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ALSの女性が「安楽死」を選んだ


以前にNHKのドキュメントでスイスで安楽死を遂げた女性のことを書いたが、今回は、死にたいという気持ちを抱えながらも、最大限社会資源を利用し最後まで自分らしく生きようと、揺れ動きながらも「戦って」来た女性と、「『日々生きていることが苦痛だ』という方には、一服盛るなりしてあげて、楽になってもらった方がいい」と思っている医師が、出会ってしまった事件だった。ヘルパーを24時間利用し、目しか動かなくなってもパソコンを操作し、他の障害者と交流し、必死の思いで生きてきただけに、最後はこんな男に殺されるしか彼女を救う道がなかったのかと思うと、とても残念だ。
「大久保容疑者は、『高齢者は見るからにゾンビ』などとネットに仮名で投稿し、高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた。」(産経新聞より)
林優里さん(当時51歳)のブログや報道によると、43歳の時にALSを発症し、高齢の父親の負担にならないように、生活保護を受け、24時間重度訪問介護を受けて、一人暮らしをしていた。口からの食事が難しくなり、胃ろうを利用していたが、呼吸の能力は維持されていたので、人工呼吸器はつけていなかった。自分の意志で動かせるのは目だけで、目を動かしてパソコンの操作を行い、コミュニケーションをとったり、ブログを書いたり、他のALSの人とやり取りしたりしていたとのこと。
私自身が当事者スタッフと一緒に重度障害者の自立支援をしているからこそわかるのだが、生活保護を受け、24時間介護をうけて一人暮らしするためには、まず自分でたくさんの情報を収集し、実際にALSの人に会ってアドバイスをもらったりしないと、そう簡単にできるものではない。生活保護の申請や24時間介護制度の申請方法や、協力してくれる支援者や主治医探し、家探しなど、やることは山ほどある。その上で一番壁になるのは、生活保護の基準で借りられるバリアフリーの家探しとヘルパーの確保である。そもそも24時間ヘルパーを利用して一人暮らしするぞと決心したことが、とても勇気がある。実行に移した、その行動力や強い意志には感心するし頭が下がる。入所施設から出て地域での生活をしませんかと勧めてもなかなか踏み出す人はほとんどいない。なぜなら、まだまだ社会資源が整っていないから、イメージもつかないことが多い。家族は、せっかく施設に入れたのにと反対する。しかも、難病や事故による中途障害になると、障害を受け入れて、障害者として生きていこうと思えるには、何年もかかるのが普通だ。それなのに、林さんは障害者として、24時間介護を受けながらの自立生活に踏み切った。しかもそれだけではなく、ブログなどで他のALSの人たちと交流し、自分がロールモデルとなって、アドバイスもしていた。ケアマネや相談員が支援の参考にするための見学を受け入れていた。「難病があろうが障害があろうが、一人の人間として尊重され、尊厳をもって扱われなくてはならないはずだ」と、同じ悩みを抱えた重度の障害者とも共感し、介護者や医療従事者による人権侵害に対して敏感だった。
ブログがあるということなので、私は恐る恐る見てみた。ブログには
「大好きな猫との暮らしを夢見ていたが、あきらめざるを得なかった。ヘルパーの中に猫アレルギーの人がいたらどうするのかと言われたので、実現せず、なんでこんなことまで指図されなきゃいけないんだとみじめで腹が立ち号泣していた」とのこと。けれど、林さんは、主治医や訪問看護やヘルパーと何度も話し合い、猫を時々連れてきてもらうことも許可してもらった。
「私達重度障害者の生活は思わぬ制約が多いのだ。なんで?!と納得がいかないこともしばしばある。特に危険(怪我)だと思うと誰かが言い出せば(個人の主観によるものであっても)、禁止事項になってしまったりする。酷い時はたった1週間入院した病院の看護婦さんが意見したことがまかり通ったりする。私は自分で納得いかないことにはことごとく戦ってきた。誤嚥の危険があるからと食事介助を訪看に頼むと言われた時も、移乗は一人介助では危険と言われた時も、一人介助の排泄はベッド上でと言われた時も、、、。もちろん味方してくれるヘルパーさんがいてくれるおかげだけれど。ヘルパーさんの心身の負担も十分考慮して決めている。もちろん自分でもさすがにこれはもう止めた方がいいと思ったことは止めている。何か議題が持ち上がった時にいつも言われることは『在宅の良いところは統一して制約を決めなくていいとこ。本人の希望を尊重した上でヘルパーの意見も取り入れて物事を進められる。』だからあいまいなこともいっぱいある。ヘルパーさんの技量次第という感じ。在宅闘病生活が長くなれば、『この人はこれは出来そうだな。』というのが大体わかる。それに応じて頼んでみたりする。妥協しないといけないこともあるが、忍耐強く話し合えばそれなりに希望に沿った自由のある生活が可能だ。」

林さんが、自分のやりたい生活がすぐに実現しなくても、こうやって『戦って』話し合いながら生活を作ってきたのがよくわかる。『戦ってきた』という言葉は私の胸を刺す。私たち支援者は、本当に当事者にとっては権力をもつ立場となり、本人の希望を、ある時は社会資源が足りないからという理由で、ある時はヘルパーがしんどいからという理由で、またある時は制度で決まっているからという理由で、そしてある時は『わがままだ』と人格を全否定するような理由で抑えることが簡単にできてしまうからなのだ。自分の希望を言い続けるけることは、まさしく『戦い』だったのだ。

そんな中でも
「人間なんだから病気になっても不思議じゃない。難病でもその病気が存在している以上誰かがかかっても不思議じゃない。それが私でも不思議じゃない。人間なら普通のことなんだ。『なんで私がこんな病気にかからなあかんの?!なんで私が!!なんで私が、、、、、なんで、、、、、、』という思いから解放されつつある。」と前向きな様子がうかがえた。
「私は24時間介護が必要。独居で家族がいないので常時ヘルパー不足のピンチに陥っていながらもこれまでやって来れたのが奇跡に感じる。事業所が変わっても続けて来てくれる人や自分で事業所を立ち上げて戻って来てくれる人やたくさんのヘルパーさんに助けられてここまでやって来れた。有難いことだ。病気になるまで全く知らなかったヘルパーと言う仕事。私なら到底耐えられないハードな仕事だ。でも万年のヘルパー探しはかなりのストレス。いつ穴が空くか分からない不安にいつもさいなまれている。始めは男性は拒否してたがすぐにそんなことも言えなくなった。だがやはり難しい。特に生理的にダメと言う時はキツイ。度々バトルを乗り越えて来た。コミュニケーション手段が文字盤しかないので相手が読んでくれない限り私は何も言えない。それにやはり暴力的で物を投げたり身体を乱暴扱われたりする。(男性でも温和なヘルパーさんもおられます。)家族が居れば監視の目があるが、なんせ1対1なもんで。そんな時が一番死にたくなる。人の手を借りないと指1本動かせない自分がみじめでたまらなくなる。」(2018年6月8日)
やがて、体のあちこちに痛みが出るようになり、ヘルパーによる虐待もあり、栄養を減らしていったりリハビリを拒否したりして、栄養失調や呼吸不全で死のうと試みたのだった。
「やっと代わりが見つかりそうな虐待ヘルパー。その人のことがあって人の手を借りないと生活できないこの身がつくづく嫌になった。来週の話し合い(飲食拒否)まで気がおかしくなりそうで精神安定剤でやり過ごす。 文字盤も全てがもう嫌」(2019年9月)

ブログでは2019年11月から更新されていなかった。なぜかなと思っていたら、まさにその11月に亡くなったのだった。
嘱託殺人の直前には、ヘルパーに体ボロボロなのは私のトイレ介助のせいなんだと責められて、施設に入ったら殺されると脅され、むかついても代わりがいないからやめろと言えなくて惨めだと、ツイートしている。
ヘルパーは、ペットの世話はできない。地域でヘルパーの介護を受けてこんな生活がしたいと思っても、立ちはだかるのは、ヘルパーができることできないことの規定や何よりヘルパー不足で、本当の意味で障害や人権を理解して共に生きようとかかわってくれるヘルパーが少ないということ。
ましてや虐待行為をするヘルパーさえも、代わりがいないからという理由ですぐに外せないのは絶望的だ。しかし、ヘルパーは、自分の言動が虐待になるということを残念ながら自覚していなかったのだろう。単に愚痴をこぼしたつもりだったかもしれない。しかし、この言葉は事業所に言うべきであって、本人に言うのは間違っている。介護方法を変えてほしいなら、ケアマネや本人を交えて少しでも本人が納得できる方法を見つけていくべきなのだ。
痛くても痛いと言えない、何をされても言われてもやめてくれとその場で口に出して言えない。くやしいし、死にたいと思うのは当然だ。
しかし、ここまでがんばってきた人が、ヘルパーによる虐待から逃げる方法が、安楽死を選ぶしかなかったというのは、本当に本当に残念だ。一体虐待防止法は誰のためにあるというのか。もちろん、虐待とみなされても、介護体制の不足で入所施設や病院に入らざるを得ないのなら、彼女が望む暮らしにはつながらない。そうではない、最後まで人間らしく生きれる生活こそを、彼女は望んでいた。ただそれだけのことだったのだ。それができないということが、今の社会の課題であることを私たちは当事者とともに訴え続けるしかない。
ケアマネージャーも相談員も一生懸命やっていたのだと思う。しかし、ヘルパーも足りない中で、本人に協力という名の我慢を強いるしかなかったのだろう。そんな時、直接の支援者以外に、本人が助けてほしいといえる、本人の力になってくれる第三者がいると安心なので、そういう人や団体とつながりやすくするネットワークを作ることがとても重要だ。
今回の嘱託殺人は、明らかに揺れ動きながらも生きようと必死で戦ってきた女性が、社会資源の不足や人権意識の低さなどが原因で、絶望的になったことが引きがねになっている。
それならば、どうすれば今後彼女のような人が死ななくて済むのか、私たちが、政治家がなすべきことはみえてくるはず。

しかし、維新の会がそれに対して、尊厳死を考えるプロジェクトを作ると、発表したのだ。さも素晴らしいことを提案したかのように。死ななくて済むようにではなく、死ねるようにすると。あまりにも勉強不足、あまりにも人権意識のかけらもない政治家の発言に背筋が凍る。

ALS患者の靖彦参院舩後議員(れいわ新選組)は23日、京都市での事件を受けてコメントを発表した。「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが大切です」と訴えた。
「私も、ALSを宣告された当初は、できないことがだんだんと増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、『死にたい、死にたい』と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。
 『死ぬ権利』よりも、『生きる権利』を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。 」

日本維新の会の馬場伸幸幹事長は29日の記者会見で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の嘱託殺人事件を受け、政務調査会に尊厳死を考えるプロジェクトチーム(PT)を設置すると発表した。また、れいわ新選組の舩後議員が「生きる権利」の大切さを訴えるコメントを公表したことに関し、「議論の旗振り役になるべき方が議論を封じるようなコメントを出している。非常に残念だ」と語っている。他の患者の役に立つべく必死で生きている議員に対して、死にたい人が死ねるようにするのが、あなたの役目でしょと言わんばかりの維新の会の発言には背筋が寒くなる。よくこんなことが言えるなと思う。虐待に耐えられず、生きるのがつらくなって自殺しようとしている人に対して、解決の方策を示していくのが政治家なのに、自分たちのやるべき役割を果たそうともしないで、さっさと死んでくださいと言うなんて。

林さんも、「初期のころに『自分はもはやなんの生産性も無く、税金を食い潰しているだけの人間だから死にたい』と主治医に詰め寄ったことがある」(2018年6月30日)
「生産性」とか「税金を食いつぶす」とか「税金の無駄遣い」とかあちこちで聞かれるが、公の場で、国民が聞く場で、そういう発言をしている政治家はまさに人権侵害であり、障害者基本法からどうなんだと問われるべきだ。政治家が行政が率先してそんなことを言ってるから、ますます死にたくなるのだ。
「生産性」があるかどうかだけで、人間の価値を決めようとする優生思想を具体的にしたものが、安楽死(尊厳死)法制化だ。日本で安楽死(のちに尊厳死と呼ばれる)法制化の運動を積極的に推進したのは、まず太田典礼だが、彼は一貫して優生断種を擁護している。
「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」(太田、当時日本安楽死協会理事長)
 「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいんじゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏明、当時協会理事)(一九七八年一一月一一日、TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」での発言)。
はっきりと、「不要の生命」と発言しているのだ。これが、安楽死(尊厳死)を進める人たちの本音なのだ。
旧優生保護法化で行われた強制不妊手術に対しての裁判が行われ、国としての責任が問われている現在に、先ほどのような発言を平気で言うのは、まさしく人権に対しての意識が全くない維新の会の本音であるといえるだろう。

今日、相談支援専門員の現任研修の中で、出てきた言葉。「人権とは、人間が生まれながらに有する権利であり、人間であるということだけに基づいている。決して奪われたり侵害されるものではない」 私たちは何回も何回もこの言葉をかみしめ、人権を認めない一切のものに対して、NOと言おう、言えるようになろう。林さんや殺されていった相模原事件の被害者や多くの人権を踏みにじられた人たちのために、そして自分や家族や仲間のために。

ナビ 西川

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