第2回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは その②-2
200万回の選択
NPO法人ちゅうぶのスローガンに「200万回の選択」というのを掲げていますが、200万回というのは朝起きて、今日どんな服を着ようかな、朝ごはん何を食べようかな、今日一日どんなふうに過ごそうかな……障害のない人だったら80年の人生の中で200万回選択をすると言われています。
それだけ色々なことを選択するのが当たり前とされている中で、障害者の人生は実家か施設か、この二つしか選択肢がない、なんでなんだろう。これが私たちの問題意識でした。この現実をなんとか変えたい、どんな障害があっても地域で暮らせるようにしたい、障害者が望む、自分らしい生活を実現できるようにしたい、街づくりや様々な支援制度を作りたい、ちゅうぶを立ち上げて色々な活動をすることで進めていきたい、そういう思いで、NPO法人ちゅうぶを立ち上げて、ずっと活動をしてきました。
グループホーム・介護の拡充
特に今日のテーマであります、グループホームや介護の問題でどんなことをしてきたのか、ということをもう少し詳しく話したいと思います。
大阪市でケア付き住宅研究会というのを作ってもらい、そこで色々な勉強会をして、提言や報告をまとめました。そのような取り組みを基にグループホーム制度や介護の拡充を果たすことできました。
今から40年近く前、1980年代は東京や北海道、神奈川などでケア付き住宅を作る運動が広がってた時代です。ケア付き住宅というのは一般の住宅、あるいは公営住宅の近くに介護ステーションがあって、必要があったらそこから介護者が飛んできてくれるというしくみです。ホームヘルプが今みたいに月何百時間とか使える時代でなく、1日2時間週2回という時代だったので、ヘルパーさんのいない時間にケア付き住宅のケアステーションから派遣をしてもらうことで、なんとか重度の障害者が暮らせないだろうかということで始まったのです。
もう一つは全身性障害者介護人派遣事業という大阪市独自の介護事業が1986年にスタートしました。この制度を作るにもだいぶ色々大阪市と話し合いを重ねたのを覚えています。この全身性障害者介護人派遣事業は、例えば今では当たり前ですけど、トイレ介護、お風呂介護など身辺介護ができる、外出介護ができる制度です。今だったら当たり前ですよね、でもこの時代はさっき言った通り介護の公的な制度というのは家事援助しかなかった。買物とかお掃除とかしかしてもらえなかった。それが初めてそういう色々な身辺介護、外出介護ができるという制度が1986年にできたんです。
1987年から大阪市障害福祉課と学識経験者、大学の先生たちを交えて「大阪市ケア付き住宅研究会」というのが始まりました。大体2、3か月に一回実施して、2年間で色々な資料を取り寄せたり、横浜市に視察に行って、グループホームの入居者にインタビューに行ったりして、研究会で報告しました。
その横浜市の制度をモデルにして、大阪市身体障害者グループホーム制度というのが1989年に始まることになりました。
全身性障害者介護人派遣事業の取り組みでは、大阪市の介護人派遣事業が始まった1986年は月12時間(1日12時間じゃないですよ)から始まったので、拡充するのにだいぶ時間がかかりました。
ケア付き住宅研究会の学識経験者、大学の先生に協力してもらいました。そのお一人が桃山学院大学におられた北野先生で、もう一人が大阪府立大学(現大阪公立大学)で、そこの先生をされていた定藤先生という方でした。この定藤先生自身も電動車いすに乗っていて、事故で首の骨を折って、車いす生活を送ってこられた、そういう立場から、どんな障害があっても地域で暮らせるようにしたい、ということで研究会に協力してもらいました。
そういう方々の協力があって、1989年、その制度ができる時期に合わせて大阪市の身体障害者グループホーム第1号ということで、グループホーム・とんとんを発足しました。
問題点を伝え、制度を拡充する取り組み
その当時、250万円しか助成金がなかったんです。世話人1名分の助成というわけです。でも年間250万円ということは、その世話人さん一人で24時間介護、4人の介護ができるわけないです。これでは介護体制が作れないということで、グループホームの制度を充実してもらうことと併せてグループホームでの生活状況を基に介護の拡充を訴えてきました。月12時間、時給610円でした。だから月7000円くらいでした。そこから始まった全身性障害者介護人派遣事業が倍々のように増えていったんですね。グループホームで実際に夜間のときはこういう介護をしている、あるいは一日こういう介護体制があって、重度の障害者は地域で暮らせるんだということを、研究会で出しました。その資料を大阪市の中で障害福祉課だけじゃなくて、財政(予算を作るところ)に障害福祉課が持って行ってくれて、介護の制度とグループホームの制度を伸ばしてやってくれ、と主張し頑張ってくれました。
もう一つが大阪市の社会福祉協議会というのが、ホームヘルプ制度、特に高齢者介護でヘルパーをだいぶ増やされて、週18時間、身体介護できるホームヘルプが社協から派遣される体制ができあがっていった。社協ヘルパーと全身性障害者介護人派遣事業の組み合わせで一定の介護体制ができるようになってきた。
これは介護人派遣事業の歩みということで、1986年、始まった当初は月12時間で時給が610円、月額で7320円だったんですが、グループホーム制度が始まったあたりから12時間から24時間、さらに48時間、で最終153時間という感じで増えていきました。時給も610円から最終1410円ということで、最初の7320円から月額でいうと、30倍ですね。それくらい増えました。そういう意味で制度があるだけでもダメだし、自分たちの活動を進めていく、制度があっても実際に自分たちが使えなかったら意味がない。制度を使って自分たちの活動をして、その中でやっぱり、足りない点、問題点をあらためて大阪市の担当者に伝える、そういうことで色々な制度が伸びていったのですね。
多様な活動の展開
私たちNPO法人ちゅうぶはこういう風な形で、大阪市の地域生活に関わる制度の充実に少しなりでも役立ってきたかなと思います。
そういう制度と共に、自分たちの活動も広げていこうということで、グループホームは、施設や親元から地域生活へのステップですが、もうひとつは、自立生活センター・ナビ、障害をもつ仲間による相談支援があります。また、ヘルプセンター・すてっぷ、一人一人に合わせた介護の提供です。そして、今は、国の制度の生活介護ですが、元々は大阪市の作業所制度から始まった、赤おに・青おにです。生活介護は多様な社会活動・日中活動の場ということで、一人一人がやりたいこと、もしくは社会に訴えていくこと、例えば、バリアフリー調査も熱心にやっていますし、地域の小学校や中学校などとの交流も定期的に進めています。こういった地域生活を支えるために色々な活動をしています。
さらに「地域生活・権利確立を目指して」ということで、バリアフリー等の当事者活動ということで、自分たちが活動し、それによって色々な、社会の開拓をしていくような活動も含め、NPO法人ちゅうぶの活動です。色々な部門に分かれていますけど、その各部門が協力し合って、障害者が当たり前に暮らせる地域社会を作っていこうということで、活動を進めています。
だから例えばグループホームに入居したからグループホームだけで生活するのではなくて、生活介護に参加いただいたり、介護の体制もグループホームだけじゃなくてヘルプセンター・すてっぷがヘルパーを派遣しますし、必要に応じてナビで相談もお手伝いしたり。そんな形で私たちのNPO法人ちゅうぶの活動の体制をとっています。
地域移行は権利条約の緊急課題
これは去年の8月、ジュネーブでの国連の会議です。100名がジュネーブに行きました。国連の障害者権利条約を日本はちゃんと守ってるか、という審査が国連であって、日本から障害者や関係者、ご家族なんか100名が集まりました。私もジュネーブに参加させていただきました。
あらためて、障害者が地域で暮らす、これを当たり前にしなければならない、そう思いました。国連の障害者権利条約では、障害者が地域で暮らすのは権利だ。地域で暮らすのは当たり前の権利だということが謳われています。国連の障害者権利条約を日本は2014年に批准をしています。国連から「こういうところをちゃんと直してください」ということを沢山の勧告頂きました。
特に緊急のテーマ、重要なテーマというのが、インクルーシブ教育、障害のある子もない子も分けられずに一緒に学ぶこと、地域で学ぶということを当たり前にする、ということ、もう一つは、地域移行や地域生活をもっと進めるということです。国連は障害者の地域移行や地域生活を全面的にバックアップしていますということをお伝えしておきます。 色々な制度、仕組みが整ってきた部分もありますが、障害者自身の気持ちを固めていかないと自立は進んでいかない。最後のハードルを「えいや」って越えるのは一人一人の気持ち。そのためにこのプログラムがあるし、今日も色々話してもらったけど、不安なことがあったら訊いてもらえたらいいなと思います。今日をきっかけに一人一人の自立がさらに進んでいくことを期待しています。
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