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  • 2024.04.16 (火)
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第2回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは その①-2

「Nさん問題勃発」

重度障害者の日中活動の場として、赤おに作業所を開所しました。和男も昼はそこに通って、話し合いをしたり、みんなで考えて企画を作ったりしました。

赤おにに通っていたNさんのお母さんが入院することになりました。もともと心臓が悪かったが、母一人子一人なので、持病を抱えてNさんの介護をしていました。退院後もお母さんが介護するのは無理なことは明らかでした。

そこでみんなで話し合いをし、作業所の2階で24時間介護を交代でつけて、自立生活していくことになりました。

しかし、当時の障害者の自立生活は、自分で全部指示するものでした。何時に起きる、寝る、着替える、今日は何を着る、風呂に入る入らない。風呂に入る時は何を用意するのか、夕食のおかずは?朝は何を食べるか、外出時は何を持って行くのか、お金はどうするのか、洗濯はいつするのか、乾いた服はどこにかたづけるのかなど、朝から晩まで自分で考えて決めて言葉で指示しないといけない。それは今まで親が何も言わなくても全部やってくれていたから、考えたこともありませんでした。

1カ月でNさんは疲れてしまって、眠れなくなり、精神科に行くことになりました。

お母さんが退院すると聞いて、周りの反対を押し切って自宅に戻りました。お母さんは家にずっと他人がいるのもしんどいから入浴以外は全部お母さんが介護しました。

結局お母さんはすぐに再入院となり、そのまま帰らぬ人となりました。

Nさんは、もう一度一人暮らしをしたいと希望があったが、同じ繰り返しになるのが目に見えていたし、またボランティアも足りなくて毎日24時間介護をつけることも展望がありませんでした。制度的な保障がなにもなかったのです。

何度も話し合って、結局Nさんには一旦施設に入所してもらい、その間にこちらの体制を整えることになりました。

重度障害者の自立をみんなで作る

重度障害者の自立をみんなで一緒に作って行こう。Nさんの経験をふまえて、みんなでこう決めました。自立生活プログラムやグループホーム建設に取り組みはじめました。

ちゅうぶで目指す自立とは、障害者、当事者が主人公で、当事者が自分で決める生活とはなにか、経験がなかったり障害ゆえにどうしてよいかわからない人も、当事者が主人公になれるように周りが支援していく、生活の中身が豊かになるように一緒に作っていくということ、このように考えました。

決して自分一人でできるようになることだけを目指さないということです。

ただ、支援者が保護者代わりに先回りして勝手に決めたり押し付けたりしない、自分で決めてその結果を受け止めることも必要な経験としてやっていこう。

また、自分で決めたのだからあとは知らない、サポートしないじゃなくて、失敗も含めて一緒に受け止め考えていく。その一つの在り方として、グループホーム建設を目指していったんです。

とんとんハウスでの生活と支援体制

グループホームの名前は「とんとんハウス」と言います。みんなで決めました。

建物は2階建ての一戸建て。古い住宅です。1階に1部屋、2階に3部屋あって、あとお風呂とか台所とか共有のスペースもありました。女性2人、男性2人の入居者でスタートしました。

2階は、階段昇降機に乗り移ってあがるため、(2階に住むことができるのは)座位が取れる人だけでした。和男は座位が取れないので1階。朝と夜は全員1対1で介護をつけるが、泊まり介護者は1名だけでし た。

全員が重度の脳性マヒで3人は言語障害もありました。職員は3名いましたが、給料が安くて募集してもなかなか人が集まらなくて、来た人もまったく障害者に関わったことがない人ばかりでした。

職員は、朝夜の介護調整や介護研修、見学対応や食事の献立を決めたり、役所の手続き、通院同行とか介護者がいない時の介護など、職員が入居者と一緒に考えたり動いたりしました。

これがとんとんハウスのお披露目式で、近くの小学校を借りて行いました。和男もこのとき初めてスーツを買って着ました。

ここにいる後藤(寛子)さんも写真のどこかに写っています。これは共有スペースから見た和男の部屋です。いろいろなもの(私物)を全部持って行っています。これは手話の学習会をみんなでやっていたり、こちらは入居者会議、みんなで週に一回話し合いをしています。

入居者が職員と一緒に介護調整や、夕食のメニュー決めたりするのを、1週間交代でやりました。見学がいっぱいあって、その当時は。見学対応やホームでのことを週に1回の入居者会議で話し合いました。先に一人暮らしをしている先輩障害者にも入ってもらって、アドバイスをもらいました。

職員は、掃除や片付けなど自分で介護者に指示できない人への支援、大掃除や布団干したりシーツの洗濯、通院同行とか、介護者に必要なことの報告、体調の様子の把握とか、区役所手続きや郵便物のチェックとか、銀行への同行など、生活全般の支援を行っていました。

和男が言葉の学習と共に少しずつ手話を使って行こうとなって、手話サークルの学生を中心に手話の学習会を毎週やりました。週1回の入居者会議では、職員が手話で会議の内容を伝えました。

とんとんハウス時代について(和男さん)

淳子:とんとんハウスに入ったときはどんな失敗がありましたか?

和男:ほかの障害者に怒られた。

淳子:何を怒られましたか?

和男:介護調整を忘れてたりとか、晩御飯を忘れてて怒られたりとか。

淳子:忘れることが多かったんですか?

和男:弁当、買いに行ったり、簡単な料理、卵割って目玉焼きだけとか、野菜サラダだけとか、

淳子:みんな怒ってた?もっとおいしいものが欲しいってみんながあなたを怒っていたんですか?

和男:出前。みんなに怒られてご飯がないから、弁当買ったりとか出前、自分が担当のときに出前を・・

淳子:電話して来てもらったんですか?

和男:うん。

体験入居、体験宿泊の取り組み

作業所に通っている人たちの1泊2日の体験宿泊をちゅうぶで積極的に行っていました。これはNさんのことがあったために、入居者だけじゃなくて、もっとみんな、1泊2日で親から離れて、泊まる、生活しようという取り組みです。

親が元気なうちから、みんなで体験入居の取り組みを進めて、他人の介護に慣れたり、自分でいろいろなことを考えたり決める経験を増やしていくことを目的にしました。

作業所の職員と一緒に、体験入居の計画を考えたり、夕食のメニューを考えたり、何を買い物するかとか考えたり、介護にも入ってもらいました。Nさんの体験入居も繰り返して入居に繋げる予定でした。

残念ながらNさんは道半ばで亡くなられてしまいました。

体験入居を重ねてグループホームへ

重度の脳性マヒのSさん(男性・20代)。お母さんと二人暮らしだけど、お母さんも体調がよくない。Nさんと同じで、全部お母さんがやっていました。自分で店で買い物をしたこともなかったし、銀行も行ったこともなかったです。(当時のちゅうぶでは)毎年夏に大交流キャンプというものをしていましたが、迎えに行くと泣いて嫌がって、駅まで介護者が泣いているSさんの車いすを押していたというエピソードがあります。それくらい親と離れるのが嫌だったのです。

一緒に財布と食べたいものとかを買いに行くことから始めて、1泊2日の体験入居へ取り組みました。でも体験入居の当日嫌がって家に帰ろうとしました。何度も何度もそういうことを繰り返して、やがてお母さんが本当に入院になり、それをきっかけにグループホームに入居しました。でも週末は実家に帰り、お母さんもいろいろと心配で、しょっちゅう職員に電話がかかってきていました。そのSさんもやがてグループホームを出て、念願の一人暮らしをしました。

一人暮らしへ

和男は、とんとんハウスに入って10年後に、どうしても一人暮らしがしたいと何度も訴え続けて、家探しを始めました。

1999年7月4日 アメリカの独立記念日に……(ちょっとこういうのはね、「いつ」っていうのがあるのです。)マンションで1人暮らし開始。

24時間介護をつけて、介護事業所のコーディネーター、ヘルプセンターすてっぷのコーディネーターとかヘルパーから、通院同行とか生活上の支援を受けました。

現在の生活についてインタビュー

淳子:今も失敗は多いですか?

和男:うん。

淳子:今はどんな失敗がありますか?

和男:家賃を払うのを忘れていて、電話がかかってきたり、

淳子:ほかはどんな失敗が?

和男:お金が足りなくて、介護者からお金を借りた。郵便局に行くのを忘れていた。今はクレジットカードがあるから大丈夫、安心している。

淳子:あなた、クレジットカードでの買い物が多いって噂で聞きました(笑い)。楽天ポイントを貯めるのが好きって本当ですか?

和男:(笑い)

淳子:ほか、時間、遅刻はどうですか?遅刻が多いって聞きましたけど。

和男:寝坊して、朝ごはんはもういらない。野菜ジュースを飲んでいる。

淳子:前はお金貯める、ケチだったと聞いてるけど、「素うどん」ばっかり食べてたから、便秘になってお医者さんに怒られてた。

最近はどうですか?最近は何を食べていますか?

和男:刺身とか、野菜とか長い方が多い(?)。

淳子:長い方が多い?野菜をいっぱい買う?

和男:うん。いっぱい買う。

淳子:野菜をいっぱい買って全部食べるんですか? 本当に? 捨ててない?

和男:バランスを考えている。

淳子:ふうん。なるほど、わかりました。お米は?白いお米は食べてないの?

和男:うん。

淳子:じゃあ何を食べているの?

和男:玄米。

淳子:お金を節約するために、(価格が)安くなる夕方に買いに行っているって聞きました。夕方何を買いに行くのですか?

和男:刺身

淳子どれくらい安くなりますか?

和男:半額。

淳子:あなた今生活で困っていることってありますか?どんなこと?

和男:旅行に行く。電気代、お金。ガス代とか、高い。

淳子:最近高いもんね。冬はガス代が高い、いくら?

和男:1か月2万円した。

淳子:なるほど、高すぎ。ガスストーブを使っているからね。あなた、お金が足りない時はありますか?足りないときはどうしますか?

和男:節約。ガスを止めるとか、エアコンを止めるとか。

淳子:なるほど、わかった。お姉さんに「お金を貸してください」ってお願いすることもあるんですか?

和男:(頷く)

淳子:(笑い)8月に65歳になりますね。これから何をやりたいですか?

和男:坐骨神経痛。2013年のゴールデンウィークの後、坐骨神経痛になった。

淳子:痛い痛いってね。

和男:膝が痛い……ああ、お医者さんに言われたのね(2013年ゴールデンウィーク後に坐骨神経痛と診断された?)。

淳子:これから、これからやりたいことは、最後にこれからやりたいことを教えてください。

和男:(しばらく考える)自立を諦めない。これからもずっと自立生活を続ける。

淳子:ほかにやりたいことはありますか?

和男:大阪府内のバリアフリーの調査。

若い障害者に教えないといけない。

淳子:大阪だけじゃなくて、全国色々行って調べたいんですか?

和男:うん

淳子:もっともっとたくさん、旅行とか行きたいんですか?

和男:うん

淳子:この前沖縄に行ったけど、また色々……

和男:うん

淳子:わかりました。元気で頑張ってください。終わりです。

海外旅行にも行ったり、色々な研修で行ってます。和男はいつも自慢しています。ベトナムに行ったときの障害者団体の人たちとの交流とか、スウェーデンで障害者団体のところへ行ったりとか。海外でも必ず現地の養護学校に突撃して見させてもらったりとか、現地の人たちとの交流とかしているようです。

あと、国内旅行もいっぱい行って自慢しています。今週は、昨日沖縄から帰ってきて、沖縄の当事者団体と交流して帰ってきました。

海外旅行や40周年記念パーティ

これは5年前の和男の自立40周年記念パーティ、こういうのをやりたいって和男が言って、やりました。小坪さんから、話してもらえたらと思います。

西川和男さんの、ケアマネージャーのようなことの担当をしています、小坪と申します。リオのILPの担当もしています。

喧嘩したりもありながら楽しく支援

「どんな支援をするか」ですが、制度的な、介護時間の書類であったりとか、障害年金の更新の手続き、とか、一年に1、2回、家賃の支払いを忘れて(笑い)、そのときに管理会社から「西川さん家賃まだなんですけど……」ってナビに電話がかかってくるんです。和男さんに言うと「今週払いに行く」って言うんですけど、「すぐに払ってください」って急かすのが僕の役目。あと車いすを作り替えるときに業者とか、お姉さんにも相談して、作ったりとか。色々しています。

僕が担当になって10年くらい経ちました。

引っ越したいと言ったら一緒に不動産屋さんに行って話をします。和男さんが「ここにしたい」って言ったにもかかわらず、「小坪が勝手に決めた、お風呂が狭い」って突然言われてケンカになったりとかも、たまにありますけど、基本的にあんまり、僕は和男さんとケンカしているつもりはなくって、たまに西川淳子さんに「もっときつく言っていいよ」っていうのを言われます。

最近ちょっと言い合いしたのが、沖縄の障害者団体と交流するってなったときに、「ナビのスタッフの名刺を作りたい、西川和男で」「いや、ダメです。あなたは利用者だからスタッフの名刺は作れません」って言うことをかなり言い合いして、諦めてもらいました(笑い)。

やりたいことはぜったいやるパワー

和男さんの印象ですけど、「やりたい」って言ったら絶対にやるっていう、気持ちが強いというか、気持ちだけじゃなくて周りを動かすパワーがあるので、周りも乗せられてやっているところがあるのかなって思います。

私は昔からこんなふうに失敗をしてきたということをとても嬉しそうに話されるので、その失敗が和男さんをどんどん成長させて、自信に繋がっているんだなと思います。

これから自立を目指す人、特に若い人がそうですけど、介護者に遠慮してしまう人が多いのかなと思うので、どうしても自分でできないことは介護者とかいろいろな人の手を借りないと生活できないのが障害者なので、それくらい自分のやりたいことにこだわって、人の手を使ってでもやっていくっていうスタンスで色々やってもらえたらいいでないかと思います。

実際にやっている姿をもっと若い障害者に、和男さんとか後藤さんとかに、見せてもらって、たまに西川(和男)さんも後藤さんも「もう歳やからなあ」って言いますけど、まだまだやってもらわなあかんと思ってますので、よろしくお願いします。以上です。

西川淳子さんより 「重度の障害者は施設しかないよ」と言われていたのが、いろんな人たちの支援を受けて、グループホームとか、一人暮らしとか、できています。これから先も続けていきたいと思います。

 

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