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  • 2024.04.12 (金)
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第1回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは その②-2

2012年参議院会館で開催されたインクルーシブ教育」の実現に向けて法改正を求める院内集会にも参加しました。

この時は、大学のゼミに行き飲み会にも行って終電で帰ってきて、そのまま車で東京に行って、集会に参加しました。

社会とのつながりっていう意味で併せて紹介します。

モンベルさんです。

東日本大震災のときに、たくさんの方が低体温で亡くなりました。震災があれば娘も低体温になりやすいので、寝袋とか、どう考えたらいいかなって思って、モンベルフェアに行ったときに、たまたまモンベルの会長の方に出会って、「寝袋についてアドバイスしてほしい」って言ったら、寝袋というより身体が温もる方法を考えた方がいいのではないかといことで、一回本社においでということで呼んでいただきました。

ダウンを着やすいようにストレッチを入れてくれたり、ズボンがファスナーで脱ぎ着しやすいように工夫してくれました。実は車いすのレインカバーは重くて大変なんですと話をしたら、社員さんたちが身を乗り出して覗いて、「へえ」とか言って。それでこのレインカバーができました。

すごく軽いんです。クルクルと小さくなって、それまで雨の日なんか、すごいビニールカバーを持って行くので、ヘルパーさんたちも嫌がっていたのですが、これは、30グラムくらい?小さくなる。パッとしたら、すぐに着けられるし、防寒にもなるかなと思うんですけど、モンベルさんが考えてくれました。これがあると、すごい出かけやすいです。

今あんまり参加できていませんが、NPOポムハウスのみんなと一緒に喀痰吸引研修のシミュレーターをしています。

2016年に糸賀一雄記念未来賞をチームかなこで、いただきました。

「障害者も健常者もともに生きていける社会こそ豊かな社会」と、「この子らを世の光に」と言っておられた障害福祉の父と呼ばれる糸賀一雄さんです。 祝賀パーティーのときに、理事の方が、「糸賀も喜んでるやろ」、「天国で喜んでると思うわ」って言ってました。関西大学のゼミの加納恵子先生は、「この子らを世の光に」ではなく「『この子らが世の光に』なるよね」って、おっしゃっていました。ね、そうなればいいですよね。

今思うことは、佳那がどう生きたいのだろうか、一人の人としての人生を全うできているかということ。でも娘は多分自分の人生を歩んでいるし、いろんな環境がありながら、乗り越えているのではと思っています。多様性、色んな人がいて、安心して暮らせる社会になればいいなって思います。

私が娘をずっと育てるのはとてもじゃないけどできない、だったらどうすればいいかというと、人に委ねないといけない。委ねることをすごく考えてきました。小学校に行くときも、なんかあったときにどうするかというのは常にあって、自分の中では、選んだ以上は責任もあるから、その時の状況で考えるしかない、お任せするしかないとずっと考えてきました。

今の暮らしは、娘とヘルパーさんたちの関係の中で、ひとつずつ娘が作り上げてきたものだと思います。10人のヘルパーさんがいれば、それぞれのいろんな考えがあるから、出会った人の分だけ、娘の人生が豊かになったのでないかと思ってきて、その通りに、本当にいろんなことを支えてもらいながら、自分の人生を歩んできたと思います。

そのときどきの経験の積み重ねが娘の自信になってきたんかなということをすごく思います。

私は、「高校問題を考える会」の会員ですが、あるときに、子どもたちに話を聞く機会がありました。

その子たちは「調理師になりたい」とか「弁護士になりたい」とか「オリンピックに出たい」とか言うんですね。「ああ、夢を語っている」って思って。

娘のように障害が重かったら、「夢は何?」という訊かれ方はしない。だけど、「あ、そうだ、夢を語っている。いいな、こういう社会は」って。やっぱりそういうことを繋げていかないとあかんって思います。

あるとき、お母さんから泣きながら電話がかかってきて、ちょうどお子さんが特別支援学校高等部の二年生になったばっかりだったんですけど、学校から「卒業後にどうするか、生活介護に行くか何にするか決めましょう」って言われて、娘は保育士になりたいって言っているんだけど、そんな話すら聞いてくれないっていう相談がありました。

私は、「じゃあ言ってみたらどうですか?保育士さんになりたいって。支援学校ではなりたいからって保育士になるための研修に行きますかとは言ってくれないけど、気持ちは、言わないとわからないし、けんかするくらい言っていったらどうですか?」って。

そしたら泣きながら、お母さんが「娘の人生がこれで決められるんです」って言うから、私は「そんなことない。いろんな人に話を聞いてもらって、保育士さんになりたかったら、なれる道を考えていったらどうですか?」って。

私やっぱり、諦めたらあかんと思うんです。いろんなことを言われながら、泣きながらでも、こうやってしていきたいなっていう思いを持ったら、いつかちょっとずつでも動くかなあって。 娘の一人暮らしはまだまだ先ですが、今みんなと暮らしていて楽しいという話もあるけど、やっぱり諦めるのは嫌やなって思います。どんなことでも先に展開があると、望みを持って生きられると思うので、横でいらん口を挟みながら、ちょっと聞こえないふりして、「うん、一人暮らしも、いいかもね」って囁くようにしています。ありがとうございました。(文責 堀)

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