- お知らせ
- 2026.05.25 (月)
- [ ちゅうぶ全体 ]
「ふつうの日」参加報告 ―インクルーシブ教育プロジェクト発表会―

2026年3月7日、「ふつうの日」に登壇してきました。私は2025年6月より、UNIVAの野口晃菜さんからお声がけをいただき、プロジェクトのメンバーとして活動に参加しています。
主な関わりとして、大阪府箕面市立萱野小学校5年生を対象とした「ふつうアップデート」の授業に入り込み、子どもたちとともに「ふつう」とは何かを考える機会を重ねてきました。この授業では、障害のある・なしにかかわらず、「誰にとってのふつうなのか」「そのふつうは本当にみんなにとって心地よいものなのか」といったことを、子どもたちと一緒に考えていきました。私にとっても、子どもたちの率直な言葉や反応に触れながら、自分自身の経験を改めて見つめ直す機会となりました。
こうした実践の積み重ねが、今回の登壇へとつながりました。
パネルディスカッションで伝えたこと
パネルディスカッションでは、自身の学生時代に抱えていたしんどさについてお話ししました。当時の私は、周囲に合わせて無理をしたり、嫌われないように気を使ったりしながら学校生活を送っていました。友達とうまくやっていくために、自分の気持ちを後回しにして、その場の空気を読んで行動することが当たり前になっていたように思います。
しかし、友人と喧嘩をした際に、「健常者めんどくせー」と感じたことがありました。当時は、その感情をうまく整理することができず、「やっぱり自分は普通の学校ではしんどいのかもしれない」と感じていました。その後、高校では少しでも楽に過ごしたいという思いから特別支援学校を選択しました。
ただ、今振り返ると、「めんどくさい」と感じていたのは自分だけではなかったのではないかと思います。当時は、私だけでなく、周囲の友達もみんな嫌われないように気を使いながら過ごしていたのではないでしょうか。いわば「友達ごっこ」のような関係の中で、それぞれが自分らしさを出すことを恐れ、無意識のうちに周囲に合わせていたのだと思います。そう考えると、しんどさは誰か一人の問題ではなく、学校という場のあり方や、そこにある見えないルール、空気、システムによって生み出されていた部分も大きかったのではないかと感じています。だからこそ、誰か一人を特別扱いするのではなく、「みんなが特別であり、みんなに配慮が必要で、みんなが守られる存在である」という視点が大切だと思っています。特定の誰かだけが支えられるのではなく、誰もが安心して自分らしくいられる環境をつくっていくことが;必要なのだと改めて感じました。
分科会での学び
後半の分科会では、埼玉県戸田市立戸田第二小学校で実際に「ふつうアップデート」の授業を実践された先生と、私が登壇しました。ここで特に印象に残ったのは、この授業が子どもたちだけでなく、先生自身の考え方にも変化をもたらしていたことです。先生は、無意識のうちに「先生とはこうあるべき」「子どもたちはこうでなければならない」という理想像を自分の中につくっており、そのことによって自分自身がしんどくなっていたと話されていました。けれども、授業を重ねる中で、その考え方 が少しずつほぐれ、自分自身も救われていったという言葉がとても印象的でした。
また、左利きの児童の話も心に残っています。その児童は、「左利きでしんどいのは自分だけの問題だと思っていたけれど、社会が左利きのことをあまり考えていないことの結果だと分かって、自分のせいではないと感じて楽になった」「自分の気持ちを受け入れてもらえてうれしかった」と。この言葉を聞いて、多くの人が「ふつう」に縛られてしんどさを感じているのだと改めて思いました。そして、そのしんどさが「自分の努力不足」や「自分が悪いから」ではないと知ることは、とても大きな意味を持つのだと感じました。子どものうちからこうした視点を学ぶことができれば、その子どもたちが大人になったとき、今よりももっと生きやすい社会をつくっていけるのではないかと思います。

実践を通して見えたこと
私が関わった箕面市立萱野小学校の5年生は、4年生のときにすでに「ふつうアップデート」の授業を受けていました。そのため、子どもたちの中には、「違いがあるのは当たり前」という認識が自然と育まれており、私との出会いもとてもスムーズでした。障害のある私に対して必要以上に身構えたり、特別視したりするのではなく、自然に関わってくれたことがとても印象に残っています。また、知らないことは恥ずかしいことではなく、分からないことは聞いてよい、価値観の違いがあっても否定せずに受け止めてみる、という姿勢が子どもたちの中に育っていました。自分と相手の考え方が違ったとしても、それをすぐに批判したり、自分が悪いのだと抱え込んだりするのではなく、「違って当たり前」と思える心の土台ができていたように感じます。そのような土台があることで、人との出会い方や関係の築き方も大きく変わってくるのだと実感しました。子どもたちの姿から、インクルーシブ教育の可能性を強く感じました。
まとめ
これから学んでいく子どもたちは、「いろんな人がいる」ことが当たり前の感覚として身についていくのだと思います。一方で、私たち大人は、まだまだ偏見や固定観念にとらわれている部分が多くあるように感じます。もちろん、話し合いを重ねれば分かり合えることもたくさんありますが、そこには時間がかかります。だからこそ、子どもたちへの働きかけだけではなく、大人自身の価値観もアップデートしていく必要があると改めて感じました。インクルーシブ教育ばかりを進めても、それを受け止める社会や大人の側が変わらなければ、子どもたちはまた別の場面で生きづらさを感じてしまいます。
子どもと大人の両方にアプローチしていくことが、これからの社会を変えていくために重要なのだと感じています。今回の登壇を通して、インクルーシブ教育は特定の誰かのためだけのものではなく、誰もが生きやすくなるための取り組みなのだということを改めて実感しました。今後も、こうした実践を通して、「ふつう」とは何かを問い続けていきたいと思います。 (文責:東 佳実)
萱野小生徒の発想力に驚かされました!!

ナビの東さんがUNIVAの方と協同し、「ふつうアップデート」というテーマで小学生と交流していたのもあり、佐々木さん、松倉も声をかけてもらって萱野小で5年生と交流する機会をいただきました。感想を紹介します。

聞こえない人も聞こえる人も一緒に「だるまさんころんだ」ができるルール
学校の壁に指文字表が貼ってあり、5年生の多くの生徒が自分の名前を指文字で言えていたような気がします。分からない子も分かる子に聞いて指文字で自己紹介してくれました。

実際に使われている教科書 ↑
5年生の国語の教科書に手話と指文字が載っていて、生徒が「見てみて~!」と言って私のほうに教科書を持って来て見せてくれました。生徒らは教科書を配られたあと、教科書の指文字と手話が載っているページを見つけ、「授業を始めますよ~」声掛けしても指文字表に集中していたと、先生が笑いながら話してくださいました。 手話が言語として認識されて、教科書にも反映されていることに加え、授業のほかに、休み時間の中にも手話に触れる時間を自然な形で作っている萱野小の子どもたちからたくさんのエネルギーをもらいました。

生徒が考えた遊びの工夫がとても面白く、思考を巡らせたものだったと思います。例えば『だるまさんがころんだ』を聞こえないひとが、聞こえるひとと一緒に遊ぶとき、どうしたらできるのか。私も考えたことがありませんでした。
思い起こせば、コミュニケーションが必要な遊びは特に聞こえなくなってから「加われない」というのが普通になっていたかもしれません。生徒が一緒に遊べるルールを紙に書いて事前に用意してくれていました。
萱野小生徒たちの素敵な発想力で、温かい気持ちになりました。今回の交流をふまえ、他の小学校の生徒との交流に活かしていけたらと思っています。 (青おに 松倉)
子どもたちの柔軟な発想にびっくり
当に元気で明るい子ども達でした!
みんなが同じ条件で遊べる様に色々な工夫を考えてくれていました。
うちわを使ってのだるまさんがころんだは、聴覚障害の事をしっかり理解して、その人がいかに楽しめるのかを意見を出し合った中で決めたそうです。
改めて、子ども達の柔軟な発想に驚かされました。見習わないといけないところ、沢山ありました。
またぜひ交流していければと思います。 (青おに 佐々木貴祐)

新着記事一覧
- 2026/05/25 (月) 優生保護法問題で大阪府交渉 3.16
- 2026/05/25 (月) 「ふつうの日」参加報告 ―インクルーシブ教育プロジェクト発表会―
- 2026/05/25 (月) みなさん熱心に参加してくれました! ~OsakaMetroバリアフリー体験会~
- 2026/05/20 (水) 地域連携推進会議のご報告
- 2026/05/15 (金) 「イタリアの教育と精神医療の報告&インクルーシブ教育研究者のコラボ企画」のお知らせ

