Home  日々の活動  重度訪問介護について解説するぜ。

重度訪問介護について解説するぜ。

ハイガイズ。今回はゴキゲンな制度、重度訪問介護について解説するぜ。

みんな、こんなことはないかい?

 テレビ見てても面白くないし、画面を消して音楽でも聴こうかな、おっとその前にちょっとツイッターでトレンドチェックしておくか。なんだこの動画面白そうだな、関連動画にもこんなの出てくるじゃないか。そんなこんなでもう20分も時間がたってしまった。冷蔵庫に入っているコーラを飲むか。冷蔵庫にはこの間買って半分しか食べなかったお菓子が私を呼んでいる。食べるべきか食べざるべきか悩んだ末に食べてしまうのが私。イッツミー。

おいおい。時間の使い方としてどうなんだ、という声が聞こえてきそうだね。現代社会ではありふれた、どこにでもありそうな日常だろう?もちろん私のことではなくフィクションなわけだぜ。イエイ。

こんなありきたりな日常を送るときも、ぼくらは選択と決定を繰り返しているんだなと書き出してみて改めて気が付くし、しょうもないように見えるけど大切なことなんだなと感じるね。テレビを消す、スマホを手に持つ、アプリを立ち上げ、画面をタップ。冷蔵庫を開ける、中をチェックする、忘れてたことを思い出して気付く。ノーチラス。

・・・あれ。重度の障害があって、自分ひとりではできない人はどうやってこの選択をして、こんな行動を行うんだろう。

こたえ、誰かの手を借りてこういうことをするわけだね。アーハン。

重度訪問介護には「見守り」という介護内容があるんだ。身体介護でもない、家事援助でもない、通院に行くわけでもなく外出するわけでもないけど生きていたら、生活していたら、何か目的をもって行動しているわけでもない時間ってあるよね。ノータイムノーライフだ。

そんな時に重度の障害があると、一人でできないので、やらない、てゆーかできない。あきらめるって感情もわかないままそれが当たり前の生活になる。となるとそれだけその人の経験が減ってしまうわけ。ソーバッド。

と、こんな話をするとどうしても、「そんな無駄な時間、そんなことする必要ない、そんなことに税金を使って介護をつけるなんて」という意見があったりするね。ファッキンタックス。

でもそれは次元が違う議論なんじゃねーのかな。その活動が無駄かどうか決めるのはその人自身だよな。四コマ漫画を必死に読んでいるか、哲学の本を流し読みしているかで、どちらが必要で時間か、だれがわかんだ?ユーノウ?

リンゴが落ちるところを見ようとしているニュートンに、「アイザック!リンゴ見てないで本を読みなさい!」と言うようなもんだぜ?

それに、本人がそもそも経験ができていない状態だと、本人側にも判断基準がないんだよ。家族の介護によって生活してきたひとは、家族が介護しやすいように生かされてきた。めんどくさい介護を頼んでまでなにか新しいことをしようとすることを経験できていない。対して介護が必要ない人は、自分で無為な時間の過ごし方を、何かのチャレンジに使うこともできるよな。ベイビー。

いま、ゲームをするのが、本を読むのが、ともだちとしゃべることが、明日の、来週の、一年後の世界の役に立つのかどうか。あんたにわかる?アンダスタン?

生きてたら当然することを当然できるようにするのが重度訪問介護ってやつなんだ。かわいいやつだよ。
重度訪問介護って、障害者の可能性を伸ばしてくれる、最高にクールな制度だよな。マイブラザー。

200万回の選択のためにも、超重要な制度だよ。ほんとに。
贅沢な税金の使い方なんかじゃない。ここまでやって、やっと当たり前の生活に近づいてってるってだけなんだよ。わかってくれたかな?

おーそりゃ最高だ!使ってないヤツがいたら教えてやってくれよな!

・・・キャラづくりって大変ですね。

公共財団法人JKA 補助事業完了のお知らせ CYCLE JKA Social Action