第3回 親・支援者と一緒に考える「自立生活」とは①-1
ちゅうぶでは、グループホームリオの入居者を募集しており、そのための自立生活プログラム(ILP)を実施しています。「親支援者と考える自立生活とは」というテーマで、3回目です。障害者の親であり、施設の職員、障害者支援のNPO法人の理事長、大阪体育大学の教員と、様々な場で活躍してこられた大谷悟さんに語っていただきました。
石田 ナビの運営委員をしていただいている大谷さんです。大阪体育大学などの先生をされていました。その前に大手前整肢学園という障害児の施設、うちでは、代表の尾上さん、西川和夫さん、小坪さん、後藤さんが入所していました。学生の時に障害者運動に出会って、施設の職員になられたということで、大谷先生の時代は、障害者が地域で生きる運動を始めた最初の時代といえます。先生、よろしくお願いします。
大谷 よろしくお願いします。大手前整肢学園時代のよく知った顔もあり、懐かしい気持ちです。
【自己紹介】
1.おもちゃライブラリー」とは
障害があることで子どもの遊ぶ場から排除されている現実があって、1960年代から広まった北欧のノーマライゼーションの考え方を基本にして、おもちゃを媒介にして、健常児と障害児が一緒に遊ぶ場を作っていこうという取り組みです。
大阪の北野教会というところが取り組みを始めたのですが、私の子どもが障害児ということもあり、私の地元の熊取町で「おもちゃライブラリー活動」を35年間続けてきました。月に1回、親子で来て、感覚遊具で遊んだり、好きなことを自由に楽しんだり、お母さんの悩みを聞いたり、話をしたりという活動を続けてきました。
2.ピアカウンセラーとは
ピアカウンセリングのピアというのは仲間という意味です。私はピア大阪(大阪市が作った公立の自立生活センターです。今はありません。)で、親同士で支え合うということで、様々な親御さんへの相談支援などを7年間させていただきました。
3. 支援者の立場から
肢体不自由施設の指導員の仕事を通じて、西川和男さん、和男さんのお姉さん、小坪君、森園君、尾上さん、久保さんとかつながり、出会いがありました。そこで大きくなった子どもの気持ち、そして、入所を経て、大人になった人とのつながり、親の気持ちなどを感じてきました。これは、支援者としての立場ですね。
4.認知症高齢者家族の会の立場から
母はずっと、岸和田に住んでいたのですが、父が亡くなると認知症になりました。色々徘徊したりちょっとボヤを出したりするもんですから、地域のみんなは心配して「お母さんひとりで置いて大丈夫なの」「息子さんおられるんやったらお母さん引き取ったらどう?」って言って、色々親切におっしゃっている方もいらっしゃったんです。まあひとり置いておくのもなあということで、岸和田から熊取へ移ってもらったんですが、全然慣れてないところへ行くものですから、逆に徘徊が酷くなりまして、夜間、夜中2時3時に近所のピンポンを押すものですから、夜も昼も関係なく走り回るという状況に追い込まれましたし、警察のお世話にもなって引き取りに行ったこともあります。
「息子さんいるんだから引き取ったらどう?」っていう、地域の人たちの気持ちは非常によくわかるんですけど、でもそれを裏返してみたら、認知症になったら地域では住めないよということを周りで言われているような、いわゆる圧力といいますか、同調といいますか。そういう側面もあるので、そこが怖いところだと思います。
地域の人たちは差別しよう、排除しようとしていないんです。ところが、母にとって良いんじゃないかと、思ってしたことが、結果として、認知症になったら地域では住めなくなるということの裏返しになってくるわけで、地域で生きることを、自分の母親の体験を通じて考えさせられました。
5.大学人の立場から
私は親の立場というのと、それから支援する側の立場、両方を体験してきて、そんな過程を経て、福祉を支える人を育てたいという思いが起こりました。福祉を支える人材を養成したいということで、23年勤めた大手前整肢学園を辞めて、桃山学院大学を経て、大阪体育大学健康福祉学部(今は教育学部になっています。)で勤務し、色々な審議会とか、委員会の議長も務めました。
また、第三者評価事業にも取り組んできました。今は、福祉サー^ビスの情報がそれなりに出るようになってますけど、当時は福祉サービスの利用に伴う具体的な情報を得ることはできませんでした。ましてや福祉サービスの「質」を評価することはできません。権利擁護の観点から、それでは困るので、福祉サービスの「質」を評価する第3者評価事業も実践してきました。
6.親の立場から
極小未熟児というのは、想像つきにくいと思いますが、582グラムというのは、ご自分の手の大きさぐらいで生まれてきます。手の半分が頭で、そこに手足がついているイメージです。産毛が生えているわけでないので、褐色です。呼吸も自力ですることはできません。自分で血を作ることもできない。NICUで保育器、インキュベーターに3か月入って、そこから少し軽い保育器みたいなところに7か月入り、結局、1年近く入院することになりました。
今の時代であれば、慶應義塾大学病院で289グラムの子どもが生まれて後遺症もなく育っています。
35年前はそういう時代ではなかったと改めて思います。色々な形で、皆さんに支えていただいて大きくなったと親として思います。
【地域で生きるということ】
そういう子供を抱えて地域で生きていくときに、交流する場というのがないんです。声の聞いてくれる場というのがどこにもなかったものですから、声そういう家族に集まってもらって、保健師さんは地域で子どもを知っているので声をかけてもらって、集まってもらいました。
1989年、ロンドの会を作りまして、おもちゃライブラリ活動を一緒にやってきました。
そんな中、母親の復職希望がありました。「復職して働きたいので保育所を利用したい。」という希望がありました。役場に相談に行くと、「普通、そういう歩いていない子どもの場合、お母さんが家でみてもらった方がいいんじゃないですか?ここは健康な子を預かる場所ですから、なかなか難しいですね」という対応をうけました。
当時の状況で言えば、熊取町で、そういう歩いていない子供が普通の保育所に入るというのが、ある意味で言いますと非常にショッキングな出来事やったんやろうなって改めて思っています。
呼び出されましてね、「お父さん、お母さん、保育所って何があるかわかりませんよ。けがするかもわかりませんよ」っていうふうに言われましたし、「こういう子はお家でみてもらった方がいいんじゃないですか」って言われました。
こういうところで、普通の、当たり前の生活から排除を受けていくんだなあというのを実感したわけです。
子どもが小学校に行くときも、同じような排除の論理がありました。歩き始めたのが5歳くらいで、知的障害がありまして、身体障害と知的障害と、両方もっているということで、就学時検診等で、地域の小学校に行きたいと言うと、「専門的な教育を受けた方が、子どものためにはいいんじゃないですか?」と言われました。
息子が保育所でずっと一緒に暮らしてきた友達がいまして、「ぼく、友達と学校行きたいねん」って息子が言うので、いろんな方の支援も受けることができて、なんとか地域の小学校に通えるようになりました。
【特別支援学校高等部へ】
小学校時代もやっぱりいじめがありまして、中学校になるとさらに悪質化してカツアゲなんかも受けて、1年間不登校という事態も起こりました。
一つ上のお姉ちゃんがおるんですけど、そのお姉ちゃんが、自分の弟がいじめられている、そういう現場を見たときに、何もよう言い返せなかった、何もできなかった自分の無力さを感じたというということを大人になってからカミングアウトしました。そういった意味では今言われているヤングケアラー対策、メンタルケアは兄弟に必要ということを改めて思いました。
その後の進路として、普通高校を目指しましたが、学力面で不合格となり、やむなく支援学校の高等部に行くということになりました。
当時の支援学校の先生は、「うちの学校は就職率がいいんですよ、就職先で可愛がられるような教育を心がけていますから」と言うわけです。
愛される障害者作り、それを推進しているんです。「文句があっても笑顔で仕事ができるように、可愛がられるようにしていかなければいけない。」みたいなことを言っていました。
私は、「それっておかしいよな」、「自分がおかしいって思うことはおかしいって言っていいよなあ」思いながらも、息子本人は居心地がよかったんでしょうかね、彼は先生の言うことを素直に受けいれていたようです。
【ロンドの取り組み】
そんな子どもの成長に合わせてやっぱり、就職というのですかね、進路も考えていかなあかんやろうということで、NPO法人を立ち上げました。
子育てと、ホームヘルプサービス、障害児のガイドヘルプもやっていました。ただ、親の集まりでしたので、熊取ロンドでの進め方を巡って意見対立がありました。自分たちで作業所をつくろうよというところで運動はしていたんですけど、「いやいや、これ以上親に負担をかけるつもりか」ということで、意見が対立しました。結果、多くの仲間が去り、残念な結果になりましたが、それでも、ロンドは継続するということで、今は福祉有償運送もやっています。 また、熊取町委託を受けた「つどいの広場」という子育て支援拠点事業にも取り組んでいます。週4日開催して、障害がなくてもあっても共に育つ「場」として親子が通ってきます。それからフィリピンのNPO法人のローブというところと交流があり、子育てに関する意見交換会も行いました。
①-2へ続く…
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