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親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは 1-2 | NPO法人ちゅうぶ(旧 中部障害者解放センター) 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは 1-2 | NPO法人ちゅうぶ(旧 中部障害者解放センター)
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親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは 1-2

大阪の学校

大阪に転校し、2年生始まる前に、体調が悪くて、先生に「あんまり学校行けないかもしれません」て話をしたのですが、先生が「5分でも10分でもいいから、来てくださいね。」とか言ってくださいました。
通い始めてから本当に生きる力をもらいました。
「佳那ちゃん、佳那ちゃん」って言って声かけてくれるし、触りまくるし、もう娘も寝てられへんし、嬉しいんですよね。
子どもたちとずっと過ごして、写真は、車椅子の騎馬戦ですね。あれは、子どもたちがみんな考えて、6年生の組体操もですが、肩車している子が校長先生のところに行って、「私できるから、私にやらせてくださいって」言って、やれることになりました。
修学旅行も、「私たちが面倒見るから、私たちにさせてください」って、子どもたちがね、校長先生に直談判するんです。
遠足で坂があれば、もうみんなで手分けして車椅子を抱えていくというふうに過ごしてきました。

運動会の時も、他の保護者の人が「あんな危ないことして・・」みたいな意見に対して、担任の先生が「本人達の顔を見てやってください。いい顔してるでしょう」と言ってくれて、周りが黙るという感じでした。この時のお母さん達も「2人ともいい顔しててよかった。ちょっと心配したけど、よかったって」いう風に言ってくれました。

「佳那子が泣いている」って書いています。
息子が、就学時健診の時に虐められたようなことが、また転校先であると嫌ややなと思ったらしく、その時期に、娘が死にかけたことが、自分が嫌やなって思ったせいだと思い詰めて心が潰れて学校行けなくなりました。中学はほぼ行ってないんですけど、そのことを教室で先生が言いました。そしたら、「先生、佳那はわかっているのに、なんで、そんなこと言うのよ」って、「佳那子が泣いている」て先生が子どもたちに叱られたことを担任から聞きました。娘は3日ぐらい学校行けなくなりました。体調悪くて、起きれなくって、私もどう話していいかよくわからない。まあ、兄妹で話し合ってくれたらいいと、息子に話を振ったら、話をしてくれたみたいで、次の日から、学校に行けるようになりました。

だから、佳那は、本当に何もわかってないのでなくて、いろんなことを心が感じているのだなということを改めて感じました。

こんな姿を見てたら、やっぱり中学校もみんなと一緒に行かせたいな、みんなの中にいることが、娘が今日も生きよう。明日も生きようって思う元気の素でした。

写真は、中学校の授業の様子なんですが、教科書もテストも皆と同じものです。特に佳那ちゃんできないから、別問題っていうことじゃなくて、全然答えられないものもあるんだけど、選択問題は、先生が丁寧に聞くと、頷いたり返事をするので、少しは点も取れました。同じ教室でずっとやってきました。

高校へ進学

中学校も過ごして、次は高校で、東住吉高校を受けたのですが、全然点がとれませんでした。大阪は運動の力で定数内不合格は出さないっていうことで、定員割れだった定時制の中央高校に入りました。
この時も、定員割れを狙って〆切のギリギリに願書を出しました。
障大連や組合からも定員割れているから落とさないように教育委員会に言ってもらいまた。
定時制だから、最初は45人、50人近くいましたが、1学期で半分ぐらいになりました。最後は10人いるかいないかですね。
みんなさんが辞めていくから不安になった時に、「佳那子一緒に頑張ろうな」って声をかけてくれた男の子がいました。無事、2人とも卒業できました。
先日、久しぶりメールをもらって、「佳那ちゃんの活躍をインターネットで見ました。また、なんかあれば、僕も協力させてください」みたいなことを書いたメールが届いています。

大学への進学

高校生活の最後の1年に、大学入試案内を持って帰って、「大学行きたいの?」って聞くと、「うん」って言うのです。本当によく周りのことを聞いていて、そんな中で本人も行きたくなったのかなと思う。定時制高校に行きながら、この自立生活をどうすればできるか、ヘルパーさんの時間数があるときには月に1回とか2回家に泊まってもらったりしながら、考えていました。
高校を卒業して、そのまま生活介護に行くのもいいけれど、大学っていうか、みんなの中で過ごしてほしいな、過ごしたいだろうなっていうのもあって、どうすればいいか検討しましたが、選択肢がなく、大学センター入試を受けるしかありませんでした。
大阪府立大学社会学部に障害者枠があって4年間トライしました。
  
センター入試は選択問題だからいけるかもみたいな感じで、問題読んで、頷くと、赤いランプがつくから、大学の方も本人が答えたという正当性があると認めて、代読代筆で大変だったですが、4年間がんばりました。お友達が4年間は大学に行ってるから一緒に過ごす時期が少しでもできればいいなと思い、作業療法士の先生なんかに協力いただきながらやりました。

そして、聴講生で関西大学へ行き始めました。行き始めて3年たってもなかなか生徒さんとつながらなくて、なんかいい方法はないかな、お昼代出すからご飯一緒に食べるとか、チラシまで作ったんですけど、そこまでするのは止めようとか言ってたら、加納恵子先生がゼミにどうですかって声かけてくれました。
この写真は5年目の時のゼミ生ですけど、この時はね、本当に青春してたんです。

皆で、「佳那と一緒に行動するにはどうしたらいいか」みたいなことを一人一人に話をしていって、この抱っこしてくれているY君が中心になって、次ボーリング行こうとか、花火しようとか、色々しながら、ゼに全体が娘を受け入れくれて、話し合いをしないと進められないっていうか、そういうことでみんなが仲良くなった。今の大学生って、なかなか人間関係が難しい人たちもいるので。卒業する時にお手紙をくれた子がいました。「人との関係が難しかったけど、佳那ちゃんがいて、みんなで話し合う、そういうのがすごくよかったです。」って。
これはね、お酒を飲みに行ったときの写真です。介助者はついてないです。男の子たちが飲ましてくれる。右に映っているのが野球部のK君ていう今でも家族ぐるみでお付き合いしている子ですが、ゼミの生徒さんです。

自立に向けての支援者会議は2011年から相談支援センター・派遣事業所、障大連とかいろんなところから参加いただき、84回も開催しています。
大阪市では、とても一人暮らしができるような時間数をもらえない、やっと675時間です。これまで、事業所がなかなか見つからなかったり、ヘルパーさんがいなくて撤退したり、障大連の西尾さんに「佳那はそんなに大変ですか?」って愚痴をこぼしたこともありました。医療的ケアとかもあって、ヘルパーさん1人では無理なので、2人で24時間保障されればいいなと思いますが、今の状況ではなかなか難しいです。
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