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コロナ禍で重度障害者が入院

「史上最恐・最悪で悲劇的な人生」が待っていた

重度脳性麻痺の弟が、今年の5月に急病で入院した。本来ならば、重度訪問介護という制度を普段から使っていて、支援区分6のため、入院時もそのままヘルパーを使えるという素晴らしい制度があったはずだった。いや制度は確かにある。しかし、コロナ禍の真っ最中で、それは認められなかった。コロナのせいで、普通に保障された権利すら奪われてしまった。

「5月22日に、おなかが少しずつ痛くなり微熱もありました。5月23日も22日と同じような状況でした。5月24日の朝(7時~10時前)に検温すると、38~39℃ぐらいの高熱がありましたが、私は『コロナではない!』と職員に言い、病院に行くのを拒否しましたが、職員から『A病院に行ったほうがいい』と言われA病院の発熱外来に行きました。その時は、新型コロナウイルスのPCR検査をして、解熱剤だけもらい家に帰りました。しかし、夕方ごろから内臓がものすごく強烈に痛くなりました。職員があちこちの病院に電話し、やっと診てくれる病院が見つかり、職員とヘルパーと一緒に病院に行き、コロナの抗原検査をすると陰性でした。そのまま、血液検査・CT・レントゲンの検査をすると、『胆嚢炎の可能性が高い。』と医者に言われました。医者に『すぐに入院したほうが良い』と言われましたが、その日は部屋が空いていなかったので、A病院に紹介状を書いてもらい、そのまま家に帰りました。家に帰っても、未明に何回も吐きました。私の苦しい状態を見ていた職員に早朝5時前に『救急車で運ばれたほうがいい』と何回も言われて、早朝5時~6時前の間に私のお姉さんの旦那さんに電話して相談して、A病院に電話して行き、9時にPCR検査結果で陰性と分かり、もう一回検査をすると胆石が1つ見つかり、胆嚢炎・胆管炎と言われ、すぐに入院することになりました(12日間)。その日の午後には内視鏡(胃カメラ)で胆石などの手術をし、そのまま入院しましたがこれがすごく大変でした。』(本人の文章そのまま)

新型コロナウイルスの影響で、病院では、職員・ヘルパー・家族などの病院での面会やつきそいが一切できないと言われたのだ。最初の入院説明の段階では、同一人物が入れ替わりをしないならば、付き添いはOKと言われたのだが、いつ退院になるかもわからない状況で24時間何日も一人の職員がつくわけにもいかず、どうしたものかと相談しているうちに、病棟の看護師がやってきて、「付き添いは無理です」と言われ、すぐに手術の準備に連れていかれた。手術をする階にも上がらせてもらえず(普段は手術が終わるまで待たないといけないし、終わったら説明があるのだが)、その場で別れることになった。介護者が付き添えないなら大部屋の方がよいだろうと判断し、大部屋を希望した。

 看護師に聴覚障害のことや言語障害のことを伝えて、50音の文字盤も渡したが、案の定言語障害が強いため全くと言っていいほど、コミュニケーションがとれなかったようだ。看護師は紙に書いてくれたが、本人の言葉が聞き取れなかったのだ。

 「看護師さんに『足が痛い!』と言っても、まったく通じません。『体反対』とベッドでの寝返りを頼んだけど全く通じませんでした。夜中に大きな声で『足が痛い』と看護婦さんを私が呼ぶので、同じ病室の他の患者さんが『うるさい!!』と言われ、他の患者さんも寝られない状態でした。6日後にやっと点滴が抜かれたのですが、『のどが渇いた、水をください』と言っても全く通じなかった。しかも、食事が食べれるようになっても、おかずを小さく刻んでご飯と混ぜて、その上から薬を振りかけたので、嫌だと拒否した。子どもの時の施設と同じでした。

 6月3日には、私は夕食が『いらない』と言い、看護師が、『食べなさい』と怒られ無理やり食べさせてきたので、私はスプーンを歯で噛み結局食べませんでした。このような軽い虐待を何回も受けました。これは、障害者の人権侵害です。」(本人の文章そのまま)

こちらから何度か主治医に状況を聞いた時に、「感情失禁がありました」「食べるのを拒否しているから早く退院させるようにします」と言われた。自分の言いたいことが通じなければ誰だって大声を出すだろうし、それを感情失禁と言われてしまうのは本人にとってとてもしんどいことだ。食事も普通の食事にしてほしいと頼み、食事だけはやっと改善されて食べるようにはなった。

6月5日10時に退院した。寝がえりの回数が少なかったのか、右の耳から首筋にかけて汗によるかぶれで真っ赤になっていた。聞こえないから、今日は何日なのか、何曜日なのかもわからない。テレビも新聞もない。普段は毎日、新聞やネットでニュースを見て情報を得ているのに。ほかの患者さんはテレビを見ていたが、自分でテレビを見ることもできないし、万一見せてもらっても聞こえないから、情報は入ってこない。

 これまでの入院では、介護者や家族が交代で付き添い、コミュニケーション支援や情報保障や体位変換や、緊張で痛む腕や足をさすったり、水分補給や食事介助など行っていた。しかし今回は、全くコミュニケ―ションが取れず、自分では何もできない訴えることもできない状況にいきなりほりこまれたため、退院してからの弟の怒りはすさまじいものだった。持って行き場のない怒りの矛先を、必死で病院を探してくれた職員に対して『職員が坐骨神経痛のことをきちんと伝えなかったから悪い』『病院が悪い』と向けていた。実際にはちゃんと伝えて足が痛い時用の薬も預けていたのに、病院側で飲ませてもらえなかったのかもしれない。『行政に交渉で言いたい!』と言っていた。制度はあるけど使えないというコロナ禍の特殊性がある。別の病院で、ずっと同じ介護者が退院まで付くならOKと言われ、短期間だが家族がついていたケースもあった。

 今回入院した病院では普段は介護者を付けての入院が可能だった。今回病院内でクラスターが何度も発生し、病棟ではかなりピリピリしていたようだ。別の病院も考えないわけではなかったが、遠くなって行きにくくなるし、なにより一刻を争った。難しい手術をすぐにしてくれて、それで助かって有難かった。しかし、施設を出てから初めて介護者なしでの入院(制度ができる以前は法人の持ち出しで介護者をつけていた)を体験した弟にとって、この12日間は、まさに地獄のような体験だったに違いない。裏を返せば、入院中も介護者をつけることができる重度訪問介護の制度がいかに貴重かを物語っている。また、コロナ禍で、一刻を争う病気になっても、PCR検査の結果が出なければ診察すらしてもらえない、しかも検査結果が出るまで1日かかるなど、病院によっては対応が違うため、あとで後悔しないためにも情報収集が大事だと感じた。医療関係者もぎりぎりのところでやっていてこれ以上クラスターは出したくないというのは当然なだけに、何とか方法はないものか。また万一入院になるようなことになれば、弟は間違いなく入院を拒否するのではないかと案じている。 ※「」内は本人が知人に宛てて書いた文章より抜粋。

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