Home  日々の活動  大阪市内で昨年兄が知的障害の弟と無理心中を図った

大阪市内で昨年兄が知的障害の弟と無理心中を図った

大阪市西淀川区の民家で昨年4月、50歳代の兄弟2人が遺体で見つかる事件があった。弟(当時56歳)には重度の知的障害があり、兄(同57歳)が一人で介護をしていた。大阪府警西淀川署は1月14日、介護疲れから無理心中を図ったとして、兄を容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検したと、新聞記事が出ていた。

知的障害の弟を支えた末に「弟の命をたちました、これから後をおいます」…自殺した兄を書類送検 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/national/20220124-OYT1T50101/

「「兄が疲れている」。見かねた弟の主治医が相談支援センターに連絡し、入浴介助の話が進み出したのは昨年4月20日が初めてだった。事件が起きたのは兄からのSOSで本格的な支援が始まる矢先だった。」

この事件を知った時、全く他人ごととは思えなかった。一つは、重度障害の弟をもつ姉として、もう一つは私も相談支援センターで相談員として働いている者として、どちらの側からも他人事とは思えなかったのだ。      

親による障害児殺しや無理心中が社会問題となり、事件のたびに起こる減刑嘆願運動に対して「障害者だからといって殺されていいわけじゃない」と青い芝の会が抗議行動を起こしたのは50年以上も前の話。その頃は今のように地域での障害者福祉サービスが全くないに等しく、外に出かけることもほとんどなく、親や家族が介護するか、できなくなれば入所施設へ入るしかない時代だった。それから50年もたって、サービスは比べ物にならないほど増えた。バリアフリーも進み、ヘルパーと一緒に地下鉄やバスに乗って外出できるようになった。家の中での入浴や着替えや洗面や食事や、重度の人には見守りも可能な制度ができた。グループホームも十分とは言えないが制度化され、大阪市内ではたくさん作られるようになった。重度の障害者が大学に通い勉強するための制度までできた。昔はレストランでも入店拒否されたが、差別解消法もできた。24時間介護が必要な私の弟も、やっと月に600時間の介護が認められるようになった。これまではボランティア的な要素がぬぐい切れず、足りない時間は法人持ち出しでやってきたのだった。全国の障害当事者はじめ関わる人たちによる、親のお荷物になりたくないという必死の運動によって、本人だけの所得による自己負担が設けられ、さらに上限が設けられ、年金だけの障害者は実質無料でサービスを利用できるようになったのだ。

50年である。その50年の間に、あれもこれもどれもそれも、たくさんのことが変わったというのにである。もちろん地域移行はまだまだ進んでないし、本当に必要な時間がすべて認められているわけではないが、少なくとも未来への希望が持てるようになってきたというのにである。

それなのに、相も変わらず、親による無理心中が後を絶たない。そして兄弟による無理心中が1年前に、しかも制度が充実している(と思っている)大阪市内でおこった。年齢も私と近い。散歩くらいしか外に出ず、仕事もやめ、弟の介護は自分の役目だと信じ、ひたすら弟の介護だけする、そこには何の希望も未来も見えないのは当然である。兄にとっても弟にとっても不幸としか言いようがない。以前の私は、兄弟もともに自立にむけて行動してほしいと思っていた。でも今は違う。自分の人生を一番に考えてと言いたい。そうすれば、こんな悲劇は生まれない。周りが今はほっとかない。必ず何とかしてくれる。何とかできないのは、家族が一人で背負い込もうとするからである。「施設に入れないで世話をしてほしい」と頼まれてずっと守ってきたとは、本当に従順な真面目で優しい人間だったんだと思う。そんな人に、どうやったら届くのだろうか。今はそんな時代ではないよと。私もあなたも兄弟も幸せになれるし、なっていいんだよと。そのためには、他人に頼って任せてもいいんだよと。それは家族を捨てることには決してならないよと。悔しくて悔しくてたまらない。

確かに重度の知的障害者の支援は難しいかもしれない。サービスを使ってみたものの、本人が嫌がって、ストレスでしんどくなって家で暴れたり寝れなくなったりしたかもしれない。それで母親はあきらめたのかもしれない。見に行った施設を見て可哀そうだと思ったかもしれない。だから人に預けたりほかの場所は無理だと思ったのかもしれない。いろいろ想像はできる。けれど、いずれ親は年を取るし、できるだけ本人が若いうちに、家族以外の人や場所に慣れていかないとますます本人にとってもしんどくなるだろう。今は強度行動障害と言われている重度の知的障害者の支援も少しずつ進んできている。

先日見学に行ったショートステイ専門のホームは、マンションの部屋を全部リフォームして家具も含めてとてもかわいくしていた。「障害児が親の都合で仕方なく預けられたではなく、ここに来たいと思ってくれるような場所にしたい。親離れ子離れは早ければ早いほどよいから、定期的にショートステイを利用して、グループホームで生活できるようにするのがねらいだ。最初は本人も不安で眠れず、ずっと手を握っていた子もいる。」と説明を受けた。こういうショートステイがもっともっと増えてほしいと思った。

一方で、同じように福祉サービスや支援を受けずにいて、受けられるサービスすら拒否し、このままではいつか破綻するのではないかと心配な家族がいるのも事実である。殺人や心中が起こるのではないか、と思う家族もいる。いつもはらはらする。だから、相談員は、きっとあと1日早かったらと自分を責めているかもしれない。私も気になって眠れない夜もあった。強く勧めたほうが良いのか、いや強引だと拒絶されるから、信頼関係を作ってなんでも言ってもらえるようにしてからのほうがいいかなど、いつも悩みながら、そして自分の言動があれでよかったのかどうか悩みながらやっている。もちろん、一人でなく、組織でチームで相談しあいながらだが。拒否されたらどうすることもできずに、みんなで見守っているだけの家族もいる。けれどもどんなに拒否されても、決してあきらめず、関われる方法を探り続ける。きっと区の相談支援センターの職員もそのようにしていたと思う。それでもなかなか良い方向に行かないこともある。

こんなにサービスが増え、相談できる人も増え、未来に絶望しなくてもよいはずなのに、いつまでたっても疲れて将来を悲観しての無理心中があとをたたないのはなぜなのか。それは、他人に迷惑をかけてはいけない、家族の事は家族で解決しないといけないと思う気持ちが強すぎるからなのか?そういう教育や教えを受けてきたからなのか?長年の間にあきらめてしまって考えられなくなったのかもしれない。ほかの生き方を提示されても、本人が嫌がるからどうにもならないと思ったのか?いや疲れ果て、考える気力もなくうつ状態になっていたのだと思う。ならば、このような悲劇をなくすために、私はこれから何をすべきなのだろうか。

(自立生活センター・ナビ 西川 淳子)

公共財団法人JKA 補助事業完了のお知らせ CYCLE JKA Social Action