し車いす生活になったリオの中野弓子さんに当時の体験を語っていただきました。

私は、32歳の時に神戸の長田に一人暮らしをしていて自宅で震災にあい、その時から車いすになりました。
1995年1月17日 午前5時46分 阪神大震災が起きました。
地震があったときは寝室で畳に布団を引いて寝ていました。5時46分 グラグラグラと激しい揺れが来て一瞬で電気が消えました。何が起こったかわからなくて早く逃げないとと思ったけど揺れで立ち上がることが出来ず、とりあえず体を起こしてとんび座りをしていました。その間もグラグラ揺れていました。何回目かの余震で私の後ろ側にあったタンスが私の上に倒れてきました。タンスが後ろから、たおれてきたのでとんび座りをしたまま前にふせている姿勢で、私はタンスの下じきになりました。一瞬で動けなくなりました。足の裏に手が届いたので触ってみたら何の感覚もありません、痛みもありません。私の上には天井かなにかの、がれきが降ってきてうまってしまいましした。
『ガスがもれてるー』『火ぃ使ったらあかんでー!!』と声が聞こえてきました。私は逃げることが出来ない、どうすることも出来ない!と、ものすごく怖かったです。『助けてー』と声を出し続けましたが、タンスにはさまれて大きな声がでないし、ヘリコプターの音も大きく、私の声は誰にも聞こえていませんでした。余震がずっと続いてました。タンスはどんどん重くなって来て、息が苦しくなって来て何回も意識が飛んでいきそうになり、息をすって、はいてーすって、はいてーと何回も何回もしていました。
余震のたびに上から何かがバシャンバシャンと落ちてきていました。私は出来るだけ頭をタンスの下になるように体も小さくなるようにちぢこまっていました。このまま誰も見つけてくれなかったらと何回も考えました。誰にも気づかれずに時間が過ぎていきました。その間必死に体を小さくして耐えていました。苦しくて怖くで不安で仕方がなかったです。身動きも取れない声も届かない・・・なにもできないまま耐えていました。
何時間たったかわからない時間がたって、『誰かいてないかー?』『埋まってないかー?』と声をあげながら探している人の声が聞こえました。私が下敷きになっているがれきの上を通り私を踏んでいます、この上に人がいる!!と気づいて『下に居ますーー、下に居ますーー!』と必死に声を出しました。
その人が自分の足元のがれきの下にいる私の声に気づいてくれました。
『どこにいてますかー?』という声に『真下です!!』と声を上げ答えました。見つけてくれた!助かった!助かったんやーーと思いました。人を呼んできてくれてがれきを掘り、私を見つけてくれました!『動けますか?』『立てますかー?』 『全然動けません』という会話をしました。私をタンスの下から私の体を引きづり出してくれました。立てない私をどうやって運ぼうという事になり、入り口のドアを見つけて、それをタンカにして乗せて運び出してくれました。
助けてくれた人たちはレスキュー隊ではなく近所の人たちが自主的に救出活動をしてくれていました。少し離れたガレージに連れて行ってもらい、そこには人が集まって焚火をして暖を取っていました。うつぶせのままで運ばれて行ったので町の状況がどうなっているかはわかりませんでした。ガレージでは誰かが口に食べ物や飲み物を運んでくれました。話もしたと思いますが覚えていません。避難所がどこにあるかわかりません。救急車は全然来てくれません。救急車が来ないので、近所の人が警察の人を見つけて話をしてくれて、病院まで先導してもらう事になりました。その人の軽トラに乗せてもらって、神戸大学病院に送ってもらいました。
何時間たったのかぜんぜんわかりませんでした。まだ明るかったので夕方になっていなかったのだと思います。地震で病院のエレベーターが壊れていたので、階段でドアで作ったタンカに乗ったまま2階まで運んでもらいました。病院に運ばれてからドアのタンカからベッドに移してもらいました。ずっとうつぶせの状態からあおむけに寝かされ体を伸ばしたので、この時に初めて痛さを感じました。この時まで全く痛みを感じてなかったのだと気づきました。体のあちこちの骨がおれたり、足がずるずるにすりむけていたり、たくさんケガをしていたようです。キョウレツな痛みを感じました。あちこちどこが痛いのかわからないくらいの痛みでした。何の検査をしたのかぜんぜん覚えていません。
停電で病院の中は真っ暗でした。真っ暗闇の中ずっと点滴をしていました。部屋は6人部屋で同じ部屋には重症の人ばかり運ばれてきます。余震が何回も来るのでガラスには割れない様にバッテンにテープが貼られていました。病室がゆれる時には、『こわいー』と叫んでいる人の声も聞こえてきます。病室から外をみたら火事で町が真っ赤に燃えていました。ずっと燃えていました。空襲ってこんなんやったんかなと考えていました。看護師さんは懐中電灯で移動していて、その灯りがチカチカと動いたり、ガヤガヤした声がします。その間も余震は続いていて 何回も目が覚めました。
『ここでは手術ができません』と言われて、足が治るのかどうかもわからないまま過ごしていました。神戸の病院から1月末くらいに高槻の病院へ転院しました。高速道路が倒れていたので救急車で京都まで行き、そこから自衛隊のヘリコプターで高槻まで行きました。毛布でくるまれてストレチャーに乗ってヘリコプターに乗りました。声は聞こえるけど周りが見えなくてすごく不安でした。神戸病院の先生がついてきてくれてました。病院についたらそのまま検査が始まりました。検査が終わり先生が『一生歩くことはできません』と言いました。なんで歩けないのか意味がわかりませんでした。付き添ってくれる家族がいませんでしたので神戸の病院の先生が一緒に話を聞いてくれました。ひとりで話を聞いていたら怖かったやろうな、先生がいてくれて良かったと思いました。
手術をしたら治るかなと思っていました。もう一生歩けないというのはどういうこと?寝たきりになるの?と色々な不安が頭の中をぐるぐるまわって涙がボロボロでるというより、ただただ「わたしはどうなっていくんやろうか?」という不安でいっぱいでした。
2月3日に手術をしました。検査では神経がどこまで通っているか調べるために頭を丸ぼうずにされました。『車いすには乗れるようになるよ』と先生が言いました。車いすに乗れるんや、寝たきりじゃなくてもいいんやとものすごくホッとしたのを覚えています。背骨がナナメにおれているという事で骨を固定するため、骨盤の骨を背中へ移植する手術をしました。手術後は半年寝たきりの状態で動くことができないのでずっと天井を見て過ごしました。とても長く感じた半年でした。
以上が私の体験談です。日本に住んでいる限りこれからも地震などの災害がおこります。

近所の人が助けてくれて見つけてくれて今生きていると改めて思っています。近所の人の協力が絶対に必要だと思うので、町内会の訓練に行ったりして知った顔になっておくのは大切だと思っています。
2020/11/20
こんにちは。ナビの中尾です。
先日、大阪市こころの健康センターで行われた、ひきこもり市民講座に参加してきました。
大阪市内に住んでいる、もしくは勤務している人に対し、無料で行われている講座です。
1回目の今回は精神科医の視点からということで、そもそも「ひきこもり」という状態の定義や、コロナ禍がひきこもりに与える社会の変化等のお話を聞きました。
「ひきこもり」とは、厚生労働省のガイドラインがあるのですが、短くまとめると6か月以上家庭にとどまり続けている状態だということで、外出をしていても他者と交わらない形ならば、それはひきこもりに入るということでした。なぜ6か月なのかというと、自分ひとりだけで解決するのが難しく、第三者の支援が必要になってくる目安が概ね6か月なのだそうです。
ひきこもりという言葉に良いイメージはなく、克服すべき課題のように捉えられがちではありますが、それでも何らかのストレスから離れることができている、ひきこもれるという環境が整っているというメリットがあって、それを本人や周りの人が知っていることが大事だなと思いました。
現代はとかくコミュニケーション能力が重視され、周りと調和し空気を読んで、なんとかそこでやっていくことが求められていると思いますが、近年の研究では、逆境的小児期体験(18歳未満に遭遇した心的外傷を引き起こす可能性のある出来事)が、成人期の健康に有害な影響を及ぼしてしまう。だから適切に逃げたほうがいいんだ、という風に変わっています。
自分の経験や価値観を過信せず、押し付けず、情報取集を怠らない姿勢が求められていると感じました
2020/11/13
自立生活センター・ナビの小坪です。
11月1日に大阪市廃止・特別区設置を問う住民投票がありましたが、反対多数で大阪市の存続が決まりました!
ちゅうぶとしても早くから大阪市「廃止」に反対の立場で様々な行動を行ってきました。
障大連での市役所前行動や、毎週土曜日には、なんば、梅田、京橋、天王寺など各ターミナルごとでのビラマキを行いました。ちゅうぶとしてもまず、法人の全体会で学習会を行い、その後、8月には「大阪都構想を考える世話人会」をスタッフの有志で立ち上げました。取り組んだのは世話人会での学習会、職員会議や障害者職員での学習会、東住吉区、平野区でのビラマキ行動に加えて東住吉区、平野区の市営住宅などにポスティングに回りました。
ポスティングの翌日にはトータルで5件くらい応援の電話がありました。また近鉄針中野駅での反対アピール行動では、「私も反対や!」と声をかけて頂くことも多く勇気づけられました。
5年前はなかった取り組みで今回力を入れたのは何と言ってもSNSの活用ですね。
CILでの活動に加えて、音楽活動をしている東に「大阪市廃止に反対する歌」作ればええねんと声をかけたことをきっかけに「うちらの大阪市がなくなるかもしれへん」が出来ました。
この曲の作詞は東佳実、作曲:小阿弥学さん(自立支援センターぱあとなぁ)です。
他にもたくさんの人の協力がありスピーディーに完成しました。
この曲は「ストレートな歌詞が胸に突き刺さる」、「一度聞くと耳から離れない」など高評価を頂きました。

はじめは大阪市廃止に「賛成」する人が多く、本当に逆転できるのか不安になることもありましたが、地道な活動でジワジワと差が詰まり、最終的に大阪市の存続が決まりました。
今回の行動は2003年のヘルパー時間数の上限問題の反対行動と重なるものがあり、大阪都構想が通ってしまうと「障害者が生活できなくなるのではないか」という危機感がありました。
その危機感が原動力となり、短期間にこれだけの取り組みが行えたことは凄く大きいし、大阪府下や全国の仲間と一丸となり取り組めたことは大きな自信となりました。
これからの動向をしっかり見守っていきながら出来ることを地道にしていこうと思います。たくさんの皆さんご支援、ご協力改めてありがとうございました。
2020/11/03
1948年(昭和23年)制定の旧優生保護法に基づき、特定の疾病や障害を有すること等を理由に、多くの方が生殖を不能にする手術又は放射線の照射を受けることを強いられました。これは法律が変わる1996年まで続き、被害者は心身に多大な苦痛を受けています。救済策を講じてこなかった国に対して、全国で謝罪を求める訴訟が起きています。
<全国訴訟一覧> (2020.10月現在 弁護団HPより)
・札幌地裁~3名 2019/5/31第4回期日。
・東京地裁~1名 2020/6/30原告敗訴(全国2件目の判決)。
・仙台地裁~5名 2019/5/28原告敗訴(全国初の判決)。2020/9/4控訴審第2回期日。
・静岡地裁~2名 2020/12/25第2次訴訟弁論期日。
・大阪地裁~5名 2020/7/17第1次・第2次結審→ 11/30判決予定。 2020/10/15第3次第1回期日。
・神戸地裁~5名 2020/11/12第10回期日。
・福岡地裁~2名 2020/7/16第1回期日。
・熊本地裁~2名 2020/8/19第9回期日。
計25名 (60~80代。男性11名、女性14名。)
各地の裁判の流れ
コロナ禍の影響で、各地の4~5月の裁判が取り消し・中止を余儀なくされました。現在でも傍聴できる人数は制限されており、各地でZoomによる報告集会が開かれています。傍聴人数を増やして注目度を高めたいところに、この状況は正直痛いものがあります。ただ、このリモート化がなければ他地域の報告集会を聴くこと等はなかったし、会場に行きにくい人でも画面を通じてリアルタイムに参加できるようになったことは救いだなあと感じています。
昨年の仙台判決に続いて、今年6月にも東京地裁において原告敗訴の判決が言い渡されました。これを受けて、改めて日本弁護士連合会(日弁連)の会長も、かいつまむと下記のような声明を出しています。※
「仙台では敗訴だったけど、『優生保護法は違憲だ』ってちゃんと言ってくれたよ?
東京ではそこさえ突っ込んでないって、どーいうコト? 後退しとるがな!
しかも、『1996年※の時点で、被害者は訴えようと思ったら訴えられたはずでしょ、
20年以上たってるからもう時間切れ~~』って、なんじゃそりゃ!!
国や法律によって人権を踏みにじられてきた被害者に対して、
「時間切れ」なんて考え方で逃げようなんぞ、もってのほか!!!」
※https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2020/200715.htmlを参照ください。
※1996年~優生保護法から母体保護法へ。不良な子孫の出生防止にかかわる条項が削除された。
仙台・東京での敗訴を受けて、大阪では何としても勝訴したいところです。ここで敗訴することは、他地域の裁判にも大きく影響します。大阪の判決(第1次・第2次)は11月30日です。
仙台では現在、昨年の判決に対する控訴審※が行われています。第2回期日は9月4日に行われ、私はZoomによる報告集会に後半だけ参加することができました。裁判に参加された方々からの報告では、「裁判官は本当に被害者がどんなに苦しんでるか、わかってるのかな?」「ちゃんと伝わってるんかなぁ…どれだけひどい人権侵害か、重大な問題か、もっともっとわかってもらわないと」等、危惧する声が多かったように思います。これは、私にはけっこう意外でした。と言うのも、大阪地裁でこれまで傍聴していた限りでは、悪くない感触だったからです。法廷でも裁判長は原告に対して配慮しているように見えるし、「判断するためには、事態を明らかにする必要がある。国側も、資料があるならきちんと提出しなさい」と求めていました。大阪の報告集会でも、裁判官に対する危機感としての意見はあまり出ていないように思われます。第1次・2次は同じ裁判長ですが、第3次はまた違う裁判長です。今後も注視が必要です。
大阪の裁判
⼤阪府では、現在原告5名(うち被害者本⼈3名)が裁判を進めておられます。
●1次提訴(2018.9.28) 1名 70代⼥性(後天性知的障害の⽅)
●2次提訴(2019.1.30) 2名 70代⼥性とその夫(聴覚障害のご夫婦)
●3次提訴(2019.12.13) 2名 70代⼥性とその夫 (聴覚障害のご夫婦)
2020年10月15日(木)@大阪地裁
3次訴訟(聴覚障害のご夫婦)の第1回期日。夫は先天性の聴覚障害、⼿術をされた妻は後天的聴覚障害。⼿術は、実家のある福井県の病院で、第1⼦出産の3⽇後に⾏われたそうです。裁判では、冒頭にテレビ撮影が入っていたそうです。裁判自体は20分ほどで終了。その後、弁護士会館にて報告集会。Zoomでの参加者は40名超。
★会場より~旧優生保護法がもたらした問題は、強制不妊手術にだけにとどまらない。この法律がもたらした優生思想が、皆さんの心に浸透してしまったことこそが、問題なのです。
★Zoom参加より~合法的に否定された障害者は、この裁判でもし負けるようなことがあれば、自分の障害をただただ恨むだけ。政府がつけられなかったケジメを、司法は絶対につけなければならない。障害者団体全体でまとまって立ち向かおう!
今後の争点は? 国側は時間切れ(除斥期間20年)を主張していますが、この20年をどこから数えるかによって判断が分かれてきます。私たちは、「原告が自分の被害に気がつき、賠償を求めることが可能になったのは、手術時点ではなく、坂口厚労大臣が国の責任を認めたとき(2004年3月)だ」と主張しています。この部分を大阪地裁はどう判断するのか?判決は11月30日です!
2020/10/30
みなさん、こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。
今回は、10月13日(火)早川福祉会館で行なった今年度1回目の障害当事者部会研修会について報告します。
当日は、非接触の体温計で検温をし、人との距離を空ける、マスク着用、喚起、消毒など新型コロナウイルス対策を徹底して行ないました。
「わたしの生活紹介と障害の困りごと」というテーマで大阪市平野区にあるNPOいちいちまるの比嘉由隆さんと私がお話させていただきました。
●比嘉さんはバイク事故で高次脳機能障害(症状としては、記憶障害、注意障害、遂行機能障害など)を受傷。病院や施設でのリハビリを経て、現在はヘルパー制度を利用しながら一人暮らしをされています。「困りごとに気づかないことが困りごと」ということを話されていました。生活している中で工夫していることは、料理の時、携帯電話の料理のアプリを見て作っているそうです。

●続いて、山下の障害(二分脊椎)のことも話させていただきました。先天性の障害で歩行が出来なかったり、排泄障害などがあります。高い所の物が取れない。外出する際、車いすで移動してると段差があり身体に衝撃がありしんどいという困りごとの話や、家の入口に段差があるけどスロープを設置して入りやすくしていること、お風呂に入る時はスノコを敷いたり専用の台を使って入れるように工夫していることを話しました。
●グループワークでは、2つのグループに分かれて、自己紹介、生活していく中での困りごとをそれぞれ話し合いました。まとめとして、比嘉さんが「何をするのも自由やから、こうでないといけないとかではなくて、例えば、料理の時も包丁を持ったら危ないけど、とりあえずチャレンジしてみよう」と。話されていました。

●参加者の感想
「お二人の生活に工夫を感じられました。挑戦していく気持ちを持ちました。」
「その人、その人で違った困りごとがあり、少しずつ改善していかなくてはならない。その為には声をあげていくことが大事だと思う。」など、いろいろな感想を聞くことができました。
●講演した感想
私は、高次脳機能障害の名前は聞いたことはありますが、どんな症状があるのか詳しく知りませんでしたが、比嘉さんのお話を聞いて、障害のことを少しはわかったし「困りごとに気づかないことが困りごと」というのは、なるほどな!と思いました。講演した感想は、学校交流で自分の生活史を話したことはありますが、事業所の人やいろんな障害の方にお話しするのは、あまり経験がなかったので、上手く伝わるかどうか心配でしたが、会場のみなさんから、たくさん質問もしてくれて、お話しやすかったです。生活史を話することは、まだまだ知られていない障害者の生活や状況を知ってもらう大切な機会だと思います。

これからも、当事者部会では、いろんな障害者の方にお話していただき、障害者への理解が深まるような企画をしていきたいと思います。
☆自立生活センター・ナビでは、大阪市から「東住吉区障がい者基幹相談支援センター」を委託されて運営しています。 基幹相談支援センターは、計画相談で対応できない障害者からの相談や、東住吉区など地域の事業者からの相談、東住吉区地域自立支援協議会の運営など、幅広い業務を行なっています。東住吉区地域自立支援協議会の専門部会のひとつに障害当事者部会があります。主に、日中活動の事業所や東住吉区身体障害者団体連合会などに参加呼びかけを行なっています。
2020/10/23
はじめまして!自立生活センター・ナビスタッフの鶴羽雄大(かつひろ)です。今年の4月からナビで自立生活プログラム(ILP)をやってます!
これからみんなに実際にILPでやったことを報告させてもらいます!
他の当事者がどんな生活してるかわからないから、東さんの家に行ってきました!東さんの家に行ってご飯食べてゲームして、一人暮らしの醍醐味をほんの少しだけ体験してきました!
東さんの家に行く途中であべのキューズモールでジュースを買って、矢田の駅で合流!東さんの家はマンション3階で、エレベーターで上がろうと思ったけど、狭すぎて僕しか入れず…(><)
だから、ヘルパーさんだけダッシュで階段であがってもらって、僕一人で上にあがりました。もし、僕が一人暮らしをすることになったら、エレベーターの広さも考えなあかんなぁと思いました。
それから、家に入って東さんの部屋見たけど、コナンのポスターとかいっぱい貼ってあってびっくりΣ(・ω・ノ)ノ!
僕も一人暮らししたら、好きなアニメのフィギュアとかいっぱい飾りたいなぁって思いました。
お腹すいたからみんなでピザを注文しようってなって、なんと僕が注文することになりました!自分の家で注文したことはあったけど、人の家で注文するのはじめてで、緊張しながら電話しました。ピザ届くのがめっちゃ遅くて、住所間違ったかと心配したけど、無事に届いてほっとしました…。ピザはみんなで食べるのおいしかったなぁ。
最後にみんなでマリオカートをやりました!switchのコントローラーの上のボタンが押しにくかったけど、介助者に手伝ってもらって、何回か東さんと対戦して勝った(*´▽`*)
正直、コントローラーの介助を介助者に頼むのは恥ずかしかったけど、これからは遠慮せずにどんどん頼んでいきたいなって思いました。
今回、東さんの家に行って、一人暮らししている障害者の生活を見れてよかったです!
次は僕と同じ筋ジスの人の家に訪問して、部屋の作りとか夜中の介助とかどうしてんのか知りたいです(*^^)v
2020/10/07
自立生活センター・ナビの小坪です。
9月19日にNPO法人ちゅうぶの35周年企画を目前に逝去された南光龍平さん偲ぶ会を開催しました。実行委員会を立ち上げたのが3月31日。
当初は5月に開催する予定でしたが、10月開催に変更。今回はコロナウイルス感染防止の観点からちゅうぶの1階(青おに)で偲ぶ会を行い、4階に中継する形にしました。
偲ぶ会の様子をZOOMとyoutubeで配信しました。参加者を限定する形になってしまい申し訳ありませんでした。
<タイムスケジュール>
14:00 偲ぶ会開始、黙祷、開会の挨拶(司会:山下より)
14:05 献杯(自立支援センターぱあとなぁ 地村様)
電報紹介―司会
14:10 南光さん生活史の紹介
14:20 南光さんとの思い出トーク
ゲストスピーチ
1-新崎国広様(大阪教育大学 特任教授)
2-セルフ社活動の記録映像上映
3-セルフ社時代の思い出話
松本彬良様(映像ディレクター)&田中三枝子様(セルフ社)
4-斎藤雅子様(自立生活センターたかつき)
5-大友ともみ様(中央介護センターサン)
6-大塚様(ヘルパーステーション飛鳥)
7-西尾元秀様(障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議)
8-小坪より
15:35 親族挨拶:南光仁子さん
締めのあいさつ:尾上浩二
16:00 記念撮影・偲ぶ会終了
南光さんは生前から自分は「ピア・カウンセリングで人生観が変わった」「言語障害があっても話すことを諦めなくていいと思えた」と何度も話されていました。
その思いから「言語障害が分からない場合は何度でも聞き返してほしい」「分かったフリはしないでね!」とたくさんの人に伝えていたんだなぁと思いました。
南光さんが伝えたかった大切なことは皆さんの心に刻まれているんだと思い出トークでスピーチをされる方々の話を聞いていました。
また当日は南光さんがちゅうぶに関わる前に働いていたセルフ社(印刷屋)を立ち上げたばかりの頃の映像もあり、12年ナビで一緒に働いた小坪でも知らないような話もあり貴重な時間でした。
南光さんの人柄が偲ばれるいい時間だったように思います。
2020/10/07
2020/10/02
11/7(土)、11/8(日)、11/14(土)に11月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
募集期間は10/5(月)~10/30(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2020/09/25
自立生活センター・ナビの小八重です。やっとこさ涼しくなって過ごしやすい日々が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?僕は健康診断の結果が良かったので浮かれ気味ですが、食欲の秋に負けないように自制を続ける予定です!予定は未定ですが!
さて今年度、ナビではILP(自立生活プログラム)の取り組みを進めていることは以前にもFacebookでお話ししたとは思いますが、今回は8月下旬に実際に行った活動の報告をさせていただきたいなと思います!
その名も「おうちであそぼう」企画です(‘ω’)ノ
コロナ渦で外出プログラムが難しいということもあり、今回はナビスタッフの東さん宅に自立を目指すナビの若手当事者スタッフ鶴羽くんと訪問し、一緒にごはんを食べてswitchでゲームをしようという企画を発案。この企画は、ILP担当者と鶴羽くんの距離を縮めるということもありますが、自立している当事者宅を訪問し、実際に話を聞くことで、一人暮らしのイメージを深めたいというねらいもあります。また、鶴羽くんには自身で当日のヘルパーさんを調整してもらい、ジュースを買ってきてもらうという役割を個別に設定。その他、企画を実行するにあたり、食事をどうするのか、トイレをどうするのかなど細かく内容を決めたんですが、まぁイレギュラーを何かしら起きるだろうと想定しながら計画を練っていきました。
そして当日。東さんが駅まで参加者を迎えに行き、小八重は単独で東さん宅へ。東さんのマンションに到着後、さっそく問題発生。
鶴羽くんの車いすが大きくて、エレベーターに入れない…。
結局、車いすだけはギリギリ入れたので、ヘルパーさんはダッシュで階段を昇ってもらい待機してもらう作戦で東さんの部屋に。東さんの部屋は名探偵コナンやポケモンのグッズで溢れ、ピアノやペットのハルちゃん(デグーというネズミの仲間🐁)がいたり、まさに東さん色に染まった「城」でした(‘ω’)鶴羽くんもこの部屋を見て驚いた様子。かなりインスピレーションを受けたようで、「自分が一人暮らしをしたらこんな部屋にしたい!」と一人暮らしトークをしばらくした後、宅配ピザを注文。(注文は鶴羽くんにしてもらいました)トークとピザでほとんど時間を使い果たしてしまい、すこーしだけswitchでマリオカートを対戦プレイ!鶴羽くんはコントローラーの上(LRボタン)が押しにくいので、介助者の補助で操作。今まで、誰かと一緒にゲームをした経験がなかったとのことで、すごく楽しまれていました(^▽^)…しかも、経験者の東さんに何度か勝ったりしてました(笑)
何やかんやであっという間に時間が過ぎてしまい、今回のILPは幕を閉じました。短い時間でしたが、鶴羽くんは今回のILPで得たものが大きかったようで、一人暮らしをしたいという気持ちをより後押しできたのではないかと思います。このあたりに関しては後日、鶴羽くん本人から今回のILPを通しての感想を報告してもらいたいなと思っています(‘ω’)ノ取り組みは今後も継続していくので、その都度皆様に報告させていただきます!
2020/09/24
8月28日(金)に大阪地方自治体研究センターの山口勝己さんを講師にお招きして、大阪都構想の学習会を行いました。以下は学習会の概要になります。
こんにちは、山口です。私は、ちゅうぶの皆さんと長いお付き合いをさせていただいています。1983年に大阪市役所民生局に配属され、民生局支部から組合活動をスタートさせました。その頃、ちゅうぶの皆さんも中部障害者解放センターの立ち上げの頃だったと思います。障害者問題は本当にちゅうぶの皆さんに教えていただいたと思ってます。
5年前の住民投票の時は、もう都構想は終わったと思っていたのですが、また、住民投票ということになりました。悔しいと思いますが、今度こそ、大阪市が廃止され、特別区に分割されるということで、ちゅうぶの皆さんや障大連の皆さんが長年の運動の中で築きあげられたものが、脅かされる危険性がある課題ですので、ぜひ、一緒に反対の取り組みをしていただきたいと思います。
1 私たちに関係あることとして考える
皆さんは、都構想というだけで、難しいなと思われると思います。この難しさについて考えてみたいと思います。
例えばコロナウィルスが流行っていますが、医者でもない私たちには難しい、けれども、どうしたら感染しないのかとか、人に移さないのかとか、そういう自分との関わりで考えたら理解できると思います。ですから、分からないから考えないんじゃなくて、私たちに関係あることとして考えていくということです。
2 都構想は政治スローガン 大阪都にはならない
それから、5年前と違うのは、行政は5年前は「特別区設置の住民投票」と言っていたんです。今回は、大阪市も大阪府も「都構想」と言っている。「都構想」というのは大阪維新の会という地域政党の政治スローガンで行政用語ではないんですよ。この住民投票が賛成多数となっても「大阪都」にはならないんです。
3 大阪市がなくなり4つの特別区へ
だけど、確実に、大阪市はなくなります。大阪市役所もなくなり、4つの特別区、北区、淀川区、中央区、東住吉を含む天王寺区ができる。北区の人が払う税金と天王寺の人が払う税金は違います。お金持ちの区とそうでない区ができます。
それと、平野区とか東淀川区とか市営住宅が多いです。北区とか中央区は少ないんですよ。市営住宅は生活保護を受けている方も受け入れますが、逆にお金持ちの方の入居はありません。住宅福祉という考え方で整備されています。そしたら、どうなるかというと、大阪市はなくなるのだから、淀川区営住宅、天王寺区営住宅になります。福祉を必要とする人の住宅ですから、障害を持つ人も高齢者の人も経済的にしんどい人も入れるわけです。だから、福祉を必要とする人が多くいる区が、税金(税収)が少ないにも関わらず、多くのことをやっていかないとならないということです。
4 特別区の差がだんだん大きくなる
都構想の本質は、特別区構想ということです。その特別区のどこに住んでも同じということでなくて、どの区に暮らすのかでずいぶん差が出てくる可能性があります。そして、その差はだんだん拡大します。なぜかというと、淀川区が一番顕著なんですが、建て替えないといけない古い公営住宅がたくさんあるんです。2025年1月1日に特別区になると言っていますが、それまでに、借金でたくさん建て替えるんです。その借金は新しい特別区の淀川区の借金です。将来もっともっと建て替えなければならない淀川区や天王寺区は非常に厳しい。
今は、大阪市全体で財政運営しているから、市内のどこに住んでも同じような福祉や教育を受けることができます。けれども、都構想で4つに分かれると、それぞれの区しだいになるので、本当に維持できるかわからない。
本日、配った「都構想まるわかり」って、皆さんの身近な形で問題を知ってもらおうと思って、書いていますので、ぜひ、読んでいただきたいと思います。
また、もう1冊の「『大阪都構想』ハンドブック~『特別区設置協定書』を読み解く」という100頁ほどの本ですが、6つのエピソードを解説につけています。ですから、都構想のことを考えてみたいと思っていただける方はぜひこちらも読んでいただければと思います。
意外なところで、自分たちの身に降りかかってくる問題だということで、都構想についての関心を持っていただければと思います。
5 都構想の本質はお金 市の税収の3/4が府にとられる
「都構想」というものは、その自治体の運営の話ですが、本質はお金です。
大阪市民が払う税金はすごくたくさんありますが、その7割は国税で、国が税金として持って行ってしまう。だから、本当でしたら、大阪市民や大阪府民が払う税金で大阪の福祉はものすごい水準の福祉とか実現可能だけど、7割が国に入るので、大阪市も自分たちの税金では賄えないという事態になっています。これは、神奈川県とか横浜市とか大きいところも同じですが、例外があります。東京都は例外です。東京都は多くの国税を払ってもなお豊かで、地方交付税の不交付団体です。
地方交付税について、簡単に言うと、憲法に保障された住民サービスを大阪市がきちんと必要最低限のことをするためには、例えば、100億円必要なのに、大阪市が自由に使える税金が80億円しかなかったら、20億円足りない。これを国がくれるということです。でも、国がくれるといっても、もともとは大阪市民が払った税金なんですよ。でも、国から降りてくるから、国の言うことを聞かないといけないようになる。
そんなふうに考えたときに、大阪都構想というのは、大阪市がそれまでもらっていた税金の3/4を大阪府の税金にしてしまうということ。大阪府から特別区は配ってもらうという関係になる。だから、大阪市として税金の使い道を決めるのが、大阪市の一番の責任だった。市民の皆さんの声が反映された使われ方をしているという実感があれば、都構想で大阪市の税金が大阪府にとられるのはあかんって思うでしょう。
みなさんは、障害者の運動で、いろんな制度を勝ち取ってこられた。それは、大阪市の税金を障害者市民のために使うということです。それが、大阪市がなくなり、税金が大阪府に移ると、必要最低限のお金しか府から特別区に配られなくなります。それ以上ことをしたかったら、特別区のお金でしたらいいということになる。でも特別区にはそんな余裕はない。それが都構想です。
6 4つの特別区に分割すると高くつく
皆さんは大阪市役所に交渉に行くでしょう。大阪市に要望して実現したこともあると思いますが、今度からは、無い袖は振れないということになる可能性が高い。
どうして、そうなるかというと、交付税は必要額と収入額の差額をもらえるということですが、大阪市が一つの政令市の時は275万人のスケールメリットがあって、効率的に行政サービスを提供できる状況だったのが、4つの特別区に割るということで、単純に言うと、区長さんも4人になる、大阪市長さんは1人でしょう。区長さんの給料が余分にかかります。実際に仕事の効率も悪くなるし、お金も高くつく。
一人暮らしって結構高くつく。一人でも、家賃も電気代も水道代もみんないる。4つに割れば、100億円の支出で、80億円の収入。国から20億円交付税としてもらうのが、110億円の支出になれば国に30億円もらわないといけなくなりますが、これまでどおり20億円しか交付税は払いませんというのがルール。都構想をすることによって、特別区の人たちが苦しみ損をする。
7 都構想は、始める前から財源がたりない 行革が前提
その証拠をお話します。法定協議会で提出された資料ですが「配分割合の算出」の図を見てください。
Gの必要財政調整額4664億円とあるのが、大阪府から、これだけの財政の配分がなければ仕事ができませんという配分必要額です。そして、その下に財政調整財源4515億とあります。そして、その下に、さらに小さい文字で、差額149億円と書いてあります。
財政調整に使える財源は4515億円しかないのだけど、必要な仕事を特別区がするための財政の配分は4664億円必要。簡単に言うと、149億円赤字ということです。※の説明を見ると、「必要財政調整額と財政調整財源の差が生じ、不足額がある場合には、配分割合に応じて、特別区と府で行財政改革等の対応が必要」と書いてある。つまり、149億円足りないから、節約してくださいねっということ。
敬老パスやめるか、何を節約するか、方法は決めたらいいけど、お金はこれ以上出せませんよっていうこと。
4つの特別区に分割することで、高く経費がかかるような構図をわざわざ作っておきながら、それを補てんするような税金を国からとってこれるわけでもなく、赤字は行政改革で、つまり、サービスを低下させたりして工面しなさいというのが大阪都構想です。
だからこそ、危ない!ということに気がついていただければということです。
大阪市民にしか投票権がありませんが、ぜひ、訴えていただければと思います。

2020/09/21
はい!赤おにの切り込み隊長、職員の上田です。
今回は障害当事者職員、総務部の堀さんと一緒に手動車椅子で梅田へ行きました。以下、その報告です。
_そもそものきっかけ・目的とは
●アクセス・バリアフリー担当であるが、街中で困ることが少ない
●実際に自分が車椅子に乗って外出・体感することで今後の活動に対する気持ちに火を付けるため
●梅田には多数のエレベーターが存在するが、目的地までスムーズにたどり着くことができるかを調査
_概要
●『ちゅうぶ』から手動車椅子に乗り、田辺駅から東梅田まで電車移動
●東梅田駅から地下街通路を使ってLINKS梅田へ。オイシイモノ横丁でランチ
●住吉車庫前行きのバスに乗車し、大阪城大手前までバス移動
●大阪城大手前バス停から谷町4丁目駅へ向かい、電車移動。ちゅうぶへと戻る
_詳細
田辺駅へ向かうまでの歩道では排水の関係で両端が低くなっており、車椅子がどうしても両端へ寄ってしまう。気温が高かったこともあり、駅に着くまでにへばる。
駅員に目的地を伝え、ホームへ向かう。駅員の口調が少し馴れ馴れしく感じたが、乗車の際に後ろから押してくれたのはありがたかった。

東梅田駅にて下車。階段はすぐに目に入ったが、エレベーターを探して彷徨う。
改札を出た後、メイン通りを進むが、その先には階段やエスカレーターのみ。とにかくエレベーターがない!地下街の地図においてもエレベーターの表記がない。商業施設にいたっては、地下から入店する際にどこのエレベーターを使って入ればよいか分からない。

サウスゲートビルの地下街スロープについては、スロープであるのはありがたいが、傾斜がもう少し緩やかだと良いなと思いました。漕ぐのに少し力が必要でした。

サウスゲートビルのエレベーターで地上へ上がり、大阪駅の中を突っ切りたいところだが、階段であるため、南口改札方面へ迂回する。迂回の必要があることは知っていたからこそ良かったが、初めて訪れる人にとっては迂回表示の場所すらも分かりにくいと思う。健常者と車椅子ユーザーの移動時間の差を実感。
途中、トイレに行きたくなり、阪急三番街の地下1階の多目的トイレへ。中に人が入っており、しばらく待つが、なかなか出てこず。「大丈夫ですか?」「まだかかりそうですか?」と何度かノックと声掛けすると、中からドアを強く叩く音が返ってくる。おかしいと思い、堀さんがビルの清掃スタッフに伝え、管理会社にも電話しようとすると、中から男性が現れる。堀さんへ回し蹴りで威嚇し、「お前ら、警察呼ぶぞ」などと悪態を付きながら、後を去っていく。トイレの中は水浸し…警察を呼びたいのは僕たちです。
改めて、清掃スタッフに伝えると、「いつものこと」「中でオストメイトをシャワー代わりに使う人もいる」などとまるで他人事。汚れたトイレを掃除しなければいけないのになんとも思わないのか。男性については非常に憤りを覚えたが、コロナで職を失い、ネットカフェの代わりに使っていたのかなどと想像。堀さんの「こういったこと(トイレに関するトラブル」はいつものこと。」という言葉がすごく重かったです。
気を取り直し、リンクス梅田地下1階のオイシイモノ横丁へ。車椅子でも利用しやすい飲食店も多く、その中からふく流らーめん轍リンクス梅田店でランチを。堀さんは定番のふく流らーめん。僕は限定の鯛塩冷やしラーメンのレモンジュレを。志茂田景樹のような見た目ですが、品のある味わいで、涼を感じました。
同じフロアには多目的トイレがあるにも関わらず、表示はトイレのドアのみ。奥まった車椅子トイレの前に立たないと分からない。実にもったいない。
大阪駅前バスターミナルにてバス乗車。スロープが怖かったが、乗務員が押してくれたおかげで安全に乗車できた。車椅子のベルト固定の確認があり、とりあえずお願いした。マジックテープタイプの簡易の物で取り付けにさほど時間はかからず。バス移動中では車椅子の前輪が浮くことが頻繁にあり、手動車椅子の場合は前輪も固定する方が安全だと思った。ただし、自分が普段車椅子に乗らないため、重心の移動が不慣れだったこともある。
大阪城大手前バス停で降りるが、他の乗客が全員降りた後に固定ベルトの取り外しやスロープの出し入れなどを行うため、時間がかかることによる周りの目が少し気になった。

谷町4丁目では堀さんが以前よく利用していたコンビニへ寄る。入り口入ってすぐはスロープになっているが、登りきったすぐ先には商品棚が置かれ、車椅子では少し危ない。通路においても、はみ出しての陳列では車椅子は通りにくい。堀さんが利用していた頃はこのことを店長に伝えて改善されていたはずが、一部が元通りの状態に。陳列では『死角』と呼ばれる最下段が、車椅子にとっては非常に見やすい位置となることにも気付いた。その後は谷町4丁目駅から田辺へ電車移動、駅からちゅうぶへと無事に戻ることができた。
_振り返り
梅田では予定時間をどれくらいの余裕を持てば良いのか分からないほどバリアだらけ。堀さんの「車椅子を利用し始めてから、すべての階段が壁に見えた」という言葉が分かった。
引き続き、梅田調査も進めつつ、無人駅での車椅子体験も計画中です♪
2020/09/11
自立生活センター・ナビの小坪です。
雨ばかりだった7月!暑すぎた8月!気づけば9月と月日の経つのが早すぎます。
さてNPO法人ちゅうぶでは、2012年頃から社会福祉士を目指す学生の実習「社会福祉援助技術実習」の受け入れを行っています。
今年も四天王寺大学と武庫川女子短期大学から1名ずつ実習に来ています。
8月11日から9月15日までの間、ナビを中心に色んな内容を盛り込み研修プログラムを組みました。
ちなみに実習指導者は石田、ナビ内の実習担当は平沼です。
研修内容はこんな感じです!
<研修内容>
NPO法人ちゅうぶの歴史と事業説明
ちゅうぶ他部門について知る(生活介護体験、グループホーム入居者と交流)
自立生活をしている障害者宅訪問(介護見学)
障害者運動の歴史
自立生活センターの事業説明
障害の社会モデルについて
障害福祉の制度について
東住吉区の社会資源について調べる
他の自立生活センターや関係機関に協力してもらっての「見学・訪問」
障がい者基幹相談支援センターについて
計画相談支援(障害者ケアマネジメント)を知る
会議参加
許可がもらえた方の相談に同行
計画作成にむけた聞き取りと計画作りetc
長期間の実習になるので、実習を通して、たくさんの障害者と関わってもらい関りを通して色んな事に気づきや視野の広がりがあれば嬉しいですね。
実習もまもなく終盤戦!
今日の実習生の動きとしては
計画作成に向け障害者から色んなことを聞き取り中です。
2020/08/28
以前にNHKのドキュメントでスイスで安楽死を遂げた女性のことを書いたが、今回は、死にたいという気持ちを抱えながらも、最大限社会資源を利用し最後まで自分らしく生きようと、揺れ動きながらも「戦って」来た女性と、「『日々生きていることが苦痛だ』という方には、一服盛るなりしてあげて、楽になってもらった方がいい」と思っている医師が、出会ってしまった事件だった。ヘルパーを24時間利用し、目しか動かなくなってもパソコンを操作し、他の障害者と交流し、必死の思いで生きてきただけに、最後はこんな男に殺されるしか彼女を救う道がなかったのかと思うと、とても残念だ。
「大久保容疑者は、『高齢者は見るからにゾンビ』などとネットに仮名で投稿し、高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた。」(産経新聞より)
林優里さん(当時51歳)のブログや報道によると、43歳の時にALSを発症し、高齢の父親の負担にならないように、生活保護を受け、24時間重度訪問介護を受けて、一人暮らしをしていた。口からの食事が難しくなり、胃ろうを利用していたが、呼吸の能力は維持されていたので、人工呼吸器はつけていなかった。自分の意志で動かせるのは目だけで、目を動かしてパソコンの操作を行い、コミュニケーションをとったり、ブログを書いたり、他のALSの人とやり取りしたりしていたとのこと。
私自身が当事者スタッフと一緒に重度障害者の自立支援をしているからこそわかるのだが、生活保護を受け、24時間介護をうけて一人暮らしするためには、まず自分でたくさんの情報を収集し、実際にALSの人に会ってアドバイスをもらったりしないと、そう簡単にできるものではない。生活保護の申請や24時間介護制度の申請方法や、協力してくれる支援者や主治医探し、家探しなど、やることは山ほどある。その上で一番壁になるのは、生活保護の基準で借りられるバリアフリーの家探しとヘルパーの確保である。そもそも24時間ヘルパーを利用して一人暮らしするぞと決心したことが、とても勇気がある。実行に移した、その行動力や強い意志には感心するし頭が下がる。入所施設から出て地域での生活をしませんかと勧めてもなかなか踏み出す人はほとんどいない。なぜなら、まだまだ社会資源が整っていないから、イメージもつかないことが多い。家族は、せっかく施設に入れたのにと反対する。しかも、難病や事故による中途障害になると、障害を受け入れて、障害者として生きていこうと思えるには、何年もかかるのが普通だ。それなのに、林さんは障害者として、24時間介護を受けながらの自立生活に踏み切った。しかもそれだけではなく、ブログなどで他のALSの人たちと交流し、自分がロールモデルとなって、アドバイスもしていた。ケアマネや相談員が支援の参考にするための見学を受け入れていた。「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」と、同じ悩みを抱えた重度の障害者とも共感し、介護者や医療従事者による人権侵害に対して敏感だった。
ブログがあるということなので、私は恐る恐る見てみた。ブログには
「大好きな猫との暮らしを夢見ていたが、あきらめざるを得なかった。ヘルパーの中に猫アレルギーの人がいたらどうするのかと言われたので、実現せず、なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだとみじめで腹が立ち号泣していた」とのこと。けれど、林さんは、主治医や訪問看護やヘルパーと何度も話し合い、猫を時々連れてきてもらうことも許可してもらった。
「私達重度障害者の生活は思わぬ制約が多いのだ。なんで?!と納得がいかないこともしばしばある。特に危険(怪我)だと思うと誰かが言い出せば(個人の主観によるものであっても)、禁止事項になってしまったりする。酷い時はたった1週間入院した病院の看護婦さんが意見したことがまかり通ったりする。私は自分で納得いかないことにはことごとく戦ってきた。誤嚥の危険があるからと食事介助を訪看に頼むと言われた時も、移乗は一人介助では危険と言われた時も、一人介助の排泄はベッド上でと言われた時も、、、。もちろん味方してくれるヘルパーさんがいてくれるおかげだけれど。ヘルパーさんの心身の負担も十分考慮して決めている。もちろん自分でもさすがにこれはもう止めた方がいいと思ったことは止めている。何か議題が持ち上がった時にいつも言われることは『在宅の良いところは統一して制約を決めなくていいとこ。本人の希望を尊重した上でヘルパーの意見も取り入れて物事を進められる。』だからあいまいなこともいっぱいある。ヘルパーさんの技量次第という感じ。在宅闘病生活が長くなれば、『この人はこれは出来そうだな。』というのが大体わかる。それに応じて頼んでみたりする。妥協しないといけないこともあるが、忍耐強く話し合えばそれなりに希望に沿った自由のある生活が可能だ。」
林さんが、自分のやりたい生活がすぐに実現しなくても、こうやって『戦って』話し合いながら生活を作ってきたのがよくわかる。『戦ってきた』という言葉は私の胸を刺す。私たち支援者は、本当に当事者にとっては権力をもつ立場となり、本人の希望を、ある時は社会資源が足りないからという理由で、ある時はヘルパーがしんどいからという理由で、またある時は制度で決まっているからという理由で、そしてある時は『わがままだ』と人格を全否定するような理由で抑えることが簡単にできてしまうからなのだ。自分の希望を言い続けるけることは、まさしく『戦い』だったのだ。
そんな中でも
「人間なんだから病気になっても不思議じゃない。難病でもその病気が存在している以上誰かがかかっても不思議じゃない。それが私でも不思議じゃない。人間なら普通のことなんだ。『なんで私がこんな病気にかからなあかんの?!なんで私が!!なんで私が、、、、、なんで、、、、、、』という思いから解放されつつある。」と前向きな様子がうかがえた。
「私は24時間介護が必要。独居で家族がいないので常時ヘルパー不足のピンチに陥っていながらもこれまでやって来れたのが奇跡に感じる。事業所が変わっても続けて来てくれる人や自分で事業所を立ち上げて戻って来てくれる人やたくさんのヘルパーさんに助けられてここまでやって来れた。有難いことだ。病気になるまで全く知らなかったヘルパーと言う仕事。私なら到底耐えられないハードな仕事だ。でも万年のヘルパー探しはかなりのストレス。いつ穴が空くか分からない不安にいつもさいなまれている。始めは男性は拒否してたがすぐにそんなことも言えなくなった。だがやはり難しい。特に生理的にダメと言う時はキツイ。度々バトルを乗り越えて来た。コミュニケーション手段が文字盤しかないので相手が読んでくれない限り私は何も言えない。それにやはり暴力的で物を投げたり身体を乱暴扱われたりする。(男性でも温和なヘルパーさんもおられます。)家族が居れば監視の目があるが、なんせ1対1なもんで。そんな時が一番死にたくなる。人の手を借りないと指1本動かせない自分がみじめでたまらなくなる。」(2018年6月8日)
やがて、体のあちこちに痛みが出るようになり、ヘルパーによる虐待もあり、栄養を減らしていったりリハビリを拒否したりして、栄養失調や呼吸不全で死のうと試みたのだった。
「やっと代わりが見つかりそうな虐待ヘルパー。その人のことがあって人の手を借りないと生活できないこの身がつくづく嫌になった。来週の話し合い(飲食拒否)まで気がおかしくなりそうで精神安定剤でやり過ごす。 文字盤も全てがもう嫌」(2019年9月)
ブログでは2019年11月から更新されていなかった。なぜかなと思っていたら、まさにその11月に亡くなったのだった。
嘱託殺人の直前には、ヘルパーに体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責められて、施設に入ったら殺されると脅され、むかついても代わりがいないからやめろと言えなくて惨めだと、ツイートしている。
ヘルパーは、ペットの世話はできない。地域でヘルパーの介護を受けてこんな生活がしたいと思っても、立ちはだかるのは、ヘルパーができることできないことの規定や何よりヘルパー不足で、本当の意味で障害や人権を理解して共に生きようとかかわってくれるヘルパーが少ないということ。
ましてや虐待行為をするヘルパーさえも、代わりがいないからという理由ですぐに外せないのは絶望的だ。しかし、ヘルパーは、自分の言動が虐待になるということを残念ながら自覚していなかったのだろう。単に愚痴をこぼしたつもりだったかもしれない。しかし、この言葉は事業所に言うべきであって、本人に言うのは間違っている。介護方法を変えてほしいなら、ケアマネや本人を交えて少しでも本人が納得できる方法を見つけていくべきなのだ。
痛くても痛いと言えない、何をされても言われてもやめてくれとその場で口に出して言えない。くやしいし、死にたいと思うのは当然だ。
しかし、ここまでがんばってきた人が、ヘルパーによる虐待から逃げる方法が、安楽死を選ぶしかなかったというのは、本当に本当に残念だ。一体虐待防止法は誰のためにあるというのか。もちろん、虐待とみなされても、介護体制の不足で入所施設や病院に入らざるを得ないのなら、彼女が望む暮らしにはつながらない。そうではない、最後まで人間らしく生きれる生活こそを、彼女は望んでいた。ただそれだけのことだったのだ。それができないということが、今の社会の課題であることを私たちは当事者とともに訴え続けるしかない。
ケアマネージャーも相談員も一生懸命やっていたのだと思う。しかし、ヘルパーも足りない中で、本人に協力という名の我慢を強いるしかなかったのだろう。そんな時、直接の支援者以外に、本人が助けてほしいといえる、本人の力になってくれる第三者がいると安心なので、そういう人や団体とつながりやすくするネットワークを作ることがとても重要だ。
今回の嘱託殺人は、明らかに揺れ動きながらも生きようと必死で戦ってきた女性が、社会資源の不足や人権意識の低さなどが原因で、絶望的になったことが引きがねになっている。
それならば、どうすれば今後彼女のような人が死ななくて済むのか、私たちが、政治家がなすべきことはみえてくるはず。
しかし、維新の会がそれに対して、尊厳死を考えるプロジェクトを作ると、発表したのだ。さも素晴らしいことを提案したかのように。死ななくて済むようにではなく、死ねるようにすると。あまりにも勉強不足、あまりにも人権意識のかけらもない政治家の発言に背筋が凍る。
ALS患者の靖彦参院舩後議員(れいわ新選組)は23日、京都市での事件を受けてコメントを発表した。「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが大切です」と訴えた。
「私も、ALSを宣告された当初は、できないことがだんだんと増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、『死にたい、死にたい』と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。
『死ぬ権利』よりも、『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。 」
日本維新の会の馬場伸幸幹事長は29日の記者会見で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の嘱託殺人事件を受け、政務調査会に尊厳死を考えるプロジェクトチーム(PT)を設置すると発表した。また、れいわ新選組の舩後議員が「生きる権利」の大切さを訴えるコメントを公表したことに関し、「議論の旗振り役になるべき方が議論を封じるようなコメントを出している。非常に残念だ」と語っている。他の患者の役に立つべく必死で生きている議員に対して、死にたい人が死ねるようにするのが、あなたの役目でしょと言わんばかりの維新の会の発言には背筋が寒くなる。よくこんなことが言えるなと思う。虐待に耐えられず、生きるのがつらくなって自殺しようとしている人に対して、解決の方策を示していくのが政治家なのに、自分たちのやるべき役割を果たそうともしないで、さっさと死んでくださいと言うなんて。
林さんも、「初期のころに『自分はもはやなんの生産性も無く、税金を食い潰しているだけの人間だから死にたい』と主治医に詰め寄ったことがある」(2018年6月30日)
「生産性」とか「税金を食いつぶす」とか「税金の無駄遣い」とかあちこちで聞かれるが、公の場で、国民が聞く場で、そういう発言をしている政治家はまさに人権侵害であり、障害者基本法からどうなんだと問われるべきだ。政治家が行政が率先してそんなことを言ってるから、ますます死にたくなるのだ。
「生産性」があるかどうかだけで、人間の価値を決めようとする優生思想を具体的にしたものが、安楽死(尊厳死)法制化だ。日本で安楽死(のちに尊厳死と呼ばれる)法制化の運動を積極的に推進したのは、まず太田典礼だが、彼は一貫して優生断種を擁護している。
「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」(太田、当時日本安楽死協会理事長)
「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいんじゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏明、当時協会理事)(一九七八年一一月一一日、TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」での発言)。
はっきりと、「不要の生命」と発言しているのだ。これが、安楽死(尊厳死)を進める人たちの本音なのだ。
旧優生保護法化で行われた強制不妊手術に対しての裁判が行われ、国としての責任が問われている現在に、先ほどのような発言を平気で言うのは、まさしく人権に対しての意識が全くない維新の会の本音であるといえるだろう。
今日、相談支援専門員の現任研修の中で、出てきた言葉。「人権とは、人間が生まれながらに有する権利であり、人間であるということだけに基づいている。決して奪われたり侵害されるものではない」 私たちは何回も何回もこの言葉をかみしめ、人権を認めない一切のものに対して、NOと言おう、言えるようになろう。林さんや殺されていった相模原事件の被害者や多くの人権を踏みにじられた人たちのために、そして自分や家族や仲間のために。
ナビ 西川
2020/07/31
ナビ歴、約1年半の中尾です。東住吉区障害者基幹相談支援センターも噛まずに言えます。
私が人と接するとき一番気を付けるようになったことは、相手の言葉をそっくりそのまま鵜呑みにしないということです。
開口一番「たいへんだ、カギがなくて家に入れない、警察呼んで」と新規の電話がかかってきた時、ご本人の切羽詰まった気持ちはもちろん受け止めつつも、そこに飲み込まれずに、同居人はいるのか、ヘルパーを使っているか等々質問していくと、良い解決策が自然と浮かび上がってきます。
逆に「大丈夫です」という言葉であっても、ちょっと無理をして元気すぎる時や、消え入りそうな声のときは、やはり気になります。そしてその感覚はほぼ当たります(私調べ)。
自分自身を振り返っても、「がんばります」と勝手に口走っているのを私の頭と心が呆然と聞いていることがたまにあります。他には好きなのに嫌いって言ってみたりとか!? なので、言葉とほんとの気持ちはいつもイコールというわけではないです。
文字だとなおさらです。例えば「死にたい」と何度も言い、遺書も残し、SNSの書き込みや契約書があったとしても、私は鵜呑みにすることはできません。そこに至るまでの経緯のすべてを語りつくすことができないから。
しかし、文字の威力は絶大です。
例えば、自分の障害を周囲に知られたくない人が「しょうがいかあります」と書かされるのは、どれほどの痛みだったか。
今回は自殺という選択をしたことで事件が明るみに出ましたが、目に触れるものが1枚の紙だけなら、嫌だと張り裂けそうな気持ちで書いたのか、これで班長を免れると思って書いたのかはわかりません。
今これを読んでいる方は、この文章は最近の障害者に関わる事件の所感だと思うでしょう。
そのとおりですが、facebook投稿の順番が回ってきて何度も催促されてやっと絞り出したものだということは、この一行がないと読み取れないことです。
できるだけの背景も含めて、丸ごと受け止めたいなと思います。
2020/07/30
みなさんこんにちは~
まだまだジメジメした日やコロナウイルスが落ち着かない日々が続いていますが、みなさん元気ですか??
今日は、赤おに作業所に通っているムードメーカー!!”小名志保さん”の日々のコミュニケーション動画を見ていっぱい笑ってもらえたらと思います(^^♪
小名志保さんってどんな人~?
お話大好きな方なのですが、2018年12月に気管切開という手術を受け、声を出すことが出来なくなりました。
約8か月の入院生活を経て、元々生活されていたグループホームに戻ってこられ、声を出す以外の方法で色々なコミュニケーション方法を取得され今もお話大~好きなところは全く変わらず、地域での生活を続けておられます♡
2020/07/30
障害者の作業所?日中活動?どんなことをしているイメージがありますか??経験活動、創作活動、外出活動、余暇活動、自主製品作りなど、福祉系の団体のホームページやパンフレットに書いてあるけど、実際に何をしてるか、わからない方も多いと思います。そこで、赤おに青おには日々の何気ない様子を映像で発信します。赤おに青おにの障害者の活動、福祉の仕事内容に興味がある方、この投稿をみた方、ぜひ観てください。
2020/07/28
20年度6月総会がコロナのため、zoom短時間開催となり、
総会でできなかった内容や報告を行いました。会場はフィジカルディスタンスの席配置。
・ちゅうぶ正会員(障害者や職員)のチャレンジ取組発表、
・障害ってなにの上映会 ・今しらねばの都構想学習会 ・ちゅうぶ20年度方針!についてと盛りだくさん。
●正会員の19年度 チャレンジ発表。
高田さん(女性障害者)からは、介護保険制度 海外との比較~日本は割と進んでいる!?
本人が本当に望む生活ができる制度かがポイント!
小八重くん~貴志川線 BF調査。駅長たまに会いに行くが、JR堺駅での電動車いす介助拒否!?のバリアも。
河野~存在論的ひきこもりはとうみん男子・女子!ひきこもりは人生にとって必要な時期だ。
米満~精神障害者の支援ボラレポート。当人のほっとできる居場所づくりのために。
石田~多くの健常者にとって、障害者は道徳の教科書でしかであわない存在。だからこそどう道徳で障害者が扱われているか。
教師も実際の障害者と話す機会なく、やはり生の障害者が大事。
各正会員の考えを知れる機会となり、これからの活動に生かしたいと思います。
●「障害ってなに?」上映。世界人権宣言 大阪実行委員の企業や教育機関への啓発ビデオ。
ちゅうぶメンバー多数出演し、どんなに重度であっても、地域で暮らしていく生の実態を伝えていく。
施設でなく地域へ、失敗しながら障害者が自分で選ぶ生活が、ほんまにいきいきとしていく様子が。
いろんな人に見てほしい。
●20年度方針 コロナ禍 感染予防と活動を両立していこう。
コロナ禍社会は、障害者がない存在にされやすい。
そうならないように地域で当たり前に暮らし、活動を続けよう。
自立取組 個別ILPやいろんな企画を通じ、自立 楽しさ 面白さ、
大変さのちゅうぶの中で共有し、盛り上げていこうとメッセージ。
コロナ禍社会ですが、元気で免疫高め、仲間意識を大事にしていきたいと思います。
●大阪都構想学習会 尾辻かな子さん講師(衆議院議員)もやりましたが、
内容濃いので、次回報告です!



2020/07/17
みなさん、こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。
新型コロナウイルスの影響でマスクを付ける機会が増え、今年の夏は、例年以上に暑いと感じると思いますが、こまめに水分補給などをして暑さ対策していきましょう。
さて、今回は、山下が担当させてもらっているAさんの自立生活プログラム(ILP)について報告したいと思います。
Aさんは20歳。現在は、ちゅうぶのグループホーム・リオに入居されています。
<お互いのことを知ろう・相手に自分の気持ちを伝えよう>というプログラムを5月から始めています。障害のこと、学生時代のこと、いろいろな感情を表す、これからやってみたいことなど山下と一緒に話をしてきました。
プログラムを重ねていくうちに「カフェに行ってコーヒーを飲みたい。」という希望がAさんから挙がったので、ナビの障害当事者や青おに(生活介護)のスタッフを誘って天王寺のカフェに行き、アニメの話や女性のタイプの話で盛り上がりました。カフェを出た後は、靴を買いに行きました。

【Aさんの感想】
カフェに行くための予定を決めたり、人を誘うことも初めてだったので、誘う時は、日にちと時間を間違えたらダメなのでドキドキしました。カフェの店員さんが僕に話しかけずに、ヘルパーに話かけるということがあって、それには、気づいていたけど「僕に話かけてほしい。」と言うことが出来ませんでした。今度は、言えるようにしたいです。楽しい話が出来たので良かったし、靴も買えて良かったです。

今回のILPを通して、初めて経験したことや、気づきがあったと思います。これからも、いろんなことにチャレンジして、新しい発見をしてほしいと思いました。
自立生活プログラム(ILP)とは?
多くの障害者は障害があるというだけで、ひとりで買い物に行ったり、友達と遊びに行ったり、仕事をするなどのごく当たり前のことを経験する機会すら失ってきています。障害があることで、制限された生活によって奪われてきた、外出・料理・遊び・金銭管理など様々な経験を自立生活している障害者がリーダーとなり楽しみながら経験を取り戻していくプログラムです。
2020/07/10
ナビの山中です。
「喀痰吸引等3号研修」受講してきました。法人内の利用者の女性が胃ろう・吸引が必要な状況になり、女性陣挙って3号研修を受講しているのです。
堺の中百舌鳥で実施された研修会。駅から出る方向を間違い道に迷ってしまい、電話して説明してもらいながら汗だくで辿り着くという情けない有様でしたが、なんとか受講することができて良かったです。
ソーシャルディスタンスを取るため人数縮小で受講人数は8名、そのうちの半数がNPOちゅうぶの面々…という、少々緊張感に欠けた雰囲気。9時~19時半という長丁場でしたが、講師の方のパワフルで気さくな雰囲気も手伝って楽しく学ばせていただきました。講義では制度の説明から人体の仕組みや医療的な知識、安全の確保、医療とのチームワーク、本人に不安を与えない配慮など。実技では人体模型を使った胸骨圧迫、胃ろう、喀痰吸引を行いました。
人の命を預かる仕事、と言えば少し大げさかもわかりませんが、このような医療行為がなければ生きていけない人達の介護をするというのはそういうことなんですよね。介護職の我々にできることは限られています。その人らしく生きてもらえるお手伝いの幅がどんどん広がれば良いなと思います。
2020/07/03
自立生活センター・ナビの小八重です。梅雨入りしてジメジメした毎日が続いていますが、間もなく夏も本番ですね!一方で、東京では新型コロナの感染者数が再び増加するなど、まだまだ予断を許さない状況ですが、改めて毎日を健やかに過ごせていることをありがたく感じています。
今年度、ナビではILP(自立生活プログラム)の取り組みを中心的に進めています。自立を目指している当事者の方々と、僕らスタッフが個別にプログラムを組み、自立生活について色々と考えたり、話し合ったりしています。僕個人の話をすると、今まで部分的に集団ILPや個別ILPに参加した経験はあるものの、ホストとして主体的に進める立場になったのは初めてで、正直、わからないこともたくさんあって不安の方が大きいのが本音です💦そのため、ILPを実施しているというよりは、本人さんと一緒に学んでいるという方が表現としては正しいかもしれません。
しかしながら、この間少しずつ取り組みを進める中で気づいたことは、本当に大事なものって「想い」の部分なのかなってこと。金銭管理とか制度利用とか、家事が云々とか、そういうことももちろん大事なんですけど、それよりも大事なのは、自立生活を始めようとする、良い意味での貪欲さとかハングリー精神だったりするのかなと思うんですよね。また、そういった感情って誰しもが持っているとは思うんですけど、それを呼び覚ますための仕掛けや工夫ってものを考えるのがめちゃくちゃ難しいなと日々感じています(--;) 実際、この進め方でいいのかなとか、これが次の動きに繋がるのだろうか、なんて手探りでやってたりもするんですが、幸いなことに経験豊富な当事者スタッフの方と二人一組で担当しているので、助言やアドバイスももらいながら取り組みを進められるという最高の環境で仕事はさせてもらっています。
来月には、そろそろ外出企画や買い物など、具体的な動きが出てきそうなので、若干、責任感と適度な緊張感を持ちながら取り組んでいますが、如何に「想い」の部分に働きかけることができるのかは大きなポイントなのかなと感じています。あとはやっぱり楽しみながらすることですかね♪ 余談ですけど、外出企画とか調理企画とかの話が出てくると、いつも腹がへってくるんでけっこう真剣に悩んでいます…(--;)僕はカレーが大好きなんですけど、カレーってワードは不思議とILPによく出てくるんですよね、なぜか…(笑)
2020/06/26
自立生活センター・ナビの小坪です
先日、機関誌ナビゲーションの「色んなテーマのなぜを解消」の取材に同席しました。
昨年度はインクルーシブ教育はなぜ必要なのかを改めて障害当事者の方や長年、教育問題に取り組まれている方にお話をお聞きして連載してきました。
今年度からは大学の先生にお話をお聞きしたいと思います。今回、インタビューさせて頂いたのは新崎国広さん(大阪教育大学教授)です。
新崎さんは教育分野で仕事をされる前は、肢体不自由児施設 (現在は、医療型障がい児入所施設)大手前整肢学園で児童指導員をされていました。
取材内容は今まさに編集中ですが、どんなお話だったのかを少しお伝えしようと思います。
詳しくは2020年9月発行予定の「ナビゲーション」をご覧ください。
福祉を仕事にするつもりはなかったという言葉から取材はスタート。児童指導員を始めたばかりの時の失敗談から学んだこと。
◆話上手より、聞き上手
親御さんに何とかしてあげたいという思いから
「こんな制度があります」「◯◯をしたほうがいいですよ」と言ったら「障害者を生んだことがないから、そんな理想論ばかり言うんだ」と怒られた。
その出来事から相談員やワーカーの仕事は
情報を提供したり、アドバイスをするだけじゃなくて「その人が受け止められるような形に聞き上手」にならないといけないと思った。
◆専門家は限界を決めてしまう。
「障害が重いから無理」と限界を決めてしまう時がある。自分の経験から専門家が出来なかった支援(自立生活に向けた取り組み)を自立生活センターがしている。僕たちは自立生活センターの取り組みに学ぶべきことがたくさんある。
新崎さんが大切にしている言葉
◆学びは出会いと対話により深められる
関係性ができると、その人が排除や差別をされた時におかしいと思う。置かれている状況を知らないと共感は生まれない。そういう意味でインクルーシブ教育を受ける事はすごく大切!
◆砦と広場
障害当事者は生活していくための理論として要求や改善を求めて行動していくのはすごく大切だと思う。ただ障害者の人だけが走っていってしまうと周りの人から「やりすぎだ」と言われることもあるかもしれない。そうするとその理念がメインストリーム化しにくい。自分の役割は福祉に関心がない人や、障害者と関わったことがない人たちにその事の意味を伝えること。
お話を聞いて相談支援の場面でも改めて肝に銘じておきたいなと思う言葉が数々ありました。
小坪と山下も今から30年前に大手前整肢学園に入園していたので新崎さんにお世話になりました。
今回、機関誌の取材で久しぶりにお会いでき、懐かしい気持ちになりました。
ありがとうございました!!!
2020/06/19
ハイガイズ。今回はゴキゲンな制度、重度訪問介護について解説するぜ。
みんな、こんなことはないかい?
テレビ見てても面白くないし、画面を消して音楽でも聴こうかな、おっとその前にちょっとツイッターでトレンドチェックしておくか。なんだこの動画面白そうだな、関連動画にもこんなの出てくるじゃないか。そんなこんなでもう20分も時間がたってしまった。冷蔵庫に入っているコーラを飲むか。冷蔵庫にはこの間買って半分しか食べなかったお菓子が私を呼んでいる。食べるべきか食べざるべきか悩んだ末に食べてしまうのが私。イッツミー。
おいおい。時間の使い方としてどうなんだ、という声が聞こえてきそうだね。現代社会ではありふれた、どこにでもありそうな日常だろう?もちろん私のことではなくフィクションなわけだぜ。イエイ。
こんなありきたりな日常を送るときも、ぼくらは選択と決定を繰り返しているんだなと書き出してみて改めて気が付くし、しょうもないように見えるけど大切なことなんだなと感じるね。テレビを消す、スマホを手に持つ、アプリを立ち上げ、画面をタップ。冷蔵庫を開ける、中をチェックする、忘れてたことを思い出して気付く。ノーチラス。
・・・あれ。重度の障害があって、自分ひとりではできない人はどうやってこの選択をして、こんな行動を行うんだろう。
こたえ、誰かの手を借りてこういうことをするわけだね。アーハン。
重度訪問介護には「見守り」という介護内容があるんだ。身体介護でもない、家事援助でもない、通院に行くわけでもなく外出するわけでもないけど生きていたら、生活していたら、何か目的をもって行動しているわけでもない時間ってあるよね。ノータイムノーライフだ。
そんな時に重度の障害があると、一人でできないので、やらない、てゆーかできない。あきらめるって感情もわかないままそれが当たり前の生活になる。となるとそれだけその人の経験が減ってしまうわけ。ソーバッド。
と、こんな話をするとどうしても、「そんな無駄な時間、そんなことする必要ない、そんなことに税金を使って介護をつけるなんて」という意見があったりするね。ファッキンタックス。
でもそれは次元が違う議論なんじゃねーのかな。その活動が無駄かどうか決めるのはその人自身だよな。四コマ漫画を必死に読んでいるか、哲学の本を流し読みしているかで、どちらが必要で時間か、だれがわかんだ?ユーノウ?
リンゴが落ちるところを見ようとしているニュートンに、「アイザック!リンゴ見てないで本を読みなさい!」と言うようなもんだぜ?
それに、本人がそもそも経験ができていない状態だと、本人側にも判断基準がないんだよ。家族の介護によって生活してきたひとは、家族が介護しやすいように生かされてきた。めんどくさい介護を頼んでまでなにか新しいことをしようとすることを経験できていない。対して介護が必要ない人は、自分で無為な時間の過ごし方を、何かのチャレンジに使うこともできるよな。ベイビー。
いま、ゲームをするのが、本を読むのが、ともだちとしゃべることが、明日の、来週の、一年後の世界の役に立つのかどうか。あんたにわかる?アンダスタン?
生きてたら当然することを当然できるようにするのが重度訪問介護ってやつなんだ。かわいいやつだよ。
重度訪問介護って、障害者の可能性を伸ばしてくれる、最高にクールな制度だよな。マイブラザー。
200万回の選択のためにも、超重要な制度だよ。ほんとに。
贅沢な税金の使い方なんかじゃない。ここまでやって、やっと当たり前の生活に近づいてってるってだけなんだよ。わかってくれたかな?
おーそりゃ最高だ!使ってないヤツがいたら教えてやってくれよな!
・・・キャラづくりって大変ですね。
2020/06/18
「私たちが普段、交流している市内南部の小中学校には、
「あたりまえ」にエレベーターやスロープが設置されています。
なんと大阪市内 小中学校のEV設置率は96.4%。
6/17(水) 新聞記事にもなり、これが全国基準になれば!
→改正バリアフリー法成立「心の壁」取り除こう(『東京新聞』2020.6.17)
2020/06/12
みなさんこんにちは!あずみんことナビの東です!
春がいつの間にか終わり、梅雨の時期に突入…また夏がやってきますね。
私は障害特性上、体温調整がしづらいので夏が一番苦手です;
そろそろ熱中症などにも気を付けないといけませんね。
まずはジメジメした梅雨を元気に乗り切っていきましょう!(*'ω'*)
さて!みなさん、バリバラは見てくださっているでしょうか!?
次回のバリバラは私あずみんがいろんなマイノリティーさんと
ステイホーム中に気づいたことや今後の生活について
ゆるく話し合う回になってます!

LGBTQについて発信をしているYoutuberのかずえちゃんと、
視覚障害のあるゆかりちゃんの3人でリモートお茶会的な雰囲気の中、
様々な意見交換をしています!( *´艸`)
全国各地の当事者がこのステイホーム期間中にどんなふうに過ごしていたのか、
どんな楽しみ方を見つけたか、リモートが前提になっていきそうな社会で
当事者が困ることはいったい何なのか、などなど本音トーク満載です!
ヘルパーさんとの過ごし方についても触れるので、ぜひぜひご覧ください☆
【あずみんの部屋~StayHomeが教えてくれたこと~】
6/18(木)Eテレ 20:00~20:30(再放送は6/21(日)0:00~0:30(土曜深夜))
→バリバラHP(放送予定)
2020/06/05
ここまであからさまに「障害者は社会からいなくなった方がいい」「障害者は不幸しか生み出さない」と言われ、そして実際に19人もの命が奪われることなんてあっただろうか。少なくとも私が生きてきた28年間の中ではこの相模原事件が初めてだった。
私自身、小学校中学校は地元の学校に通っていて、周りの同級生から悪口を言われたことはないし、実際思っていたとしても誰も口に出してはいなかった。電車などで知的障害のある方をジロジロ見たりクスクスと笑っている人を見かけることはあったが、面と向かって障害者を悪く言う人に私は出会ったことがない。
そのため私はこの事件が起きたとき心底驚いたし、何よりも恐怖を感じたのは植松被告の行った行為に対しての社会の反応だった。これまで障害者について何も言ってこなかったような人たちが掲示板などに植松被告のやったことを肯定するかのような書き込みをしていたり、擁護するような人もいた。そんな社会の声を目の当たりにした時から、「みんな言わなかっただけで本当は植松と同じことを思ってたんだ」「私の周りの身近な人も同じ考えだったらどうしよう」「すれ違う人がそのような考えの人だったら?」「植松被告の行動に感化された人に、ある日突然襲われたらどうしよう」と私はとても怖かったし、同じように不安を覚えた仲間もきっといるだろう。すれ違った人全てが「植松」に見えてしまうくらい、人間不信にもなった。植松被告をはじめとした世間の方たちが抱く「障害者=不幸しか生まない」というイメージが作り上げられていく背景には、やはり彼らの人生の中で障害者と関わったことがあるかどうかが大きく関係していると思う。
では障害者と聞いて「不幸しか生まない」以外だったら人々はどんなふうにイメージするのだろう。優等生?努力家?大人しい?謙虚? そんなものはただの空想にすぎないと私は思う。世間の人たちが勝手に作り上げた「障害者=綺麗な人たち」という偏見から少しでも外れてしまったら、途端に「悪」になってしまう。私はそれがとても嫌だった。勝手に作り上げた「障害者象」で私たちを縛らないでほしい。そもそも障害者だっていろんな人がいる。そのことを分かってほしい。
裁判で植松被告は死刑になってしまったが、これでは何の解決にもなっていないと思う。 きっと「障害者」という言葉があるせいで「不幸しか生まない人たち」と「綺麗な人たち」という極端なイメージだけが一人歩きしている気がする。「いろんな人がいる」という考えに人々が至るには、障害者も健常者も関係ないインクルーシブな社会にすることだと思う。物心がつく頃から当たり前のように障害者と健常者が同じ環境にいることで「障害者」という言葉や概念そのものがなくなっていくだろうし、そうなれば障害者だからという理由で排除されることもなくなり、一番最初に目につくものが「障害」ではなくなることで、私たちを一人の人間として見てもらえる社会になる。私は私が生きているうちにそんな社会になってほしいし、そんな社会にしていきたいと思った。
ナビ 東
2020/05/22
相模原事件についての文章を書くにあたり、はじめに気づいたことは私の中で相模原事件が風化しはじめていたことだった。
いまこれを書いているのが2020年4月24日、事件が起きたのは2016年7月26日、植松被告の死刑が確定したのが2020年3月31日。事件を知ったときに背中がゾッとした感覚を今でも思い出せるし、判決が出たのは1か月前のこと。今は世界中がコロナウイルスの脅威にさらされ、障害者も健常者も関係なく死が身近なものになっている。
どんなに抗おうとも人はいつか必ず死ぬ。皆が等しく死に近づいている中、わざわざ自分のエネルギーを投入して人を殺すというのは、どれほどの憎悪があるのか?どれほどの(本人にとっての)正義があるのか?考えれば考えるほど、なにか黒い渦に飲み込まれるようで纏まらない。いっそのこと本人に聞いてみたいとも思うが、新しい情報が出てくることはもうないだろうから謎のままに残る。
一番重い罪という意味では死刑は妥当だと思うが、今後二度と同様の事件が起きないための環境づくり---もっと植松被告自身や周りの状況を掘り下げて知ること、それも断たれてしまったように感じる。
事件の残忍さを思うと、植松被告と私は違うと思いたいけれども、優生思想の種は誰でも持っている。このなかで1番になりたいとか、この人には勝ちたいとか。時と場所によっては原動力となる好ましいものが、バランスを欠いて肥大化したものがいわゆる優生思想なのだと思う。その境目はどこにあるのだろう。多分、自分自身の小ささ、弱さを忘れた瞬間ではないかと思う。
植松被告も時を遡ると一人では何もできない赤ちゃん。でも、ただ居るだけで周りを笑顔にしてきたはず。そこから成長して事件に至るまでに、偏っていく考えを修正する機会が、何度も何度もあったはずだと思う。
もう二度とこのような事件が起きないようにするためには、その「修正する機会」を逃さないようにするしかない。本人もしくは周囲が気づけるように、開放的であること、透明性があること、そしてできるだけ早く。そして、少なくとも毎年7月26日は被害にあわれた方々を追悼するとともに、自分自身の在り方を問う時間にしたい。何度忘れそうになっても、何度でも思い出せるように。
ナビ 中尾
2020/05/20
6/20(土)、6/21(日)、6/27(土)に6月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
募集期間は5/25(月)~6/12(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2020/05/15
こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。新型コロナウイルスの流行で外出自粛するよう言われていますが、みなさん、いかがお過ごしですか?私は、外出自粛は我慢出来ても、食欲自粛には耐えれず、ストレスで食欲が増えています。
世の中が、コロナの影響で様々な差別が起こらないことを願うばかりです。
差別といえば、2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で元施設の職員植松聖が刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員合わせて26人に重軽傷を負わせた事件が起こりました。今回は、相模原事件に対する思い、植松聖被告に対する思い、社会に対する思いを掲載したいと思います。
2020年1月8日に初公判、3月16日には判決公判が行われ死刑判決が下されましたが、
植松被告を絶対に許すことはできない。でも、それだけで終わらせてはいけない。死刑判決が出たが、それで良かったでは済まされない。なぜなら、罪を裁くだけで障害者への差別、命の選別という問題が解決するわけではないからだ。
植松被告は、ずっと「重度障害者は社会からいなくなった方がいい」「障害者は不幸しか生み出さない」と主張し殺傷行為を正当化してきた。とても、障害者を差別した身勝手な考えだ。なぜ、こういう考えに至ったのか。施設で働いている姿を同僚はどう見て、どう感じていたのか、フォローは出来なかったのか。と考えると個人の問題だけではないように思う。障害者に対して差別や偏見があったり、優生思想の考え方がなくならない限り、第2、第3の植松被告が生まれる可能性がある。
この事件に対して何が原因なのか、社会全体はどう行動するべきなのか、それを考えていかないと不安や恐怖だけが残る。このままでは、社会もマスコミも一気に風化のスピードが速くなる。それでは、なんの解決にもならない。風化させないためにも、私たち個人として何ができるのか。障害者団体として何ができるのかを考えていく必要がある段階にきていると感じる。
ちゅうぶは、学校との交流活動を行っている。小学校や中学校では「生い立ち」や「障害は障害者自身にあるのではなく社会の側にある」等を中心に話をし、高校生に対しては、相模原事件、優生思想について一緒に考える講義を行なっている。子どもの頃から「障害者と交流をすること」や「身近なことから伝えること」「障害者も社会で生きているということ」を発信していくことが大事だ。また、大学生には、実際に障害者の介護に入ってもらっており、学生の中には、今まで障害者との関わりがなかった人もいる中で、介護を通して障害者のことを伝えていき、知ってもらうことも大切。その経験が、今後、社会に出ていく学生にとっても「障害者と関わったこと。」は、大きな意味があるし、卒業後も障害者関係の仕事に携わってくれる人がいたら嬉しい。話が相模原事件から逸れたかもしれないが、これから、インクルーシブな社会に変えていけるのか、障害者を排除する社会に向かわせてしまうのか。一番、怖いのは一人一人が無関心であることだと思う。
2020/05/11
こんにちは!
すてっぷの青木です😊!
私ごとにはなってしまいますが、ついこの間26歳になりました😅
「ちゅうぶに初めて来たときは22歳やったのに〜…。」
とみんなが言いたいことは何となく分かります
年齢に比例して、ちょっとは成長したかな?と思ってもらえるような記事を書いてみました🤭
長くなりますが、最後まで目を通して頂けると嬉しいです🙇♂️💦
そもそも「えすでぃーじーず」って…?
先日のヘルパーミーティングで 「SDGsから考える人権問題」といったテーマで、SDGsを紹介する機会がありました😮しかしそもそも、SDGsって何だろう?というところからの人もいるかと思います。(現に私もそうでした…💦)
今回は、SDGsのそもそもの説明をさせて頂こうかなと思います💡
読み方としては、SDGs(エスディージーズ)で、Sustainable Development Goalsの頭文字からとってSDGsと言います。 意味は、「持続可能な開発目標」と言われ、簡単に言うと、「世界共通の目標」と言われています😮その世界共通の目標は17つあります。
①貧困をなくそう
②飢餓をゼロに
③すべての人に健康と福祉を
④質の高い教育をみんなに
⑤ジェンダー平等を実現しよう
⑥安全な水とトイレを世界中に
⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに
⑧働きがいも経済成長も
⑨産業と技術革新の基盤をつくろう
⑩人や国の不平等をなくそう
⑪住み続けられるまちづくりを
⑫つくる責任つかう責任
⑬気候変動に具体的な対策を
⑭海の豊かさを守ろう
⑮陸の豊かさも守ろう
⑯平和と公正をすべての人に
⑰パートナーシップで目標を達成しよう
このような平和と開発、人権を結び付ける考えから、2015年に国連総会首脳会合で、先進国、途上国、紛争国を問わず全ての国に住む人が、安心して人間らしい生活ができる「誰も取り残されない社会」を2030年までに実現することを目標とする「持続的な開発目標」が合意されました🤝
すべての人は、人間として生まれた以上、命・生活・尊厳を確保する権利があります。
人として生まれてきた以上、自分の持つ能力を最大限伸ばすことを奨励するエンパワーメントが重要であります。さらに大切なことは尊厳であります。
この世に生まれたすべての人が、自分の存在が意味あるものであると思えるような社会を作らないといけません。
「自分に自信を持つ」「自分らしさに誇りを持つ」「自分以外の存在に敬意を持つ」このような社会にしなければならないというのが人間の安全保障の考えになります💡
すべての人が価値ある人間として敬意をもって受け入れられるように尊厳をいかに確保するかが現在の日本社会で重要な課題であります🤔
しかし、日本では、すべての人の命、生活、尊厳が尊重され、人間らしい誇りを持って生きていると言えますでしょうか…。
誰も取り残されていないと言えるのでしょうか…。
子どもの貧困、いじめ、女性差別、若者、高齢者の貧困・孤立、障害者、LGBT、災害被災者、外国人などに対する偏見や差別など、排除の実態を可視化して、取り残されている人、取り残されがちな人に焦点を当て、貧困や差別をなくし、偏見を減らす努力が求められます🤝SDGsを通して人権をどう考えるか。これから色々なところで目にするかと思われます🤔
私も自身の課題として考え、今後ちゅうぶの障害者活動に関わる中で、誰も取り残さない社会の実現に取り組んでいきたいと思います
参考文献:『SDGsと日本~誰も取り残されないための人間の安全保障指標 』 明石書店, NPO法人「人間の安全保障」フォーラム 編, 2019/11/25

※すてっぷに本を置いているので気になる方は是非ともご覧ください〜🙇♂
2020/05/04
4月の終わりの週末に、2週間ぶりに梅田の地下街を歩いた。義父が危篤になり、急遽新幹線で向かう事になったのだ。緊急事態宣言が出されてから会うこともやめていた他府県に住む娘と新大阪で合流。久しぶりに見た梅田の地下街、新大阪駅の異様な様子に唖然とした。まるでSF映画を見ているかのような感覚。これが、コロナウイルスによる移動自粛の現実。店と言う店が閉まり、食べ物はコンビニかマクドしか空いてない。ガラガラの自由席にのり、これまた土産物屋が全て閉まっている駅でおりた。
幸い義父は、コロナが原因ではなく、苦しむこともなく94歳の大往生だったが、コロナ感染の危険性を考えて、親戚の参列は遠慮してもらうことにした。しかし、家族に囲まれ、納棺師の手でとても丁寧で愛情一杯に身支度を整える事ができた。一方でコロナで亡くなった方は、家族に見送ってもらうこともできずに荼毘にふされてしまう事を思うと、胸が痛む。
こんな時代が来るなんて、60年生きてきて想像もしなかった。コロナウイルスが忍び寄る今、未だ現実感がなく、不安と焦りだけが募っていく中で、私たちはどう生きていくかが問われている。
海外旅行から帰ってきた学生が原因でその後クラスターが起こったため、大学に対して非難や中傷の電話やメールが殺到し、中には脅迫めいた電話もあったという。クラスターが発生した福祉施設では、利用者や職員にとどまらず、家族に対してまでひどい誹謗中傷や心無い態度が浴びせられた。休業要請に応じないパチンコ店に並ぶ客に対して、怒号が飛ぶ。私たちのために命懸けで戦ってくれている医療従事者に対してまで、中傷・差別しようとする。そのような人権侵害にまで至る例が数多く報告されている。誰のせいでもないのに感染して苦しい思いをしている人や対応に追われる人たちに、協力するどころかつぶしにかかるのは、恐怖で理性を失っているとしか思えない。
さらに最近になって、県外ナンバーの車に誹謗中傷を浴びせたり、投石やあおり運転が頻発したり、居酒屋や飲食店に、営業を自粛しろと書いた紙が張られることが起こっている。思わず魔女狩りや戦時中の特高や隣組を連想してしまった。上からの半強制的な自粛要請の下、自分達のストレスを正義感を振りかざして他者にぶつけているとしか思えない行動。ああこんな風に、人々は分断され、何も言えなくされていくのだとおもった。戦争が始まったらこうなるのか。それぞれの人が自分の良識と判断で行動できなくさせられる社会が本当に迫ってきている怖さを感じた。
けれど、かくいう自分自身も、身近に感染者が出たら、パニックにならないという自信はない。誹謗中傷はしなくても、冷静な言動がどこまでできるのかと思う。不安定でぶれぶれなちっぽけな自分に嫌というほど気づかされる。
そんな中で、WEBニュースで発言していたお二人の言葉が、とても愛に溢れていて、心に染みた。医師で作家である鎌田みのるさんと、絵本作家の五味太郎さんである。鎌田さんは、いま大切なのは、無自覚のままウイルスを広げている若者にバッシングではなく、協力を求めることだと、警鐘をならしている。
「バッシングは、他者を非難する事で、自らの恐れやストレスから逃れようとしているせい。頭ごなしに自粛への協力を強制するのではなく、悩みをきちんと受け止める努力をし、一緒に考え、助ける方法の提示や補償をすれば、罰則がなくても皆が協力してくれる。
感染した人に厳しい社会は、感染症に弱い社会。感染した軽症者には、居心地の良い場所で滞在してもらい、周囲は感染者に対して、常に、ご苦労様と言う姿勢で望むことが大切。そうすれば、退院した暁には、地域のために協力し、頑張ろうと言う気持ちになってくれるだろう。抗体ができた人には、感染の危険性が低下し、コロナ禍の第2波、第3波が来たときに、医療を担ったり物資を運んだりする先遣隊になってもらわないといけない。パワーを持った仲間がいると考える事ができる。
一方で、若い医師や研修医が会食して感染して批判を浴びた。感染拡大を招くと言われる行動をした者には反省してもらわないといけない。しかし、駄目なやつだとレッテルをはるだけで終わったり、突き放したりしないことが大切だ。抗体ができていれば、これからの医療現場で力になるからだ。もし、私が彼らの先輩だったら、笑って、バカやろうと言い、これから頼りにしているよと、声をかけるでしょう。」
五味太郎さんは、「早く元に戻ればいいって言われがちだけど、じゃあコロナの前は本当に充実してたの?と問うてみたい。働き方も国会も学校も、色んな事の本質が露呈しちゃってる。五輪の延期も、オリンピックより人の命って大事なんだなとやっと再確認したんだろうし、優先順位がはっきりしてくる。心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない?先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える。もっと言えば、不安とか不安定こそが生きてるってことじゃないかな。」と語っている。
国の新型インフルエンザ等対策有識者会議の委員を務めた川本哲郎・同志社大元教授は、「特措法は店名公表や休業指示に制裁的効果があるのに、補償がなく建て付けが悪い。補償が無いためやむなく営業する事業者もいるはず。全額でなくても8割補償など、柔軟に考えるべきだ。法の運用にも問題がある。店名公表の際に制裁的な色合いを薄めるため、本来は要請した全施設を公表するはずなのに、従わない施設だけを公表した。『言うことを聞かない店』というメッセージになり威圧的、制裁的だ。店に非難が集中し、社会的制裁を招いた。『緊急』という言葉のもとに、法の本質が押し流されてしまっていると感じる。」と、語っている。
一方スウェーデンのように、行動制限や封鎖ではなく、国民一人一人の自主性を重視する国がある。首相は、「私たち大人はまさに大人でなくてはならない。全員が人としての責任を果たすはず」と発言し、国民自ら在宅勤務をし、高齢者への接触や大人数の集会を避ければ、規制がなくとも感染拡大は防げるとしている。子供たちは通学し、外出制限も店舗の休業もない。集団免疫の獲得の道を選んでいる。
果たしてその対策が成功したのか失敗したのかは、まだわからないし、不安を訴えている人もいるようだが、要請や脅しではなく、一人一人が自主的に判断して責任をもつというのは、なんという日本との違いだろうか。きっとスウェーデンでは万一対策が失敗しても、次は国民が納得して一丸となって協力することだろう。
暗い話ばかりではない.医療従事者にエールを送ったり、いろいろな寄付があったり、自分ができることを発信している人たちもたくさんいる。まだまだ日本も捨てたものではない。自分に何かできることはないかと心ばかりがあせって動けない私だが、不安を共有しつつ、今ある自分の役割をしっかりと行い、自分がうつることもうつすこともないよう、自分の責任を果たすことが大事だと悟った。そして、コロナか事故か突然死かわからないが、人はだれでもいつ死ぬかわからないということを真正面から受け止め、今を大切に生きていこうと思う。
ナビ 西川
2020/05/01
自立生活センター・ナビの小八重です。初夏ですね。こんなに良い気候なのに、世の中暗いニュースが多いですが、ジョギングして飲むヨーグルトを飲んで何とか元気に前向きに過ごそうとしています。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
さて、僕は去年の10月から11月にかけて和歌山電鐵貴志川線のバリアフリー調査を行い、その様子をFacebookで報告させていただきました。僕はこの調査をするまで、アクセス関係の取り組みをしたことはなかったのですが、調査を終えてからもっと関西のローカル線の調査を行いたいという気持ちが強くなりました。というのは、生の情報を仕入れることの重要性に気がついたからです。確かに、昔に比べるとどの鉄道もバリアフリー化が進み、またインターネットの普及で、大まかな情報は把握しやすくなっているでしょう。でも、実際に現地に調査に行ってわかったのは、隠れている情報がたくさんあるということです。特にローカル線においては、鉄道や駅のバリアフリー化は進んでいても、周辺に車いすユーザーの利用できる施設やトイレなどがあるかどうかまではわからないことが多い。
今年度は京都嵯峨野のローカル線の調査を行いたいと考えています。嵯峨野は京都でも有数の観光地で、名所史跡がたくさんありますが、歴史的な建造物などは往々にして段差、階段などが多いもの。ローカル線の調査と合わせて、周辺の建造物にも可能な限り足を運び、当事者スタッフと調査を行うことで、より地域の実情に即した情報発信ができるのではないかと考えました。また、僕の中では、ナビのスタッフだった松崎有己さんが生前に手掛けていた関西鉄道マップをより充実したものにするというもう一つの目標もあります。
それなりの労力も必要でしょうが、今年度も楽しみながら調査を進めていければと思います。そして皆様にこのブログやFacebookにて進捗をお伝えできれば幸いです。
2020/04/24
5/23(土)、5/24(日)、5/30(土)に5月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
募集期間は4/27(月)~5/15(金)です。詳細は下のチラシをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2020/04/24
自立生活センター・ナビの小坪です。
コロナウイルスの感染拡大が続き、自粛が相次ぐ中で私たちの生活にも確実に影響が出ていますが、みなさんどうお過ごしでしょうか?
さて、ちゅうぶでは新人職員に対して全体研修と部門別研修を行っています。研修期間中は総務が中心になり研修を組んでいきます。
部門研修を始めたのは数年前からですが、相談支援(ナビ)、生活介護(赤おに、青おに)、介護派遣(すてっぷ)、グループホーム(リオ)など各部門の業務を体験してもらいます。4月20日からナビにも研修に来ています。
ナビでは、「自立生活センターの役割と業務説明」、「相談業務(委託相談、計画相談)説明」、「地域自立支援協議会の説明」、「障害の社会モデルについて」、「各スタッフからの業務説明」「会議参加」、「許可がもらえた方の相談に同行」などなど色んな内容を盛り込んでおります。
正式に配属が決まるのは少し先ですが、いざ配属が決まると担当部署の業務に追われて、他の部署の動きが見えにくくなることもあると思うので、部門別研修は各部署の役割や業務内容を肌で感じるいい機会だと思います。
新人職員の部門研修は各部署2週間ずつで5月29日まで続きます。
2020/04/17
こんにちは。ナビの平沼です。
みなさま、新型コロナウィルスによる自粛ムードの中、いかがお過ごしでしょうか。
4月7日には非常事態宣言が出され、日本中で、また世界中で新型コロナウィルスの感染が拡大し、残念なことに重症化、さらには死に至ってしまう方々がいらっしゃることを思うと、胸が締め付けられます。我々の関係者にはまだ感染者の発生はありませんが、いつどうなってもおかしくないと思いながらも、地域生活を続けていく障害者の支援や介護は、自粛したり止めたりできるものではなく、水や食料を生活必需品というならば、支援や介護は生活必需行為であるため、感染防止に細心の注意を図りながら活動を続けています。
感染症の蔓延を防ぐこと、自らや周りの人の感染防止に関しては、我々がどんなに考えたところで専門の方の意見を超えることはあり得ないと思います。専門家の方々の意見を聞きながら自分たちで気を付けていくしかありません。
しかし、ここまで全世界に広がった感染症。このような全人類が苦しむ状況でしわ寄せがいくのはやはり弱い立場の人だと改めて感じました。普段は気付くことさえできない差別の構造がとてつもなく明るみに出てきているように感じています。
ステイホームと呼びかけられた国々で、DVの相談件数が上がっています。児童虐待の相談件数が増えています。経済格差によって、人種間で感染者率、死者率が違います。女性・子ども・貧困・障害・・・・ウイルスは人間を差別せずに攻撃してきますが、社会の在り方によって防御や二次的な被害の状況が変わってくると言えるのではないでしょうか。
障害者にとってはどうでしょうか。医療崩壊が起こった時に、トリアージがなされることはやむを得ないことであるというのは共通の認識だろうと思います。助けられる人を助けていくということでしょう。しかし、その基準は本当に平等なのでしょうか。障害者と健常者でどちらかを助けるときに、障害者は殺されてしまうのではないでしょうか。
「障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」のことを優生思想と言います。
イタリアの状況を伝えるニュースでも、ある高齢者は、助かってもその後世話をしてくれる人がいないから、ということで積極的な治療をしなかったと伝えられていました。優生思想はそれほどまでに今を生きる人々の頭に刷り込まれ、あるいは政策に反映され、普段から思い込まされてしまっているのだと感じます。私たちはそれを優生思想と気付くことすらできていない。だからこそ出生前診断の問題が起こったり、無理心中事件、はては相模原事件のように簡単に命を奪われてしまうようなことが起こってしまうのだろうと思います。
私たちが目指しているインクルーシブな社会は、こういった差別をもとにした事件が起こらないことが目標ですが、優生思想のように、私たちはいまだに様々な差別的な慣習や制度、考え方に気づくことさえできていないのだと思います。だからインクルーシブな社会をうまく想像できないし、人に伝えようとしてもうまく説明できないし、広まらない。まずは自分たちがさまざまな場面で差別を容認してしまっていることを認め、あぶりだし、一つ一つ考えたり悩んだりしながらつぶしていくしかないのだろうと思います。
新型コロナウイルスのワクチンが生まれ、人類が集団免疫を獲得するころには、社会のあり方がけっこう変化するんじゃないかと感じていますが、それがインクルーシブな社会の在り方に近づいていけるかどうか。私たちの課題だなと思います。
障害学会がコロナに関する声明の中で優生思想のことを「障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」と書いているのを見て、非常にわかりやすく、伝わりやすい言葉だと感じたので、併せて紹介させてもらいます。
2020/04/10
みなさんこんにちは!ナビの東です☺️
2020年度が始まりましたが、新型コロナの影響で今世紀最大の危機に直面している日本…。自粛自粛の毎日に疲れが出てきていませんか?
そんな中、障害者の生活もかなり厳しい状況にあります。
ちゅうぶでは毎年4月~5月にかけて、大学に出向き、主に新入生を対象に学生介護者を募集するためのアピールをさせてもらっています☺️
しかし、コロナの影響で大学の授業が延期になり、アピールに行けません。
アピールに行けないということは、新しい学生さんを見つけることができません…!
学生さんのおかげで障害者の生活が成り立っているといっても過言ではない中、これはかなりのダメージです(;_;)
そこで、ちゅうぶでは新たな取り組みとして、今の危機的状況について、障害者メンバーについて、ちゅうぶについて、制度について、ちょっとしたゲーム実況などなど
おもしろくてタメになる動画配信を始めることになりました( *´艸`)
本当は私たち障害者が直接会いに行ってお話ししたいところを、グッとこらえて、今まで以上に盛り上げてコロナをぶっ飛ばす勢いでやっていきたいと思っておりますので、ぜひチャンネル登録をお願いします('ω')♪
2020/03/31
相模原事件死刑判決 この判決に大きな矛盾を感じざるをえない
予想通り、死刑判決が出た。これだけ何の罪もないたくさんの人を殺したのだから、当然と言えば当然だが、果たしてこれで良かったのだろうか?この裁判は、人の命はどんな人でも価値があるのかどうかが問われる裁判だったと思う。それなのに、植松被告には死刑判決が出た。つまり、この世には、命を奪った方がいい人間がいると、司法が、裁判官や裁判員や社会が認めてしまった。この大きな事件をたった2ヶ月で、よりじっくりと背景や原因を深めることなく終わらせてしまう事に、何か大きな力を感じてしまう。
裁判の中で明らかになったのは、植松被告が働き始めてから二年間で変わったと言う事。検察官が、「職員は人として扱っていない。そういった経験を経て重度障害者はいらないと思ったのか」と聞いたら、被告は「はい」と言った。色々な意味で影響を受けやすく、目立ちたがりで、かつ深く考えるのが苦手で、大麻の合法化を訴え、フリーメイソンやイルミナティにのめり込み、非常に偏った考え方を持っていた。それゆえ短絡的に社会の役に立つ方法だと思いこんだのだろう。としたら、やはり、植松被告が働いた施設での支援のあり方が、もっともっと掘り下げられなければならなかったはずだ。しかし、法廷では少ししか触れられなかった。それが本当に残念に思う。
朝日新聞の記事では、以下のように書かれていた。
植松被告は、やまゆり園で働き始めた当初は、自分なりにやりがいを感じていたようだ。
「楽な仕事で楽しい」「障害者はかわいい」朗読された友人らの調書によると、被告は複数の友人にこう語っている。ある友人には、利用者について「こうしたら喜んでくれる」と身ぶりを交えて話した。別の友人には「暴れると止めるのが大変」とこぼしつつ「慣れるとかわいいんだよね」と言った。就職活動で悩んでいる後輩には「仕事ってお金のためじゃなくやりがいだと思う。今の仕事は自分にとって天職」とまで言った。
だが園での仕事が2年目に入った頃から、言動が変わり始めた。ある友人は、被告が園の利用者について「かわいそう」「食べる食事など人間として扱われていない」と言うのを聞いた。別の友人は、時期は覚えていないが、被告が「職員が死んだ魚のような目をして希望なく働いている」「職員が障害者の頭をたたいたのを見た」と話すのを聞いた。さらに、精神鑑定医が公判で明らかにしたエピソードは、「利用者とすれ違いざまに軽い暴力をふるう職員がいた。働き始めた当初、被告は「暴力はよくない」と同僚らに意見した。だが「最初だから思うよね」「2、3年後にもそれがいけないと言えるか楽しみだ」と言われた。「家族が利用者を見捨てている。ほとんど面会に来ない人がいる。入浴介護中に溺れた利用者を助けたのにお礼を言われなかった。」
人間として扱われていない、暴力はよくないと思っていた被告が、なぜ、その後に障害者への不当な偏見を募らせることになったのかがとても大事な点である。しかし、裁判ではこれらの出来事について、同僚や園長らに証言を求め、当時の状況や背景を確認する場面はなかった。唯一、入倉かおる園長(62)は精神鑑定医の証言を受けての取材に「職員の暴力は把握していない」と話した。
1月27日の第9回公判で、検察官が、「やまゆり園で働き、驚いたことは何か」と問いかけた時に、職員にも言及した。「口調が命令的。人に接する時の口調じゃなかった」「人として扱っていないと思った」「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」
利用者に暴力を振るう職員がいたのか問われ「聞いたことがあります」と答えた。聞いただけかと畳み掛けられると、「うーん、どうかな」とかわしたが、被告自身は暴力を振るったことがあるのかと問われて「無駄な暴力を振るったことはありません」と言った。
検察官は、「無駄とは何か」と問うた。被告は「動物と同じでしつけと思ったが、改善しなかった。甘やかしすぎて食事を食べられなくなった人に促したが、食べることができなかった」と言った。食べるように、鼻先を小突いたことがあったという。また、他の職員について「便に触る人をトイレで座らせようとした時に、しつけをしたと聞きました」とも語った。 (以上朝日新聞の記事より)
検察側は、園での勤務経験が差別意識の原因の一つになったと主張している。しかし、裁判では、施設の問題にはこの部分くらいしか触れられていない。同僚の証言もなく、ひょっとしたら、自分で勝手に作り上げた部分があるかもしれない。遺族の事を考えて、裁判ではこれ以上深く調べると更に傷つけるからと検察側が配慮したのかもしれない。けれど、施設内では、明らかに不適切な支援があり、植松被告はそこに悩みながら、彼なりの解決策を見いだしてしまった。重度障害者は死ぬべきだと。そうではない解決策が、入所施設の中では見つけることができなかった。もちろん、植松被告の極論に対して、そんなことはないと取っ組み合いになった職員もいたとの事。職員全員が不適切な支援をしていたわけではないだろう。しかし、彼の悩みを共有し、支援のあり方について、重度障害者の人権について、常に学び実践できる環境であったなら、いや、更に地域移行を進め、本人も家族も生き生きと人生を送ることができるとわかっていたら、ひょっとしたら違う未来になっていたかもしれない。これはやまゆり園だけの問題ではなく、私たち一人一人に問われ、突きつけられた課題でもある。それゆえに、たった2ヶ月で死刑判決がくだされて、面会や手紙のやりとりも厳しく制限され、これ以上時間をかけて被告のことを知り、変えようとする取り組みも許されなくなる。支援のあり方について、検証も不十分なまま、規模を小さくしただけの施設をまた作ろうとしていることに、この事件の本質が見える気がする。
植松被告は、死刑になってはいけない。国民の税金を使って、一生刑務所で、自分が犯した罪と向き合い、生きるとは何か、命の価値とは何かを考え続けるべきだ。どんな人間でも、生きる価値があることを、人間らしく生きる権利があることを、植松被告に一生かけてわからせ、罪を償わせるべきであると思う。
ナビ 西川
2020/03/30
2020/03/13
こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。
大阪には、当法人も加盟している障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議(以下:障大連)という団体があります。加盟団体は約90団体。障大連と一緒に大阪府や大阪市交渉など活動することも多いです。また、教育、グループホーム、交通、施設といった部会があり、私は、交通部会に参加しているので、どんなことをしているのか報告したいと思います。
●交通部会とは
・奇数月の第一水曜日開催
・参加団体は大阪府内の団体(大阪市、東大阪市、八尾市、泉大津市など)
・交通バリアフリーに関する法律についての学習会、交通事業者研修報告、各地域からの報告などを行う情報共有の場
●2019年度の主な活動内容を紹介
①UDタクシー全国一斉乗車行動報告会
東京オリンピック、パラリンピックをひかえてユニバーサルデザインタクシー(以下:UDタクシー)の普及が進んでいます。しかし、車いす利用者への乗車拒否も多発しているのも現状です。そこで、車いす利用者の乗車拒否をなくし、誰もが利用できるUDタクシーを目指し、2019年10月30日にUDタクシー全国一斉乗車行動(以前、当法人フェイスブックにも報告掲載)を実施し、その報告会を行いました。本当に、まだまだ車いす利用者への理解が進んでいないと感じました。大丈夫か!?オリパラ!

②JR西日本待たされ問題アンケート報告
年1回、障大連とJR西日本大阪支社と交渉を行っています。長年、課題とされている「駅で待たされる問題」が交渉では取り上げられます。そこで、実際、駅に調査へ行った時の様子(待たされた時間、接遇、困った点、良かった点など)を交渉に向けて報告し情報共有をしました。

来年度も交通部会に参加し、たくさん情報を得て、今後の活動に活かしていけたらと考えています。また、交通事業者や行政の人など、たくさんの人に交通バリアフリーについて障害者の現状を伝えて、改善を求めていきたいと思います。

2020/03/06
自立生活センター・ナビの小坪です。
この前、2020年が始まったと思えばもう3月です。
1月は「行く」2月は「逃げる」3月は「去る」とはよく言ったものですね。
月日が過ぎるのが恐ろしく早いです!
さて、ちゅうぶの機関紙でもお知らせしましたが、南光龍平さんが、2月11日にお亡くなりになりました。Facebookでの報告が遅くなりましたが掲載したいと思います。
南光さんの訃報を聞いたのは、ちゅうぶ35周年企画の会場に向かう電車の中でした。
前日には35周年企画の前夜祭があり、司会者だった僕は南光さんに締めの挨拶をお願いしました。その時は今までの「ちゅうぶの歴史」を既に亡くなられた 障害者の名前を挙げながら語られていまし た。障害者が「当たり前に地域で生きていく事ができる社会」を作っていきたい!と力強くあいさつされていました。

南光さんが亡くなったなんて、お通夜と告別式が終わった今でも、実感がなく信じられません。
僕がちゅうぶに入ったのが2000年。 南光さんがナビを退職されたのが2012年。
南光さんがナビを退職されるまでの12年間、ナビで自立生活プログラムや 相談対応、ナビゲーションの取材、編集、 時には作業補助など、たくさんの活動や業務を一緒に進めてきました。
南光さんと日ごろから関わりが多かったこともあり、南光さんの言語障害を正確に聞き取ることは早い段階から出来ていたと自画自賛しております。南光さんもお前は「言語障害通訳者」やなぁと言い、言語障害がなかなか聞き取れない人がいた時は「通訳頼むわ」とよく言われたものです。笑
ナビを退職され、ちゅうぶの生活介護(赤おに)に通所するようになってからは「障害が重度化したからもうしんどい」という南光さんに対して小坪のほうから「もっと●●してください」とお願いすることのほうが多くなっていました。
その度に「お前怖くなったな」と言いつつ、最後には「頑張ってみるわ」とい う返事。
この会話を何度も交わした気がします。

南光さんはピア・カウンセリングや自立生活プログラム、相談活動など障害当事者だからこそできる事に特にお力を尽くされてきました。
これからもちゅうぶとしても、個人としても南光さんの遺志を受け継ぎ色んなことに取り組んでいきたいと思います。
まだ時期は決まっておりませんが、改めて南光さんを偲ぶ会を開催したいと思います。
また日程が決まりましたらお知らせしますので是非ご参加頂けたら幸いです。
2020/02/14
こんにちは、自立生活センター・ナビの小八重です。ちゅうぶが無事に35周年を迎えられ、今後も新たな気持ちで色々なことに取り組みたいと思っています!まだ、何も考えていませんが!
さて、東住吉区では相談支援専門員だけではなく、様々な福祉職に携わる方々のスキルアップをねらいとして、定期的に事例検討会を実施しています。そして、今回は僕の担当するケースを検討するということで、その報告をさせていただきたいと思います。
取り扱ったケースの概要は「病院に長期間入院されており、そこから自立生活プログラムを通してグループホーム入居に至った方の支援について」です。この方は現在、グループホームで制度を利用しながら生活ができているのですが、病院に入院していた時期は家族の拒否で福祉サービスを一切利用できなかった経緯があります。
そして、今回は小グループに分かれて、ifを多分に取り入れた検討になりました。内容は…。
①あなたがこの方の支援に介入するならば、どのような方法や工夫があったか。
②そこから見える課題、地域課題は?
③その課題の解決方法は?
家族に対して制度を発信できれば…、制度利用に関する研修会など実施、病療病院から地域に戻るための支援の加算などがあれば…など、参加者の方々から様々な意見をいただくことができました。正直、難しいテーマだなと思ったんですが、どのグループも一生懸命に検討してくださり、「こんな方法もあったんだな…」とか、「確かにこういう資源があればいいな…」と発表者の僕が気づかされることが多かったように思います。事例検討会色々な福祉職の方が参加されるのですが、それぞれの専門分野からの有益な情報が共有できたり、今更聞けないことなども聞けたりすることも大きな魅力だと僕は思っています。また、それらの情報を整理し、自立支援協議会にあげていき新しい資源を開発したりあるいは、より良いものに作り替えたり…、また、日々の自身の業務の中で活かしていくことが大切なことなのかなと実感しています。そういう意味で今回の事例検討会は非常にいい経験になりました。
2020/02/07
みなさん、こんにちは。ナビの山下です。今回は、自立生活センター・ナビ近くの駒九橋の勾配が緩やかに改修されたという報告です。
2018年3月に東住吉区障がい者基幹相談支援センター(自立生活センター・ナビ)近くの駒九橋が新しく架け替えられました。架け替え工事をすることは回覧板等で知っていましたが、出来上がってみると、車いすユーザーや高齢者等にとっては渡ることが困難な橋に変わってしまいました!工事が終わらないと気付かなかった大問題です。誰もが使いやすい橋のままだと思っていたのが、利用しにくい橋に変わってしまったので近隣住民の方にも集まってもらい大阪市と協議をしました。

近隣の方からは、工事前の橋は、勾配が緩やかだったので自転車で渡ることが出来ましたが、今は、押して行かないと渡ることが難しくなってしまいました。と、お話してもらい、障害当事者からは、ナビに来られる相談者の方や整形外科や公園があり、高齢者やベビーカーを押した方等がよく利用する橋なので出来るだけ緩やかな橋にしてほしいと要望しました。話し合いの結果、勾配を緩やかにするのは難しいので、代わりに手すりが設置されました。
そして、2019年11月再度大阪市と話
・駒九橋に面している道路を改修してさらに緩やかにする
・今後も古くなっていく橋は架け替え工事を検討中

2019年12月
一部の方向からのみですが、行き来がしやすくなりました。勾配が緩やかになったことは良かったし、一旦、工事が終わったのに、もう一度工事をしてくれるということは珍しいことだと思います。
街には障害者、高齢者等が他の人と同じように渡れない橋がたくさんあります。そんな橋を見つけたら、行政に要望していきたいと思います。すぐに改修することは難しいかもわかりませんが、黙っていても何も変わりません。
2020/02/03
2020.2.2
楠敏雄さんを偲び語る会に参加させていただきました。
大阪府下にとどまらず各地から100名の方が参加されていました。楠さんはお亡くなりになるまで、DPI日本会議の副議長や障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議(障大連)の議長をされていました。

2002年当初からお亡くなりになる2014年2月まで楠さんにちゅうぶの代表理事をしていただいておりました。
僕自身はあまり深くお話をしたりする機会はなかったのが残念です。
今回の偲び語る会に参加し、地元である東大阪の障害者団体のみなさんや、たくさんの方々から楠さんとのエピソードをお聞きし、障害者運動を振り返る中で楠さんの偉大さを再認識しました。「運動は繋ぐものではない、創るもの」「価値観に対する問いかけ」という楠さんの言葉が印象に残りました。

障害者を取り巻く環境は、いい意味で変化してきたと思います。これから本当の意味で多様性が認められる社会にしていくために「価値観に対する問いかけ」を意識して自分に出来ることを模索していこうと思います。

小坪琢平
2020/01/17
うん、やっぱり障害者の自立生活運動は、きっと生きにくい人たちを巻き込んで、価値観をかえ、人生をかえ、社会を変えていく可能性があるんだ!そう、確信させてくれた映画でした。
知ってる人が出演してるし、ちゅうぶと同じような自立取り組みをしているから、目新しいこともなく、そんなに面白くないのではと、正直あまり期待せずに行きました。
しかし、期待は見事に裏切られたのでした。面白くて、グイグイ引きずられてしまいました。私は、渕上さんが、15年間寝たきりで引きこもっていたことや、夢宙センターの平下社長も親から力を奪われて、施設に入れられたことなど、初めて知った事が多かったのです。
しゃべれるやつだけがIL運動で中心メンバーになったらいいだけじゃなくて、置き去りにされている人たちをどう一緒に考えるかというのが課題やと、夢宙センターの社長の言葉は、今も胸に残っています。
実は、12月の障大連セミナーの分科会で、夢宙センターやムーブメントやリアライズの自立取り組みの報告を聞いて、えっ肢体不自由の障害者だけじゃなかったのとびっくりしたのでした。それが、この映画を見て、具体的なやり取りを知ることができて、本当に肢体不自由だけじゃなくて知的障害者や重度の重複障害者の自立取り組みをやっているんだと感動したのです。
ちゅうぶでも、昨年気管切開をして人工呼吸器と胃ろうを手土産に帰ってきたS級のこだわりをもつ小名さん、言葉がでなくて目や表情で意思表示し、昨年秋に自立生活を始めた重度心身障害と言われるAくんがいます。
小名さんは命に即関わると言うのに、痰の吸引を拒否したり、浴室で自分でシャワーをかけさせろと怒って物を投げつけたり、寒くなるのに長袖を拒否したりと、元気な時と同じようにこだわりを見せてくれています。極めつけは、切開して挿入されている管を無理やり引っこ抜いて、救急車のお世話になったこと。しかも2回も。彼女が病院から戻ってくるために、職員総出で、喀痰吸引の資格をとり、24時間1分たりとも介護に穴をあけないようにしていると言うのにです。けれどそんな小名さんに、時々ガツンと怒るけど、あの手この手で粘り強く笑い飛ばしながら関わり、小名さんがやりたいことを何とかして実現していこうとする職員を見ていると本当に素敵だなといつも思います。
一方でヘルパーが足りない、募集しても集まらないという介護者不足の問題があります。
でも、これを解決するためには、ただ単に労働条件を良くするだけでは、解決できない気がします。もちろん、福祉業界全体の給料の低さや、休みが取りにくいことや泊まりの仕事があるなど、しんどいと思われる要素は確かにあります。また、今の働き手不足で、有効求人倍率が低い中、わざわざ給料が安くてしんどい仕事を選ぶ人が少なくなっています。この傾向は、福祉業界だけではありません。そしたらどうやってヘルパーを増やすのか?
この映画を見て、そして、舞台挨拶にきていた玉木さんの言葉から、気付いた事がありました。マジョリティと言われる人たちも、健常者と言われてる人たちも、決して生きやすい訳じゃなく、必死ではみ出ないように、時々自分には生きてる価値なんかないんじゃないかと言う思いを抱えながら生きてるひとが結構いると言う事。自立生活センターの運動が、障害者の自立を取り組むだけではなく、結果的に、健常者もそこで居場所をみつけ、変わっていき、生きる意味を見出だす事ができれば、こんな素敵な事はありません。この映画に出ていた平下さんや渕上さんや三井さんたちは、健常者を単なる介護者と位置付けるのではなく、共に生きる仲間として自立を進める良き相棒として関わっているのが画面から伝わってきて、とてもほっとさせられました。
映画「道草」の時にも感じたけれど、「知的障害」や何々障害と、パターン化して障害者をみるのではなく、Aさん、Bさんと言うようにその人をわかろうとすること、どういう生活がよいのか一緒に考えてくれる人を増やすことが自立生活運動なのだと改めて感じました。そして、これは決して入所施設ではできないこと!どんなに良い施設でも絶対にできないこと!
また、夢宙センターの平下さんやムーブメントの渕上さんたちからは、障害者を絶対自立させるぞと言うような強い意志が感じられ、その意思を団体全体で共有し、進めていこうとしているのがとてもよくわかりました。これは、自分が、どん底で生きたからこそ、心の底からあふれでてくる熱い想いなんだと思いました。
うん、やっぱり障害者の自立生活運動は、きっと生きにくい人たちを巻き込んで、価値観をかえ、人生をかえ、社会を変えていく可能性があるんだ!やってて良かった!これからも続けるぞ!
皆さんも是非是非見に行ってください!
最後に、川崎さんの歌と声が、すごく好きです。すっかりファンになりました!ライブがあれば、行きたいです。
ナビ 西川
2020/01/14
1984年12月に東住吉区を拠点に重度の障害者を中心に活動を開始。自立生活・インクルーシブ社会の実現を求めてきた35年。1985年4月に赤おに作業所をスタート、大阪市で第1号となる身体障害者グループホーム、介護派遣、自立生活センター、相談支援と時代の流れとともに、時代を拓く活動を進めてきました。この間交流を進めてきた韓国、日本の取り組みの紹介と討論、そして何が待ち受けているか分からないでっかい未来をみんなで考えます!
日時 2020年2月11日(火・祝) 13:30~16:30
場所 大阪国際交流センター2階 大会議室(さくら東・西)
(大阪府大阪市天王寺区上本町8丁目2−6)
プログラム
13:30~15:00
1部:パネルディスカッション「テーマ:脱施設・地域生活」
パネラー ナヌム自立生活センター(韓国光州市)
三田優子さん(大阪府立大学人間社会システム科学研究科准教授)
尾上浩二(DPI副議長・NPOちゅうぶ代表理事)
15:00~16:30
2部:映像企画 「2120年ちゅうぶの旅」
35年の映像と未来人とともに考えるワレワレノミライ
※会場が手狭なため、事前にお申込みください。
→1月31日(金)までにお願いします。
2020/01/10
自立生活センター・ナビの小坪です。
今年でちゅうぶで働き始めて20年になります!
この20年を振り返るとバリアフリー面や障害者の生活を支える制度はまだ不十分な部分はありますがだいぶ充実してきたと思います。
一方で、なかなか変わらないのが「障害者のことは自分に関係ない」「関わったことないし、よく分からない」と思っている人が一定数いてるということです!
わからないが故に「障害者=●●」という統一されたイメージを持たれてしまうことが多いので、その統一されたイメージを崩して「その人個人」を見てもらえるかが大切だと思っています。
個人として見てもらうためには
色んな障害者がいてるということを知ってもらうこと。
障害者と関わる中で色んな発見をしてほしいということです。
今回は障害者のことは分からない、よく知らないと思っている人たちに是非見てもらいたい映画を紹介します!
その名も「インディペンデントリビング(INDEPENDENT LIVING)」
この映画は自立生活運動や自立生活センターからサポートを受けて自立生活を目指す障害当事者の生活を描いたドキュメンタリー映画です。
映画インディペンデントリビングは、1月11日(土)から十三の第七芸術劇場にて1日1回上映です。
出演者舞台あいさつもあります。
詳しくは各ホームページをご覧ください。
インディペンデントリビング公式ホームページ
第七芸術劇場公式ホームページ
皆さん是非劇場でご覧ください。
2020年もよろしくお願いします。
2019/12/28
ナビの中尾です。
先日、博多で行われたJILセミナーに行ってきました。全国のCILからの参加があり、3日間の講義は学生時代のようでした。
インクルーシブって何だろう、パラレルレポートとは?と、障害にまつわる各テーマについての講義とグループワークがあり、長時間でも中だるみしない、あっという間の時間でした。

なかでも印象に残ったのが、「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」ということばです。
たとえば、“女性は雑用するもの”と直接誰かから言われたり、周りからの無言の圧力を感じたりします。
親世代、世間の考え方が、自分でも気づかない無意識のうちに浸み込んでいて、そのように行動してしまったり、その考え方に合わないものを非難したり排除してしまうことがあります。
普段は周りに合わせよう、合わせようとしているので、違和感を感じるスイッチを自分で切っているところがありますが、大阪を離れて日常から切り離されていることと、グループワークで様々な立場の方からの意見を聞くことで、自分の中にあるちょっとした違和感を感じ取りやすくなり、長い間ずっと囚われてきていること、それが無自覚・無意識であることにゾッとしました。
これを回避するには・・・、ひたすら意識的でいるしかありません。
自分の中に湧いた、小さな「あれ?」という気持ちを放っておかないこと。
完全・完璧にはいきませんが、ひとつずつ拾い上げていくしかないなと思いました。
セミナーでは講義だけでなく、「輝く女性障害者」の表彰式もありました。
輝いてる人ってどんな人でしょう。
いつも笑顔の人、
自分の意見をしっかり持っている人、
人は生まれたらそれだけで輝く存在、等々。
これらはグループワークで出てきたみんなの意見です。
もちろん私も、その場で感じた「輝く」の定義を言ったのですが、
今思うと納得いくものではなく・・・。
この年末年始に、私の思う「輝く」を、日常から離れ、考えてみたいと思います。

今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
2019/12/13
こんにちは。ナビの東です。12月も中盤に差し掛かりました。もうすぐ今年も終わりですね。2019年は皆さんにとってどんな1年でしたか?そろそろ今年1年の振り返りをしてみてもいいかもしれませんね☺
今日は2019年の振り返りということで、プライベートな話にはなりますが、今年充実していたことを書きたいと思います。
突然ですが、東の趣味は「音楽」です。
今年2019年の初めに、大学生の時によく出演させてもらっていた音楽イベントの仲間に久しぶりに会ったとき「また一緒に歌おう」と声をかけてもらいました。
それがきっかけで、音楽活動を再開することになりました。
ただ闇雲に歌うのではなく、ひとつの目的をもって歌うことにしています。
それはインクルーシブな社会にしていくことの大切さを伝えるということ。
制度やサービス、物理的なバリアフリーが進んでいったとしても、そこで生きている人の意識が変わらないと「住みやすい社会」にはならないと思っています。
例えば、私は「一人暮らしをしています」と言うと未だに「障害あるのにすごいね」「えらいね」と言われます。この言葉にいつも違和感を覚えます。
社会の中にはまだ障害者=施設や親元、または病院でしか暮らせないという偏見が根強く残っているし、障害者を差別する人はまだまだたくさんいる。私はそこに焦点を当てて、歌で社会を変えたいなと思っています。
障害があっても同じ人間だし、わざわざ「障害者」というカテゴリーに分ける必要性がないことと、いつかは健常者・障害者という概念そのものをなくし、インクルーシブな社会にしたいと思っています。その結果「障害者」という言葉そのものがこの社会からなくなればいいと思っていますし、そうなるように発信しつづけるのが私に出来ることだと思っています。
自立生活センターが常に言っている「社会モデル」の考え方も路上ライブでは常にお話しさせてもらっています。障害は私たちにあるのではなく社会にあるものだし、物理的なバリアだけでなく、一人一人の中にある差別意識や偏見がなくなれば、障害あるなしに関わらず、どんな人でも生きやすい社会になる。そういう曲を作って歌っています。
歌にすることで、これまで全く関心を示されなかった人にも私たちに興味を持ってもらえるきっかけになったらいいなぁと思っていますし、願わくば小さな共感の積み重ねで、いずれは社会全体の意識を変えていけたらいいなと思って、休みの日には外に出て仲間と一緒に歌いつづけた1年でした(笑)
今年は有りがたいことに、バリバラという番組に出演させていただくことにもなり、今までよりも多くの人に見てもらう機会が増えました。このことも活かして、東なりに社会を変えていけるようこれからも貢献しつづけたいなと思います!
自立生活センターで仕事をしていて、仕事以外でもこうして自分にできることを模索していけることをとても嬉しく思います。これからも自分に与えられた役割をしっかり考え、実行できるよう、精進していきたいと思います☺
2019/12/07
こんにちは!すてっぷの青木です😊!
ナビ(相談支援)からすてっぷ(介護派遣)に異動して早8ヶ月です🤭
すてっぷから初更新します。
先日、すてっぷのヘルパーの皆さんと一緒に、総勢29名で、すてっぷ忘年会を開催しました🍻
場所は「海鮮居酒屋 吾作どん」@天王寺アポロ店。
てっちり鍋🐡に伊勢海老🦐と、 何とも忘年会らしい豪華な料理でした😌✨
ビンゴ大会も盛り上がり、今年の景品は商品券です。
すてっぷのヘルパーさんは若手からベテランまで 幅広い年齢層で長年勤続で働いて頂いています!
おかげさまで今年も無事に事業所運営ができました🙇♂
ヘルパーの皆様、来年度もよろしくお願い致します🙇♂
若手のホープ! いせえびがぶりじゅるじゅるちゅー
2019/12/06
こんにちは!自立生活センター・ナビの平沼です。第2子の誕生からはや2か月。8年ぶりの新生児に翻弄されながら日々を送っています。
まずは宣伝です。
東住吉区の自立支援協議会では、市民向け企画として、著作「子どものための精神医学」でご高名な滝川一廣さんをお招きし、きたる12月19日午前10時から東住吉区民ホールにて講演会を行います。精神障害を「異常性」としてではなく、人間が本来持っている心の働きの一側面が突出して現れた姿であると捉えた滝川さんのお話が聞けると期待しています。
滝川一廣さん講演会「障害がある人のこころの世界を知るために~発達障害、精神疾患とは何か?」
さて、今回はちょっと専門的なことを書いてみようかなと思います。興味ある人にしか面白くないと思います。今回、ある学習会に向けて資料を作っているときに疑問がわいてきました。
学習会の内容は、介護保険制度と障害福祉サービスの併用について。介護保険のケアマネージャーさんたちに向けた学習会です。
総合支援法の7条には、総合支援法に優先して介護保険を利用すべしとの記載がありますが、厚労省は通知の中で、障害のサービスが使えなくなるわけではないことを何度も強調しています。同じサービスがあれば、介護保険を優先して利用しなければいけない、ということなわけです。はたして本当に同じサービスがあり得るのでしょうか。
調べている中で、ある自治体の集団指導の資料には、「障害福祉のヘルパーができることは、介護保険のヘルパーができることと同じです。」とハッキリ書いていました。その自治体に根拠は何ですかと聞いてみると、8年前に厚労省の担当者に口頭で聞いて、そうだと言ったからだそうです。8年前から今までで、介護保険側のヘルパーに関するルール(一回当たりの時間など)もかなり変わっているし、障害福祉に関しても別の変更がなされたりもしています。
介護保険訪問介護では、老計10号という細かくどんな支援をしてもよい、してはいけない、という国の通知に縛られるようです。しかし、障害福祉ではこのような通知はないはずです。(あるとご存じの方いたら教えてください)自治体によってある程度の裁量があって身体介護の幅をどのくらいまで認めるかなどに違いがありますよね。例えば、精神・知的障害者に対する身体介護のあり方は共働家事に関して認める自治体もあるほどです。
問題なのは、介護保険のサービスを中心に行っている事業所が、介護保険のルールを当てはめ、地域でそれがまことしやかに広がり、果ては行政にまで(行政職員は4年交代が基本なので)そのルールが広がってしまっていることではないのかと感じています。
縦割り行政の弊害がここにも表れているなと感じますが、大阪市では事業所に指導する指導課、介護制度を担当する支援課、介護保険担当課がそれぞれ別々の組織になっていることも課題なのかもしれません。
障害者の支援の場合、(介護保険と同じルールでうまくいく人もいるかもしれませんが)障害者それぞれの特性に合わせた支援が必要であり、日常生活の支援だけではなく、社会参加に向けた支援が必要なので(総合支援法)、その方の状況やライフステージによって支援の内容も変わりますし、柔軟でないといけないと思います。
ケアマネジメント的に考えれば、ニーズを満たすためのサービスなわけで、本人のニーズを満たせるならば、介護保険によるサービスであれ、障害福祉によるサービスであれ、どちらでも構いません。
例えば、「身体を清潔に保ちたい」というニーズがあったとしたら、・自宅でヘルパーを使って入浴や清拭を行う・生活介護やデイサービスなど通所サービスで入浴をする・訪問入浴を使う・銭湯にヘルパーと通うなど、いろいろな方策があって、どれを選びどのように利用するかは本人とよく相談して決めるべきです。
そんな時に、どちらのサービスを利用するか選べれば、こんな混乱も少なくて済むのになあと思います。そもそも介護保険は加齢に伴う支援が必要な状態の人への支援であり、総合支援法のサービスは加齢に限定せず障害のある状態の人への支援なので、介護保険の財源全部障害福祉サービスにして、総合支援法一本でいいんじゃないのかなあと思いました。
介護保険と総合支援法の間に横たわる課題はほかにもたくさんありますが、長々と書きすぎてもあれなので、ここらでいったん終わります。
駄文お読みいただきありがとうございました。
2019/11/29
まずは青おにメンバーの森園さんから先日受けた針中野駅近くの床屋(チェーン店)の入店差別について発言。

いつものように散髪をしていると店員から「今日は大丈夫ですが、混んでいるときは断るかもしれないから空いているときに来てもらえれば…」と待っている介助者に言われました。
後で理由を聞くと、「車いすが通る時に他のお客さんが顔を剃るため、椅子を倒していたら起こさないといけなく、刃物があって危険だから。車いす客には全員に伝えている」と言われました。
店には段差はなく、特に狭い店でもありません。また、過去にそういった事故はなく、混雑の基準が不明。「混んでる時は断るかも…」と言われると次からはとても行きにくくなります。
髪の毛はスッキリしても、気持ちはモヤモヤした気持ちである、と正直な気持ちを伝えました。
大阪市からは、
「条件付けをするのは差別となることを大阪市から店長と主任に説明し、そんなつもりはなかった。次回から気をつけますと言われた」との回答がありました。
大阪市の担当者も現地に行って直接話をしてくれたようです。
次に、ナビの平沼さんからは知的障害がある人の命に関わる医療上の意思決定についての問題を訴えました。

以前から本人と緊急時は気管切開をすると意思確認をしていた。ある日、意識不明になり、気管切開をしないと命が助からない状況になった。
医師は支援者ではなく、疎遠状態で普段からの会話もない状態であった家族の「このまま苦しまず…」という意見を優先。
幸い、少しだけ意識を取り戻し、医師に気管切開をするという自分の意見を伝えることができ、一命を取り留めることができた。
福祉サービスでは意思決定ガイドラインが作られているが、まだまだ不十分な上、医療の方にまでは広がっていない。
「大阪市は障害者の命、人権に関わる問題として捉え、対策を行ってください」と訴えました。
大阪市からは担当課がなく、文書での回答はありませんでした。
ただし、障害福祉課がこの課題を認識し、調整を行うという返答をもらうことはできました。
その他にも課題は山積みではありますが、私たちは泣き寝入りせず、『他の人と同じような生活の実現』を粘り強く訴えていきます!


2019/11/29
みなさん、こんにちは。自立生活センター・ナビの山下です。私は、ナビで発行している機関誌ナビゲーションの編集長をしています。
先日、2019年11月号ナビゲーションを発行しました。7月号から新コーナーを連載することになり、今回は、そのことについて報告します。
新コーナーの名前は「シリーズ いろんなテーマの「なぜ」を解消!」
インクルーシブ教育について、お2人の方にインタビューをしてきました。
7月号では当法人代表理事であるDPI日本会議副議長の尾上浩二さんにお話を伺いました。尾上さんの生い立ち(特に学生時代)を織り交ぜながら、教育の制度がどう変わってきたのか、教育と障害者権利条約との関係などお聞きしました。11月号では障害者の完全参加を目指す大阪連絡会議事務局長の西尾元秀さんに大阪府や大阪市の状況で、医療的ケアが必要な子に対しては「親が学校に付いて来てください。」「修学旅行の時は他の子と違うルートで行ってください。」と言われるなど、まだまだ差別が起こっているというお話をお聞きしました。
お2人のお話を聞いて、障害者が高校や大学に入りやすくなったとはいえ、まだまだ不十分なところがあると感じました。当事者が声を上げて行政を動かすことの大切さを改めて思いました。
機関誌の内容は当法人ホームページにも掲載していますので、ぜひご覧ください。
機関紙 ナビゲーション一覧
障害者の自立生活情報 ナビゲーション ~自立への道案内~
3ヶ月に1回発行している機関紙で、障害者の自立生活に役立つ情報や、実際に自立生活をしている障害者にインタビューをして掲載しています。配布場所としては、今までナビで企画をした際に参加してくれた方々や福祉関係機関、障害者スポーツセンター、施設、支援学校などに置かせていただいています。
2019/11/28
2019/11/27
今日は、ちゅうぶで支援している小名志保さんの紹介です。
小名さんは、すてっぷのヘルパー派遣を受け、グループホーム・リオで生活しながら昼間は赤おにに通所している、人工呼吸器ユーザーです。元々は呼吸器は使用していませんでしたが、昨年末に呼吸不全で急きょ入院、生命の危機もありましたが、気管切開と胃ろう増設の手術をして見事復活!8月に無事にグループホームに帰ってきました。おかえり~
新たに必要になった痰の吸引や経管栄養等の医療的ケアは、訪問看護、研修を受けたヘルパーさんや支援者で対応し、24時間体制で支援しています。
どんな生活しているの?
週に4日~5日は生活介護「赤おに」に通い、仲間と過ごしています。夕方は近くの商店街やスーパーに買い物に行くのが日課。
お休みの日は、ランチに行ったりもします。今はドトールのランチがお気に入り!
食事は胃ろうからの経管栄養と口から食べる事を組み合わせています。
ドトールでのランチ、美味しかった?「100点!!」
気管切開して喋れないので、言いたい事はボードに単語を書いたり身振りで伝えたりします。
これから行ってみたいところは?
「名古屋」「さかえ」
昨年、入院する前に行った名古屋にもう一度、一泊旅行で行きたいそうです。目的は、美味しい物を食べることだと、ジェスチャーで教えてくれました。
11月30日(土)には、ちゅうぶでやっている重度訪問介護講座で初めて講師役もします。
緊張するかな?頑張って下さいね~

2019/11/22
「あなたのせいで、進めない。諦めるしかないのでしょうか。」
これは、何の広告だと思いますか?その下に、「やめましょう、歩きスマホ」携帯会社連盟で出している広告 地下鉄御堂筋線の地下鉄の中で見た吊り広告。
最初これを見た時にぎょっとした。
[あなたのせいで]というフレーズにすごく違和感を感じた。もちろん歩きスマホは回りが見えてなくて危ないし、誰かにぶつかると相手にも怪我させてしまうから、やめた方が良いと思う。けれど、そういう意味じゃなくて、[あなたのせいで進めない]、つまり遅いから迷惑、さっさと歩けと言う意味でしょ?私なんか腰や関節が悪いからさっさと歩けない。道を歩いていたらどんどん追い抜かれていく 。もちろん?エスカレーターは歩きません。狭いエスカレーターだと後ろに行列ができるけど、仕方がない。走りたい人は階段で行けばいいじゃない、なんでわざわざエスカレーター使うのよと思う。
だから、この広告を見た時に本当にぎょっとした。えっ、私のこと?って。梅田は確かに人が急ぎ足で歩いていて、しかもぶつからないんだから、時々ぶつかりそうになる私は感心する。でもこの言い方ってどうなの?例えば、視覚障害者が白状ついて歩くことも当然あるでしょ。足腰が悪くなれば歩くのも遅い人もいるでしょ。片まひの人だって車イスの人だって、ゆっくり歩いて何が悪いの?初心者マーク着けて走ってる車が一車線の道路をゆっくり走って後ろが行列になるってよくあるじゃない?でも誰もさっさと行けなんていわないよね。焦らせたら危ないし事故につながるから。待つじゃない。何か、そこまでバタさんを許さない社会になってきたのか。
今までどおり、「歩きスマホは、自分も回りにも危ないからやめましょう」で良いと思う。「あなたのせいで」、というフレーズは「周りは迷惑している」と、まるで一斉に回りから冷たい目で見られている感覚に陥って、ぞっとした。
皆さんは、どう思いますか?
ナビ 西川
2019/11/15
自立生活センター・ナビの小八重です。秋も終わりが近づきつつあり、朝晩はめっきり寒くなってきました。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
去る11月10日の日曜日、僕はちゅうぶの取り組みの一環として、和歌山県にあるローカル線「和歌山電鐵貴志川線」のバリアフリー調査に行っていました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれないですが、この貴志川線は「駅長たま」という世にも珍しいネコの駅長さんがおり、メディアでも度々取り上げられている有名なローカル線なのです。残念ながら、初代駅長たまはすでに亡くなっており、今は二代目のニタマ駅長と部下のよんたま駅長が新たなマスコット?として就任しています。
では、車いすユーザーの方でもネコの駅長に会いに行けるのか?ということで、ナビの当事者スタッフの方と共に現地に向かいました。まず、JR阪和線の和歌山駅で貴志川線に乗り換える訳ですが、これがなかなかの難路でした。エレベーターがないので、階段を降りて地下道を抜け、貴志川線のホームに登らないといけません。ここはJRの駅員さんに協力してもらいました。今回乗ったのは「おもちゃ電車」と「たま電車」、それに「動物愛護電車」の3種。おもちゃ電車は中にガチャポンがあったり、たま電車は駅長たまのオブジェがあったりと遊び心に溢れる内装で、意外にも中は広々としており、車いすでも動きやすい空間になっていました。
最初に目指すはよんたま駅長がいる「伊太祈曽(いだきそ)」駅。到着後、駅員さんがホームで待機していました。実はこの貴志川線、駅員さんがいる駅は「和歌山」駅とこの「伊太祈曽」駅だけ。また、和歌山以外の駅は渡し板もありません。駅員さんの協力で介助をしましたが、ホームから地上に降りるまでの階段は急で正直怖かったです。よんたま駅長は駅舎に改札横にいましたが、この日は爆睡していました…(;^_^A駅はお世辞にもバリアフリーではないんですが、すぐ隣に車いすトイレはあるので、せっかくだからスロープもつけてほしいなぁと思いました。
その後、終着駅の「貴志」駅まで向かいます。貴志駅はスロープがあるので、ホームから地上に降りるのは容易で、車いすトイレも完備。駅の屋根はネコの頭をかたどっており、ニタマ駅長がお客さんを迎えてくれます(=^・^=)また、たまミュージアムやたまカフェなどが駅構内にあり、ちょっとした観光地と化していました。特に外国人観光客の方たちが多かったです。
当日は時間の関係であまり長く滞在できなかったのですが、機会があればまたニタマよんたまに会いに行きたいなぁと思いました。ネコの駅長の集客効果で廃線なりかけの状態から、奇跡の再生を果たした貴志川線。ネコ好きな方は行っても損はないと思います!かわいい駅長に癒されること間違いなし。また、車いすユーザーの方は事前にJR阪和線と貴志川線に連絡をしておけば、介助など必要な協力を駅員さんに依頼できます。貴志川線の詳細は下記ホームページをご覧になってください。
https://www.wakayama-dentetsu.co.jp/

2019/11/08
自立生活センター・ナビの小坪です。
10月30日にDPI日 本会議の呼びかけでUDタクシーへの乗車行動がありました。自立生活センター・ナビのスタッフ3名 が天王寺や梅田のタクシー乗り場にいき、UDタクシーがあるのか!? あった場合、乗車できるのを調査してきました。
今回はの乗車方法は以下。
① 街で走っているタクシー(流し)に乗車
② タクシー乗り場で乗車
③ 電話での配車
果たして3名のスタッフそれぞれが問題なく乗車出来たのでしょうか!?
「ユニバーサルデザインタクシー」とは
健康な方はもちろんのこと、足腰の弱い高齢者、車いす使用 者、ベビーカー利用の親子連れ、妊娠中の方など、誰もが利用しやすい"みんなにや さしい新しいタクシー車両"であり、街中で呼び止めても予約しても誰もが普通に使 える一般のタクシーです。運賃は一般のタクシーと同じです。
~乗車行動報告~
1人目(山下/手動車いす使用)
JR天王寺駅のタクシー乗り場で9:30から調査開始!なかなかUDタクシーを見つけることが出来なかったが、1時間後、タクシー乗り場に1台のUDタクシーが停車。運転手に車イスのまま乗車できるか確認するも 「乗れない」と言われてしまった。そこで、タクシー乗り場で探すのを諦め「大阪タクシー協会」のホームページに記載されているタクシー会社に数社電話した結果、電話で配車予約ができ11時頃タクシー到着。
スロープの出し入れ、固定等は比較的スムーズだったがタクシー到着から乗車完了までには10分かかりました。ちなみに運転手さんの話では、今回で車いす使用者の方に乗車して頂くのは9回目だったらしいです。
2人目(鶴羽/簡易電動車いす使用者)
西梅田のタクシー乗り場に行き調査開始。
調査開始から1時間半経ったころUDタクシーを見つけることが出来たため乗車したいと伝えたが、運転手から窓越しにジェスチャーで×印を出されました。調査可能な時間の限界までUDタクシーを探しましたが他に見つけられず乗車できませんでした。
3人目(小坪/電動車いす使用者)
JR天王寺駅のタクシー乗り場で16:00から調査開始! 最初はタクシー乗り場にUDタクシーが停車していないか探しましたが、停車していませんでした。次に配車予約を試み10社に電話するも「出払っている」。又は「うちの 会社にはUDタクシーはない!」と言われ配車も出来ませんでした。
用事があったため調査を終了してなんばに移動。予定終了後、諦めきれずになんばのタクシー乗り場(高島屋前)に行くとUDタクシーを発見。急いで乗車したいと伝えました!
どこかに引っかかっていて座席を上げるという工程が上手くいかず、乗車完了まで12分程度掛かりましたが、お待たせして大変申し訳ありません。「実際に乗車してもらえて、すごく私自身が勉強になりました」と謝罪とお礼を言われました。
運転手さんはタクシードライバー歴1年。今までに車いすの固定方法やス ロープの出し方など2度研修を受けたことがありますが、実際に電動車いすを使用されている方に乗車して頂くのは初めてですといわれていました。

~乗車行動に参加して~
今回の乗車行動に参加し、どのような問題点があるかを体感できたことは大きかったと思います。今後、大阪でもUDタクシーが増えていくと言われているので、不便な所が改良され、街で簡単にUDタクシーを見つけられ、誰もが気軽に乗車できるタクシーになってほしいです。
~今回の目的~
全国一斉行動!UDタクシー乗車行動 企画書より抜粋
2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、車いすで乗車 できるUDタクシーの普及が進んでいます。政府はUD2020行 動計画で重点的なバリアフリー整備として2020年の東京23区内で25%のUDタ クシーの実現を目指していますが、東京のみならず全国で普及が進んでいます。
しかし、残念なことに、車いす利用者への乗車拒否が多発して います。国交省は2018年11月に通達を出し、事業者に対し、車いす利用者の乗車拒否は道路運送法に違反すること、定期的 に研修を実施すること、UDタクシーを指定した予約・配車が可能となるように サービスを充実させること等を求めました。しかしながら、現在でもUDタク シーの車いす乗車拒否は後を絶ちません。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは海外からも多くの車いす利用者の来日が予 想されますが、このままでは乗車拒否が多発してしまいます。
乗車 拒否が多発している要因は、ドライバーの接遇と車両の構造上の問題が考えられます。実際に多様な車いす利用者が乗車することを通して、乗 車拒否の実態把握と、乗車するためのバリアがどこにあるか調査し、その結果をまとめ、事業者、メーカー、国交省等へ改善を働きかけたいと 考えております。
2019/10/26
ナビの中尾です。
今さらですが、ちゅうぶには6つの部門があります。
生活介護の赤おに・青おに、介護派遣のすてっぷ、総務、相談支援のナビ、グループホームリオがあり、そのなかで一番ナゾ多き部門がナビらしいです。主には1対1での相談となり、守秘義務もあるので、みんなに開かれているオープンな場所とは言いがたいのかもしれません。
ナゾなナビということで、それはそれで独自性があり面白いような気もしますが、せっかくなので私なりに紹介してみようと思います。

ちゅうぶ全体での関わりは3障害(身体・知的・精神)のうち、身体障害の割合が多いですが、ナビだけに限ると圧倒的に精神・知的の方の利用が多いです。
主な相談内容は、福祉サービスの利用(計画相談、HH、訪看等)、障害者年金の相談、生活保護の申請等ですが、他にも生活全般に渡ってのいろいろな相談があります。
開所時間の9時から17時30分までの間、
本人からの相談と、その相談内容に関連した事業所、区役所、医療機関、年金事務所との調整があり、常に誰かが電話を受けている・かけている、という印象です。
相談件数を毎月集計していますが、ざっくり50名の方に対し、200件の連絡調整をしています(定期相談の方は除く)。
もともと私は人の名前を覚えるのは苦手なので、ナビ所属当初は(この人数の名前覚えるのムリ・・・)と思っていましたが、ミーティングで情報のシャワーを浴びつづけていると、覚えているようになってきました。人間の脳の適応力って素晴らしいなと思います。
そうやって調子に乗っていると、話している途中でAさんの状況とBさんの状況を混同しているのに気付いて青ざめたりします。まだまだ精進が必要です。。。
誰かに相談するということは、簡単なことではなかったりもします。しんどい時ほど周りが見えなくなったりもしますが、「話できるところはあるよ」ということを、頭の片隅に置いてもらえたらなと思います。
2019/10/18
今回はナビの日常をチョット覗いて頂こうかと・・・。
相談・対応、、、業務に関しては毎日毎日何かが起こるし変化はあるし、次々と新しい相談が入ってきます。そういう意味で言うと最新ニュースばかりなんですが、さすがに業務内容を公表するわけにはいかないですしね…(^^ゞ
というわけで、業務以外のナビでの出来事を(興味があっても無くても)ご紹介!
あ、私…現在ガラホ使用、「スマホに変えたら?」という周りからの声も最近なくなってきた、SNS等が大の苦手なナビの山中です。

元号が令和になってから…というのはあんまり関係ないとは思いますが、ナビの電化製品が次々と…。まずは2階会議室のエアコン。部屋の真ん中の埋め込み式が使用できなくなり部屋の奥に新品を取り付けました!ただ入り口付近からは微妙にリモコンのセンサーが届かないのが惜しい(;;)

そしてシュレッダー。一旦壊れてまさかの復活を遂げた強者でしたが力尽き、今は毎日新シュレッダーが頑張ってくれてます。掃除機も動かなくなり新しくなりました。もう一台の掃除機、取っ手部分が割れてぐらぐらで電池丸見えでガムテープぐるぐる巻きのヤツ→ナビの財務大臣に交渉中。
それと先週の事ですが、電話機を総取り替えしています。なんか本部とも内線で話せたりしてすごい!・・・てな感じです。
あとは9月の終わりに席替えをしました。今回は私の席は変わっていませんが、なんかやっぱり新鮮な気分になりますね。
スタッフのニュースでいうと、X氏が泊まりの断食修行にトライしたり、私は30センチ以上髪切ってへアドネーションしたり。
そして、これはめでたい大ニュース!ナビの管理者に第二子が誕生しましたっ!!

ナビを身近に感じて頂く事はできましたでしょうか?
これからもよろしくお願いしまーす♪
2019/10/04
みなさん、こんにちは。ナビの山下です。
10月に入り朝晩だいぶ涼しくなってきましたね。
紅葉を見に行ったり(まだ早いか!?)お出掛けしやすい季節になりました。
出掛けると言えば、車道と歩道の段差が気になります。
ということで、今回はこれまで取り組んできた段差解消報告をしたいと思います。
2018年から東住吉区の車道と歩道の段差解消の取り組みをしています。
今回は、東住吉区を南北に通る長居公園東筋の段差解消報告です。
長居公園東筋の段差解消は同年11月に平野工営所へ手動車いすユーザー、
簡易電動車いすユーザーで訪問し要望してきました!
●要望点(手動車いすの場合)
・歩道と車道の間の段差は3㎝ほどあり、上手く前輪を上げないと
身体が前のめりになり車いすごと前へ倒れそうになる。
・介護者に車いすを押してもらって移動する時も段差に気付かず、
そのまま行ってしまう時があり危険。
・歩道と段差の解消をしてほしい。
(工事前)(ローソン田辺2丁目店(〒546-0031大阪市東住吉区田辺2丁目6-22)

前輪が段差にぶつかり身体が前のめりになって
転倒する危険性があります。3センチの段差があります。
●改善点
今年8月に平野工営所の担当の方から要望していた3ヶ所を工事するという連絡があり、
8月~9月にかけて工事されました。
そして、工事が終了して、どんな風に変わったのかを確認してきました。
(工事後)(ローソン田辺2丁目店(〒546-0031大阪市東住吉区田辺2丁目6-22)
車道と歩道の段差が舗装されて、車いすでも段差を気にすることなく通ることができます。
(段差がまったくなくなったわけではありません。1cmほどの段差は残っています。)
※今回紹介したローソン前の歩道の他に同じく長居公園東筋ですが、
田辺小学校前やコノミヤ前の歩道の2ヶ所が整備されています。
工事前には段差が3cmほどありましたが、今回の工事で2cmになっていました。
場所によっては、歩道を舗装するのではなく車道をかさ上げして
歩道と車道の段差を低くしている所もありました。
●参考までに
大阪の道路「筋」と「通」の違いは?
大阪市内に住むときや観光するときに覚えておくと便利なのが
「筋」と「通」の違いです。
大阪市内は道路が縦横に規則正しく交差しています。
・南北に走る道路は「筋」
・東西に走る道路は「通」
ということで今回、段差解消された長居公園東筋は「筋」なので
南北に走っているということですね。
今後も、歩道と段差の解消に向けて取り組んでいけたらと思います。
2019/10/03
11/9(土)、11/10(日)、11/16(土)、11/30(土)に11月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先もしくは学校・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
募集期間は10/7(月)~11/1(金)です。詳細はこちらをご覧ください。
皆さんのご応募お待ちしています。
2019/09/20
少し古い話になるが、今年の6月にNHKの番組をタイトルに引かれて、見た。
安楽死を選んだ人は、バリバリ仕事をしていて、それなりに充実した人生を送っていたが、多系統萎縮症という難病になり仕事もやめた。
徐々に身体機能が失われ、彼女は何度も自殺未遂をするが失敗。
彼女の言い分は、「病気が進行したら、何かをやってもらっても「ありがとう」も言えなくなる。寝たきりで10年も20年も生きるなんてまっぴらごめんなの」。
病気で苦しいから死にたいというだけなら、病気が進行して呼吸器を使うかどうかという時にモルヒネを使って苦しまずに死ねるらしいのだが、彼女は死ぬまで待てなかった。つまり、苦しいから死にたいのではなく、重度障害者になって生き恥をさらすくらいなら死んだほうがましと言うのが彼女死にたい理由なのだ。 一番下の妹は反対した。体が動かなくなっても最後まで生きていてほしいと。二人の姉は、反対してもまた自殺未遂を繰り返すだろうから、本人の意思を尊重して最後まで立ち会うためにスイスまでついてきた。
結局、彼女は死んでしまうのだが、死ぬまでの、医者が来て点滴をうって数秒で何の苦しみもなく、意識がなくなり死んでしまう様子がそのまま映像で流れていた。正直、準備万端にした上でこんな風に楽に死ねるなら私も…と思うくらいだった(一生懸命生きてる人たちにはごめんなさい。でも本当にそう思ってしまった、それくらい楽で簡単だった)。
ガンの末期患者が痛みがひどい時に強い薬を入れるけど、そうすると目が覚める事がないからお別れの言葉を家族と交わす場面は見たことがあったが、でもそれも寿命が尽きるのを眠って待つということ。この安楽死は寿命を待つことなくすぐに死ねるということだった。
ドキュメントでは、彼女と同じ難病をもち、長期入院してる別の女性と家族にもインタビューしていた。その女性は、自宅には帰らず、長期入院していたが、面会に来る家族と会えることだけを楽しみに生きているとのことだった。家族は、会いに来て、頑張って生きてる姿を見ると、自分たちも頑張って生きようと、勇気がもらえるから生きていてほしいとの事。けれど実際に病院での毎日は、ただただ死を待つための入院生活のように思えた。お金もかかるだろうし。
日本自立生活センターは、NHKに対して、ほう助自殺報道の問題点について声明を出していた。「今回の報道が、障害や難病を抱えて生きる人たちの生の尊厳を否定し、また実際に『死にたい』と『生きたい』という気持ちの間で悩んでいる当事者や家族に対して、生きる方向ではなく死ぬ方向へと背中を押してしまうという強烈なメッセージ性をもっているからです。」(前後省略)
長期入院して死を待つだけではない方法があるのに、そういう人をインタビューしなかった。進行性の難病になっても、安楽死しなくても、長期入院しなくても、24時間ヘルパーをつけて、自宅で自分らしく、忙しく、充実して生きている人もいる。そういう方法があると言う情報をこそもっと伝えるべきなのに、しなかった。それでは確かに安楽死の宣伝をしているだけ。
その上このご時世、グッドタイミング、生産性のない人は一日も早く迷惑かけないうちに尊厳死しましょう、こんなに楽に逝けますよ、これが日本で合法化されたらわざわざ高いお金出してスイスまで行かなくてもできるようになりますよって言う、まさしく宣伝。
どんな生き方をするのか、どんな死に方をするのか、ありがとうと言えなくなっても、人の手をかりないと生きれなくなっても、それでも生きたいと思うのか、それともこんな無様な姿を見られたくない、何の役にもたたなくて人に迷惑ばかりかけてるから早く死にたいと思うのか…。この差はどこから来るのだろうかと、ずっと考えていた。それこそ一人一人の中にあるかもしれない優生思想と同じで、他人ごとではない。彼女がもし子どもがいたら、果たして死を選んだだろうか?制度が社会福祉が充実したら変わるのだろうか?
事実、高齢になって他人の手を借りないと生活できなくなる日が来るのに、恥ずかしい、情けない、家の中には入ってきてほしくないと、支援を拒否する人は多い。 健常者として、自分のことは自分でする(できてない人も多い気がするが)、働いて役所のお世話にはならない、他人に迷惑をかけない、などなど、子供のころから植え付けられてきた価値観がある。だから未だに、税金を使った移動支援の制度を使って遊びに行くなんてわがままだと思われたり、生活保護をとることは恥ずかしいと思われたりしている。
その価値観を年を取ったからとか、障害者になったからとか、難病になったからとかで、いきなり変えるのはそう簡単ではない。中途障害の人たちが、外に出るようになるには、何年もの時間が必要だったと聞いた。本当は、彼女も病気を受け入れるための時間が必要だったはず。いっぽうで、その価値観こそが、今の社会で生きにくくなった人たちをたくさん生み出している気がする。
私たち支援者側もどっぷりとからめとられているこの価値観を、生きてるだけでいいんだよ、やりたいことをやっていいんだよと本心から言えるようになるためには、どうやって変えていけばよいのだろうか。
誰もが、どんな状態になっても、医療費や住宅費や生活費や学費や介護費用などの十分な保障を受けられるなら、障害者が税金を使って楽しく暮らしていても、羨んだりしないのだろうか?生産性がない人間は死んだ方が良いと言う考えにはならないのだろうか?
デンマークについての本を読みかけていたのを思い出した。社会保障が進んでいる北欧ではどうなのか、調べてみたい。
NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019年6月2日放送)における幇助自殺報道の問題点についての声明
2019/09/13
こんにちは、ナビの東です。
やっと暑さが和らいで、秋の訪れを感じられるようになりました。過ごしやすい気候が続けばいいですが、急な気候の変化などで体調を壊さないように気をつけていきましょう☺
8月29日(木)にこころの健康センターで行われた「自殺に傾いた人への支援」というテーマで傾聴と危機介入について、認定NPO法人国際ビフレンダーズ大阪自殺防止センター理事長の北条達人さんの講演会を聴きに行ってきました。
現在の日本における自殺の現状として、2018年の自殺者数はその前の年よりも723人少ない2万598人(およそ3.4%減)で、9年連続で減少しているとのこと。
日本財団自殺意識調査2016では4人に1人が過去に本気で自殺を考えたことがある、5人に1人は身近な人を自殺で亡くしているそうです。その原因は4つ以上あると言われており、いろんな問題が重なり、どうしようもないと追い詰められ、自殺にいたるそうです。
また今回とても興味深かったのは「じさつ」にもさまざまな表現の仕方があることです。
「希死念慮」「自殺念慮」「自殺願望」「自殺企図」「自殺未遂」「自殺既遂」あとの言葉になるにつれて自殺の危険度は高くなるそうです。「自殺未遂」と「自殺既遂」は実際に自殺行為を実行した際の言葉です。他にも「自害」「自決」「自尽」「自刃」「自栽」の表現もあります。
また自殺で身内を亡くした遺族から「自殺=身勝手だという偏ったイメージがある。「殺」に負のイメージがある」ということで「自殺」ではなく「自死」という言葉を使うこともあるが、実際に自殺をしようとした当事者からは「自死」という言葉は軽い。自分が味わった苦しみは「自死」以上だから「自殺」と言ってほしいという意見もある。人によって使い分けが必要であるということが、とても興味深かったです。また自殺願望がある人は「死にたい」という表現だけとは限らない。「お父さんに会いたい」など直接的な表現を使わない人もいるとのことです。
自殺を考える人に対し「辛い人はもっとたくさんいる」「あなただけが辛いんじゃない」という言葉を言いがちだけど、これはタブーです。というのも、当事者の方々は「命を大切に思うからこそ生きていけない」という方も多く、死を望んでいるのではなく、今生きることが辛かったり、現実が苦しすぎること。死んだ方が楽だと考えてしまう。もっと上手く生きたいのに理想の生き方ができない苦しさや、生きてる意味が見つからない等、どうしても生きることがしんどくなって「自殺」を考えてしまうとの話で、聞いていてとても辛く悲しい気持ちになりました。
「そんなことで悩まないで」なども禁句で、本人の苦しみは他人に判断できるものではないと思うし、本人の苦しい現状をまず受け止めることが大切なんだと思いました。
もし身近に本気で悩んでる人がいたらどうしたらいいか。悩みを聴くのは専門家じゃなくてもいいと北条先生はおっしゃいました。友達としてそばにいることが大切で、当事者にとってより近い存在であることが大事だそうです。思い切って一歩踏み込んで「自殺とか考えてる?」と聞き出すこともありなんだそうです。その代わり一度受け止めると決めた以上は最後まで責任をもって話しを聞くこと、上下関係にならないようにすることが大切だとのことです。相手の感情に焦点を当てて、悩みをよく聴き、誰にも言えなかったつらい気持ちをしっかり聴いて批判や助言をせずに受け止めることを意識的に行うようにしていけたらなと思いました。
どうしてもアドバイスしようとしてしまったり、「もっとつらい人はいる!そんなことで悩むな!」と言ってしまいそうになる気持ちを抑えて、かつ上から目線にならないようにするということがとても大事だなと思いました。
そして誰にも言えなかった気持ちを打ち明けてくれたときには自分に出来ることで精いっぱい受け止めていけるようにしていけたらなと思います。
2019/09/06
皆さんこんにちはナビの平沼です。 最近は急に雷が鳴ったり大雨が降り出したり大阪にいても 変な天候だなあと思っています 今年は大阪ではあまり被害はありませんが 九州の方々 大雨の被害痛み入ります これからも命を守る行動をとっていかないと 何があるかわからないですね。
さて久しぶりの投稿で何を書こうかなと考えていました。
今日は障害に関わる人誰もが知っていそうであんまり知らない、障害者手帳に関するお話をしてみようかなと思います。 ご存知の通り障害者手帳には身体障害者手帳、療育手帳(地域によって呼び方は違う)、精神障害者福祉手帳という3種類があり、以前にも伝えたように ほぼほぼ医療モデルで等級が定まっています。 身体障害者手帳は1級からなんと7級まで 細かく細かく決められていて、視覚障害、聴覚障害、上肢障害下肢障害、体幹機能障害、そして様々な内臓系の内部障害。障害の種別と程度によって、細かく決められています。役所で決めるのはほんの少しで、資格を持ったお医者さんだけが、障害者手帳に関する診断書を書ける。
原則障害は治らないという昔ながらの障害の立場に立っているのか、一度決まった等級は基本的に一生涯変わることはありません。障害が固定化して半年立たないと申請すらできません。
例えば2歳の頃に身体者障害者手帳を取得した場合、 60歳になっても80歳になっても同じ等級で手帳は利用できます。
一見メリットのように思いますが、裏を返すと障害というのは固定しないと障害とみなされないという明らかな医学モデルの考え方が採用されたまんま、全く見直されることなく続いていると言えます。
僕たちは障害者の相談支援をする中で 本人の不利益ができるだけ起こらないように相談を進めます。
その中には、どうやれば障害者の手帳の等級をあげられるか、または下がらないようにできるか。
年金を受けるためにどんなふうに医師に書いてもらうか、自分たちで伝えるか 。
そんなことも相談の経過の中ではあり、現実問題としてばかり考えてしまいますが、これらはあくまで今の制度の中でどうすればいいか、つまり医学モデルの考え方から抜け出すことができていないことの証明でもあるんですよね。
与えられた環境の中で頑張っているにすぎないなと。
詳しく調べることはまだできていませんが諸外国では障害というものをそんなに狭く定義はしていなくて、障害者であるということの証明をどうしているのかわかりませんが、例えば骨折をして半年間手が動かない。それはつまり半年間障害者である。というような定義になっているようです。お隣りの韓国でもつい最近、手帳制度が大きく変わり、等級が廃止されたようです。
もちろん良い悪い両面あるとは思いますが、ICFの考え方のように 障害をいろんな面から定義することで、困り感や生きづらさを捉え直すことができるのではないのかなと感じます。
当たり前になっている今の制度自体を 見直す時期に来ているのかもしれませんね。いやむしろ、日本は遅すぎるのかもしれません。
障害支援区分、障害者手帳の等級、 障害者年金の等級。そして要介護度認定。とにかく僕たちは分けることが大好きみたいですね。一律な判断基準が欲しいんでしょうかね。障害者の支援は個別性が大事だとあれほど言われているのに。。。
また、手帳や年金の等級制度は、生活保護や障害者雇用、また税金などに関しても深く関わりすぎていて、今更なかなか改定は難しいとは思います。しかし、こういったところに切り込んでいくこともインクルーシブな社会を作るためには必要なことなのだろうと思います。
巨大すぎてどこから手をつければいいのか分かりませんが、とにかく課題を認識するところから始めないといけないと 思いました。
2019/08/30
みなさん、こんにちは。まだまだ暑い日が続いていますね。体調は崩していませんか?ナビ・山下です。ナビでは主に機関紙ナビゲーションの取材・編集作業を担当しています。
ナビゲーションの編集の仕事を一緒にしていたナビ当事者スタッフの松﨑有己さんが2017年に亡くなられました。松﨑さんは「関西鉄道マップ」を作ってくれていました。このマップは、関西の鉄道駅舎でエレベーターが設置されている駅か、設置されていない駅か一目瞭然で分かるものです。
松崎さんの意思を受け継ぎ、私の今年度の目標は「関西鉄道マップを更新する!」ことです。というわけで、早速8月半ば日差しがとてもきつい日に調査へ行ってきました。とにかく暑かった!いや、ほんとに!あとから思えば、もう少し涼しくなってから行けば良かったと思いました。
今回行ったのは、JR大和路線の東部市場前駅と加美駅です。どちらの駅もエレベーターが設置されていました。それは、良いことだと思うのですが、駅員さんが不在の時間帯があり、僕も車いすユーザーですが、電車を利用する時にすぐに対応してもらえないのは困ります。多目的トイレは、1ヶ所ずつ設置されていました。(加美駅は2番ホーム内、東部市場前駅は改札内)

さて、2つの駅を降りた後のことを書きたいと思います。
まず、加美駅下車。駅近くに菅原神社がありました。僕は、去年ぐらいから御朱印を集めるのが趣味になっています。せっかくなので、御朱印をもらって、次の調査駅、東部市場前駅に向かいました。
東部市場前駅には、大きな歩道橋があり、いろんな方向にいけるように、複数エレベーターが設置されていて、目的の方向に渡ることは普通出来ると思うんですが、僕は方向音痴なので、エレベーターに乗る時は、降りるエレベーターの場所はわかるんですが、いざ、歩道橋に上がると、どのエレベーターに乗ったら目的の方向にたどり着けるのかがわからなくなりました。「○○方面」という標識を書いてもらえたらわかりやすいと思いました。
※東部市場前駅の近くに1989年~2012年まで、NPOちゅうぶが運営していた大阪市第1号のグループホーム「とんとんハウス」がありました。そういうこともあり、駅のエレベーター設置、歩道橋にエレベーターの要望をしてきました。

これからも、調査を続けていき「関西鉄道マップ」更新を頑張っていきたいと思います。
「この駅にエレベーターが最近着いたよ!」など情報があれば教えてください。
2019/08/28
食べることが大好きで、最近はお腹周りが気になり始めた赤おにメンバーの今村くん。
そんな今村くんからスタッフの朴さんに食べることだけではなく、料理がしたいという相談がありました。
夏の料理を思い浮かべると『そうめん』だったため、そのまま企画を進めることに。

事前に他のメンバー・スタッフと具材や価格設定などの案出しと、注文の集計表やチラシ作成などを分担。
今村くん自身は手が動かしにくいため、そうめん代金の徴収とそうめんの湯で時間のカウント、卵の焼き具合の確認を。調理についてはスタッフの出口さんと朴さんで。
また、当日までに試食会も行い、万全の状態で本番を迎えました。

当日は通所メンバー・スタッフはもちろん、他部署からもたくさんの人が集まり、赤おにが人でいっぱいに!
今村くんの「料理がしたい」という純粋な気持ちが十二分に込められたそうめんは普段交流が少ない人同士の会話を弾ませるきっかけとなりました。





今回の企画を終え、次回は家庭に眠っている調味料や食材を持ち寄る食堂企画がしたいとのことです。
周りに流されずに、自分の気持ちを大事にしていこう!でした。


2019/08/23
こんにちは。ナビの小坪です。
今回の参加者は、前回の集団ILPに も参加してくれたIさん、Yさんの2名。
前回の集団ILPに参加して、自立生活をしている先輩障害者とお話が出来た事と、実際に生活されている家を見学できたので色々なイメージを深める事ができた。次は「自分が使える制度について知りたい」という希望がそれぞれから出たので個別ILPを実施しました。
8月6日実施 個別ILP ~Iさん編~
Iさんの知りたいこと
○シャワーキャリーを買うことを考えてみたい。
★実際に取り組んだこと
福祉用具のカタログを見て、「どんなシャワーキャリーがあるのか?」、「値段はどの位するものなのか」を確認。その後、区役所に電話をして制度が利用できるか、制度で支給される金額を区役所に電話で確認しました。
普段あまり区役所に電話をかけることがないので少し緊張した様子で区役所に電話されていました。
★やってみての感想
制度で支給される金額も分かったので買い替えるか
どうかもう少し考えて決めたいです。
8月7日実施 個別ILP ~ Yさん編~

Yさんの知りたいこと
○計画相談の役割やヘルパー事業所の探し方などがわからない。
○10月で20歳になるので障害基礎年金を受給するための準備をしたい。必要な手続きは何か?
★実際に取り組んだこと
計画相談についての説明、ヘル パー派遣事業所の探し方→小坪が説明
障害基礎年金の手続き準備→区役所に電話して手続き方法の流 れを確認しました。
★やってみての感想
今まで分からなかったことが、今回のプログラムで少し具体的 にわかったので良かったです。
個別プログラムを実施して
「自分の使える制度について知りたい」という希望をどう具体的な形でプログラムにするかを考えました。普段あまり「区役所に問い合わせをしたことがない」というふたりだったのでシンプルに区役所に電話する事から始めました。
前回のプログラムではひとり暮らしの生活イメージを深め、今回、自分の使える制度に少し触れてもらえた事でステップアップしてもらえた気がします。
まだまだ色んな事に挑戦したいという希望があるので取り組んでいきたいと思います(小坪)
2019/08/16
こんにちは。27歳にして最近やっと少しだけ見た目に気を使おうと思うようになった、ナビの東です(笑) というのも、服やメイクはそれなりにしてきたつもりなんですが、ネイルというものには一切手をつけずにこの歳まで来たんです。しかし最近「セルフジェルネイル」というものにハマってしまいました。セルフなので1週間もすれば取れてしまいますが、デザインを考えて自分で塗るのはとても楽しいですし、テンションも上がります♪見た目に気を配ることは周りの人から見ても良い刺激になるのかなと思いつつ、可愛くなりたい願望を捨てずに日々精進していこうと思います(^_^)笑

前置きが長くなりましたが、先日夢宙センターのグレースさんことノアさんのアメリカ報告会に参加しました。報告会の報告文章はfacebookに載ってあるので今回は私の感想を書きたいと思います。
ノアさんの報告を聞いて印象的だったのは、やっぱりADAPTの活動のこと。映像にもあったように、ADA法ができる前のアメリカでの自立生活運動の様子がとても印象的で、目が離せませんでした。法案を通すと言われるまで一歩も動かなかったり、逮捕されることも構わずに声を挙げ続ける姿勢にとても感銘を受けました。「脱施設」を訴え続けていったことでADA法が誕生し、諦めない心と仲間との絆が社会を変えるということが改めて分かりました。
アメリカは光と闇の差が激しいことも分かりましたが、今後はアメリカも日本も「闇」の部分に対し、どういう働きかけができるのか、例えば日本とアメリカの良い部分を組み合わせたら真にインクルーシブな社会、共に生きる社会にしていけるんじゃないか?そのためにはどんな運動をしていかないといけないか、今度は私たちが行動していかないといけないなと改めて感じました。

2019/08/09
自立生活センター・ナビの・・・、と名乗るのに未だぎこちなさを感じてしまう、異動5か月目の中尾です。
先日、成年後見制度の利用を促進するための研修というのを受けてきました。
成年後見制度とは、判断能力が十分ではない方が安心して暮らすことができるよう、その人の権利を擁護するために、家庭裁判所が適任と思われる成年後見人(保佐人・補助人)を選任し、本人を保護・支援する制度です。
例えば、年金生活のひとり暮らしのおばあちゃんが訪問販売で必要のない高額商品を買ってしまうとか、うちの一人息子は生まれたときから重度の知的障害者で、私たち両親が亡くなった後のことが心配だ、というような場面で使われています。
しかし、成年後見制度というものの認知度の低さから、①制度のことが正しく知られていない、また利用する際にどこに相談すればわからない、といった課題があること、②生活上で困ったことが起きて初めて制度に結び付くという現状があること、これらの「もっと早く知っていたらよかったのに」という状況を減らすために、成年後見制度の利用促進が求められているということでした。
単純に利用件数を増やす話ではなく、日本も批准している障害者権利条約の通り、本人を制約することなく『意思決定の支援』として運用されるように、法的なハード面と人的なソフト面で考えていく必要のあるものだと思いました。
研修内ではワークも行い、例題について書類作成をやってみました。
本人に後見人が必要かどうかのチェックから始まり、後見人(保佐人・補助人)が財産管理を行うのか、それは預貯金なのか不動産なのか、と細かく項目が分かれており、本人にできることは奪わずに、必要なことだけをお願いする仕組みになっていました。
またこれらの契約内容を本人へ説明するために、主に財産管理関係の専門用語をわかりやすく言い換えたイラスト付きの資料ももらいました。私のためにもありがたい資料でした。

もし、最もわかりやすく「成年後見制度」を表すならば、「困ってることを一緒に考えましょう、手伝うよー」かなと思いました。他にもいい表現があれば教えてください!
2019/08/09
2019/08/02
ナビで主に計画相談を担当しています、山中です。とにかく暑いっ!!
「令和元年度 大阪府相談支援従事者専門コース別研修 地域移行・地域定着支援コース」を6月に受講してきました。
3日間の研修で、1日目は午前午後とガッツリ4コマの講義。ランチは私学会館の向かいのカレー店♪
2日目はグループ毎にテーブルに着き、講義と実践報告のあと午後の後半でグループ演習。
3日目も同じグループで半日、グループ演習を行いました。
日本では精神病院の入院患者の約1/3が、5年以上の長期入院患者。退院が困難な理由は「症状が重症または不安定」に次いで「居住・支援がない」ため。生活する受け皿がないということ。もし「居住・支援」が充分地域にあったとしても、長期間入院生活を送るうちに退院したいという意欲が乏しくなってしまう。それはそうかなぁ…と。前向きに退院への意欲を持ってもらって地域生活に移行していくには、まずは働き掛けるところからなんですよね。退院促進というけれど一つの機関だけではどうにもならない。医療、行政、受け入れる地域の支援者側が連携を取って進めていく必要があるなと改めて痛感。
退院して地域に戻ることはできたものの…。入院中は生活力を発揮する機会が少なく、生活能力が奪われてしまう。他にも色々奪われてしまうものはあると思います。長期間の入院となると退院後の生活には多様な支援が必要になってくる。一人ひとりに何が必要か、地域生活を送るうえでどのような工夫ができるかなどを本人と一緒に考え、他機関と連携を図っていくところに相談支援専門員の役割があるのだということを再確認できた研修でした。
2019/07/29
ナヌム自立生活センターと交流協定!
2018年3月にちゅうぶに見学に来てくれたナヌムと、今後定期的に交流し、障害者運動をすすめようと約束。
心こもったもてなしや見学プログラム。韓国料理や市場散策、民主化運動学習、自立生活障害者の様子など、とても記憶に残る訪問となりました。また2年前に訪れてくれたハナム障害者会館とも交流。暖かい歓迎でした。
代表のジョン・ソンジュさんより「本当に韓国に来てくれるとは思わなかった。日韓関係が悪くなっていく中、訪問してくれて本当にうれしい」と、寝不足になりながら連日歓待、見学プログラムを対応してくれました。
光州は料理が有名で、どれもが安くて美味しい。胸いっぱい、お腹いっぱいの3日間。ビックリなのは日本でいう付け出しが7~8品無料!? ハナムやナヌムで心から用意してくれた料理に感激一杯。
光州訪問レポートしていきます!
韓国 自立障害者の生活とは?
自立生活3年のキムさん、女性、27歳。

両親といるとトラブルがあるからと自立決意。最初反対されたが、両親を説得。ナヌム自立生活センターで職員として働いている。
美術の自助グループのリーダー。
家での介護は138時間。高校までは特殊学校。大学では社会福祉の学科で勉強。
研修でナヌム自立生活センターに出会った。
母の介護が楽だったが、母への負担を考えると他人の介護が気をつかわなくてよくない。7:00~9:00 モーニングケア。9:30~18:30までナヌム自立センターへ。19:00~21:00食事と入浴介助。障害者専用のタクシーでナヌムへ通っている。
タクシーは障害者150人に一台配置と行政で決まっている。タクシーがつかまらなくて、ナヌムに行くのが大幅におくれるたことも。タクシー利用は、月15,000円。一回利用300円くらい。障害者年金 2,000円と高くない。給与で生活している。LH公営住宅なので、家賃は非常に安い。
自立は意志があればできる!と後輩障害者に言いたい!
LH(韓国土地住宅公社:Korea Land and Housing)に住む男性障害者宅訪問
寂しい時に電話したら誰か出てくれる[話す友]という電話機あり。日本でいう「いのちの電話?」よりももっと気軽に電話でき、24時間職員が出てくれる。日本にはない仕組みでびっくり。
※キムチ専用の大型冷蔵庫あり、ほとんどの家庭であるのだそう。発酵に適度な温度を保つらしく、さすがキムチ文化!
ハナム福祉会館(社会福祉法人)の取組
LH 〜低所得者向けの公営住宅。日本でいうUR。高齢者や障害者が住み、ハナム福祉会館が地域づくりとともに支援。この団地で住んでいる2,400人。そのうち障害者は800人!
地域住民中心の協議会を作り、動きを作っている。ワンフロアごとにリーダーがいる。他の住民のフォローをする。住民の健康や、山登りをするグループをつくったり、一人暮らしの方が集まり、家族を作る取組も。
中心の職員は10人。ナヌム自立生活センターと連携し、地域の障害者福祉に取り組んでいる。
ここで知り合ったナム・ソンウォンさん。福祉系大学を卒業したソーシャルワーカー。「地域住民高齢者や障害者、子供などいろんな人たちと交流や対話の場を作る!当事者主体で地域をよくして、広めていきたい!」と、想いを語ってくれました。ソーシャルワーカーが社会でもっと認められるようにもと。
ナムさん、また会いましょう!
KTX 韓国新幹線 レポート!
乗車するにはリフト使用。ですが、車内は広い!3、4列くらいは座席が取っ払われていて、手動なら4台は並べそう。奥行きある車椅子も問題ない。あまり揺れずに快適!

韓国光州のまち車いすレポート!
まちの様子や店の様子
段差ない店は車椅子10台でも入れそう。もちろん入り口に段差がある店もあります。車椅子トイレはなく、頑張って普通トイレへ。

市場散策
車椅子でも散策できました!海産物や野菜類も豊富。豚足や豚鼻もあり、生きている鳥さんも。本場は違う!
円をウォンに両替するため市場近くの銀行へ。ここの入り口はなかなか危ないスロープ。あるだけ良い?!
旧市街の歩道
凸凹でなかなか危ない。日本ではない地面のうねりです。ナヌムの方は日本は歩道が綺麗と感動されてました。
コイン投入拡幅改札
尾上さんも「コインでも入れやすく通りやすい!」(韓国地下鉄 1号線)
2019/07/29
2016年7月26日、神奈川県相模原市『津久井やまゆり園』にて入所者19名を殺害。入所者・職員計26名が重軽傷を負った大量殺人事件。
亡くなった方たちへの追悼と『ともに生きる社会』を考え、事件の風化を防ぐための集会がありました。
参加者は約250名で、車椅子席は満席。
まずは元長野県出先機関 西駒郷地域生活支援センター所長の山田優さんより
「施設では問題行動を起こす障害者に眠剤を飲ませ、職員が夜勤で眠れるようにする。やまゆり園でも事件の被害者は逃げられなかったのではないか」とのこと。
改めて施設の深い闇や、効率的に支援することの恐怖を感じました。
続いて、元朝日新聞論説委員 社説担当の大熊由紀子さんから
「今もなお、精神病院で12,000人縛られている状況だが、それでも隠蔽を続ける厚労省。また、陣痛促進剤の多用と医療ミスにより脳性麻痺の原因になることについても産婦人科が隠蔽。こういった情報は開示しなければならない」「今回の被害者たちは自分の意思に反して、人里離れた場所へ連れていかれた時点で社会的に殺された。そして、2度目に命を奪われた」
という言葉は特に重く響きました。
後半はバリバラの玉木さん、府立大の三田優子さん、山田さんの3名によるシンポジウムでした。
三田さん 「意思決定支援とカッコよく言っているが、本当にできているのか」「意思疎通できないと判断されることがあるが、それはその職員の能力から判断されたもの。寄り添って当事者の想いを聴くことが大切」
玉木さん 「一方的に健常者の社会に障害者が合わせるのはおかしい!目指すべきものはフルインクルージョン」
最後に元宮城県知事で神奈川大学教授の浅野史郎さんから
「宮城県知事時代に施設解体宣言を出して20年以上経つ。それなのに、やまゆり園が入所施設として再建され、運営もそのまま引き継がれるということで本当にいいのか?」
と厳しく問いかけあり。
施設がなく、障害の有無問わずに誰もが自分らしく生きていける社会に向け、考え続けて、それぞれが行動に移していこうと思います。
2019/07/26
2019年度 7.26
障碍者大虐殺 追悼アクション
@大阪 梅田
こんばんは。
ナビの東です。
本日7/26は相模原殺傷事件から3年目です。
およそ150名の方がアクションに参加されました。
最初はヨドバシカメラ前でリレースピーチで、1人ずつスピーチをしていきました。
そのあと阪急前、HEP前、そして最後にうめきた広場まで行進しました。
東は最初から最後まで参加させていただきましたが、1番印象に残ったのは19ののぼりです。
色とりどりののぼりには、亡くなられた方の一人一人の年齢と性別、そして好きだったものが書かれていました。
そしてそののぼりの色は、生前その方が好きだった色だそうです。
名前も公表されず、ひとりひとりのことが明らかにされないまま3年が経ちました。
犯人の思想に共感する一部の世間の声に、何度も心が折れそうになりましたが、
障害の有無にかかわらず、一人一人の価値を認め合い、共に生きる社会にしていくことを改めて心に誓いました。

参加された方、お疲れ様でした。
そして亡くなられた19名の方のご冥福をお祈りします
2019/07/26
自立生活センター・ナビの小八重です。梅雨時でジメジメした日が続いていますが皆さんいかがお過ごしでしょうか?僕は極度の暑がりなので、夏は来なくていいと思っていますが、毎年お越しになられるのが辛いところですね。
さて、僕は自立生活センターで相談支援専門員として働いていますが、僕の担当しているケースにも8050世帯が増えてきています。(厳密に言えば8060が多いんですが…)8050問題という言葉をよく耳にしますが、まさに80歳台の親御さんと、50歳~65歳くらいの障害者の方の地域での生活を目の当たりにしています。
「お母さんが夜中に徘徊するようになって不安で眠れない…」
「親が骨折して急に入院しないといけなくなった。自宅で一人になってしまうから、介護の調整をしてほしい。」
こういった訴えは日常的にあります。緊急の場合は、我々相談員が動くことになるわけですが、いつも感じることは、平時から緊急時のシミュレーションをしておくことの重要性です。モニタリングやケア会議を通して、予測される事態をあらかじめ想定し、また、各担当者が何かあった場合にどのように動くのか、などを話し合うのは非常に大切になってきます。また、障害福祉サービス系の担当者だけではなく、介護保険のケアマネジャーさんや、後見人さんなどとも連携を密にしておくことが必要になります。
相談支援専門員だけでは8050世帯を支えることは困難です。本人さんや家族さんの前に相談支援専門員がバーンアウト、なんてことにならないように、普通のケース以上に各支援者間の協力体制を強くしていくことが、今後の支援を進める鍵になるのかなと感じています。
2019/07/25
光州 民主化運動の聖地となった1980.5.18光州抗争。昔ではない最近の出来事。
チョン ドゥファン 、ノテウが民主化の動きを弾圧するべく、軍隊が無抵抗の学生や市民に銃撃。約1000人の方が亡くなり、負傷者は5000人だが、まだ被害者の全容は分かっていない。独裁政権 軍隊の無慈悲な軍事行動。それに対抗した学生や市民たち。今回私たちは負けるが、歴史では勝つとのことば。
はじめに亡くなられたのは聴覚障害者。キムギョンチョルさん。軍人に名前を聞かれたが、聞こえず話さないと軍人たちに殴られ亡くなった。
物を言えない怖さ、人を押さえつける軍隊の怖さ。でもそれを振り返り反省し、前に進もうとすること。 若手の軍人たちがこの悲劇を繰り返さないように訪れ学んでいました。
日本ではどうかと考えながら、光州の民主化運動の動きや背景が、この地や韓国の障害者運動につながっていること感じました。
2019/07/24
韓国地下鉄 1号線乗車! 全駅フルスクリーン型ホームドア。 ホームと電車の段差は0.5~1.0センチ。隙間は4~5センチ。衝撃ほとんどなくスムーズ!尾上さんとナヌム自立センター代表チョンソンジュさんと。
2019/07/22
こんにちは。ナビの東です!
なかなか梅雨が明けないまま、台風が近づいてきてますね。湿度もあって蒸し暑い毎日が続きますが、体調には十分気を付けていきましょう!
ところでみなさん、NHKで毎週木曜日20時から放送されている、「バリバラ」という番組はご存知でしょうか?
前身である福祉番組「きらっといきる」のあとを継ぎ、2012年にスタートした、障害者のための情報バラエティー「バリバラ」。
笑いの要素を織り交ぜ、これまでタブー視されてきたテーマにも挑んできました。
2016年4月からは、障害のある人に限らず「生きづらさを抱えるすべてのマイノリティー」の人たちにとっての“バリア“をなくすために、みんなで考えていく番組にパワーアップしました!
実は、6月から東は「バリバラ」のレギュラーになりました!
司会の山本シュウさん、大西瞳さん、玉木幸則さんと共に、これからの「バリバラ」を盛り上げていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします!☺
~8/1放送回 収録後~ ~MC 大西瞳さんと~
~今後の放送予定~
・7月25日(木)20:00~20:30
【障害者殺傷事件3年 まちでくらす】
→再放送:7月28日(日)0:00~0:30(土曜深夜)
・8月1日(木)20:00~20:30
【本当にあった恐い話】
→再放送:8月4日(日)0:00~0:30(土曜深夜)
2019/07/12
―――仲間に支えられて施設退園を実現する
いよいよ施設を出るに当たって、家に帰るか、成人施設に移るか決めないといけない時期がやってきた。区役所の福祉事務所の担当者は、新しくできた施設があるから見に行くだけでも見に行こうと言ってきた。私は、弟を成人施設に入れる気はないと言った。勿論弟も入りたくないと思っていた。担当者と弟と見に行った施設は山の上の方にあり、建物はまだ新しかった。しかし、そこは、一部屋にベッドがいくつも病院のように並べられていた。弟は、それをみた途端、「絶対にいや!」と私の顔をみて言った。トイレはどうしているのかや、昼は何をして過ごしているのか質問した。その時に対応してくれた職員が、私たちの雰囲気を察したのか、「トイレはおむつになるし、昼は何もすることはありません。ずっとベッドの上に寝かされたままになるから、入らない方がいいよ」とコソッと言った。弟と私の気持ちは揺るぎないものとなった。
それから区役所との攻防が始まった。区役所はしつこく施設を勧めてきた。しまいに、「お姉さんが嫌だと言っても弟さんがうんと言えば良いでしょう」と、言ってきた。私は焦った。なぜなら弟は耳がきこえにくいから、わかってなくても「うん」と言う可能性があったから。聞こえにくいからだけではなく、長く施設で生活していたら、職員に対してわかってなくてもニコニコして「うん」「はい」と答えてしまう所があった。実際私たち家族も、職員にかわいがられるためにニコニコして「はい」と返事しなさいよと、教えてきたのだった。
それからは、絶対に区役所の人と話するときは、「うん」と言ってはいけないと毎日説明した。最後に区役所から言われたのは、「あとになって施設に入れてくれと頼んできても、知りませんよ。利用できる制度は、週に二回、一回二時間のヘルパーだけしかありませんよ。」だった。要するに、勝手に施設を出たのだから何かあっても知りませんよと言う話。
その時は、仲間がいたから施設を出たいと思えたし、やって行けると確信した。今思えば、何の保証もないのに、何で確信できたのだろう?と思うが(笑)。私と弟だけでは絶対にできない決定だった。「自己選択」「自己決定」と言うけれど、それはその結果は「自己責任」ですよと区役所のように言い放たれたら、私も含めてほとんどの重度障害者や家族にとっては、施設を出る決心は死を覚悟するに等しい。
たとえ失敗しても何回でもやり直せる、仲間が一緒に支えてくれる、それがあるから安心して一歩を踏み出せるのだと思う。
弟が施設を出てから、青い芝の会では全国レベルで健全者との共闘関係をやめる議論が起こり、大阪青い芝の会だけは、グループゴリラとの共闘関係を残す選択をした。大阪青い芝の会は自分の力だけで健全者に差別意識をつきつけ、介護に巻き込む力のない重度の障害者が多かった。だからもしグループゴリラが解散したら、弟を始めほとんどの重度の在宅障害者は、また青い芝と出会う前の家から出られない生活に逆戻りしていたに違いない。唯一大阪青い芝の会だけは、障害者主体、健全者との共生共闘を打ちだしたのだった。障害者が主体になること、それは決して障害者が全部中心でやっていくと言う事ではなかった。主体を奪われてきた重度の障害者の主体を、障害者と健全者が共に生き、共に社会をかえていく運動を作り出す中で、取り戻して行こうと言うものだった。そして、その運動は、決して理論だけではなく、多くの普通の重度障害者の生活ニーズに基づこうとした。生活とりくみを通してそれを社会的な運動に高めて行ったのだ。

運動を中心で担う事が難しい弟の生活は、健全者がやめたりしていくなかで、介護者も足りなくなった。介護者がいない時は私が介護した。また昼間は特にすることもなく、夜中遅くまで起きていて昼まで寝てる生活になった。しかし、それらの課題は弟だけではなく、当時の運動全体の課題でもあった。そのような介護を安定させる問題、重度障害者の生活の中身づくりを方向性として打ち出していき、仲間づくりの拠点として作業所制度を活用し、介護をボランティアと言う位置付けから、より安定させるために職員化を進めていった。後に、唯一の家族であるお母さんが入院し、介護ができなくなったにも関わらず、24時間介護者に指示する生活が耐えられず、老人病院に入った後、施設に入所するしかなかったNさんの問題は、決して忘れる事はできないし、忘れてはならないと思っている。私たちは、私は、絶対に嫌だった施設に、自分たちの手で、入れたのだ。これが当時の障害者の自立運動の限界とも言えた。介護をボランティアではなく、誰もが安心して保障されるように、充実した制度を作ること、それと同時に、生活を自分で組み立てるのがしんどい障害者には、皆で一緒に生活を支えていく事、それらが次に進めていくべき方向性だった。

その中で、弟は大阪市で第一号の重度身体障害者グループホームに仲間の障害者と共に入居した。介護の制度化を大阪市に要求し、グループホーム制度化を実現させた。Nさんは、その後市内の近い施設に移り、グループホームに何度も体験入居を重ね、施設からの日中活動への通所も実現できるところまで行きかけた矢先に、施設でのどを詰まらせて帰らぬ人となったのだった。
私には、もう一人忘れることができない障害者がいる。就学免除で全く教育をうけておらず、6畳の部屋の中で何十年と過ごしてきた重度のMさん。彼も、家族の介護負担を減らすため施設に入るか自立するかという選択肢を自ら迫ってきた。しかし、彼は青い芝の会やグループゴリラが初めての家族親族以外の関わりで、社会との接点だった。彼は自立したいという意思はあったが、あまりの経験不足ゆえか、大きなうそをついて悲劇のヒロインになって周りからの注目を集めようとするところがよくあった。当時は交渉がいやだから映画を見に行くという障害者もいたが、その程度ならよいが、自分の本当の親は韓国人で、亡くなったからお葬式に行きたいとか、家族に聞くにも聞けないようなうそを何度もついていた。結局、彼を全面的に受け止めて支えていく選択肢にはならず、また家族も多いから何とかなるだろうと思っていたら、本当にNさんと同じ施設に入ってしまった。その後彼は私たちを恨み、会いに行っても拒否が続いた。Nさんが施設を移ったので様子を知ることもできないまま時がたった。ある日、交流のあるグループホームから「Mさんが末期がんで、施設を出てこちらのホームに入っている。西川さんと会いたがっている。」と、連絡があった。私は急いで彼に会いに行った。二人で泣きあってこれまでのことを謝った。その後しばらくして彼は息を引き取ったが、もし会えないままでいたら、私は未だにずっと悔恨の念にさいなまれていたことだろう。弟のことだけなら、まだ私も若かったから、自分が介護することで乗り切れるだろうが、他の障害者の生活全部の保障となると組織としてできる力量があるかどうかにかかってくる。Nさんといい、Mさんといい、そして和歌山の施設の入ったKさんといい、みな電話もかけられないほど全面的な介護が必要で、教育や社会経験も奪われているので、自分が主体になって生活を組み立てたり、運動の中心を担うということが難しい人ばかりである。本質的には弟と変わらないのである。彼らが大阪青い芝の会にいたからこそ、その後の大阪の、私たちのとりくみの今があるのだと思う。

弟の生活自体は、入居前も後も、そして24時間介護をつけて一人暮らしをしている今も、色々と課題や泣き笑いはある。国内旅行や海外旅行にも私に負けじとたくさん行っておみやげを買いまくるのが趣味だし、一方で生活面は課題が多く、今でも顔を見るとついつい怒ったり小言を言ってしまう私である。しかし、それでも、やっぱりあの時青い芝の会に出会って良かった。施設から出て良かった。出会いがなければ、或いはもう少しおそければ、今もまだ施設にいたかもしれない。いや、やはり、施設を出る方法を探し求めて結局は出会っていたかな。
多くの重度障害者が当たり前の生活を選び、実現する運動はまだまだ道半ばである。でも、今までもそしてこれからも、彼らのことをいつも忘れることなく、そこだけは絶対にぶれてはならないと思っている。
<完>
まとめ
その1はこちら
その2はこちら
その3はこちら
その4はこちら
その5はこちら (今ここ)
2019/07/10
2019年7月10日
障大連(障害者の自立と完全参加を目指す大阪連絡会議)に加盟する各団体が大阪市中央区民センターに集結!
その数、なんと460名オーバー!
集会では参加者からの生の不満や訴えが噴出。改めて現状に対する危機を感じました。
しかし、私たちは泣き寝入りで終わらず、変えていきます!
各団体からの熱い決意表明からシュプレヒコール。そこから大阪城までデモ行進。
来週はいよいよ大阪府交渉です!

2019/07/05
―――意思ある所に道は開ける
弟が18歳になり、成人施設に移らないといけない時期になった。
弟は当時三つ目の施設に入っていて、そこで初めて遅ればせながら義務教育を受けた。そして、家から歩いて行ける距離にあったので、毎週末は外泊で家に帰ってきた。弟は足で字や絵を書けるようになり、プロ野球の本も足でめくって読んでいた。新幹線で修学旅行に行った事も楽しい思い出だった。しかし、施設には中学までしかなく、卒業したらまた訓練しかない毎日になった。それでも、朝起きると車いすにすわり、自分で足で後ろ向きに進み、広い施設の中を自由に動き回っていた。毎朝施設の玄関で、まだ誰も読んでいない新聞を足でめくって読んでいた。一日中天井を見続ける生活よりは、うんとましだった。
私はどうしたら弟を家に連れて帰れるか、取っ掛かりを探そうと、大学に入ってから障害者関係のサークルに入った。しかし、そこでは施設にボランティアに行ったり本で発達保障について学習する事はあっても、施設を出るための話はできなかった。誰も施設を否定や批判をしなかった。むしろ肯定的だった。
私は中学の時から力はあった方だった。差し込み便器がなかったから、トイレの度に弟を抱えてトイレに連れて行っていた。風呂も私が抱えて入れていた。家の前の公園では、滑り台に抱えて登った。でも施設から家に連れて帰っても、毎日毎日どこにも行かず、私一人でずっと介護することはあまりにも展望がなさすぎた。心中する場面を想像しては泣いていた。
そんな時に、青い芝の会と出会った。大学に、解放講座のビラが貼ってあったのだ。サークルの先輩からは、あそこには関わらない方が良いと言われた。私は、その言葉の意味もわからず、とにもかくにも藁をもつかむ想いで、行ってみた。
参加者は私一人だった。
あれは、たぶん「何色の世界」と言う映画上映だったと思う。「親は敵だ」と言う話もあり、映画のあとに感想を聞かれた。映画の内容はほとんど覚えてないし、特に私にとってインパクトがあったようには覚えてない。私がその時に言ったのは、「親は敵だと言うけど、私だって弟を施設から出したい、何とかしたいと思っているけど、どうすることも出来ない。どうしたらいいのか?」。それに対しての返事はたった一言「一緒にやりましょう。」だった。私は何の躊躇もなかった。何故なら具体的に道が示されたのはこれが初めてだったから。
後にわかったのだが、解放講座を主催した人達や場所は、当時三里塚闘争を行っていた学生運動家たちが集まる所だった。
しかし、私が連れていかれたのは、そんな場所ではなかった。重度の脳性まひで言語障害がある男性が一人暮らしをしているアパートだった。学生がグループゴリラと言う健全者組織に所属し、青い芝の会の障害者の活動を保障するために介護を担っていたのだった。

弟も青い芝の会に入った。当時青い芝の会では、弟と同じように歩くことも座ることも、トイレや飲食もできない、言語障害がある、重度の脳性麻痺の障害者が多かった。修学免除で全く教育を受けていない人もいた。その人たちが仲間を外に出そうと、訪問し、実際に介護をつけて、色々な所に行けるようにするのだ。あの時、もし活動してる障害者が重度ではなく、口先だけならば私はグループゴリラに入っていなかっただろう。本当に重度の障害者と一緒に街を生活を変えようとしているのがわかったから、ここしかないと思った。
弟は、耳がきこえにくかったから、障害者同士の話し合いには参加していてもほとんど意味がわからなかったと思う。しかし、弟は、毎週末の外泊は、家ではなく、男性ゴリラの介護で、事務所(事務所と言っても文化住宅の一室、みなその和室で寝転んで話し合っていたのだ)で泊った。そして私は弟以外の介護に入った。介護が足りなければ授業をさぼって保障した。祖母が「あんたは弟がいるんやから、他の人の介護に入ること無いんじゃないの」とよく言っていたが、私にとっては、弟が介護を受けることと私が他の障害者の介護をすることは、決して切り離せないと思っていた。

あの頃、弟は、決してできないと思っていた、電車に乗って、喫茶店やレストランや映画館やパチンコやにも入った。絶対できないとあきらめていたのは一体何だったんだろう。私は一人暮らしをしている活動家の介護にも入った。
障害者の介護で電車に乗るのは、毎回私にとっては、ドキドキで決して慣れる事はなかった。何故なら、階段の所で力がありそうな男性を3人つかまえなくてはならない。大きな声で通りすぎようとする乗客に「すみません、下に降りたいので手伝ってくださーい」とすかさず声をかける。一番嫌なのは、乗客が少なくなる夜遅い時間。地下鉄から降りてダッシュで階段まで走る。乗客が階段にくるまえにたどり着かないと誰もいなくなるから。駅員は今と違って全く手伝ってくれないから、特に下りのエスカレーターは怖かった。
大阪青い芝の会の障害者の人たちは、訪問や会議や交渉の後に、外食やお酒を飲みに行ったり、映画を見にいったりしていた。活動することによって、遊びに行ったりできる、それがあったから重度の障害者が活動に参加でき、重度の障害者を中心にした運動が成り立ったんだと思う。実際に、弟は色々な所に行けてとても喜んでいた。弟が喜ばなかったら、私は辞めていたと思う。何故なら私が探していたのは、障害者を利用するだけの運動ではなく、実際に障害者が地域で色々な事ができる生活が実現できるように取り組む運動だったから。その頃の私にとって、それは運動かどうかはどうでもよかったかもしれない。具体的に、弟の生活をどう変えてくれるか、そこが一番大事だった。今でもそれは変わらない。
在宅訪問に行くと、風呂に何年も入っていない人、庭のたらいで体を洗っていた人、何年も部屋から出たことがない人がいた。その人と銭湯に行く、その人と外に出る。たまたま私や弟が少し早く青い芝の会に出会っただけで、まだまだ社会から置き去りにされた障害者がたくさんいた。私は今でも、その頃に関わったがその後引っ越して和歌山の施設に入った障害者の事が忘れられない。施設に入ってしばらくは何回か面会に行ったが、私も弟や祖母の介護に追われ、結婚して子育てと仕事に追われて、会いに行けなくなった。彼女が引っ越さなかったら、きっとそのあと立ち上げたグループホームに入り、自立できていたのに。とても残念だ。望んだ物との出会いのタイミング、一旦つかんだチャンスは何がなんでも離さない、後先を考えない、それくらいの強い意志がなければ、本当に自分が望んだ人生を送れないのが、当時の障害者の置かれていた状況だった。
つづく
まとめ
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2019/07/01
兵庫県の車椅子ユーザーがシャワキャリー(キャスター付きの入浴用のイス)を要望。持ち込んでの利用も正式に断られため、車椅子ユーザー野橋さんと共同調査。
実際に行ってみると、かなりバリアフリー!
露天風呂にも行きやすい上に、珍しく45℃や41℃、36℃などいろんな温度の湯が楽しめました。
四点杖の貸し出しもありましたが、やはり残念なのはシャワーキャリーがないこと。
そのため脱衣場から浴槽まで10メートルほどを移動介助してお風呂にザブン!!
車椅子ユーザーの森園くん・渡海くんはシャワーキャリーがあれば移動時に抱えずに浴槽まで行くことができ、安心してお風呂に浸かることができます。
大阪の鶴橋『のべはの湯』にはシャワーキャリーが3台あり、『うはらの湯』の社員さんにはそれを参考にしてほしいと要望。後日連絡をもらうことになりました。
お年寄りだけでなく、車いすユーザーにも使いやすスーパー銭湯になってほしいと思います〜!


2019/07/01
赤おに・青おにメンバーで東住吉区の自立支援協議会当事者部会の研修会に参加してきました。
テーマは『USJとTDR、どちらが進んでいるか?』『アメリカと日本のバリアリーの違い』など。
USJとTDLの比較では、TDRの方がキャストの対応が良いという意見があり。
アトラクションの利用制限がある中で、諦めずに車椅子でも利用できるように伝え、話し合うという大事さを改めて実感しました。
次に、アメリカと日本のバリアフリーについて。
アメリカにはADA法(障害者差別禁止法)があるため、例えば店舗では来店者だけでなく、従業員にも快適なバリアフリー環境が整えられているとのこと。
事業者に訴えるのも大事ですが、なによりも法律の中身を変えなければいけません。
最後に…
自由な外出は自立の一歩!
今では障害者差別解消法やバリアフリー法、福祉のまちづくり条例(背景にあるのは国連の障害者の権利条約)などもあるので、それらをどんどん活用して自由な外出を獲得していきましょう!


2019/06/20
大阪メトロ バリアフリー体験研修へ。最近めっきりやらなくなった車椅子エスカレーター介助、階段を担ぐ研修からスタート。
入社1-2年の乗務員、駅スタッフ20名ほどの方がとっても熱心に参加。去年の大阪北部震災の状況もあり、震災時エレベーター停止時の車椅子避難に活かせたらと。
視覚や言語障害の当事者との声かけやコミュニケーション研修と、運転席体験もさせていただき、双方交流となり充実した内容でした!
機会をいただいた大阪メトロさんありがとうございます。だれもが乗りやすい日本一の鉄道会社へ!期待してます!




2019/06/17
自立生活センター・ナビでは1年に1回、運営委員会というものを行っています。
1年に1度しか行っていないので、議論は白熱!時間は延び延び!毎年準備も当日も大変です。
運営委員会では、外部の運営委員の方々にこの一年のナビの活動を報告し、これからの一年の活動方針を報告します。
ナビの活動におかしなところがないか、もっとこういう活動をすればどうか、などなど様々な意見をもらう場として行なっています。

今回もたくさんの相談内容や自立支援協議会の取り組み、自立に向けた取り組み、機関紙ナビゲーションなどの総括方針を報告しました。
様々なお叱りも受けながら、我々が行っている活動の方向性を確認でき、決して間違ってはいないなあと再認識しながら会議を終えました。
今年度も(もう始まっていますが)進めていくことができそうです。
個別ケースのケース検討も行うことができ、普段我々が悩んでいることを委員の方々と検討し、支援の中身についてまで議論することができました。
運営委員会後は交流会!ここでしか会えない大御所たちと障害者運動のことや、普段の活動のこと、これからの展望などを語り合います。とても貴重な時間でした。

東住吉区障がい者基幹相談支援センターとして2年目の今年。障害者スタッフを増員し、地域との関わりを増やしつつ、新しい法制度にも対応していくような運営ができればと思います。(ひらぬま)
2019/06/14
大阪教育大学1回生の田中佑季さん。
こんにちは!
久保寛子さんの介護研修3回目のこの日、田中さんに突撃インタビューしてきました!
お風呂入ってご飯食べて、お洗濯・・・。やや緊張気味でありながら、堂々たる介護っぷり。
最後のコーヒータイムにちょっとインタビュー。
田中さん、どうやった?
「前回より落ち着いてやれたと思います。もっと、身体介護バリバリかなと思ってたけど、久保さん、わりと動けるし、次にやる事とか指令が来るので、やりやすかったです。最後にやらかしたけど(笑)」
久保さんからも、次から田中さん一人で大丈夫、とお墨付きをいただきました。
では、田中さん、今後の意気込みをどうぞ!
「落ち着いて、ひとつひとつ気を付けながら頑張ります!コーヒー(カス)は、もう一生流しません、そのままゴミ箱に捨てます!勉強になりました!(笑)」
何をやらかしたかは、ご想像にお任せします!もちろん、久保さんも笑って許してくれました。
田中さん、頑張ってね~

2019/05/30
ちゅうぶのWebサイトをリニューアルしました。
わたしたちのアクションを「自立生活」「まちづくり」「差別ゼロ」「障害者制度情報」に分け、活動紹介をしていますので、ぜひご覧ください。
今後とも、よろしくお願いします!
2019/05/28
アクション開始:2016.2~ 現在
ことの始まりはウォーターワールド。車いす同士のカップルがショーを見に行ったが、席を別々にしないと鑑賞できないとUSJクルーに言われ…。 これは明らかに差別では!?そこから、ちゅうぶのUSJ調査が始まりました。
●差別解消法を武器に。
私たちの願いはみなと同じように楽しみたい!今までUSJは障害者との話し合いは門前払い。2016.4~障害者解消法が施行され、民間事業者の差別に対しては行政が間に入ることに。ちゅうぶUSJ調査団で、なんどもアトラクション調査を行い、USJへの要望をまとめ、行政に差別が解消されるように訴えてきました。
●ウォーターワールド 車いす席2台並んでみれるように。
車椅子に乗っている障害者は並んでショーを観ることができませんでした。もちろん夫婦だから並んでみたいといってもだめ。USJが消防法で届けている内容が、車いすスペースにが1台づつ18箇所。出入り口からすぐ近くで最上段のみで一番人気のない場所。
複数台並んで見れるスペースはたくさんありますが、USJが消防法で届けているルールが1台づつの席配置。緊急時のUSJルールでそうしているだけで、2台でも3台でも4台でも問題ないはず。とあるときに、支援学校の修学旅行できていたグループも別々に分けられ見ていました。健常者だと分けられないのに、車いすだと分けられる。これはやっぱりおかしい。
なんども足を運んで並んでみたいと要望をあげ、差別解消法での訴えもありやっとUSJが2台並んで見れるスペースを4箇所設置。ぼくたちの声が届きました。
しかし3台並んでみようとするとだめと言われたり、そもそもが最上段しか車いす席がないのはおかしい。水がかかる最前列、見やすい中断列など、いろんな場所に車いす席が配置されてしかるべき。なんどもUSJに要望していこうと思います。
●自分の足である電動車いす操作を制限させられる。
ハリーポッターやターミネーター、スペースファンタジー(最近でいうとXRライド ルパンやエヴァ)の「アトラクションの中は、電動を手動に切り替え、介助者が押してくださいとUSJクルーにいわれます。
電動車いすは、障害者本人合わせると200kg以上になることも。
それを手動で介助者が押すのは大変だし、細い通路やくだり坂だと他のお客さんに接触しそうでかなり危険。
USJ側によると、アトラクションの外で電動車いすと他お客と接触したことがあるそうで、それ以来電動車いすは手動に押すルールになったとのこと。でも、電動は危険だからと一律に手動に切り替えるルールおかしい!
実際、電動車いすを手動に切り替え、押していると、スペースファンタジーの下り坂や、ハリーポッターの細い通路でなんどかあたりそうに。
そういったこともUSJクルーに伝え、実際にクルーに電動車いすを手動にして押してもらい、「重いですね…」との感想。また電動車いすを本人運転で、USJクルーにアトラクション通路の見守り誘導してもらったほうがいいと提案。スムーズにアトラクション利用できます。
こうしたことはUSJ現場クルーに伝わりますが、なかなか上層部に伝わらず、対応が変わらない…。電動車いすは一律危険という考えを改めてもらうべく、あきらめずに訴えていきます。
●字幕がない!?情報保障を求む。
ショー系アトラクションは、字幕や音声案内等の配慮がないので、聴覚障害者や視覚障害者にとっては楽しめくなっています。ライド系も実際に乗る前の待機時間に流れる説明モニターに字幕を付けてほしい。すでにあるアトラクション前のテレビモニターに字幕をつけられないのでしょうか?アメリカのユニバーサル スタジオ ハリウッドでは字幕はあります。字幕があると聴覚障害者以外でも楽しみが倍増します。「著作権があるので字幕が付けられない」とUSJ側からの話ですが、どこまで本当か?

●自分で歩けないと乗れないアトラクションたち
USJ絶叫系のフライングダイナソーやハリウッドドリームザライド。スリル満点のアトラクションたちです、実はハード面はバリアフリーでコースター乗り場までEVあります。ちなみにひらパーでは乗り場まで階段のみで、介助者が担いで上がらないとだめです。ですがUSJは自分で歩けないとジェットコースターに乗せてくれません。だがひらパーは介助者がついて席に乗り移れれば、絶叫系に乗れるんです!
USJはジョットコースターの試乗機あり、これに乗れても、実際の利用は×。緊急時歩けないと避難できないのが理由。だが、アメリカディズニーは乗れるらしい!?
なんでも緊急時はレスキュー隊が控えていて、歩けない人も救出してくれるとのこと。アメリカでは障害を理由に利用を断るのが違法になるADA法があるため。緊急時避難できないからといった理由で一律利用を断るのは、やっぱりおかしい。どうすれば利用できるか、楽しめるかをUSJは考えてほしい。
ハード面だけでなく、ルールや対応もバリアフリーを!
●ハリーポッター BFルートあるのに、車いすで階段ルートを回らされる!?
人気のフォービドゥンジャーニー。3Dでハリーの空中冒険を体験!?人気のため常に待ち列ができています。お城内アトラクション内はBFでエレベーターあり、アトラクションへ乗降もしやすいように一旦停止してくれるようにもなっている。
問題なのは、アトラクション外の待ち列。そこに10段ほどある階段のルートが!車いすでいくと、USJクルーから待ち列に並んだもらい、階段登れますか?と必ず聞かれる。ここで、登れないと乗れないと思ってしまう。
ここで交渉。中はせっかくBFなのだから、歩けない障害者が階段を通らないようにできないか。
USJクルーと交渉した挙句、介助者が階段ルートの待ち列を並び、階段下で車いすの障害者が待って介護者と合流。そうすると階段ルートを車いすが階段ルートを通らなくても、アトラクション待ち列に並べれるように。
この方法で、ちゅうぶの歩けないメンバーがアトラクションを楽しめるように。でも本来なら、ゲストサポートパスを使わせてもらえたら問題ないはず。
いや、なぜ待ち列に階段があるんだという話。アトラクション内は車いすルートがあるのにもったいない話。車いす一人で行くと利用できなかったり、やっぱり課題は多い。
●バリアフリーなのにUSJクルー対応は冷たい。
TDRでは車いすを見るとスタッフが自然と声をかけてきます。難しい判断になるとすぐにアトラクションごとの責任者が対応してくれ、アトラクションに乗れない理由の説明が具体的で分かりやすい。
しかしUSJはアトラクション利用時に、こうした場合は乗れないなど注意事項のオンパレード。
アトラクションを回るたびに、同じ内容の注意事項の説明がありうんざりすることも。ルールありきのUSJ。
一方、TDRは「ルールで決まっています」「〇〇法で決まっているので」という言い方は決してしません。実際のお客(障害者)の状況をみて判断し、柔軟性を感じる対応が。TDRではファストパスで予約したアトラクションが、車いすで利用できない場合、他のアトラクションに振り替えてくれたり、車いすから乗り移りができるかあらかじめアトラクション乗り場の下見を介助者にさせてくれたりと、どうしたら車いすでも楽しんでもらえるかを考えて対応してくれます。
●USJ ジョーズ 車椅子で乗れなくなった!2018.7.6
USJで唯一車椅子のまま楽しめるライドですが、車椅子のまま乗れなくなりました(T_T)
なんと今は普通の座席に乗り移らないと乗せてくれず。しかも緊急時避難のため、船の前方席へ案内されます。ジョーズの舟は前の席ほど低くなっていて、船着場からの段差は80~90センチほどもあり、介護者が乗り移り介護するにしてもちょっと危険。
しかも、緊急時は介護者が障害者を抱えて100メートル歩いてもらわないと乗せられないとクルーに言われ、、、なぜ車椅子対応の船が無くなったのか。船の後方から黒煙が上がるトラブルがあった。車椅子対応の船は、後方車椅子席があり、黒煙が上がった場合、危険なためとのこと。
もし船に黒煙が上がっても、前方席 移乗危ない状況よりも、後ろの車椅子席からの避難の方が安全では?と。またはUSJくらいの会社なら、黒煙トラブルないようにできるはず。
今回、車椅子から船に乗り移りしました。移乗が安全にできるように、車椅子前輪を船に乗せて、船座席と車椅子を近づけると、船に車椅子乗せないで!とクルーから言われ、、、。えー!船の上に車椅子乗せてはダメなルールなんです、と。 ルールばかり言わないで、車椅子ユーザーの意見をきいてほしい。どうも、何かあった時の責任がないようにないようにして、車椅子でも楽しんでもらおうという姿勢がじられず、残念。
緊急時でも、車椅子に乗ったままのほうが、船から降りた後逃げやすい!
USJさん、車椅子対応の船復活させてください!
~こうすればあのアトラクションに乗れる!
~クルーと交渉もアトラクション
2019/05/16
6/22(土)、6/23(日)、6/29(土)に6月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
2019/05/05
青おにくん:「こいのぼりさんたち、元気ないね」
お父さん鯉:「五月病で・・・」
むすこ鯉:「こい煩いで・・・」
お母さん鯉:「借金生活で・・・」
赤おにくん:「お母さんはカープ女子だからね。すぐに5割に戻りますよ」
青おにくん:「令和になりましたが、ちゅうぶの皆さんも、理念は屋根より高く、頑張りましょう!」
2019/04/23
こんにちは、ナビの東です!
障害者差別解消法が施行され、今年で3年目になるにもかかわらず、電動車いすに対する無理解・無知などから、お店や交通機関、病院等、いろんな場面で差別的な対応、不適切な対応が相次いできました。
それを受け大阪市の差別解消協議会で、市と団体が共同して作成した『電動車いすの啓発パンフレット』昨年の12月頃に完成しました。
電動車いすは私たちにとって大切な「足」です。
手動に切り替えて押すよりも自分で操作した方が安全です。
自分の身体にあった車いすなので他の車いすに乗り換えることはできません。
「段差があって入れない」ではなく、出来る限りのことをしてほしいです。
電動車いすは「危険」ではありません。
他にもまだまだ知ってほしいことがたくさんあります。このパンフにはそれらのことが分かりやすくまとめられています。少しでも多くの方に知っていただきたいので、周りの方にこのパンフのことをお知らせください。よろしくお願いします。
https://www.city.osaka.lg.jp/fukushi/cmsfiles/contents/0000340/340671/dendou-panfu2.pdf
2019/04/20
こんにちは。ナビの東です。
報告が遅くなりましたが、先月3月19日(火)に自立支援部会の企画(「生活介護見学会&交流会 第3弾」)でNPO大阪盲ろう者友の会さんがやっている「手と手とハウス」の見学に行ってきました!
「手と手とハウス」は視覚と聴覚の重複障害である盲ろう者の生活介護として活動されています。主な活動内容として、情報提供や制度学習、調理実習、点字資料の作成、外出企画、全国友の会との交流などをされているそうです。
今回は3団体のCILが手と手とハウスさんの見学に参加させていただきました。自己紹介やそれぞれのCILがやっている生活介護の紹介などをさせていただき、そのあとはメンバーさんたちと交流させていただきました。
盲ろう者は障害者の中でも少なく、触手話や指点字、手のひらに文字を書くなど、コミュニケーションの方法も様々でした。普段なかなかお話しする機会がないので、今回はたくさんお話しできて良かったです。時間があっという間に過ぎてしまったので、また次にお会いしたときはこの日の話の続きをしたり、もっともっと関わっていけたらいいなと思いました。
手と手とハウスの皆さん、ありがとうございました(^O^)
2019/04/16
梅田なんばバリアフリーマップは、無料でお送りしています。
お名前・ご住所・お電話番号・ご希望部数を
以下のメールアドレスまで、 お知らせ下さい。
chubu@npochubu.com
少ない部数でも、逆に100部とかでも大丈夫です!
よろしくお願いします。
2019/04/13
自立生活センター・ナビの小坪です。
3月27日(水)に「みんなどこいこっ?そだねー。おうちいこっ!マイライフプランを作ってみよう」
4回目をやりました。
今回の内容は
2回目のお宅拝見の報告、3回目の内田さん講演の振り返り、4回を振り返ってのアンケート記入などでした。4回を通しての参加者の感想を載せておきます。
内田さんの講演~感想~
☆海外旅行の経験談の話が聞けて良かった
☆自分も神戸で被災経験があるので、内田さんの話を聞いて親近感が沸いた。
☆介護者を使いながら生活する時に大切なのは自分のペースで生活することが大切だと改めて気づいた。

お宅拝見~感想~
☆スロープをつけたり、トイレに背もたれがついいていたり、お風呂に入りやすいようにスノコで床と浴槽の高さを調整したり、その障害者の方に合った改造をしていたのが印象に残った
☆同じ生活介護に通う自立生活をしている先輩障害者から「自分のペースを大切に」「相談できる人を作っておくといいよ」などたくさんのアドバイスがあった。
☆普段顔を合わすことはあるが、ゆっくり色んな話が聞けて良かったなどたくさんの感想が出ました。
☆自立生活をしている先輩障害者のMさんから「やると思ったら最後まで続ける事が大切」という言葉が印象に残った。
最後に
ステップアップするためにこれからやりたいこととして
参加者からは
☆区役所に行ったことがないから制度の手続き等をしてみたい。
☆新しい趣味を探したい
☆郵便局や銀行に行ってお金の出し入れをしてみたい
☆同じような障害程度の方が1人暮らししている様子をもう少し見たい。
☆ホノルルマラソンに出場したい
参加者からこれからやりたいことが出たので今後のプログラムに繋げていきたいと思います。皆さんお疲れ様でした。
3回目の報告はこちら→http://urx.space/0DIT

自立生活プログラム(ILP)とは??
多くの障害者は障害があるというだけで、ひとりで買物に行ったり、友達と遊びに行ったり、仕事をするなどのごく当たり前のこと を経験する機会すら失ってきています。障害があることで、制限された生活によって奪われてきた、外出・料理・遊び・金銭 管理など様々な経験を自立生活をしている障害者がリーダーとなり楽しみながら取り戻していくプログラムです。
2019/04/12
5/11(土)、5/25(土)、5/26(日)に5月コースを行います。
受講希望の方は、「重訪講座受講申し込み」と記入の上、氏名(ふりがな)・性別・生年月日・郵便番号・住所・連絡先・勤務先・受講の動機を明記し、はがきまたはE-mailでお申し込みください。
2019/04/10
2019/04/04
2019年4月10日(水)★なんば・梅田のバリアフリーマップ配布情報★
なんば・梅田両ターミナルの地上地下のバリアフリー経路を立体図で案内したマップが完成しました。経路上のエレベータの写真を掲載し、現地での確認をしやすくしています。日本郵便の年賀寄附金助成を受けた「NPOちゅうぶ」と「えきペディア」の協働事業で作りました。
OSAKA(おおさか)はバリアフリー先進地。車いすでもだいたいどこでも行ける。地下街の広さは日本一。地下街と地上をつなぐエレベーターもたくさんある。梅田で50基、難波で36基もある。
うまく使えれば階段ルートとあまり変わらない時間で移動できる。でもどこにあるのか、さっぱり分からない。
どうしたらええの? ってことで、マップを作りました。
素晴らしいマップを配って広めて、「迷わないOSAKA(おおさか)!」を目指しましょう。
※マップ配布情報
4月10日(木)14時~「NPO法人ちゅうぶ」がなんば街頭と地区でのマップ配布を行います。
★えきペディアHPはこちら★
★なんば・梅田バリアフリーターミナルMAP★


2019/03/16
「みんなどこいこっ?そだねー。おうちいこっ!マイライフプランを作ってみよう」3回目ということで、3月6日(水)に今回の参加者3名がナビの2階に元気に集結!
今回は講師を招いての講演会。ヘルパーを利用しながら自立生活(ひとり暮らし)をされている先輩障害者にお話して頂きました。
講師は、夢宙センターの内田瞳さん。先天性骨形成不全症。
まずは参加者、講師、スタッフ、介護者の自己紹介からスタート。和んだところで講演開始。

高校までは母親の送迎、大学では周りの人に手伝ってもらいながら寮でひとり暮らし…と、一般校で学生時代を楽しく過ごされました。その後、ご両親の心配を振り切って大阪でひとり暮らしを始め、現在に至るそうです。ひとり暮らしをしたいと思ったのは、全面的に介護してくれていた親の予定を気にしたり、それに合わせて生活するのはおかしいのでは?自分の生活がしたい!と考えるようになったから。
海外旅行が趣味という活動的な内田さん、寝る事と人とお話しする事が大好き。内田さんは身の回りの事などご自身で大体は出来るとの事なのですが、時間が掛かってしまうのでヘルパーが必要です。

今回のお話で、内田さんがひとり暮らしを続ける中で大切にされているのは、ヘルパーさんとの関係作り=コミュニケーション。
ヘルパーがいても昼寝するし、何時間も話しをして過ごす事もあるそうです。気を使い過ぎず自分の生活を自分らしく築かれています。
今回のILP参加者の3名はこれから自立生活(ひとり暮らし)を目指す方々です。
障害も違えばもちろん生活スタイルも違います。これから自立してひとり暮らしを送る時には、今回の先輩の話がきっと参考になることと思います。
内田さん、ありがとうございました。

自立生活プログラム(ILP)とは??
多くの障害者は障害があるというだけで、ひとりで買物に行ったり、友達と遊びに行ったり、仕事をするなどのごく当たり前のこと を経験する機会すら失ってきています。障害があることで、制限された生活によって奪われてきた、外出・料理・遊び・金銭 管理など様々な経験を自立生活をしている障害者がリーダーとなり楽しみながら取り戻していくプログラムです。
2019/03/13
みなさん、こんにちは。
自立生活センター・ナビの山下です。
3月になって、少しは暖かくなったでしょうか?
気温差が激しいこの時期、体調管理をしっかりしたいと思います。
さて、2月27日(水)第2期集団自立生活プログラムの2回目を行いました。
今回は、2つのグループに分かれて先輩障害者のお宅を見学しました。
IさんとYさんが訪問した先輩障害者は、ちゅうぶの生活介護に通っている男性障害者で、IさんやYさんも、よく知っている方です。
まずは、家の中の様子を見学させていただきました。トイレに背もたれが付いていたり、お風呂に入りやすいように、スノコを敷いて床と浴槽の高さを調節して工夫されていたことが、印象に残ったようです。

続いて、参加者のみなさんから先輩障害者に質問コーナー!
「家賃はいくらですか?」
「この家に決めたポイントは、どこですか?」
「一人暮らしをしていて楽しいと思うことは何ですか?」
など、たくさん質問されていました。
最後に、先輩障害者から
「知らないことは、どんどん聞いた方が楽になるよ。」
「相談できる人を作っておくといい。」
「自分のペースを大事にして無理しない方がいい。」
と、自立生活をする上でのアドバイスを話していただきました。
Nさんはナビスタッフの小坪邸を見学に行きました。
部屋の入り口に「スロープは必要だな」、
ドアの向きは「逆のほうがやりやすいかも!?」、
「鍵の開け閉めどうしよう?手が届かない」など。
自分が一人暮らしした時のことをイメージしながら見学されていました。
今回、先輩障害者のお宅訪問をして、一人暮らしをするイメージを参加者のみなさんは少しでも感じることが出来たのではないかなと思います。

自立生活プログラム(ILP)とは??
多くの障害者は障害があるというだけで、ひとりで買物に行ったり、友達と遊びに行ったり、仕事をするなどのごく当たり前のこと を経験する機会すら失ってきています。障害があることで、制限された生活によって奪われてきた、外出・料理・遊び・金銭 管理など様々な経験を自立生活をしている障害者がリーダーとなり楽しみながら取り戻していくプログラムです。
2019/03/09
自立生活センター・ナビの小八重です!
まだまだ寒い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
去る2月20日(水)、ナビでは新たな集団自立生活プログラム(以下ILP)の第1回目が開始されました!
その名も「みんな どこいこっ!そだねー。おうち いこっ!マイライフプランを作ってみよう」というタイトルで、テーマは“一人暮らしのイメージ作り”となっています。

今回の参加者は3名で、男性2名と女性1名です。3名とも当法人の生活介護に通われている方々で、男性陣は赤おにに通所しているIさんとYさん、女性のNさんは青おにに通所されています。Iさんは2018年度は2回目のILP参加となります。そしてこの第1回目は、来年度にナビに実習に来る予定の四天王寺大学の学生さんもボランティアスタッフとして参加してくれました!
まずは参加者、スタッフ全員で自己紹介。今回は某テレビ番組風にBGMを流して、サイコロトークを交えての自己紹介を行いました。トークテーマは12個もあったにも関わらず、なぜかみんな5番(挑戦してみたいこと)と7番(最近あった嬉しいこと)ばかり出て、それはそれで妙な一体感がありました(笑)
それでもみんな「青森のねぶた祭りに行きたい!」「プレステ4を買った!」などしっかりと答えてくれました。同じ法人内でも、普段あまり関わりのないスタッフや当事者もいた中で、和気あいあいとした雰囲気でした♪

休憩を挟んで、後半は参加者のNさんの生活史を紹介。幼少時の思い出、阪神淡路大震災を経験したこと、施設入所からのグループホーム入居までのNさんの生活を振り返りました。
被災された後、一人暮らしをしたいという強い想いを持ちながら、過ごされていたNさん。グループホーム入居後は自分なりに工夫しながらヘルパーさんを利用したり、旅行に出かけたり、エネルギッシュに生活されています。IさんとYさんも真剣に聞いておられました。
何か感じ取られた部分も大いにあったのではないかと思います。
そして、次回は実際に一人暮らしをされている当事者の方の自宅見学になります!一人暮らしのイメージ作りの絶好のチャンスになりそうです!
どんなILPになるか…展開が楽しみです!

自立生活プログラムとは??
多くの障害者は障害があるというだけで、ひとりで買物に行ったり、友達と遊びに行ったり、仕事をするなどのごく当たり前のこと を経験する機会すら失ってきています。障害があることで、制限された生活によって奪われてきた、外出・料理・遊び・金銭 管理など様々な経験を自立生活をしている障害者がリーダーとなり楽しみながら取り戻していくプログラムです。
2019/02/19
ビートジャムvol2 無事、終了しました。
トップバッターは
ほわほわの会 宮崎さん率いる
ニョロニョロジャグバスターズ!
ハープ ソニー!
わわ 見田さん!
タムタムさん!
2番手は
シンガーソングライターのnicholson さん
@リバプールズ

企画者は小坪ですが
今回の2組とも僕自身も演奏を初めて聞きました。
どちらも対照的な演奏スタイルでしたが凄くカッコ良く贅沢な時間でした。
ビートジャムは今後もゆるーく継続していき音楽を
キッカケに人と繋がれる場作りをしていきたいと思います。

次回開催は未定です。
また決まったらちゅうぶのフェイスブックで告知しますので楽しみにしておいてください。
お集まり頂いた皆さん、演者の皆さん今日は楽しい時間をありがとうございました(小坪)

2019/02/16
自立生活センター・ナビの小坪です!
ちゅうぶ4階の多目的スペースでアコースティックライブやります。
その名もビートジャムvol.2
なかなか人を募集しても集まりにくい状況が続いているので人が集まるキッカケに音楽が使いたいと思ったのがこのイベントの始まりです。
2月19日(火)18:30スタートです。
時間がある!興味がある!という方は
NPO法人ちゅうぶの4階までお越しください。
チケット代1,000円頂きます!
色んな人たちに職場のことを知ってもらうきっかけになればとも思っています。
シンガーソングライターのNicholsonさんと
ほわほわの会の宮崎さんが音楽仲間と出演されます!
別名NPO法人ちゅうぶ知名度アップ大作戦です。笑
出演予定だったMAMさんは諸事情により出演できなくなりました。申し訳ありません。
そのため当日は2マンライブになります。
皆さんのご参加お待ちしております!

2019/02/08
自立生活センター・ナビの青木です😊
先日、大阪市こころの健康センターが主催していた「災害後のこころのケア」について研修に行ってきました!
私ごとにはなるのですが、高校生のときに東日本大震災の被災地に行かせて頂き、熊本地震の際もちゅうぶから支援に行かせて頂きました。
災害は体も心も傷つきます。
心が傷ついたときの手当て、支援はどうすればいいの?と被災地に行ってから思うようになりました。
今後もし大きな災害が起こった際に少しでも手助けになりたいと思い、調べていくうちに知ったのが「PFA(サイコロジカル・ファーストエイド)」です。
PFAとは?
「深刻なストレス状況にさらされた人々への人道的、支持的かつ実際に役立つ援助」
具体的に言うと、
・おしつけがましくない実際に役立つケアや支援を提供する。
・ニーズや心配事を確認する。
・水、食料、住居など基本的ニーズの援助をする。
・無理強いをせず、傾聴する。
・安心させ、落ち着けるよう手助けをする。
・被災者を情報や公共サービス、社会的支援に繋ぐ。
・さらなる危害から保護する。
PFAはこのようなものではない!
・専門家にしかできない。
・専門家が行うカウンセリング
・無理に話を聞き出す。
・何が起こったかを分析
・出来事やそれにまつわる感情を詳細に聞き出す。
今回の研修は子どもの支援がメインでしたが、心理的支援は誰であっても共通する内容です。
特に傾聴の部分を重点的にお話されていて、傾聴は普段の相談業務でも一番と言っていいぐらい大切です。
PFAについてや災害時のこころのケアの研修はなかなかなかったため、とてもためになる研修になりました!
そして、より、PFAについて学びたいと思ったので、来年あたりPFAの1日研修に行きたいなと思いました!
http://www.savechildren.or.jp/lp/pfa/
2019/02/02
みなさんこんにちは!ナビの東です。今回は前回に引き続きJILセミナー@福岡の3日目の報告です!
シンポジウム
「いまこそ優生思想を考える~強制不妊手術の歴史から Part2」
1コマ目は立命館大学生存学研究センターの利光さん、障害者自立応援センターYAH!DOみやざきの永山さん、CILさっぽろの立木さんによるシンポジウムでした。
利光さんのお話しをうけて。
利光さんからは「戦後の日本における強制不妊手術をめぐって」というテーマでお話しでした。当時の日本は国をあげて「不良な子孫の出生防止」を掲げていたこと、当事者はそれに逆らうことを許されていなかったこと、多くの人が騙されて手術を受けさせられていたことを聞き、当時の障害者がいかに一人の人間としての扱いをされてこなかったのかということを改めて考えさせられました。
永山さんのお話しをうけて。
永山さんからの話しでは、当事者にとって「手術を受けさせられた」のは消したくても消すことのできない事実なのに、国はそのことと向き合おうともせず「ない」と公言をするということに激しく怒りを覚えました。永山さんたちはそのことに関して県知事、県議会議長に要望書を提出し、さらに今年の3月には「強制不妊手術を考えるシンポジウム」を理事会で開催することを決めたとのことです。
立木さんのお話しをうけて。
そしてCILさっぽろの立木さんからは「人生(命)の選別からみるLGBTの存在」というテーマでした。女性だから言葉遣いをおしとやかにしないといけないとか、男の人をたてないといけないとか、「男=○○」「女=○○」という偏見は、障害者に対する差別と同じだなと感じました。「生産性がない」という発言に対して思ったのは中には子どもを産むことを望まない人もいるし、望んでいたとしても産めない方もいる。「子どもを産む」ことをしない人=価値のない人間だということを公言しているようなもので、それはとても恐ろしいことだと思いました。LGBTという言葉が社会に浸透しつつある現代で、優生思想は多様な形で今でもあり続けていること、そしてこれからもそういったものと向き合い、戦っていくことが私達のすべきことだということも改めて感じました。
最後に。
時間の都合で3日目は午前のみの参加だったため、報告は以上になります。今回のセミナーでも多くのことを学ぶことができました。今後とも繋がりを大事にし、自分に出来ることを模索していきながら活動していきたいと思います。ありがとうございました!
2019/01/30
みなさんこんにちは!ナビの東です。毎日寒いですね。風邪やインフルエンザが流行っていますね。。。手洗い・うがいを徹底して乗り切りましょう!
さて今回は前回に引き続きJILセミナー@福岡の2日目の報告です!
~今回のカリキュラム~
●1コマ目:「CIL業界『外』では何が起こっているの?女性活躍のためのイ・ロ・ハ♪」(米国シラキュース大学訪問研究員 徐みづきさん、CIL STEPえどがわ 曽田さん、夢宙センター 内村さん)
●2コマ目:「生のエンパワーメント~大切にしたいこと~」(CIL星空の井谷さん、CIL小平の大渕さん、CILぶるーむの高園さん)
●3コマ目:「ワールドカフェ2018 in 福岡~時間をとって、再びやるよ。全員集合~」(泉口さん、平野さん)
~印象に残ったこと~
この中で一番印象に残ったのは、2コマ目の「生のエンパワーメント~大切にしたいこと~」です。
このコマのテーマは、障害者運動が始まって随分と経ったことでどれだけ生きやすくなったのか。制度や物理的なバリアも少しは改善されてきてはいますが、いまだに差別を受けていることは変わらないと感じているということで、実際に現在どのような差別があるのか?というもので、グループワークを行いました。
ご一緒した方からいろんな差別内容を聞いて思ったのは、昔ほどあからさまな差別的な言動をしてくる人はあんまりいないけど、遠回しに排除してくるような差別はたくさんあるなぁと思いました。
例えば居酒屋のキャッチに声をかけられたことがないといった事例。周りの人は鬱陶しいくらい声をかけられているのに、当事者が通ってもまるで透明人間になったかのように目も合わないし声もかけられない(笑)
「あるある~」とその場では笑ってしまいましたが、これは意図して声をかけていないのだろうかられっきとした差別だよなぁと改めて思いました。今後も自分や周りに起きた様々な差別事例と向き合いながらどうしていくか考えていこうと思います。
~最後に~
今回はグループワークが多く、いろんな方と積極的に話しができたのが良かったです。今回のセミナーでは有りがたいことに「東さん!」と声をかけてくださる方が結構いて、覚えていただけていることに、とても嬉しく思いました♪
ありがとうございました!
2019/01/26
こんにちは、自立生活センター・ナビの青木です😊
先日参加した研修、「あいサポート運動」について報告させて頂きます🌟
「あいサポート運動」とは?
平成21年11月に鳥取県で始まり、大阪市は平成29年11月に鳥取県と協定書を締結しました。
多様な障害の特性を理解し、必要な配慮などを理解して、困っている様子を見かけたら、一声かけるなどちょっとした手助けや配慮をすることで、誰もが住みやすい地域社会(共生社会)を目指す運動です💪✨
研修内容
①あいサポート運動について
②障害の理解について
③手話講座(指文字、挨拶)
様々な障害について、①こんなことに困っています。②こんな配慮をお願いします。といった内容のDVDを約1時間ほど視聴しました!
ただ、一般の方向けの運動なら尚更、それぞれの障害の特性、理解をして、さあ!手助けをしましょう!は、ちょっと難しいのではないかなと感じました。
サポートバッヂがあるから障害者は声をかけやすいとDVDの中では言っていましたが、まだまだ知らない障害者もきっと多いわけで、支援する側も、バッヂがあるから手助けをするという考えではなく、のちには、困ってる人がいるなら当たり前に手を差し伸べる共生社会な世の中になればいいなと感じました🎈

2019/01/09
あけましておめでとうございます!ナビの東です。みなさん、良いお年を迎えることができましたでしょうか? 私は紅白にユーミンが登場したあの感動をいまだに引きずっております(笑) なにはともあれ、今年もちゅうぶをよろしくお願いいたします!
さて、報告が遅くなってしまいましたが、2018年12月17日(月)~19日(水)の3日間、福岡でJILセミナーが開催されました!盛りだくさんな内容ですので、今回は1日目のことを報告したいと思います!
情勢報告「障害者基本法改正から差別解消法の見直しへ」
1コマ目はJIL政策委員会による情勢報告「障害者基本法改正から差別解消法の見直しへ」でした。そもそも障害者基本法の改正によって私たちの生活がどのように変わるのか、障害者基本法の概要、改正案の作成経過や試案などについて分かりやすく説明していただきました。また、差別解消法が施行されたにもかかわらず起こったさまざまな事件についても振り返り、改めて差別解消法の概要や改正の時期、今後の予定について確認しました。
「2018アメリカ報告」

2コマ目は夢宙センター・JIL代表の平下さん、CIL星空の井谷さん、CIL STEPえどがわの曽田さんによる「2018アメリカ報告」。2018年3月に来日されたNCIL(全米自立生活センター協議会)の代表ブルースさんと副代表サラさんのセンターに、平下さん、井谷さんが夏に訪問したことの報告でした。ブルースさんのところに平下さんが訪問し、当時アクセシブルではないレストランに対し一斉に改善を求めたレターを送ったところ、一つだけ返信のなかったレストランがあり、それに対し抗議運動を行ったとのことでした。障害種別関係なくみんなでみんなの運動をしていたという言葉にとても感銘を受けました。
サラさんのところへは井谷さんが訪問し、バーモント州の副知事との対談をしたことや、事務所での盛大な交流会、自然豊かな湖でのADA28周年のお祝いセレモニーでの様子などとても楽しげに報告してくださいました。
曽田さんはNCIL全国大会のことを報告してくださいました。JIL代表である平下さんは5年連続渡米しているとのことで、次々にアメリカ人の方が駆け寄るシーンがあり、全米の関係者たちとの関係性はますます良好に。毎年出会うことを継続し、日本人、アメリカ人の垣根を超えて本当の「友達」になっていることを目の当たりにしたとお話ししてくれました。最後に今後の具体的な日米連携についての具体策を話され、このコマは終了しました。自分の国だけでなく、より厳しい状況に置かれた仲間のために動ける、日本の自立生活運動を今後も続けていく中で、これから私も少しずつでも参加できたらいいなと思いました。
「本人主体・主権を考える障害者福祉の介助制度とサービス」

3コマ目は介助サービス委員会による「本人主体・主権を考える障害者福祉の介助制度とサービス」について。2017年に実施したアンケートによると、介助派遣をする側は、介助利用をする側の意向と一致しづらい部分があることを示したということで、それはいったいどういうことなのか?といったことの話しでした。
一般的に日本の介助保障は一定の浸透を見せているが、本人主体・主権のサービスではなく介助派遣をする事業所本位のサービスであることが多い。本来であれば本人が主体的になって調整を行ったりすべきだという観点から、札幌に実際にある「パーソナルアシスタント制度」「ダイレクトペイメント」という制度について詳しく説明がありました。それは国からの介護料を当事者本人が受け取り、本人が直接ヘルパーを雇用する仕組み。いきなり自分一人で介護調整などをするのは困難な場合はサポートスタッフなども付き、最終的にセルフコントロールできるようにしていくということだった。「自分の生活は自分で考えよう!」ととてもシンプルな考え方だし、事業所を挟むことなく、ヘルパーと直接やり取りをして自分の生活を組み立てるということで、自己選択・自己決定・自己責任を果たすことが出来る仕組みだと思いました。現状どこまでこれが実現できるのかというとまだ課題が多いのかもしれませんが、本人主体・主権といった大切なものを改めて思い出すことができました。
「インクルーシブ教育」
4コマ目はCIL東大和の海老原さん、CILイルカの長位さん、メインストリーム協会の鍛冶さん、数矢さんによる「インクルーシブ教育」について。
海老原さんからは、いろんなサービスや障害者差別解消法ができたにもかかわらず、どうして「インクルーシブ社会」は遠ざかっていくのか?良かれと思って分離され続けた結果、健常者と障害者がお互いに知り合う環境がないまま宇宙人化していく…まずは出会わないといけない、そのためにはインクルーシブ教育を広めていく必要がある!ということで、海老原さんが2016年から取り組んでいる東大和教育プロジェクトでは、社会モデルや障害者権利条約、差別解消法や養護学校義務化の歴史などについて親御さんや関係者に対する学習会を開催したり、立川市のインクルーシブ教育について調査、アンケート調査、市長との懇談など精力的に活動しています。この活動によって、通常学級への就学希望者が増加することを目標にしているとのことでした。そして今後は同じ野望を持つ次世代の当事者発掘に向けて公開学習会を開催していくとのことでした。
長位さんからは、平等えほん読書会、自立生活じゅく、インクルーシブ大運動会、キャンプといった、地域の子どもたちとの取り組みの報告などがありました。また沖縄では医療ケアが必要な子をもつ親等からの相談が多くあり、訪問看護や看護師をつけるよう市長に要求するといった取り組みも行っているとのこと。そのほか、重度や軽度にかかわらず様々な障害がある児童や生徒やその保護者が普通学校を希望した際の受け入れ態勢の確保についても要求をすすめているとのことで、こういった取り組みの一つ一つがインクルーシブ社会へ繋がっていくんだなと改めて感じました。
鍛冶さんからは情熱的な熱い決意の話しがありました。メインストリーム協会には今までインクルーシブ教育に力を入れる部署がなく、そのことに疑問をもった鍛冶さんと数矢さんが協力して立ち上げたそうです。鍛冶さんがかかわりのあった障害のあるお子さんのお母さんとのエピソードの中で、お母さんが「この子は何も悪くないのに周りに排除されるのが悔しい」という言葉にとても胸を打たれました。
最後に
初日からなかなか内容の濃い1日でしたが、とても多くのことを学びました。1年ぶりに会う仲間も多く、とても楽しく過ごすことができました!ありがとうございました!別記事に2日目の内容を書きますので、またよろしくお願いします(^O^)
2018/12/29
自立生活センター・ナビの小坪です。
今年ももうすぐ終わりますね。すっかりアップするのが年の瀬になってしまいましたが11月27日に実施した障害当事者部会の研修会報告です。
自立生活センター・ナビでは大阪市から「東住吉区障がい者基幹相談支援センター」を委託されて4月から運営が始まっています。 基幹相談支援センターは、計画相談で対応できない障害者からの相談や、東住吉区など地域の事業者からの相談、東住吉区地域自立支援協議会の運営など、幅広い業務を行なっています。
当事者部会とは
今回は地域自立支援協議会の専門部会のひとつである『障害当事者部会』について書きたいと思います。11月27日に今年度1回目となる障害当事者部会の研修会がありました。この部会では障害者差別解消法に関することをテーマとし、日中活動系の事業所や東住吉区身体障害者団体連合会などに参加呼びかけを行なっています。
今回の研修内容
今回は「嬉しかったあんな対応・こんな対応!障害者への合理的配慮を考える」という内容でした。
プログラムは以下。
1差別解消法の合理的配慮に関する動画鑑賞
「タケシくんがラーメンを好きになった理由」
2合理的配慮の好事例報告① 体験談 小坪編
3合理的配慮の好事例報告② 東住吉区内の店舗などを中心に紹介
4座談会(2グループに分かれる)
動画視聴
西宮市の広報番組「フロムにしのみや」の中で紹介されたまるごと市制という動画を見ました。
合理的配慮の好事例報告① 小坪の体験談

子どものころは歩けないのは「自分がダメなんだ」と思い「障害を克服する」ためにリハビリを重ねてきた。どちらかと言うと「○○がしたい」ではなく障害があるから出来ないという考え方だった。それが自立生活センターで働くようになり、障害は個人にあるのではなく社会にある。障害者、高齢者など多様性が認められ誰もが住みやすい社会にしようという「社会モデル」の考え方を知った。
それに加えてもうひとつ大きな出来事がありました。
趣味であるインディーズバンドの追っかけをしていたときのこと。ライブに誘われるがそこのライブハウスはエレベーターはなかった。エレベーターがないから「行けない」と伝えると担ぎますよという返事が返ってきた。
当日はバンドマンやライブハウスのスタッフ、お客さんなどたくさんの人たちの協力があり最前列でライブを堪能できた。この成功体験で自信がつき、今では全国各地にライブを見に行っている。障害者問題は障害者の問題で、私たちには関係ないと思っている人がいてる中で障害者のことを知って欲しいなどを言うだけでは現状は変わりにくく、ひとりの人間として個人的に自分の趣味を通して人と関わりを広げていくほうが人の意識は代わりやすいと思う。
合理的配慮の好事例報告② 東住吉区内の店舗などを中心に紹介


座談会
参加者スタッフ含めて17名。(うち障害者9名、)。
今回は精神障害や視覚障害の当事者にも参加してもらうことが出来た。自己紹介のあと趣味や各自の生活の困りこと、嬉しかったあんな対応こんな対応の発表。
おわりに
今回参加者はスタッフを入れて17名と少なかったが様々な障害種別の当事者に参加してもらえたので色んな角度から話を掘り下げる事ができた。参加者にとって新たな気づきの多い時間にできたのではないでしょうか。今後も地道に続けていこうと思います。
2018/12/14
2018/12/08
ナビの西川です。
先日の研修で参加したセミナーで、こだわりが強い人のケースでどうかかわっているかという話があった。
その時に、「支援者もこだわりが強いからねー」との発言に、会場では笑いもあったが、私は「ギクッ」とした。
わ、笑えない・・・。当たってる!まったくそのとおりだと思った。私たち支援者は、といったら語弊があるから、「私は」にしよう。
私は、気をつけているつもりでも、なかなか生活が改善されなかったり、前に進まなかったりし