感染症と優生思想
こんにちは。ナビの平沼です。
みなさま、新型コロナウィルスによる自粛ムードの中、いかがお過ごしでしょうか。
4月7日には非常事態宣言が出され、日本中で、また世界中で新型コロナウィルスの感染が拡大し、残念なことに重症化、さらには死に至ってしまう方々がいらっしゃることを思うと、胸が締め付けられます。我々の関係者にはまだ感染者の発生はありませんが、いつどうなってもおかしくないと思いながらも、地域生活を続けていく障害者の支援や介護は、自粛したり止めたりできるものではなく、水や食料を生活必需品というならば、支援や介護は生活必需行為であるため、感染防止に細心の注意を図りながら活動を続けています。
感染症の蔓延を防ぐこと、自らや周りの人の感染防止に関しては、我々がどんなに考えたところで専門の方の意見を超えることはあり得ないと思います。専門家の方々の意見を聞きながら自分たちで気を付けていくしかありません。
しかし、ここまで全世界に広がった感染症。このような全人類が苦しむ状況でしわ寄せがいくのはやはり弱い立場の人だと改めて感じました。普段は気付くことさえできない差別の構造がとてつもなく明るみに出てきているように感じています。
ステイホームと呼びかけられた国々で、DVの相談件数が上がっています。児童虐待の相談件数が増えています。経済格差によって、人種間で感染者率、死者率が違います。女性・子ども・貧困・障害・・・・ウイルスは人間を差別せずに攻撃してきますが、社会の在り方によって防御や二次的な被害の状況が変わってくると言えるのではないでしょうか。
障害者にとってはどうでしょうか。医療崩壊が起こった時に、トリアージがなされることはやむを得ないことであるというのは共通の認識だろうと思います。助けられる人を助けていくということでしょう。しかし、その基準は本当に平等なのでしょうか。障害者と健常者でどちらかを助けるときに、障害者は殺されてしまうのではないでしょうか。
「障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」のことを優生思想と言います。
イタリアの状況を伝えるニュースでも、ある高齢者は、助かってもその後世話をしてくれる人がいないから、ということで積極的な治療をしなかったと伝えられていました。優生思想はそれほどまでに今を生きる人々の頭に刷り込まれ、あるいは政策に反映され、普段から思い込まされてしまっているのだと感じます。私たちはそれを優生思想と気付くことすらできていない。だからこそ出生前診断の問題が起こったり、無理心中事件、はては相模原事件のように簡単に命を奪われてしまうようなことが起こってしまうのだろうと思います。
私たちが目指しているインクルーシブな社会は、こういった差別をもとにした事件が起こらないことが目標ですが、優生思想のように、私たちはいまだに様々な差別的な慣習や制度、考え方に気づくことさえできていないのだと思います。だからインクルーシブな社会をうまく想像できないし、人に伝えようとしてもうまく説明できないし、広まらない。まずは自分たちがさまざまな場面で差別を容認してしまっていることを認め、あぶりだし、一つ一つ考えたり悩んだりしながらつぶしていくしかないのだろうと思います。
新型コロナウイルスのワクチンが生まれ、人類が集団免疫を獲得するころには、社会のあり方がけっこう変化するんじゃないかと感じていますが、それがインクルーシブな社会の在り方に近づいていけるかどうか。私たちの課題だなと思います。
障害学会がコロナに関する声明の中で優生思想のことを「障害者の生命の価値を低く見てしまう差別的な考え方」と書いているのを見て、非常にわかりやすく、伝わりやすい言葉だと感じたので、併せて紹介させてもらいます。
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